2014年05月10日

「聲の形」は父親不在の物語なのか?

これは、ある意味とても不思議な事実です。

「聲の形」では、「父親」なるものがほとんど意味のある存在として登場しません。

端的に、主人公である将也、ヒロインである硝子、いずれの家庭も母子家庭で父親がいません。
硝子の父親は、硝子に障害が発覚したことを理由に離婚したことが、第32話で明かされています。
また、硝子の母親についても、「父親」の存在がまったく示されておらず、もしかすると母子家庭であった可能性が残っています。

さらに、将也の姉は、ペドロというブラジル人との間に女の子(マリア)をもうけましたが、ペドロは「父親」になったとたん、このまんがから姿を消してしまいました(ペドロは、第1巻42ページ、第1話で登場します。)。
そして、将也の姉が母親として、マリアを育てていることが描写されています。つまり、将也の姉も「母子家庭」になっているわけです。



なぜここまで、ことごとく父親不在の家庭ばかりが描かれるのでしょうか?
また、たまに登場する「父親だったはずの人間」が、ここまでみな無責任に家庭を捨てるひどい男として描かれているのでしょうか?(ペドロはどこに行ったのか現時点ではよくわかりませんが)

これについては、具体的なソースはありませんが、作者である大今先生自体、母親の話しかしないあたりから、もしかすると作者自身が母子家庭で育ったのではないか、という説もあるようですね。

いずれにせよ、なぜか理由は分かりませんが、「聲の形」の世界には基本的に「母親」しか登場しないという不思議な構造をしていることは間違いありません。

理由については、「父親を登場させると父性原理に基づく強いリーダーシップでいろいろな問題がけっこう解決してしまうから」といった意見もあるようですが、そんなことはないんじゃないかな、と思います。
別に父親がいたからといって、それほどこの「世界」に大きな変化が現れるようには思われません。
まあ、将也の家庭は父親不在によってフリーダムと化していますし、硝子の家庭は母親が父親代わりをつとめているようには見えますから、もし両家に父親がいたら、将也と姉はもう少し子どものころから厳しくしつけられて、硝子の家庭は母親がもっと丸くなっていた、といったことはあるかもしれませんね。(笑)
ラベル:第01話 第32話
posted by sora at 17:39| Comment(14) | TrackBack(0) | その他・一般 | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
ライオンの世界は女系社会で家族は
すべて母子家庭。子育てと狩り(仕事)
を行うのはすべてメス。オスは母子
家庭とメスばかりの群れで日が日がな
ぶらぶらして食わせてもらってます。

一見、男性天国に思われますが大間違い。オスは群れの用心棒と、まあなんていいますか、種馬としての役割を期待されて、そのような生活を許されて
いるだけで、「期待に添えない」こと
が判明すると群れ(家)から叩きだされ
新しい若い男にとって変わられます。

メスに相手にされないオスはどこの
群れにも入れず悲惨な一生を送るハメ
になるわけで。
あ、いえ母子家庭だらけで父親不在の
聲の形ワールドをみているとついライオンの家庭を連想するもので(笑)

石田を見てると、これまたメスの群れ(西宮家)に受け入れられるオスライオンを思い起こしたりして…。
髪形もライオンヘアーだし(笑)
しょうもない余談、失礼しました。
Posted by レッドバロン at 2014年05月10日 18:17
レッドバロンさん、

コメントありがとうございます。
ある意味、将也自身も、小学生のころの「少年っぽさ」を漂白されて、中性的な仙人みたいなキャラになっているところがあるんですよね。

真柴もかなり中性的ですし、永束は男っぽいというよりはギャグまんがっぽいしで、大今先生は、男性的なものを描くのが実は苦手なのかもしれませんね。
Posted by sora at 2014年05月10日 22:02
連続ですみません。
ペドロは強制送還の可能性も・・最終話近くになって
ひょっこり現れるってことも?(笑)
石田姉の顔出しもないのも何か意味あるんですかね?
Posted by レッド・バロン at 2014年05月11日 11:44
西宮姉妹の母親と結弦のあいだの葛藤をもって父子のそれと替えて描こうとしているようにも思います。結弦ははっきりとした形で息子に扮してもいますしね。
Posted by ジョー at 2014年05月11日 13:37
レッド・バロンさん、

