第2巻以降、非常にしばしば登場する生き物として「鯉」がいます。
もちろん、硝子が橋で火曜日にパンをあげている鯉もさることながら(こちらについても後で触れます)、それよりも気になるのは、「将也の心象風景」として登場する鯉です。
最初に出てくるのは、第2巻15ページ、第6話で、硝子に筆談ノートを渡したときです。

ポイントは、この時点ではまだ「橋でのエサやり」の場面も話題も登場していないので、ここで出てくる「鯉」は、断じて「橋でえさをやる対象としての鯉」ではない、ということになります。
また、鯉の横で沈んでいく靴は、このとき将也がはいていた靴です。
そして、もう少し読み進めていくと、(エサやりの鯉はとりあえず飛ばして)第2巻56ページ、第8話で、貸した自転車をパクられて、硝子に会いにいけなくなりそうだという場面で登場します。

こちらも、将也の心の中に現れている(現実ではない)鯉です。
しかも、なぜかその直前のコマで、小学校時代の硝子の後ろ姿を思い出しています。
なんなんだろうこの鯉は。まったくの謎です。
1つだけ、そうかもしれないという仮説があります。
鯉は、「滝登り」とかでも知られているとおり、古代中国などでは「出世・成長」の象徴として喜ばれていた魚なのだそうです。
だとすると、こういった場面で出てくる「鯉」は、「いままさに成長しようとする・しつつある将也」を象徴しているのではないか。
小学校時代に犯してしまった罪を償い、止まっていた時間を動かし、いまこそ成長しようとして苦悩する将也の姿を、この鯉は象徴しているのかもしれません。
そう考えると、最初の鯉に将也の靴が写り込んでいることや、次の鯉が描かれる場面で「小学校時代」を思い出していることもある程度は説明がつくように思うのです。
まあ、実は単に「鯉」=「恋」のアナロジーで、実はすでに硝子に恋をしている将也の心情を暗示的に描きつつ、橋で硝子とふたりで「鯉にえさをやる」=「恋をはぐくむ」みたいなベタなネタなのかもしれない、という可能性もなくはないと思っているのですが(^^;)。
いや、でも逆に、「橋」の場面も、実は「硝子や他のメンバーが、将也を象徴する鯉にえさをやって、みんなして将也の成長を支えている」という壮大な暗示だと考えるのも楽しいじゃないですか。
とりあえずいまのところ、そんな風に考えています。
コメントありがとうございます。
「鯉」については、筆談ノートが投げ込まれ、将也がつき落とされ、学校の池にも確かにいるんですよね。(橋の下の鯉だけでなく)
そして、「鯉」そのものの描写はありませんでしたが、第35話で将也と硝子(と真柴)が小学校にいったとき、この池に波紋が2つ現れています。
この2つの波紋は、おそらく将也と硝子を象徴しているのだと思いますし、またその波紋を起こしたのは「鯉」ということにもなると思いますので、やはりこの鯉は将也と硝子の「恋」を何らかの形で象徴しているのかな、とは感じます。
あのシーンで、ドーナツなのかハンバーガなのかハッキリしないおもちゃも浮かんでいますが(私は当初、クラゲかと思ってしまいました)。
それにしても、高3にもなって、お風呂におもちゃ浮かべて遊ぶのって、硝子は意外と子供っぽい面があるのでしょうか?それとも、今までの描写を見ると将也と再会するまでは友だち付き合いが殆ど無かったように見えるので、寂しさを紛らすために、動物のおもちゃで遊んでいたのでしょうか?
この辺りは同じく第2巻の中で将也から鯉に餌をやる理由を訊かれて「必要とされるのが嬉しい」と答えたことや、園芸関係の本をよく読んだりしていることとも係わりがありそうな気がします。
あの風呂のシーンはファンタジーですよねえ。
まあ、でもあれだけおもちゃの数がたくさんになると、逆に「そういう入り方をする人もいるかもね」という趣味の世界になってくるのかなとも思います。
そして、確かに「鯉」は将也の心象風景だけでなく、硝子のまわりにも(こちらは心象ではなく具体的な事物として)登場しているんですよね。
もちろん恋愛も他人との繋がりの一形態なので、彼女持ちと聞かされれば風呂場のコイもピギューと水噴いて潰えます。
コメントありがとうございます。
これ、まさに「なぞ解き」にふさわしいネタなので私も最初から食いついています(笑)。
明日あたり、このネタでエントリを上げる予定です。
遅ればせながら、Amazon版なぞ解き・聲の形を読んでおります。
第2巻15ページの鯉と靴の描写について思うところがあったのでコメントさせていただきます。
このページの鯉は、小学校時代に硝子の足を引っ掛けた事に対して罰を与えるために、将也の靴を脱がせたという解釈を将也本人がしているということではないでしょうか。
(かなり不自然な靴の脱げかたをしているので、そういう解釈をするのも無理はないと思います。)
そして足を引っ掛けるという1つの罪に対する罰では、「足りてない」と感じたのだと思います。
ここで、将也にとって鯉が「罰を与えるもの」という認識が生まれたのはいつか、という事を考えると、硝子へのいじめに対して初めて罰が降った第1巻126ページで、突き落とされた学校の池にいた鯉を見て「罰を与えるもの という象徴としての鯉」が刷り込まれたのではないでしょうか。
そう考えると、硝子が生きる事を諦めた際にかけた呪いの力で鯉に超能力が宿り、その後将也に対して罰を与え続けるという、なんだかオカルトでホラーな解釈ができてしまいますね。
コメントありがとうございます。
このシーンの靴、改めて読んでみましたが、なかなか解釈が難しいな、と感じます。
まず、鯉と一緒に描かれているのは革靴ですが、小学校時代、硝子に足を引っ掛けたシーンでの将也の靴は革靴ではなく上履きなので、この靴は再会した高校生の将也のものです。
そして、硝子を追いかけているときにいったんこの靴は脱げかけますが、実際には脱げておらず、この鯉のシーンの直前では、ちゃんと将也は両足の靴を履いています。
でも確かに、そのあたりを少しラフにつなぎ合わせてみるなら、「因果応報を司る鯉」が、「小学校時代に硝子の足をひっかけた」ことの罰として、このシーンの将也に「靴が脱げかけて転倒する」というペナルティを与え、そこで将也が自らの罪を思い起こしているシーンで鯉と(罰の象徴としての)靴を想起している、という風には考えることができそうですね。