
聲の形カレンダー・詳細版 (最終更新日:2014年12月3日)
PDFファイルになっていますので、クリックしてダウンロードのうえAdobe Readerで開いていただければと思います。
↑Amazon・楽天へのリンクです。これらで買い物の機会があるときはぜひご協力ください。(^^;)
当ブログでは、聲の形のイベントがそれぞれ何月何日に起こっているかを推定した「イベントカレンダー」をアップさせていただいています。
これまでは、「なぜその日だと思うのか」という根拠などについて、ブログレイアウトの関係から削除して掲載していましたが、それだとやはり分かりにくくなってしまうので、今回から、より大きなPDFで、日付推定の根拠等も示したカレンダーを掲載することにしたいと思います。
なお、「小中学校編」のイベントカレンダー、佐原と植野の関係(太陽女子関連)のイベントカレンダーも別途作成しています。以下のエントリを参照ください。
聲の形・イベントカレンダー(小中学校編)
佐原と植野の関係(太陽女子関連)のイベントカレンダー
※掲示板として利用いただいている「フリー雑談」エントリは下記リンクです。
聲の形・フリー雑談用エントリ
この06っていうのは硝子の誕生月で、6月に硝子の誕生日絡みのイベントが何かあるかな?と思いましたが、結局何もなかったようですね。
コメントありがとうございます。
硝子のメアドは「nichinichisou0607@mokomo.ne.jp」のようですね。
(20Pの大写しになる前のスマホのコマ参照)
6月7日に何かあるのか、というのは某掲示板でも話題になっていたようですが、結局何もなかったですね。
将也は永束とお茶を飲んでいたようです(笑)。
硝子のメアドネタはそのうちエントリで書こうかなと思います。
冗談はさておき過去ログに2019年01月の項目があってシュールですよ(笑)
コメントありがとうございます。
ブログでは割とポピュラーな方法ですが、このエントリを常にトップにおいておくために、日付を未来に設定しています。
9月2日の23:50に家を飛び出し、52巻で0:25分
頃の描写があり
この52巻って部分、おそらくミスだと思います。
最初のコメントがミス報告で恐縮ですが、いつも陰ながら、管理人さんの考察楽しんでます。私にはとうてい及ばなかった発想の数々、本当にすごいです。管理人さんのお陰で聲の形をより楽しめています。ありがとうございます。
コメントありがとうございます。
確認してみましたが、52話で合っていると思います。
硝子が泣いて、その涙が橋の下の鯉に落ちる場面、時計台が映っていてその時刻が0:25です。
52「話」であるはずのところが52「巻」になっているという点です。
ありがとうございます、そういうことですね。
次回カレンダーを更新するときに直そうと思います。
修正しました。
ご指摘ありがとうございました。(^^)
マガジンで声の形を読んで夜にこのブログを
読むのがいつの間にか日課になってました
まさに橋が日課になっている将也、硝子状態ですね(笑
最終話までこれからも読ませてもらいます。
コメントありがとうございます。
最近は、仕事が忙しくなってきたのと物語がエンディングに近づいて新たな謎とかが出てこなくなってきているのとで、エントリを更新するのがなかなか大変になってきていますが(笑)、あと残りもわずかなので、何とか当ブログも「完走」できればと思っています。
よろしければ今後もぜひ覗きに来ていただければと思います。
六巻表紙のショウコの服装がしょーやの普段着に感じがにてるなーと。
上が黒で、下がチノパンカラーと。
特に一巻表紙、小学生のやーしょーのひざ下ズボンってのが同じで、丈下から合わせると背丈もかなりニアでカラダの向きも同じだー!と。
こんなんどーでしょ( ^ω^ )
コメントありがとうございます。
そうですね、将也昏睡中の硝子の服は、たしかに将也の私服にそっくりです。
http://koenokatachi.seesaa.net/article/401533891.html
恐らく、この服を着ている間の硝子は、「将也のために(自分が壊したものを)取り戻す」ために動いていたので、メタ的に同じ格好をさせたんだと思います。
硝子の耳は思っていた以上にちゃんと聞こえてないってことをさらに強調してる感じがします…
コメントありがとうございます。
そうですね、雑誌掲載時よりも、ずっと読めなくなっていたのでびっくりしました。
「聞こえない」というのを強調する目的と、やはり「右耳は補聴器がなくてほとんど聞こえない」という位置づけをはっきりさせるためなのかな、と思いました。
管理人さんの考察は鋭いので毎回ただ、ただ驚くばかりなので、非常におこがましいのですが、私なりに将也の進路に対する考え方で気になった事がありましたのでコメントさせて頂きます。
将也は本来、硝子と会うまでは「死のう」としていたという事実が あります。ここからちょっとした疑問が沸いてきました。
・自殺を考えていたので、これまでぼんやりとした将来すら考えていなかったのでは?
