2014年12月18日

第51話から改めて考える、硝子が「諦めたもの」とは?(6)

※このエントリは、第51話連載時に書いたものです。そのため、その後の連載の内容と齟齬があったり考察に変化がある場合があることをご了承ください。


第1巻114ページ、第3話。

水門小に転校してきた硝子がずっと挑戦し続けていた「手に入れたかったもの」への「最後の賭け」としての将也へのアプローチは、いきなり筆談ノートを取り上げられ、その後の握手も手話も無視され、あげくに奪われた筆談ノートを池に投げ捨てられるという、最悪の結果に終わりました。

硝子は、この捨てられた筆談ノートを池から拾わずに放置し、何かを「諦め」ました
連載版では表現されていませんが、読みきり版では、池のなかから一度は筆談ノートを拾い上げた硝子が、筆談ノートに当初こめていた願いと現状の悲惨さとの落差に絶望して、ノートをまた池に落としてしまうさまが描かれています。

このとき、硝子が「諦めた」もの。
それは、ここまでの考察で明らかなとおり、水門小に転校してきてから、必死に手に入れようとしてきた、「障害がなければ当たり前に手に入るような幸せな学校生活(と、そこから派生して手に入れたかった幸せな家庭の生活)」でしょう。

障害があっても、努力すればきっと何とかなる、そう信じて頑張ってきた硝子の挑戦はことごとく失敗し、どんなに努力しても乗り越えられない「障害をもっているというハードル」の高さに、硝子は押し潰されそうになっていたのだと思います。
クラスでの孤立がすすむなか、自分にかかわってくることを続けていたのはもはやいじめっ子の将也だけになっていたわけですが、そんな「クラスメートへの最後のつながり」ともいえる、将也への「最後の賭け」も無残な失敗に終わってしまいました。

ここで、これまで頑張ってきた硝子も「限界だった」のでしょう
ずぶぬれのまま帰宅した硝子は、結絃に対して「死にたい」と手話で伝えます。


第6巻52ページ、第45話。

夢見ていた、「あたりまえの幸せな学校生活」。
努力すればきっと乗り越えられると信じていた、「障害をもっているというハードル」。
「筆談ノート」はある意味、その2つのことの象徴だった
と言えるでしょう。
硝子がホンネで夢見ていたのは「自分に障害がないという世界」でしたが、それは不可能なので、実際に目指していたのは「障害があってもそれを乗り越えて、障害がないのと同じように幸せな世界」を実現することでしたが、それを実現するための「ツール」が、この筆談ノートだったわけです。

実際、硝子は転校初日の自己紹介で、この筆談ノートについて、

わたしは皆さんと このノートを通して 仲良くなりたいと 思っています。

と説明しています。


第1巻52ページ、第1話。

このメッセージは、決して社交辞令でもなんでもない、硝子の本気の願い、夢だった、ということです。

でも実際にはその筆談ノートは悪口で埋まり、唯一友人としてノートに書き込んでくれた佐原は不登校になり、あげくに将也に池に投げ捨てられてしまいました。

「手に入れたかったもの」を象徴する「筆談ノート」が池に投げ捨てられ、硝子は、それを拾うのを「諦める」ことで、「手に入れたかったものを手に入れる」ことも同時に「諦めた」、のだと思います。
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第51話から改めて考える、硝子が「諦めたもの」とは?(5)

※このエントリは、第51話連載時に書いたものです。そのため、その後の連載の内容と齟齬があったり考察に変化がある場合があることをご了承ください。

ここまでの考察をふまえて第1巻、あるいは小学校時代の結絃の回想を改めて読み直してみると、小学校時代の硝子の行動が、有機的につながっていくように思います。

硝子は、(第51話で空想したような)自分の障害があたかも存在しないかのような幸せな世界を努力により実現することを目指して、あえて積極的に周囲のクラスメートに関わっていったわけですが、結果的には障害が原因でその努力はうまくいかず、世話係の植野からは愛想を尽かされ、せっかく親しくなれそうになった佐原は自分のせいで不登校になってしまい、他のクラスメートからもどんどん距離をおかれるようになって孤立していきました。

