2014年05月25日

硝子は本当に学校で「楽しくやれている」のか?

将也が高校になってから硝子と再会して、最初の橋の会話で、硝子の最近の身の上を軽く聞くシーンがあります。
第2巻23ページ、第7話の冒頭です。



西宮硝子 17歳
母 祖母 妹との4人暮らし
今 通っている学校では なかなか楽しくやれているらしい


ところが、これ以降、いまの学校で「楽しくやれている」ことを示すような、学校での生活の話や、いまの学校の友達がまったく登場しません。
そして、この場面以降に知り合う、将也、佐原などとつるむシーンばかりが登場します。
いつもの「橋」にも、硝子のいまの学校の友達などはまったく登場しません。

ほんとうに、硝子は今の学校で「楽しくやれている」のでしょうか?

以前考察したとおり、硝子は高校では、聾学校ではなく普通校を選択している可能性が高そうです。(実は、これも必ずしもそうとは言い切れず、聾学校である可能性も残っていると思っています。それについてはまた別の機会に)
逆に硝子が今の学校の友達を橋につれてきて、将也や佐原に紹介する展開があってもよさそうなものですが、そういうものもないですよね。

これについてヒントになりそうなのが、同じ第7話の最後のほうで将也が思い出す硝子のせりふです。

「一度 諦めたけど あなたが拾ってくれたから」

そしてさらに、第4巻に収録見込みの第29話で、結絃が祖母に話しかける場面(12ページ)です。

結絃「ねーちゃん 最近すごく変わったの
具体的には 4月からだんだん明るくなって
今 最高に変な奴って感じ!
今まで 家ではぼーっと本読むくらいだったのに
今はニヤニヤウキウキ 時々クヨクヨしてるけど
結果オーライって感じの変顔連発で
まじ面白いんだよ!」


これらから読み取れることは、こういうことなんじゃないでしょうか。

将也のいた小学校での事件とその後の転校で、硝子は積極的に友達を作ろうとすることを「諦めた」。
それによって、硝子は孤独になってしまったけれども、トラブルやいじめが起こることもなくなり、特別支援学校に転校したこともあって学校生活は平和なものになった。
プライベートの時間、硝子は家でぼーっと本を読んだりして過ごすことが多くなった。


だから、「楽しくやれている」というのは、積極的な意味というよりは消極的な意味で、「かつてのようにいじめにあったりすることはなく平和にやれている」という意味で、(ある程度社交辞令もこめて)答えたものだ、というのが正解なんだろうと思います。

最初にみた第2巻23ページのコマに友達?がいるのは、あくまで将也の想像ですからね。

そんな孤独な読書家だった硝子にとって、将也と再会してからの日々は、これまでとは比較にならないほどのドラマチックな毎日になっているだろうと思います。
そしてまさにそれは、「一度諦めたものを取り戻す日々」なんでしょうね。
ラベル:第07話 第29話
posted by sora at 08:28| Comment(7) | TrackBack(0) | 第2巻 | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
この件、先日の【硝子は転校後どんな学校に通った?】エントリーにおいて、「『高校内では最初から友達を作らないと割り切ってしまったから、それなりになんとかやっている』という意味ではないか」とコメントしましたが、「それなりに…」では、イマイチうまく説明できないなぁとモヤモヤしていました。
それが、このエントリーでの「イジメにあわず、平和な学校生活を」でようやく腑に落ちました。さすがに上手く説明してもらえました!

さてこうしてみると、高校生としての硝子は将也と再会するまでは(火曜日の手話サークル以外の場では)人付き合いを避けてきた訳ですが、そうすると第36話『欲しかったもの』で喧嘩の仲裁に入ったのは、おそらく硝子にとっては初めての体験だったことになりますね?
そうであれば、仲裁に成功したことで、硝子は今後の人間関係について大きな自信をつけることができたのでは?
そして、仲裁に入った直後のコマで佐原はただ驚いている感じでしたが、結絃の表情が意味するものは何でしょうか?もしかしたら、「あのねーちゃんが、ここまで来たか!」と感動に近い気持ちになったのではないでしょうか?
Posted by ぽてと at 2014年05月26日 00:31
佐原高校の帰り電車でのときに友人について言及がありますね
ただ一般の友達の定義から外れているかもしれませんし、嘘ついてたかもしれません
石田に心配させまいと思っているから深くは言及しないのかもですね
Posted by ガラス at 2014年05月26日 06:43
ぽてとさん、ガラスさん、

コメントありがとうございます。

佐原を探しに行った帰り道の将也のモノローグもあわせて考えると、再会時のやりとりというのは、将也が、

「いまは友達とかいるの?」

と聞いたのに対して、硝子が

「楽しくやれている」

と答えて、将也がそれを

「友達がいて楽しくやれている」と解釈した、

という流れがいちばん自然なのかな、という感じがしています。

何より、将也にとっては「楽しい」「楽しくない」の基準が、友達との交流があるかないかとかなり素直にリンクしているようですからね。

第36話のけんかの仲裁の場面は、硝子が目だけで、将也と永束、それぞれに少しニュアンスの違う「聲の形」を示した、非常に印象的なシーンでしたね。
「友達の喧嘩の仲裁をする」なんてイベントも、硝子にとって「諦めていたもの」だったのかもしれません。
Posted by sora at 2014年05月26日 08:00
あの喧嘩の仲裁のシーンで将也と永束のそれぞれに向けた視線・表情の違いは、おっしゃる通り、この漫画の屈指の名シーンの一つだと思います。
あの視線・表情の違いを文章にするのは野暮と分かったうえで敢えて書くなら、将也に対しては「あんた、こんなことしないで!」永束に対しては「お願いだからこんなことやめてね」みたいな感じでしょうか?これを描き分けられる大今氏の新人離れした技量に改めて感服せざるをえません。

それにしても、瞬間的に喧嘩の真ん中に飛び込むなんて、「瞬間移動ビンタ」特技を持つ母親からの直伝の奥義なのでしょうか(^^)?
Posted by ぽてと at 2014年05月26日 22:46
ぽてとさん、

瞬間移動ビンタといえば、そもそも小学時代の将也とのけんかでも、1巻161ページで「腹の底にある気持ち言ったことあんのかよ!!」と将也に言われたコマでは座り込んでいた硝子が、次のコマではいつのまにか立ち上がって瞬間移動ビンタを将也にかましていますから、既に小学時代には伝承済みの家芸なのでしょう。(笑)
Posted by sora at 2014年05月26日 23:07
ぽてとさんの書き込みに便乗します。
私には、
将也に対しては「だめでしょ!」
永束に対しては「ね、やめよ?」
という吹き出しが見えました(笑)
二人の距離が確実に縮まっている事を感じるとともに、私もここで大今氏の技量に感嘆しました。

この作品、未だに「いじめ問題で耳目を集めた漫画」というレッテルが剥がれきっていませんが、普遍的な青春ドラマの名作としての評価が一般層に定着するのにそれほど時間はかからないと思っています。
そういう意味では、いじめ問題を前面に出しての煽情的なメディア展開は避けて欲しいですが。
Posted by かっぱくん at 2014年05月29日 14:10
かっぱくんさん、

コメントありがとうございます。

36話のけんか仲裁の場面の描きわけといえば、将也に対しては硝子は自然に怒った表情を出せているのに対して、その後永束と目が合ったところでは、何コマかわざと捨てゴマをはさむことで、慌てて(こちらはちょっとがんばって無理しながら)表情を作って怒った顔をしているところも、すごい表現力だなと感じています。
Posted by sora at 2014年05月30日 07:29
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