・「母を独り残して」死のうとしていたのに、東京行きは躊躇した心境の矛盾
いずれも硝子との再開もしくは転落事件後が考え方の転機になるのでしょうけど…
この観点から見てみても、将也の心境にの根底がかなり覆っていることが見えて来るので面白そうだと思います。
いずれにしても、将也は普通の高校生よりも凄まじい葛藤をしているので、感心しきりですね。
たったこれだけのことで長々と偉そうにすみませんでした。
管理人さんの心の中に留めていただければ幸いです。
最終回まで後少しですが、考察楽しみにしています。
コメントありがとうございます。
特段公開しても問題ないコメントだと思いましたのでそのまま公開しましたが、もし削除を希望されるならおっしゃってください。
将也は、硝子を見つけて出会えるのは「60くらいになると思っていた」ようです。
ですからそれまでは、ちゃんと社会人になって生活していくつもりがあったんだろうと思います(だから進学校にも進学して、ばくぜんと「実家を継ぐ」というイメージももっていたんだろうと思います)
ところが、運よくか悪くか分かりませんが、高3の春に硝子を見つけてしまって、それで急遽「自殺の予定が早まった」んだろう、と思います。
こう読むと、第5話と最近の話がつじつまが合うと思います。
明日と明後日にアビリンピックが名古屋であります。23歳以下の障害者の技能五輪です。理容師部門もありました。硝子ちゃん、いつか出場できるように、修行頑張って欲しいです。
東京選手団の一人になるかなとか、いや、岐阜県選手団の方がいいかな、とか。いっそ石田君も技能五輪選手になる位優秀だったらなあ。被服もあるから、なおか、みよこペアも技能五輪においでましょう。
子どもが学校からもらってきた広報のビラをみたら、こんな想像してしまいました。 お目汚し失礼しました。
コメントありがとうございます。
アビリンピックに理容師の種目があるんですね。初めて知りました。
今回、聲の形の登場人物たちは職人とか技能系とか、そっちのほうに進んだ人がすごく多かったですね。
作者ももちろん「漫画家」というクリエイターですし、基本的にそういう志向が強い方なのかもしれません。
次女、きょうはアビリンピック特需でテスト期間に関わらず出勤日です。名古屋のふたつ向こうの新幹線駅の前の店ですが、やはり特需はあるそうで。名物いなりやカレーうどん、堪能してほしいな…コメダの古式ゆかしきモーニング楽しんでお国に帰っていただけたら…
ならば、技能五輪に石田君とみよこ、なおかペアといっしょに出て欲しいな…
コメントありがとうございます。
情報のアップデートありがとうございました。
どうしてもダメなのが西宮自殺回以降の収束のさせ方が雑にみえてしまうこと。「あんな過激展開の顛末があんなんでいいの?」感がどうしても・・・
聲の形ファンではあっても「信者」にはなりきれませんでした。
あれさえなければ私の中で名作だったんですけど。
ところで将也が高層マンションから転落したにも関わらず後遺症の残る障がいも負わずに済んだのは小学時代から培った飛び込みスキルのお陰。
昏睡は水中に潜ったせい、無事なのは島田と広瀬にすぐ助け出されたから・・ってことでいいんですかね?
まあ、ファンタジーか何かであれば大した問題でもないんですけど、現代日本が舞台だとどうしても気になってしまいます。
コメントありがとうございます。
そうですね、私も「硝子の自殺」そのものは十分に説得力をもって描かれていると思いますが、将也の身代わり転落から島田らによる救出、昏睡、復活の流れはかなり強引だな、と思います。
あと、自殺を決行してしまったあとの硝子が立ち直るプロセスは、もう少しだけ尺を取ってほしかったな、とも思いますね。
ただ、このあたりの「都合のいい展開」については、ちょっと違う読み方もできるかな、と思っているので、そのあたりについては別のエントリで書こうかと思っています。
この漫画を恋愛ものとして見るのを妙に嫌がる人がいるのは何なのでしょう?と思ってしまいます。確かにいろんな要素が詰まっています。単に誰某がくっついた・・なんて視点だけで見られたくない、というのもわからなくもないです。
でも、これストーリーの流れとしては私には典型的な「ボーイミーツガール」ものと映りますし、ヒロインは作者的にどうあれ、典型的なカワイコちゃん(萌えではないけど)美人さんだし、これでこの漫画は恋愛ものではない・・って頑張られると、今更何を言っておるのか?的な何か白々しい感じがしてしまいます、個人的に。
ラストで主人公二人は恋人になったのか?なっていないのか?どうとにでもとれる描写で終わってますが、
個人的にはあれから進展なしで、手を握るのも初めてだとちょっと気持ち悪いような気が(笑)
16~7歳で付き合って関わって1年くらいなら純愛だなぁ、プラトニックだなぁで微笑ましいのですが、
20歳の成人で関わり始めて3年近くが経っていてそれだと「何か(精神的、肉体的に)問題でも?」という気になってしまいますし、本当にプラトニック、純愛だと何やら人間離れした聖人の話みたいでこれまた共感する部分がなくなりますね、個人的に
というか普通に恋愛的には自然消滅コースでしょう(人間関係そのものは続くでしょうが)って気がしますね。
この辺の「想像」はコメントを寄せる個々の人々の男女観、恋愛観がモロに反映されていて、漫画そのものより面白かったりするんですが(笑)
私はあまり夢がないタイプなのかもしれないな・・と
思わないでもないです(笑)
薬飲んで店を切り盛りしながらバカ男子と家事戦力外の女子を育てたホットプレート料理。いとばあのほんのりお国言葉とシソジュースと和菓子。ゆづちゃんがさっさと食べちゃった石田君のおやつ。末っ子や妹がやらかしがちな事ですが、家でねーちゃん相手にできない事を石田君にしっかりやってましたね。ママの誕生日祝う娘ふたり+男子君のささやかでつつましいケーキ。西濃エリアの日常をレシピに残せたら素晴らしいですよね。ちなみにシソは愛知県東三河エリアが生産日本一。赤紫蘇の生産や加工も盛んです。何気に自分の地域と聾の形とつながりを感じてしまいました。
