第27話、遊園地編で植野が硝子と観覧車にのって降りてきた後、植野が「硝子と嫌いなものが同じだった」と話すシーンがあります。

(第27話、3ページ)
「でも話してみて気が合うっていうか?
嫌いなものが一緒だった所がシンパシー?って感じ」
で、その後、結絃の録画した観覧車の会話で、「硝子が嫌いなもの」が「わたし」だということも明かされます。

(第27話、19ページ)
「…ち…ちがいあしゅ… わたちは…わたちが きあいでしゅ…」
この回のリリース当時、この植野の「嫌いなものが一緒」というセリフの解釈が2つに割れたのを記憶しています。
1.硝子の嫌いなもの=私(硝子)、植野の嫌いなもの=硝子
2.硝子の嫌いなもの=私(硝子)、植野の嫌いなもの=私(植野)
私は、この27話の段階では、このセリフの解釈は「1」であることは明らかだと思っています。
そもそも、この観覧車での会話は、「私はあなたのことが嫌い」という植野の発言で始まり、最初から最後まで「植野はなぜ硝子のことが嫌いだったのか」という話をし続けているわけです。
もうこれだけで、そのたった数分後の上のセリフの解釈が「1」であることは明らかですね。
それ以外にも、3~4巻での植野は、はっきりと自己肯定感の高い自信満々の人物として描かれていますし、また観覧車の会話でも、硝子に対して「昔の感情は間違いだと思ってない」と発言するなど、過去の自分も含めて自分を肯定しているととれる発言も繰り返しています。
ですから、ここの解釈は1で終了、と思っていたのですが…。
大今先生がまたまたやってくれました。
第39話、集まったすべてのメンバーの内面の弱さをえぐることとなったあの橋の上のやりとりで、植野が最後にこうつぶやいて去っていくのです。(第39話13ページ)

「ごめんね石田…
私がやること 全部 裏目に出るね…
ホント…
自分がやんなる……!」
硝子に対して(そして周囲に対しても)強気に振舞っていた植野の内面の奥深くには、一生懸命やった自分の行動が期待通りの結果につながらないということへの自己嫌悪の気持ちが隠れていたのです。
だとすると、小学校時代の植野についても、観覧車では「間違ったことだと思ってない」と言い切っていたものの、実際には、世話係としての努力が認められず評価されなかったこと、硝子との関係がいろいろこじれた結果として将也との仲のいい友達グループが崩壊したことに自分自身も責任の一端があったことなどについて、後悔の念(何か自分は間違っていたのではないか)という思いを秘めていた、と考えることもできるのではないでしょうか。
そういった、隠れていた植野の自己嫌悪と後悔の気持ち、それが39話の「場」であらわにされ、第27~28話でいったん回収されたはずの「伏線」がさらに大きなスケールで回収されなおした、ということになるのではないでしょうか。
つまり、こういうことだったわけです。
表面的意識:硝子の嫌いなもの=私(硝子)、植野の嫌いなもの=硝子
深層的意識:硝子の嫌いなもの=私(硝子)、植野の嫌いなもの=私(植野)
こういう多層的な伏線の回収の仕方、ほんとうに興味深いところです。
他の石田グループ(島田・広瀬・川井)やクラスメートとは違い
後悔と自己嫌悪を抱えていたのは明らかでした
石田と植野が似た者同士であること
その一番大きな部分はそういうところなのでしょう
コメントありがとうございます。
植野については、そもそも将也と再会しようとしたそのこと自体が、失われた過去を(上京の前の短い間に)取り戻そうとしたことにあったと思っています。
ですから、まさに将也→硝子と同じ構図としての「過去への後悔」が、植野→将也に存在している、そういう意味でも「似たもの同士」であることは間違いないですね。
観覧車の中での会話だと「自分が嫌いですって」→「自分だけのことのように言わないでよ」
が一番直接的な表現でしたね。
盗人猛々しいことを言っていたのも硝子に怒ってほしくて挑発したからで、
石田を心配するシーンが多いせいか人づてに聞くほど遊園地での植野はイヤな奴ではありませんでした。
あのシーン自体は直接小学校編の「ヒキョーなんだよ テメーは!」を引き継ぐ格好になっていますね。
硝子は勿論うまく立ち回る為に怒りを隠しているわけではないので、罪悪感から解放されたい石田や植野側の問題です。
こればかりは硝子に殴ってくれと頼むしかない……のでしょうか。
コメントありがとうございます。
石田を心配するといえば「ほっとかんし!」ですね。
改めて読んでみると、確かに観覧車のシーンは、もともと優しく出ると何も話さないであろう硝子を「挑発する」つもりもかなりあったんだろうと思わされます。
そして、これは私もいつか書こうかなと思っていましたが、この観覧車で植野が硝子に言っていることは、小学校時代に将也が硝子に言ったことと基本的には同じです。
あのときは取っ組み合いのけんかになりましたが、観覧車では硝子の自虐で終わりました。
この違いがなぜ生まれたかも、じっくり考えてみる価値がありそうですね。