2014年06月30日

聲の形のWikiっぽいものを作る:登場人物編(11) 竹内

今回、次回は先生です。まず竹内先生から。

ちなみに、今回の「Wikiっぽいもの」は、「完全に客観的でフラットな最大公約数的な解説をする」のが目的ではありません(そこが「っぽいもの」たる所以でもあります)。
それよりは若干踏み込んで、「明確に描かれていないことでも、多くの人が同意するであるような解釈や人物像はむしろ積極的に盛り込む」という内容を目指しています。


その他の登場人物

竹内(たけうち)


竹内

小学校時代の将也および硝子のクラスの担任教師。
事なかれ主義で柔軟なクラス運営を得意とせず、特別支援教育の知識や経験も乏しい。そのため、クラス運営上負担となる硝子への対応に苦慮し、また硝子が過ごしやすい環境づくりへの関心も薄く、特定の生徒(植野)に硝子への日常のケアを丸投げする等の安易な対応に頼りがち。そういった摩擦の結果、クラス内に徐々に発生してきていた硝子いじめについても黙認しつつ、硝子の家族には特別支援学校への転校をすすめるという対応をとった。
やがて、将也が補聴器を繰り返し破壊するという分かりやすい行動により校長にまでいじめ問題が発覚したため、やむなく全ての責任を将也に負わせることで自らの教師としての責任を回避する行動をとった。
この一連の対応のなかで、将也に対し繰り返し説いた「自己責任」ということばが、その後の将也の人生において呪いのようについてまわることとなる。
高校編においても登場し、将也卒業後5年たっても同じ学校に配属されている模様。また高校編での竹内はなぜか手話をマスターしている。

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posted by sora at 20:39| Comment(6) | TrackBack(0) | Wikiっぽいもの | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
竹内先生こそは教室の神様ですね。彼には彼の立場があり、そのことについて石田とそして真柴にも彼らの立場や意見があるということがきっちり描かれてきたように感じます。
彼が手話を覚えているのは、二度と彼のために硝子のような運命に遭う子が出ることのないことを示唆し、同時に将也と硝子の物語を一回きりのものとする描写なのかな?と思いました。
Posted by ジョー at 2014年07月01日 09:06
この漫画における最大の「元凶」とも言うべきは西宮母の横暴(硝子の普通学校通いを強行)だったと思うので、それを説得し曲げさせた竹内はじつはヒーローですね。
教師の評価は子供への対応じゃなく保護者に対する対応で決まると聞きます。
ああいうモンスターペアレントにきっちり対処してみせた竹内先生は出世するでしょうね。
Posted by ラストエンペラー at 2014年07月01日 10:38
ジョーさん、

コメントありがとうございます。

竹内が手話を覚えていたのは、私の想像では、喜多先生が(硝子の転校により)一定の責任追求を受けたことに対して、ある程度自分も責任を引き受ける、という行動をとった(その結果として2人で手話を勉強した)ためなんじゃないかと推測します。

竹内を単純に悪くいうことはできないですね。
ある意味、よくいる平凡な学校の先生なんだと思います。
Posted by sora at 2014年07月01日 21:35
ラストエンペラーさん、

コメントありがとうございます。

まず、このまんがは「誰が正しい」とか「誰は許せない」みたいな読み方を(作者から)求められているものではないだろう、ということを書いておきたいと思います。その上でですが、

私は障害児の親として、実は、インクルーシブ教育(障害児を普通教室で学ばせること)に対しては批判的立場であり、西宮母のとったやり方は相当程度硝子の人生にネガティブな影響を与えたことは否定できない、と考えています。
我が家も、障害の重さをかんがみて、迷わず最初から特別支援学校を選んでいます。

でも、そのことと竹内のとった行動が適切なものであったか否かは別のことですね。
竹内のやり方は、少なくとも実際に教室で学んでいる子どもに対するやり方としては、極めて悪手で、硝子に対するいじめをむしろ積極的に誘発させています。

ところで、オリジナル版を読んだことはありますか?
オリジナル版では母親は登場せず、硝子自身が普通教室での授業を強く望み、校内の「きこえの教室」への転級や聾学校への転校をすすめる竹内と激しく対立するシーンがストーリー上の最重要場面の1つとして描かれています。

つまり、「聲の形」では、竹内のダメさの描写が先に存在し、「親のエゴに振り回される子ども」という要素は後からつけたされたものだということです。

ですから、西宮母のエゴの問題はさておき、それが竹内を免罪することになったり、聾学校に転校させたから(硝子在学中の)対応が適切だった、といったことにはまったくならないと思います。
Posted by sora at 2014年07月01日 21:38
ジョーさん、soraさん、

こんにちは。いじめの「元凶」とも言われがちな竹内ですが、教師としての力が不足していたのは確かだとしても、その心中は複雑だっただろうと思います。

1巻では職員室や教室の竹内の机がぐしゃぐしゃに散らかっていて、表情にも力がありませんが、5巻で石田たちが訪問した時には、手話を覚えていることに加え、机は整頓され、石田を笑顔で褒める余裕さえあります。これを見ると、いじめがあった時期の竹内がかなり疲弊していたこと、5年間をかけて竹内の中で色々なことが変わったのだろうことなどが想像されます。

竹内は、あの6年2組は教師生活の中でも大きな失敗だと感じているのでしょう。傷を残してしまった西宮や石田たちへの後悔が、手話を含め教師としての成長へと向かわせる原動力になったのではないかと想像しています。ただそれだけで許されるべきかどうかはわからないので、石田や真柴のとった態度にも共感してしまいますが。

私も、竹内は教師であることに誇りを持つ、至って普通の先生なのだと思います。
Posted by alps at 2014年08月28日 03:10
alpsさん、

コメントありがとうございます。

この「竹内はなぜ手話を覚えていたのか」という伏線を回収する話がもし今後描かれるとすれば、「聲の形」のなかでは非常に珍しい「大人の側の成長」を示すエピソードになると思っています。
(たぶん、「大人の話」はあまり興味なさそうな作者なので、このエピソードだけで察してくださいで終わりになる可能性も高いですが)

また、学級裁判で将也だけを断罪した竹内の行為は卑劣ではあるのですが、やはりあの時点で「一番悪かった」のは将也であったことは間違いないので、あの学級裁判が「もう少し良心的なもの」だったとしても、実は物語はほとんど変わらなかったような気もします。

いずれにせよ、竹内=極悪人、みたいな見方は一方的で、おっしゃるとおり、竹内=平凡な先生、というのが妥当な評価なのではないかと思います。
Posted by sora at 2014年08月28日 07:51
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