大垣の近くの名古屋は菓子処。飴や駄菓子の生産が盛んです。アニメになる聾の形特需で大垣に聖地詣りに来る若い子相手にお土産菓子を作ってくれる業者さんいないかな?お祭りのテキヤさんが作るキャラクターキャンディもレベルすごく高い。メーカーと講談社がタッグを組んだら日本中のアニメイトで買える物ができそうです。
先日の書きこみ(地元が名古屋から2つ目の駅…)でそちらの地域がわかりました。
そこから在来線で数駅の所に、稲荷としてで全国的に有名なのに何故か実体はお寺というちょっと不思議なパワースポットもありますね。
私は首都圏在住ですが、その辺りは不思議と気に入って、今までに数回訪れました。
昨年はB級グルメの全国コンテストも行われましたよね。
この前の連休は大垣で聖地巡礼してきましたが、ホント、喫茶店でアイスティー注文したらトーストにゆで卵がついてきて、名古屋文化の影響も感じました。
なるほど、しそジュースは首都圏では見たことないので不思議に思っていたら、東三河地区がしその本場だったんですね。色々と勉強になりました。
そうしてみたら、長島の遊園地も高校生の遊び場として書かれるのも納得。モーニング文化がじゃんじゃん入って当たり前。石田さんちの粉もの食が豊かな訳だ…とか。近鉄で本場にヒョイなら、昔からオタフクも当たり前に手に入った事でしょう。カップうどんやおそばは西の味が一般的?石田ママのルーツは西かな?でも言葉は東よりかなあ…逃げたオヤジが西の人?などなど。
漫画の聖地詣り、調べれば調べるほど行ってみたくなる。漫画の地理はもとより土地の産業や教育制度にまで興味が広がる。自分の身近なつながりが嬉しい。 以前名古屋と岡崎のおもてなし武将隊見にきたバックパッカーの若いむすめさんをうちに受け入れたことがあります。みんなこうやって現地に行きたくなるのを今になって思い知っています。
さて、ふと思い当たったことがあるので書きます。
将也と硝子はどこかのタイミングで下の名前で呼び合うことになると思うのですが、そのとき硝子にとって「ショーヤ」って比較的、(硝子の口語のシーンから推察するに)発音しやすい名前だなーって思ってなんかほっこりしました。
自分の妄想で自分でほっこりするのもなんだかキモいですが、好きな作品なので許してください(^_^;)
ではこれからも頑張ってください。
失礼します。
コメントありがとうございます。
硝子の口話からすると、「しょーや」はたぶん「ちょーや」になるだろうな、と予想できますね。
「や行」はちゃんと言えている反面、「し」はざっと見たところすべて「ち」になってしまっているようですから。(その最たるものが「いしだくん」が「いちだくぅ」になるところですね。)
最終話でも下の名前呼びができてなかった二人ですが(笑)、そうなるのはいつ頃なのでしょうね(^^)。
「仕方のないこと」について扱っている記事はありますか?
探しても見当たらなかったので、こちらで書き込まさせて頂きました。
記事が無かったらみなさんのお考えを書き込んでもらえたら嬉しいです。
よろしくお願いします。
2話の障がいで音程を正しく取るのが、話すのが難しいことを「仕方の無いこと」と生徒たちに説明する事は間違いなのか?ですが、
このことに関して、最初は私も仕方の無いことじゃないかなーと思っていました。それ以外に説明できる言葉が見当たらないというか。
ですが、作中でもあまり良いキャラとは言えない二人の教師がこの発言をしている(作者が発言させている)のを見て、この言葉に嫌な印象を受けました。
聲の形の小学校での出来事はいろんな要素が絡み合って起きたことですが、一番の原因は聴覚障がいに理解のあると銘打っていた学校が、実際には聴覚障がいを受け入れる準備ができていなかった事ですよね。
その学校の教師が生徒に障がいの特徴を説明するとき「仕方の無いこと」と説明する。
私はこれがどうも正しい発言だったとは思えないんですよね。
なら、どう言えばよかったのか?と頭を悩ませています。
soraさんのご意見もお聞きしたいです。笑
よろしくお願いいたします。
こうして今日も、「もう一人の西宮硝子」とその周囲の人々が、健聴者の無知(しかも本人に悪気は無い!)にさらされ心を痛めています。
ぜひお読みください。
togetter 子どもに向けた難聴者についての説明がひどすぎる
ttp://togetter.com/li/765327
「仕方のないこと」なのですが、この話の中の位置づけ的には、
(1)学校側の対応が工夫も仕組みもなく、かなりまずいものであること
(2)将也自身は、硝子の障害自体についてフラットな姿勢であること
の2点が提示されてるんだと思います。
私自身は、(1)の描写はかなりリアルだなと思いました。
最近、保護者として小学校に関わるようになって特にそう感じます。
「仕方のないこと」については、私は概ねおっとーさんの意見に同意です。
少なくとも「喜多先生」というのは、善意だけれどもやってることがすべて間違っている大人という描かれ方をしているのは間違いないので、喜多先生が硝子の障害で生じるクラスのストレスを「仕方のないこと」と言うだけで処理しようとしたのは、明らかに「間違った対応」として描かれていると思います。
実際、あのシーンでも、「仕方のないこと」という変な諦めではない解決方法はいくつもあったと思いますから。
一方、将也の「仕方のないこと」は、これまで遭遇したことのない「異物」としての硝子とかかわるなかで感じた(差別とは必ずしも同じではない)「違和感」を何とか自分のなかで消化しようとして、先生が使っていた「仕方のないこと」ということばを使った、という印象です。(ですから、将也のなかでもそのことばの意味がはっきりしていないと感じます)
ブラウニングさん、
そのTogetterは私もツイッターで話題になっていたので読みました。
リアル聲の形みたいで、残念な話だと私も感じました。
「仕方のないこと」という言葉がどうこうというより、その言葉の用い方、事態をその言葉で片付ける事が問題なのですね。
納得できました!ありがとうございましたー!