その孤立が合唱コンクールで決定的になって以降、硝子に積極的に関わっていたのは、「いじめ」を行なう将也だけになってしまっていたのだろうと思います。
(私は、第1巻の「将也視点」での印象よりも、実際には学級裁判までの「硝子いじめ」は将也の単独犯の性格がずっと強かったのではないかと推測しています。少なくとも、島田、広瀬、川井あたりは、硝子いじめへの関与は将也が感じているよりもずっと少なかっただろうと思います)

言い換えると、合唱コンクール以降は、硝子とクラスメートとの「つながり」は、もはや将也からのいじめによるものだけになっていた、という状態に近いものになっていたのだろうと思います。
ですから、この時点での硝子にとっての将也というのは、「いじめの主犯」であると同時に、「残された最後のクラスメートとのつながりの糸」であり、さらには「自分が目指していたもの(=障害を克服できた幸せな世界)を諦めないための、最後の砦」でもあったのではないでしょうか。

そこで起こったのが、あの補聴器事件です。
補聴器を奪われ、捨てられ、さらに耳まで傷つけられた硝子が、なぜ将也を待ち伏せして「友達になろう」と手を差し出したのでしょうか。


第1巻114ページ、第3話。

ここまでの考察をふまえると、これは硝子の「最後の賭け」だったのでしょう。

硝子の耳を傷つけて担任に叱られた将也は、さすがに懲りてもう自分にちょっかいを出してこなくなるかもしれません。でも、もしそうなってしまうと、それは同時に硝子にとって「自分に関わろうとしてくれるクラスメート」が誰もいなくなることを意味し、さらにそれは「これまでの挑戦を『諦める』こと」を意味します

だから、硝子としては、この補聴器事件を、将也との関係が切れてしまう展開には絶対したくなかったでしょうし、逆にこれがきっかけで将也との関係を正常化し、さらにそれを突破口にして、クラスメートとの関係をも正常化できれば、と考えたに違いありません。
正攻法を諦め、一点突破のゲリラ戦法で、「夢」の実現にむけた最後の賭けに打って出たわけです。

ですから、硝子はまず、自分のせいで将也が担任に叱られてしまったことを「ごめんなさい」と謝ったのです。
そこには、もしかすると、結絃に感じていたのと同様に「自分の障害のせいで」あなたが叱られる事になってしまってごめんなさい、の意味まで含まれていたかもしれません。

そしてその後は、そのまま筆談ノートで「友達になりたい」と、ある意味「告白」するつもりだったのだと思います。

でも、将也に筆談ノートを奪われて、そのやり方を封じられてしまった硝子は、やむなく将也の手を握り、それでも伝わらないとみるや、さらに手話で「友達になりたい」と伝えたわけです。
先にも書きましたが、硝子にとってこれは「最後の賭け」であり、自分にできることはどんなことでもやって、なんとか結果を得ようと必死だったわけです。

でも、その挑戦、最後の賭けは、失敗に終わります。
タグ:第51話 第03話
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第51話から改めて考える、硝子が「諦めたもの」とは?(4)

※このエントリは、第51話連載時に書いたものです。そのため、その後の連載の内容と齟齬があったり考察に変化がある場合があることをご了承ください。

ここまでの考察で、硝子は水門小に転校してきて、それまでとは違った積極的な行動をとることでクラスに溶け込もうとし、それによって「障害がなかったら手に入っていたであろう、当たり前に幸せな学校生活(と、それによって実現するであろう幸せな家庭生活)」を手に入れようと頑張っていたんだ、ということが分かってきました。