コメントありがとうございます。
ペドロは何かやむを得ない事情で消えたんだろうな、という雰囲気はありますが、7巻までで再登場することはあるのでしょうか。興味深いところですね。

ジョーさん、

コメントありがとうございます。
西宮母については、母子家庭のなかで、硝子を強く育てるために必死に「父親役」を演じている、という風には見えますよね。
そしてそれに対して祖母が母親役となり、結絃は母親のそんな姿に反抗して…といった家庭の事情が透けて見えます。

そんな状況を克服しようという動きが始まることを描写したのが「葬式編」だったんだろうと思います。
Posted by sora at 2014年05月12日 22:56
将也の父親は死んでしまっているのではないでしょうか。
というのは、第1巻185ページで、死を決心した将也が実家を見ながら、「・・・・・・もう会わないといけないのか 60とかになると思っていたけど・・・」と独白するコマがあります。この意味がずっと理解できませんでした。誰と会うのか、60歳というのは誰の年齢なのか。
で、あるとき思ったのですが、実は将也の父親はすでに死んでいて、本来なら早くても60歳くらいに死ぬと思っていたのが、自分が今死ぬことで、あの世で父親と会うことになる、という意味ではないか。そう考えると文章のつじつまが合ってくるような気がします。
Posted by まあ at 2014年06月22日 00:28
父親不在、というかこのマンガにまともで魅力的な大人の男が出てこないのはなぜでしょうね?

硝子の父一族もキャラの善悪をはっきりさせないこのマンガでは珍しくどうしようもない連中で、絵もモブ絵で本当にどうでもいい扱い。

まあ、本当にまともな大人の男が出てきたら、イジメの問題も将也や硝子のメンタルの問題も一発解決で
話が続かなくなる・・というだけかもしれませんし(笑)、
おっしゃる通り、単に大今先生が男性キャラの創出が苦手、というだけの話かもしれませんが。

Posted by レッドバロン at 2014年06月22日 10:18
まあさん、レッドバロンさん、

コメントありがとうございます。

第1巻185ページに出ているのは、将也の実家ではなく手話サークルをやっている福祉センターの建物です。
ですから、ここはシンプルに、硝子と会うのが60くらいになると思っていた、ということなのではないでしょうか。

それにしても、こういう家族にも焦点のあたっている連載もので、ここまで父親的存在が欠落しているというのはある種異常な感じですね。
大今先生の感性が、なにかしら父親的なものを排除する方向に働いているのは間違いないと思います。
Posted by sora at 2014年06月22日 17:19
確かによく見ると福祉センターですよね。
さんかく屋根なのと、前のコマの流れからてっきり実家を裏から見ているものと勘違いしていました。
なんで硝子と60歳で会うのかよくわかりませんが、長い間の疑問が解けました。
ありがとうございます。
Posted by まあ at 2014年06月23日 03:23
まあさん、

コメントありがとうございます。

たしかに「60とかになると思ってたけど」の意味は、何度読んでもよく分からないですね。
(硝子を探すのにもっと時間がかかると思っていた、にしても「60」って微妙に具体的ですし)

誰か分かる方がいたら教えて欲しいです。
Posted by sora at 2014年06月23日 07:32
父親だけではなくて、おじいちゃん、祖父も排除です
もんね。

ママ宮、44歳ということは1970年生まれ・・という
ことですよね。人にもよりますが、この世代の父親
世代は第二次世界大戦で戦死・・とう世代でもないし
祖母とともに生きていても何ら不思議はないんですが。

祖母も何等かの理由で夫と離婚?または夫とは死別?
理由はなんだかわかりませんが、この徹底した女系
家族へのこだわりは一体なんでしょうね?