漫画を読んでいた時間よりも、こちらのblogを読んでいた時間の方が長かったと言う(笑)
改めてお疲れ様でした。そしてありがとうございました。
大垣市の住民として、何か情報補足が出来たらな…と思いながら、なかなか何も出来ず、読ませて頂くだけになってしまいました(^_^ゞ
いくつか記憶の範囲内で少しだけ…。
このエリアの普通高校は、東西南北が頭につく高校が4つ有るのですが、イワユル偏差値としては、作中に出てくる「東」は2番目と言われています。
将也の学力に関する考察があったかと思いますが、確かに勉強に関しては偏差値は高めの学校だと言うのは鋭い考察だと思いました
あと、作中の実在の場所ですが。
橋での奇跡の再会の時は、実在の地図でルートを考察できる流れでしたが、それ以外の場面では、リアル地図では「なぜ大垣からワザワザ岐阜のカラオケ場に?」など、不思議な場面移動も有ったりで、地元民的には別の意味で楽しみました。
最後に。
水門病院のモデルは大垣市民病院で間違いないと思うのですが、作画のモデルは別の病院でしょうね。
また、考察の中で面会時間に触れられていましたが、土日も面会できますよ。普通には入れます。
また、他にも思い出したことがあればコメントしにお邪魔しますね♪
コメントありがとうございます。
このブログのエントリを全部読まれたんですか?
それは別の意味ですごいです(笑)。もはや私自身が、全体を把握しきれていないですから。
(ちなみにいま管理画面を見てみたら、エントリ数は766ありました。)
また、大垣情報ありがとうございます。
そういえば、いろいろな場所のモデルのなかでは、「東地高校」のモデルがどこにあるかいまだに分からないです。既に分かっている方もいて、写真も掲載されたりしているんですが…。ただ、少なくともどうやら大垣市内ではないようです。
作品のなかの建物の位置関係は、必ずしもリアルのモデルの位置関係を守っているわけではなく、ヘアメイクイシダのモデルははるか北の方にあったりしますね。
またなにか情報があったらお知らせ下さい!
blogエントリーですが、そんなに沢山書かれていたんですね!
そりゃぁ、朝に晩にと読み進めていても3ヶ月とか楽しめたわけですね(笑)
始めは気になる所だけ読んでいたのですが、コミック派としては稀に先行くエントリーを読んでしまったりで、これは最初から時系列的に読んでいく方がネタバレしないだろう…と初投稿から読み始めたのでした(^_^ゞ
そういえば、この漫画に出会ったことで、たまに手話通訳付のニュースが放送されているとツイツイ手話を眺めています…。が、サッパリ分かんなくて(^_^ゞ
佐原も将也も、頑張ったんだなぁ…と妙に感じてしまいます。
そう言えば、将也もきっと手話サークルみたいなものには参加してたんでしょうね。
そして、きっと硝子とは別のサークルだったのだけど、真面目に?通って頑張っているうちに、「なぜ手話を覚えようと?」なんて会話から硝子の話になり、面倒見の良い人が回りに聞いてくれたのかな?とか思いました。
…なんて話も、このblogに出会わなければ、ここまで色々考えずに読み流していたと思います。
改めて感謝、感謝てす!
どうしてもご報告したいことがありまして(^_^ゞ
先日の事ですが。
とある地域イベントに出向いたときの事…。
ふらっと入ったお店の壁に、聲の形のイラストポスターが飾られていまして。
お店の人に「あ、この漫画知ってますよ~」と話したところ。
なんと、「これ描いてるの、孫なの」という驚きのお返事が(笑)
そのあと、少し漫画の話をしていたら「孫の漫画を読んでいてくれるから…」と、買い物を少しおまけしてもらっちゃいました(;^_^A
確かにそのお店の近くでは、モデルになったと思われる建物も見つけました。
本当に偶然で、凄く驚きでしたよ!
ネットという特性を考え、もやもやっとした書き込みになってしまいましたが、こんなことも有るんだなぁ…て思ったのでした。
コメントありがとうございます。
それはすごいですね!