ここで少し気になるのが、遊園地の観覧車で植野からビンタされた硝子が植野に送った手紙の中身と、これまで考察してきたことの整合性です。

硝子は手紙のなかで、こんな風に書いています。

私は今まで 自分の聞き取っていることに自信が持てず
自分が感じとっていることが 真実の上になりたっていることなのか判断できませんでした
私は 本当のことをみんなより遅れて知ることになってしまいがちで
誰かに何か 聞くにしても
笑顔を作り あたりさわりのない返事をすることによって 相手の気分を損ねないように取り繕ってきました
クラスのみんなから見たら 薄情でつまらない人間に見えたと思います
でも それが 合理的だと思ってしまったのです
私のせいで 石を投げられてしまう妹のために
みんなと同じようになりたくて 普通の子達と一緒にいたかった
でも 同時に クラスのみんなに 迷惑がかかってしまった
二つの気持ちの間で 葛藤するうちに
作り笑いを続けることに 精一杯になってしまった


これを改めて読むと、硝子が手紙のなかにはっきりと「みんなと同じようになりたくて 普通の子達と一緒にいたかった」と、自分が夢見ていた世界を実現するために頑張っていたことが記されていることに気づきます。

さらに、「でも 同時に クラスのみんなに 迷惑がかかってしまった」「二つの気持ちの間で 葛藤するうちに 作り笑いを続けることに 精一杯になってしまった」と、実際にはその行動がクラスメートにたびたび迷惑をかけてしまっていることにも当時から気づいていて、このままのやり方で本当にいいのか葛藤していたこともこの手紙には明記されています。

つまり、硝子はこの頃やはり、「さまざまなリスクがあるのを承知のうえで、あえて自分の障害を無視するような形で積極的に行動してクラスに溶け込もうとしていた」のだ、ということです。

そして、硝子がそう考えるようになったきっかけとして妹の結絃の存在があったことも、この手紙には示唆されています。

思い起こしてみると、水門小に転校してくる直前、硝子が母親とともにヘアメイクイシダを訪れた日には、硝子の障害によって結絃が翻弄されている姿がはっきりと示されていることに気づきます。

まず昼間には、デラックスらによる硝子へのいじめ(補聴器の川への投げ捨て)に巻き込まれて、結絃も悪口を言われ石を投げられてしまう、という事件が発生しました。(この事件のことも、手紙に書かれています)


第2巻120ページ、第11話。

そして夕方ないし夜には、ヘアメイクイシダでベリーショートではなくボブカットにされた硝子の髪型を守るために、結絃が自身の長髪を硝子や母親の前でばっさりと切ってしまう「結絃髪切り事件」が発生しました。


第4巻160ページ、第31話。

この2つの事件は、同じ日に発生しており、かつ、水門小への転校の直前に起こっています。

この日の2つの事件を経験して、硝子は、あらためて自分の障害が家族に迷惑をかけていることを呪い、次の転校を機に心機一転して、これらの問題を自分の努力で何とか全部解決してしまいたい、と強く思ったに違いないのだと思います。

そう考えると、硝子の手紙に書かれている内容をうまく説明できると思います。

転校直前に起こった、自身の障害と結絃をめぐる2つの事件を大きなきっかけとして、硝子は、次の学校(=障害にも理解があるとされる水門小)では、努力してあえて積極的に行動し、クラスメートに溶け込んでいこうと決意したのでしょう。
そしてそれによって、もし障害がなければ容易に手に入っていたであろう、当たり前の幸せな学校生活、家庭生活(=あたかも自分の障害がないかのような世界)を手に入れることを目指したわけです。

でもその挑戦は繰り返し失敗し、クラスメートにもたびたび迷惑をかけてしまい、硝子はもうこの「挑戦」をやめるべきかどうか、葛藤するようになっていきました。
その「葛藤」の結果が、本心を表明しない「作り笑い」になっていったわけです。

次のエントリに続けたいと思います。
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第51話から改めて考える、硝子が「諦めたもの」とは?(3)

