2014年05月18日

植野の「友達ごっこ」を将也は誤解したのか?

「聲の形」第3巻には見所がてんこ盛りですが、その中でも特に重要なキーワードの1つが「友達ごっこ」であることは間違いないところです。

これは、第3巻139ページ、第21話で、植野が将也に対して言ったことばです。



植野「それって友達ごっこだよね」
将也「何?ごっこって…」
植野「わざわざ集めてあげないと友達になれないなんて 大した絆じゃないよね」


それにしても、改めて読んでも、ここは第3巻のなかでも屈指の名場面ですね。
まんがならではの描写による、せりふ回し、二人の微妙な関係、夕方の空気感、すべてが絶妙にまざりあった何ともいえない濃密な世界を描ききっていると思います。

さて、ところで、このセリフ、どうやら将也は植野の意図とは異なる形で理解してしまったようです。

植野は「わざわざ集めてあげないと友達になれないなんて」と言っていますから、その前の話のつながりも考えれば、「友達ごっこ」の対象は、硝子と佐原との関係(加えていえば、「将也が作ろうとした」硝子と植野との関係)だと思われます

ところが、将也はこのことばを少し違った意味にとらえ、だからこそ真剣に悩み、そして硝子にこう伝えます。(第3巻162~163ページ、第22話)



西宮へ
お腹大丈夫?
今日、橋でお前に話そうと思ってたこと伝えようと思う。
こないだ植野に言われたこと、お前に教えてって言われた話だ。
植野はな、俺らのことこー言ってたんだ。
「無理してつるんであげてるの?」
「友達ごっこ」
だってさ
俺らの関係って友達ごっこなんかじゃないよな?


いつの間にか、将也のなかでは「友達ごっこ」という指摘の対象が、「自分(将也)と硝子の関係」のことになってしまっています。
実際には、この二人の関係は、植野が言っていた「わざわざ集めてあげないと…」には該当しませんから、前半の「無理してつるんであげてるの?」はともかく、「友達ごっこ」のほうはあてはまらないはずなんですが、将也のなかではむしろこっちの「友達ごっこ」ということばのほうが大きくなってしまったようです。

まあ、でもこの指摘が結果として、将也と硝子のそれぞれの相手に対する気持ちを気づかせるきっかけにもなっているわけで、まさに「雨降って地固まる」そのものですね。(逆に植野にしてみれば大失敗)


ラベル:第22話 第21話
posted by sora at 18:18| Comment(4) | TrackBack(0) | 第3巻 | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
だいぶ後の遊園地の回で、石田の悩みの根源は「友達の定義」だと判明するわけですが
石田が植野の言葉を勘違いしたのは友達ごっこという言葉に過剰反応したせいでしょうね
その遊園地の回で、石田に「植野が言ってた“友達ごっこ”って言葉もやっと今理解した」ってセリフがあります
「“友達”とは感じるものであって、頭の中でこねくり回すものじゃない」と
つまり石田の中では、まだまだ西宮は頭の中でこねくり回す対象だったということなのでしょう

その回で分からないのは西宮ですね
「私もそうなのかなって思ってしまいました」
これは西宮も“友達ごっこ”を疑っていたという事を示唆する返信ですが
「それは嫌だからもっとあなたの事が知りたい」と
では西宮にとっての「友達の定義」とはお互いをよく知ることなのでしょうか?
しかし次の回ではそれをすっ飛ばして往来の告白をするわけで、正直わけがわかりません
あれは、実はこの2人の価値観が決定的にすれ違った回に見えますね
Posted by ウフコック at 2014年05月18日 23:32
ウフコックさん、

コメントありがとうございます。

うーん、どうでしょうね、将也の悩みの根源が友達の「定義」だ、ということもないと思います。

どちらかというと、自分に友達を作る資格があるのかどうか(特に硝子)、という感じなのかな、と思います。

「友達ごっこ」を巡っては、植野、将也、硝子でそれぞれ捕らえ方が違っていた、というのはそのとおりだと思います。

そしてそれが、いろいろ転がって結果としては「うきぃ」につながってるので、なかなか興味深いところですね。
Posted by sora at 2014年05月21日 07:52
こんにちは。いつも楽しく読ませていただいております。

確かに、145ページの石田の回想のなかでは「友達ごっこ」は植野が笑いながら言ったことにされてしまっていますね。もし植野にバッテンが付いていなければ、嘲笑ではなく素直な指摘として受け止められたでしょうか。この作品は、こういう小さなすれ違いの描写がキャラ造形を何倍も深くしているのがとても魅力的だと思います。

この「友達ごっこ」という言葉は、表面的には石田が昔の同級生との仲を取り持とうとしたことを言っていますが、植野は言外に、西宮がどんな友達にも本音を話さなかったことを指摘したのではないでしょうか。石田も実はそれをしっかり受け止めている点、幼馴染ならではの言葉によらないコミュニケーションが成立した瞬間であったような気がします。嫌いと言われて喜んだのも、(嫌いと言って欲しい)という言外の気持ちがちゃんと伝えられたからだと思います。植野の爽やかな恋心が伝わってくる、素晴らしいシーンだと思っています。
Posted by alps at 2014年08月25日 01:44
alpsさん、

コメントありがとうございます。

この3巻のあたりで描写されている「好き」「嫌い」の機微は、ほんとに繊細で素晴らしいと思います。

この「友達ごっこ」ということばは、さまざまに「拡大解釈」されて、最終的には5巻の橋崩壊事件にまでつながっていっていると思います。
そういう意味でも、この作品全体を貫く、重要なキーワードであることは間違いないと思っています。
Posted by sora at 2014年08月25日 10:34
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