偶然、大今先生の祖母(祖父?)と出会ってしまうというのは、さすが地元という気がします。
また、作品内で使われている風景について、以前高校の話題が出ていましたが、ビジュアル面での東地高校のモデルは実は東京にある高校だということが分かって(謎が解けて)すっきりしたのですが、地元にはまだまだ細かいシーンとかで使われている風景がたくさんありそうですね。
大垣市は地元に帰るときの通り道なので、一度は舞台探訪をやりたいですね…。いつできるか分かりませんが。(^^;)
舞台探訪される機会が有るようでしたら、ぜひ桜の時期にお越しください(笑)
物語の中で良く出る橋の回りは、地元でも桜の名所で、散歩するにも良い場所です。
ところで。
私はいまだに病院の作画モデルが気になってます…
こちらも東京の方なのかもしれませんね…
写真で見るように桜の時期も凄いんでしょうね。
今から楽しみでしょうがないです。
「聲の形」が縁で大垣を訪れましたが、最近はちょくちょく寄らせて頂いてます。
いろいろな想いを馳せながら、美登鯉橋から鯉に餌をあげれば気分だけは主人公になれますw
ブームは去ったかも知れませんが、私にとって大きな影響があった「聲の形」には感謝、感謝です。
(^-^)/
まさかの、この時期になってからの初投稿です。
映画から「聲の形」を知り、核心に迫るには原作を読まなければとまとめ買いした原作を先日ようやく読み終わり、ファンブックと照らしながら2周目を読み、4月4日の記事から順に追いながら連載当時と同じ流れで改めて3週目を読み、ようやくすべてのエントリを読み終わりました。(長かった・・・)
リアルタイムで連載を追えなかったのは寂しいですが、その回その回の皆さんの反応やこの先の展開予測などを読みながら実際の展開と読み比べてニヤニヤしてみたり、なるほどこの先を知らないとこういう風に感じるんだな、などとある意味新鮮な思いで読ませていただきました。
一度展開を知ってしまうと、二度と知らなかった状態には戻れませんからね。
読み終わった勢いで、原作とsoraさんの考察とを合わせて感じたことを書いてみました。
書いてみたらあまりに長くなってしまって投稿をためらったのですが、今更ぶった切る会話の流れもないようなので投稿させていただきます。。。スミマセン
とにもかくにも、「聲の形」凄まじい作品ですね!
大友先生がこの作品を執筆されていた頃とほぼ同じ年齢になりましたが、ここまで人の心について考えられているかと言われると、とてもとても。
大友先生自身、実は人生をループしているんじゃないだろうか・・・
というのは冗談で、大友先生自身の実体験に突き動かされた描写が説得力と気迫を生み出しているのだろうなと思いました。
また、soraさんの考察も毎回毎回とても深いところまで読み込んであって、2周読んでも全く気が付かなかった点、理解の浅かったシーンが山ほど出てきて毎度衝撃を受けながら読ませていただきました。
特に、心理学を絡めてキャラクターを分析する件は、自分も多少心理学に興味があったので(理系ですが)興味深く読ませていただきました。漫画7冊を教科書に大学で講義をしていただきたいくらい。
以下が本題の感想ですが
「聲の形」7巻とこちらの考察を読んで最後に心に残ったのは
『他人事ではないな』
という思いでした。
これにはもちろん、キャラクターの抱える問題や葛藤はそのまま読者であるわたし達にも(特に同年代の若者にとって)通じるものである、ということもありますが、それとは別にもう一つ気になったことがあります。
端的に言えば、将也や硝子たちとともに物語を見届け、彼らのことをわかったつもりになった読者が、まさにそのことによって作中の彼らと同じような過ちを犯してしまう(ことがある)という構図です。
例えば、小中と将也の心に深い傷を負わせた島田や広瀬が何の報いを受けることもなく幸せになっているのは納得がいかない、と思う人は多かったと思います。しかし、そこで『受けるべきだった報いを』といって彼らを殴れば、それこそは第39話「所詮他人」で真柴が将也を殴ったことと何も変わらないことになってしまいます。
このシーンで読者は確かに、将也を殴った真柴に大して反感を抱いたのではないかと思います。将也が抱えてきた苦しみ、どんな覚悟で西宮に向き合ってきたか何も知らないくせに、と。
その一方で島田や広瀬が報いを受けていない現状には(殴りはしないまでも)なんだかもやもやとしてしまう。彼らがその後何を感じ、どんな人生を送ったのか何も知らないくせに。
もう一つの例として、このブログの終盤で、贖罪、因果応報というキーワードでとても長いエントリを書かれているのが印象的でした。
ファンブックも出た今、その解釈自体について改めて議論をするつもりはありませんが、この時期多くの読者が似たような考え(罪と罰が釣り合っていない!)を抱いていたことは事実なのだろうと思います。
それはなぜかといえば
『罪を犯したものには相応の罰が与えられるべきだ』
『罰を受けているならば、過去にそれに相当する罪を犯したに違いない』
という思いがあるからです。
(これは結局、読者が公正世界仮説に囚われているということなのかな、と思いましたが、素人の半端な知識なのでやめておきます・・・)
これはたしかに誰もが自然に抱く感覚ではあるのですが、これこそ西宮父一家が硝子たちを拒絶した理屈でもあります。
この理屈をあと少し進めれば、『いじめられる方にも原因がある』理論にたどり着き、場合によってはいじめや弱者差別の温床にもなる危うい考え方です。