まあ、理解のあるしっかりとした祖父、父親が存在すれば、硝子の障がいはともかく、メンタル面ではもう少し健全に育っていって問題がなくなってしまって、
このマンガ成立しませんが(笑)。
Posted by レッドバロン at 2014年06月23日 20:28
レッドバロンさん、

言われて初めて、私が西宮母と同い年だということに気づきました(笑)。
両親は戦中生まれですね。まだ健在ですが、そろそろいろいろガタが来る年代になってきました。

ですから、確かに祖父は生きていて全然おかしくないんですが、いまの西宮家のマンションは、3世帯住むには狭すぎると思うので、やはりかなり早めに死別かなにかして、それでいまのマンションに集まった、という感じなのではないでしょうか。
Posted by sora at 2014年06月23日 22:42
石田の「60くらいになるかと思ってたけど」という発言…というか心の声に関してですが、石田は
●170万を母親に返済してから死ぬつもりだった。
●硝子に謝罪して死ぬつもりだった。
という理由から、バイトをしながら高校まで通い5年という歳月を越えて漸く硝子に会いに行っています。
『170万』という金額が無ければ硝子との邂逅はこの5年後まで引き延ばされなかったでしょう。

石田が明確に自殺を決意したのが何時なのか分かりませんが、小学生の頃にしろ中学生の頃(CDの件で島田たちとの溝を再認識した頃)にせよ、まだバイトの出来ない年齢で子供だった石田にとって『170万』はとんでもない金額だったに違いありません。
だから自殺を決意したとき、石田は「170万も返済するには60歳くらい掛かるのではないか」と、まだ40そこそこであろう母親が(恐らく手持ちで)170万を西宮に返済するところを見ていたとしても、子供らしい感覚で思ったのかもしれませんね。
また、自分が死ぬまでの期間は『母親への170万の返済(母親への贖罪ともとれる)』及び『硝子へ謝罪に行くための準備期間(硝子へ謝罪するために自分の罪を戒め自責する期間)』であったはずですから、つまりはこの頃の石田は「一生を母と硝子への贖罪に費やす」という意識であったのかもしれません。
自殺を思い立ったとはいえ“自分の一生が数年で終わる”というのを具体的に想像することは小中学生には難しいかもしれません。
だから『硝子に会いに行く』=『自分の死』であった石田は自殺を決めた当初は漠然と『自分の人生はあと50年くらいは続くだろう』=『硝子に会いに行くのは60歳くらいになるだろう』と感じていたのかもしれません。

私の推測はこんなところです。
どちらにせよ高校でバイトが出来るようになった石田は、自立もしていないので生活費など出す必要なく給料の殆どを170万返済に充てれたワケですから「こんなものか」と思ったと思います。実際3年経たずに完済しましたし(燃えましたが)。
バイトを始めてから感じた「こんなものか」を、いざ硝子に会いに行く時になって、自殺を決意した当初の自分を振り返りながら、今一度石田は思ったのではないでしょうか。

ダラダラと長く読みづらい文章で申し訳ありません。
聲の形連載終了を期にブログを読み返させていただいていたら丁度目に留まったもので、初コメントさせていただきました。
最後になりましたがいつもとても楽しく拝見させていただいています。
考察の深さと鋭さに、色々と鈍い私はただただ感心するばかりです。
7巻が出たらまたこのブログを見ながら聲の形を改めて全部読み返そうと思います(*´ω`)
Posted by ふぁる at 2014年11月22日 18:16
ふぁるさん、

コメントありがとうございます。

懐かしいエントリですね(笑)。ここで父親不在の象徴だったペドロも戻ってきて、広瀬も父親になり、最終的には物語の「父親不在」性は解消されました感があります。

さて、「60とかになると思ってたけど…」については、概ねそんな感じだと思います。
硝子のことを、「とっくに見つけていたけどお金を返すまでは会いに行かなかった」のかどうか、というところは考察の余地がありますが、ここは物語的な美しさからいうと、「ちょうど170万返せそうなタイミングで硝子も見つかった」ということだろうと思っています。
Posted by sora at 2014年11月22日 23:33
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