※このエントリは、第51話連載時に書いたものです。そのため、その後の連載の内容と齟齬があったり考察に変化がある場合があることをご了承ください。

さて、前エントリでは少し話が脇道にそれましたが、ともあれ、硝子(と家族)は、それまで通っていた第二小でも兄弟揃っていじめの被害を受けたことから、「聴覚障害に理解がある」とされる普通校である、水門小に転校してきたわけです。


第1巻62ページ、番外編。

ここで、水門小への転校を機に、硝子は自身の行動パターンを少し変えたのではないか、と私は推測しています。

硝子は水門小に移る前も転校を何度か経験しているようですし、障害を理由にいじめの被害にあいやすい自分の状況についても、十分理解していたと思います。

実際、第二小でデラックスに押しのけられ、川ではデラックス一味に補聴器を捨てられたり石を投げられたりしていじめられている硝子をみると、基本的に無抵抗で自分からはなにも動かないような、極めて消極的な行動パターンで動いていたのではないかと思われるのです。


第1巻32ページ、第1話。

実際、硝子のように重い障害を持ちつつ、周囲から十分なサポートが受けられない状況でなんとか生き延びていくためには、多少いじめられても、抵抗せずにそうやって静かに身を潜伏させておくのが一番無難な「処世術」になってしまうのが現実ではないでしょうか。

それに対して、水門小での硝子は、少なくとも転校してきてからしばらくの間は、ずいぶん積極的です

最初のあいさつでも、筆談ノートを「みんなと仲良くなるため」のツールとして使いたい、と宣言していますし、その後も実際に、一生懸命筆談ノートで周囲に話しかけています。
硝子は、第二小でも筆談ノートを持ち歩いていたことがわかっていますが、もしそんな「筆談ノートを介した良好な関係」が前の学校でも成立していたのなら、そもそも水門小に転校してこなかったでしょう。
つまり、逆の言い方をすれば、「筆談ノートでみんなと仲良く」なんてことは、前の学校でもまったく実現しなかったことであり、硝子が「水門小で初めて実現させようと頑張ったこと」だった、ということになります。


第1巻53ページ、第1話。

植野は、このときの硝子の筆談ノートの使い方を、遊園地回の観覧車のなかで厳しく糾弾しています。


第4巻77ページ、第27話。

植野「でも あなたも 私のこと 理解しなかった
   だから 遠慮なしに 私に変なノート 渡したり
   みんなの空気を読まずに 合唱コンに参加した」


でも、ここで植野が非難した「遠慮なしに」変なノートを渡してきた、というのは、当時の硝子がデリカシーのない無神経な人間だったからそんなことをしてしまった、ということではなく、ぶしつけだと受け取られるリスクがあることを十分承知のうえで、それでもあえて硝子が行っていた「挑戦」だったのです。

合唱コンクールも同じでしょう。
硝子は、自分がまともに歌えていないことをある程度自覚していたと思います。
さらに、将也からも「親切で具体的な(^^;)」アドバイスを筆談ノートに受けていますから、自分のせいどんな問題が発生しつつあるかは十分わかっていたと考えたほうが自然です。
でも、硝子はそれでも降りずに、合唱に参加し続けたわけです。

これらの行動は、それまでも何年も障害があるがゆえにいじめられてきて、自身も障害に負い目を感じていて、さらにそういう自分のおかれた状況を十分に理解している子どもの行動としては、異様なまでに積極的です。

ですからこれは、「あえて積極的にふるまっていたんだ」と考えるのが自然だ、という結論にいきつくわけです。

では、なぜ「あえて積極的にふるまっていた」のでしょうか?
ここに、まさに硝子が「諦めたもの」とは何か、という「謎」のより詳細な答えがある、と思っています。

次のエントリに続けます。
posted by sora at 07:11| Comment(0) | TrackBack(0) | 第6巻 | 更新情報をチェックする