(少なくとも硝子が聴覚障害を背負って生まれたことに対して、彼女が償うべき罪など本来存在しないはずです。ただただこの世が不条理で、運が悪かったと言うほかは無いと思います。)
作中では確かに、(少なくとも読者の目には)西宮父一家は悪役のように見えたかと思いますが、一方で無意識のうちに彼らと同じような思考に陥ってしまう自分たちがいるのも事実です。
ただ、わたしはそのことによって読者の皆さんを批判したいわけでは全く無くて、大友先生が言いたいのは『人とは結局そういうものだから、仕方ないよね』ということなのではないかと思うのです。
『誰一人、悪役として書いたつもりはない』というのもそういうことなのだろうと思います。
この作品は将也や硝子に寄り添って描かれていますから、読者も彼らに寄った目線で理解することになります。そこから見れば悪役に見えてしまう人々も登場しますが、だからこそ逆に見えなくなってしまうものもあるのだろうなと。
悪役だと思っていた人たちと同じような過ちを、自分もまた彼らに対してしてしまっているのではないかなと。
将也や硝子の物語を見届け、"わかったつもり"になった読者が彼らを批判することで、結局彼らと同じような過ちを犯してしまっている側面もあるのではないかな、と。
第49話真柴回で、いじめに対して何も言わなかった人を批判した川井は傍から見れば確かに愚かで滑稽に見えましたが、果たして彼女を笑う資格が自分にはあるのだろうかと自問せずにはいられません。
そういう意味も意味も含めて、『他人事ではないな』と思った次第です。
この作品に関しては、読者は決して絶対安全な位置には置かれていないのだなと。
言うなれば、『読者が彼らを覗くとき、彼らもまた我々読者を覗き返しているのだ』、という感じでしょうか。
本当に恐ろしい作品だと思います。
えー、以上別に誰かに説教を垂れたかったわけではなくで、ただぼんやりとそういう感想を抱いたというだけの話です笑
せっかく抱いた思いなので言葉にさせていただきました。改めて読み返せばまた感想も変わってくるのだと思います。
長々と、お堅い感想になってしまいましたが汗
最後にひとつ将也と硝子について妄想するのは、硝子がこれからもっと自然に声を出せるようになれば良いなということ。
うふふ、とかえへへ、とか。可愛い声していると思うんですよね笑 たぶん
将也と二人きりのときだけ声を聞かせてくれる、とかオイシイと思います。でも、ほかの人にも声を聞かせる硝子をみて思わずモヤモヤしちゃう将也もかわいい
ちなみに、全編通して一番好きなシーンは58話最終ページ、ファミレスで植野の言葉に硝子が思わず笑ってしまうコマです。
何気ない日常に染み出る幸せとこれまでの彼女の人生を思うと心を打たれます。
soraさんのこのブログが無ければ「聲の形」はわたしの中ではそこそこ良い作品止まりになっていたかもしれません。
soraさんだけでなくこのブログにコメントされていた読者の皆さんも含めて、作品への深い愛、彼らのことをもっと知りたいという強い気持ちに尊敬の念を感じます。
素晴らしい考察をどうもありがとうございました。
当日は生憎の天気でしたが、桜が見事なまでに咲き乱れ、満開の状態を見る事が出来ました。
コミックの表紙の様に撮影をしたりして、1人悦に浸っておりましたw
そろそろ、2人が再開する4月15日が近付いています。
今年は4月15日が土曜日ですね。
カレンダーと照らし合わせながら、登場人物の気持ちや季節の風情を楽しみたいと思います。
因みに、今日も「聲の形」の布教に勤しんできましたw
近々、アニメ好きな関連会社の社員を巻き込みたいと思いますwww
( ´ ▽ ` )ノ
もしかすると、円盤発売日ギリギリまで公開を続けるのでしょうか?
話変わって、先日、久しぶりに聖地巡礼し、アニメ版の最初の方で小学生将也が飛び込む欄干のない橋にも行ってみました。その時に気がついたのですが、そこの川の名前が『杭瀬川』でした。そう、『聲の形』単行本第7巻138ページで真柴が進学先として挙げた大学の名前は、この川の名前から採ったのですね。
ちょっと変わった名前だなと思って改めて地図を眺めたら、その橋からそれほど遠くないところに『久瀬川神社』もあったので、名称的に関連性ありそうです。
さらにその神社の隣が「西小学校」で、単行本第4巻184ページで小学生時代の西宮姉妹が通学路として通っていた踏切もこの近くなので、この西小学校が第二小学校のモデルなのかもしれません。
何故か、今まで結絃の誕生日についての話題が出たことなかったので結絃の誕生日はいつ頃かの手掛かりがないかどうか改めて単行本を読み直してみました。
そしたら、少なくとも誕生月はいつか、絞り込めそうと気がつきました。
・硝子の誕生日は6月7日である。
・硝子の障害が分かったのは3歳の時である。
・また、障害の原因は西宮母が妊娠しているときにウイルス性感染症(おそらく風疹)にかかったためであることも判明している。
・西宮母が離縁された後、結絃を身ごもっていたことが分かった。
・結絃と硝子との学年差は3年である。
常識的に考えると、硝子の障害はいわゆる3歳児検診の時にわかったと考えるのが妥当でしょう。
しかも、原因も分かったということは、集団での検診後、専門医での精密検査も受けたうえでのことであり、その直後が単行本4巻の第32話『ガムシロ』のエピソードと考えられます。
よって西宮母の離縁は6月以降であるということになります。
しかしながら、結絃の誕生が翌年の4月以降である場合は、学年差が4年差になってしまいますので、翌年の3月まででしょう。
これらを総合的に考えると、結絃の誕生月は2月から3月あたりに絞り込めると考えます。
いかがでしょうか?
ありがとうございます。
実はほとんど同じ考察を、以前やっています。
http://koenokatachi.seesaa.net/article/408275420.html
結論は同じになっていますね。(^^)
で、これをネタにして、ミニストーリー書けないですかね。
例えば、ホワイトデーに将也が硝子にクッキーあげようとしたら(その甲斐性あるかどうか?)ゆづるから「オレの分は?」「へ?」「今日はオレの誕生日だけど」てな感じで。
そうです。
放送局はNHK Eテレ
放送日時は8月25日(土)21時からです。
突然ですが、ブログ主様と聲の形ファンの方へ
もし宜しければ、以下の記事の内容とそのコメント欄にあるコメントを全て読んでみてください
「聲の形 再考」
http://nonono7.blog12.fc2.com/blog-entry-2400.html#comment409
「コメントがありました 聲の形」
http://nonono7.blog12.fc2.com/blog-entry-6945.html#comment410
「コメントがありました2 聲の形」
http://nonono7.blog12.fc2.com/blog-entry-6967.html#comment411
上記の記事を書いた方の考察と、コメント欄にいらっしゃる方の考察は、聲の形を読み解く上で、いいヒントになるかと思います
全て読み終えるのは少々時間がかかるとは思いますが、是非、読んでみてください
コメント失礼致しました
「聲の形 再考」「コメントがありました 聲の形」「コメントがありました2 聲の形」のリンク先のブログ主様とコメント欄の水卜さんが示していらっしゃるように、西宮の自殺未遂は作者が行った"いじめ"であり、作者と植野直花は同一人物でしょう。作者と植野の共通点は以下の通りです。
・西宮硝子という仮想敵を生み出している
・島田や広瀬のような立場の強い者に逆らうことが出来ない
・永束のような男性が嫌い(植野は第20話で永束に「チビデブが色気づきやがって!!」と罵倒する=作者は公式ファンブックで永束のことを女子受けは最悪と述べている)
「コメントがありました2 聲の形」のリンク先のコメント欄で水卜さんが指摘していらっしゃる様に、本来コミュニケーションにコンプレックスを抱えていたのは、不登校を経験した作者本人であった可能性が高いです。作者は「聲の形」を『石田の一人称の物語』と述べています。
石田=読者の感情移入の対象
植野=作者自身
西宮=作者の仮想敵
佐原=不登校だった過去の作者
であると考えた時に、作者=植野が、仮想敵=西宮を攻撃することで、不登校だった自分=佐原を魅力的に見せることができ、仮想敵を生み出している自分を許容出来る。(※例えば、第25〜28話の遊園地編で、観覧車で植野に暴行される西宮と対象的に、臆せずジェットコースターに乗る佐原の姿が描写される。第58話で、皆で作った映画が酷評されるのと対象的に、第59話のファッションショーでは成功を収めたかのような佐原が描写される。)「聲の形」はそうした、作者の"自己マインドコントロール"に、読者=石田が巻き込まれるように、巧妙に仕組まれていると思います。
以下は、上祐史浩さんの「第5回 誇大妄想・被害妄想を生む「誇大自己症候群」」の記事です。
https://www.google.co.jp/amp/s/gamp.ameblo.jp/joyufumihiro/entry-11991545609.html
なので「聲の形」は、作品世界において批判性や対話性が一切無い訳です。水門小の石田に対するいじめ問題と、水門小に転校してくる前の西宮に対するいじめ問題が交わることが一度もない。本来なら観覧車の『植野と西宮の対話』は、『石田と西宮の対話』であるべきだった。
第26話で、作者=植野は、読者=石田に対して「西宮さんがこなければ皆ハッピーだった」と語りかけます。その後の観覧車の中では西宮=仮想敵に「いじめはメッセージであり、私達は間違ってない」「西宮が大人を使ってやり返したからお合いこ」とし「嫌いな者同士で仲良くしよう」と提案する。これを、要約すると『私の自尊心を脅かす西宮=仮想敵は邪魔』『私にとって都合の良いコミュニュティを形成する為には、西宮=仮想敵が生贄になったほうが良い』というのが、作者の本音になる筈です。
※この観覧車のシーンを見ている石田と結弦には「聴覚障碍者である西宮が聞こえていない可能性」に対しての配慮があるべきですが、二人は植野の言動に疑問を持ちません。これは、植野が作者自身であり、作者が強い自分を感じる為に、仮想敵=西宮硝子に言いたいことを植野に言わせたことの証明になる筈です。
また、この作者は「創作世界において自分は神だ」等と発言しています。以下は、「大今良時「みんな嫌いです」最終回を迎えた『聲の形』とアニメ化決定へのとまどい」の記事です。
https://www.excite.co.jp/news/article/E1416421795504/?p=2&_gl=1*1mj6dit*_ga*VUlKZFZfN0kzb01VWnAxU2liYWJCaE5waGZMSDJkYmNHYm1OcWR5R29VTmlLdWVEUW5BNWJZTWhDcGktVjA2Vw..
私が「聲の形」の物語に腹が立つ理由は、作者が自分の自己満足の為に聴覚障害を悪用しているからです。作者は自分の仮想敵=西宮に聴覚障害という属性を与え、自殺に導くことで、自分が「ちゃんと見る、ちゃんと聞く」ということが出来たつもりでいるのだと思います。学校に行けなかった復讐を仮想敵に呪いを植え付けることで果たしたいんでしょう。知りませんけど。過激ないじめや暴力描写も、読者の気を引く為にわざとやっているとしか思えません。
結局、作者の求める"和解ではない救い"とは単なる『記憶の捏造』だった。このような漫画がろうあ連盟に認められたり、道徳の教材として教育の現場で用いられているのは皮肉としか言いようがありません。
「聲の形」の作者は、西宮の誕生日である6月7日の生まれが双児宮であることを知っていた。つまり、「聲の形」を描く以前に、ある程度占星術に精通していたと考えられます。そして、登場人物の人格形成は、占星術における星のイメージが基になっている可能性があるでしょう。最も考えられるのは、恐らく、川井みきと真柴智です。
川井は、小学校時代からずっと優等生で変わらなかったにも関わらず、真柴という素性の知れない同級生に恋愛感情を持つ。真柴は、登場人物達を皮肉ったり、定期的にカマかけを行うが、物語上大した活躍がなく存在意義があったのかどうかも分からない。この二人は後にくっつきますが、その動機や過程も不透明なまま。両者は作者が何かを模倣して描写した人物である可能性が高い。
少し調べてみましたが、恐らく、川井は天秤宮のイメージで真柴は宝瓶宮のイメージでしょう。天秤宮と宝瓶宮は西宮硝子の生まれである双児宮と同じ風のエレメントです。
以下は「風のエレメントを持つ人の価値観」の記事です。
https://earth-art-live.com/elements_wind/
〈天秤宮の特徴〉
(メリット)
比較的社交性があり、平和主義者。他者との調和を重んじる。美意識が高く美的感覚に優れる。
(デメリット)
調和を重んじるあまり、自身の主張がはっきりしなかったり、八方美人に見られる。
以下は天秤宮に関する記事。
https://main-clare.ssl-lolipop.jp/astro/2016/04/30/112
物語上の川井は、八方美人で自分に都合の悪いことは無かったことにしてしまう性格。第24話ではイメチェンをする描写があり、第48話では作者が彼女に「私は可愛い」と言わせている。第38話で、過去のいじめについて石田を責め、それが第42話の西宮の自殺未遂に繋がるように描写されている。
〈宝瓶宮の特徴〉
(メリット)
比較的社交性があり、他者との調和を重んじると共に、独自の価値観やルールに従う。個性的で面白いことが好き。感情に流されない。
(デメリット)
理屈っぽく、頑固な面がでがち。冷たく見られがち。他人の感情に飲み込まれるのが嫌で孤立することもある。
以下は宝瓶宮に関する記事。
https://main-clare.ssl-lolipop.jp/astro/2016/12/25/153
物語上の真柴は、過去のいじめ加害者を恨む、ある意味執念深い性格。イカしてるからという理由で、石田に近づいたり、西宮の前でマスクを被ったりする。第41話では一人で路地を歩いているコマがある。第39話で石田を殴り、それが第42話の自殺未遂に繋がるように描写されている。
この二人は、時としてトラブルメーカーとして描かれていることから、作者がかなり認知を歪めて描写している人物です。(二人がニッと笑うときの口元の描写も同じ)作者視点からすれば、『川井=天秤宮は、コロコロ態度を変える八方美人』であり、『真柴=宝瓶宮は、考えが読めず、自分の主張を曲げない厄介者』の一面を持つ訳です。
そして、この二人は、作者が6月7日生まれ=双児宮=害悪という風に認知を歪めて受け止めている。つまり、作者の中に、思考力(コミュニケーション能力)があると謳われている人やものに対する敵意と劣等感があることを裏付ける人物にもなるのではないでしょうか?
あくまでも私の勝手な推測に過ぎませんが。
※この、川井と真柴の二人は第45話の西宮と同様に作者が作中で「死にたくなる」「生きているのが恥ずかしい」等と言わせていることから、西宮硝子に継ぐ作者の仮想敵である可能性が高いと思います。
1年半ぶりに全巻を読み直しました。
色褪せる事無く、心をまさぐられ、意識が集中してしまう。
聲の形は私の中で名作です。
来年(2024年)で10年になる佳節。
大今さんが仰られていた、聲の形の新話をみてみたいと思います。
数ヶ月前に見つけたCallisto IVさんのコメントがどうしても気になって漫画を読み返しましたが、確かに佐原という不登校キャラを登場させている点、佐原が「どうやったら自分が昔より成長したってことを証明できるんだろう?」というメッセージを発した後に西宮が自殺を図る点から考えれば、不登校になった腹いせに聴覚障害者を差別して生贄にしたという考察は当たっていると思います。ニチニチソウは古代ローマでは生贄の印だったようですね。
自分は聲の形ファンでも何でもないので、フラットな視点で見れますけど、ここにいる聲の形ファンの方々は受け入れられないでしょうね。
最近、聴覚障害を抱えている人や看護師の知人と接する機会があったので、このことを伝えてみましたが作者のことを許せないと言っていました。それでも、まだ世間が聲の形を絶賛しているのが非常に残念です。こんなものは24時間テレビと一緒です。理解している人もいるということを伝えたくてコメントしました。このコメントが承認されるかは分かりませんが。