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2014年12月01日

コミック第7巻の表紙がきました!

月がかわり、そろそろ…と思っていたコミック最終第7巻の表紙が、今日いよいよ公開されました!


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どうやら文化祭のようですね。

やはり、成人式とか手つなぎとかだと最終話のネタバレになってしまいますから、無難なところを選んだということでしょうか。
将也、硝子の自然な笑顔、硝子の耳が出ているところ、二人の距離がこれまでになく近いところ(特に、これまでは硝子が接近している傾向だったのが、今回は将也が接近しているところ)など、見どころもたくさんある表紙です。

また、いつもの表紙の「色かぶり」ですが、今回は虹色っぽい感じで、あえてカメラ用語でいうなら「色収差」「フリンジ」が出ている感じですね。(まあ、虹の出る原理と色収差の出る原理は基本的に同じですから(笑))
さらにいうと、今回は表紙に「魚眼レンズ」の歪みのある背景が使われているのも注目ポイントです。

いよいよ第7巻発売まであと2週間あまりとなりました。
楽しみです!(^^)
posted by sora at 22:15 | Comment(10) | TrackBack(0) | 第7巻 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

将也だけが罰を受けすぎ? あるいは将也=キリスト仮説(8)

そして、最後に残ったのが硝子です。
硝子は、こと将也の身代わり転落に関してだけいえば、最も重い「罪」を背負っていることは明らかです。

将也は、硝子についても、転落時にほとんどの罰を引き受けてくれていたはずでしたが、最後の最後に犯された「罪」だけは(時間軸的にも)引き受けることができませんでした。

硝子が犯した最後の「罪」と、それがゆえに硝子に残された「罰」。
それは、自分の肉体を軽んじて、自殺という過ちを犯してしまった」という「罪」に対する、「代わりに大切な人の肉体が痛めつけられ、自分は生き残ってしまって、その一部始終を見届けなければならない」という「罰」です。


第6巻149ページ、第51話。

硝子については、この「罪」を自覚し、償うことができるかどうかが、将也の「救済」を受けるための前提条件になったと考えられます。

そんな硝子の1つめの「贖罪」は、「映画を再開する」という行為によってなされました。
橋崩壊事件以後、ばらばらになってしまった映画メンバーのつながりを、自らの行動によって修復し、そして映画撮影の再開にまでこぎつけることができました。

これによって「贖罪」の第一段階は成った、と判断した「鯉」は、いよいよ硝子が将也の「救い」を与えられる「準備」ができているのかどうかを試そうとします。

鯉は硝子の夢枕に将也を登場させ、「将也と出会わず、友達とうまくやれていればすべてが丸く収まっていたんじゃないか? そういう運命を選んでいたほうが良かったんじゃないか?」という謎を、硝子にかけます。


第6巻163ページ、第51話。

これも別エントリで考察しましたが、これを「硝子の側」から解釈すれば、「私に障害がなかったら、という理想の世界のほうに行くこと」と、「私が障害を持っていて、いじめを受けたりする現実の世界にそれでも残ること」のどちらを選ぶんだ、という選択が提示された、ということです。

硝子はここで、「将也と出会ったこの現実の世界こそが、辛いこともたくさんあるけれども一番大切なんだ、私が選ぶのは、いまここの現実の世界だ」という「答え」を見出します。
そして、その「答え」を噛み締めたとき、改めて、自殺という過ちを犯し、将也を傷つけてしまった「罪」の重さを再認識し、硝子は深く深く後悔し、涙を流します。


第6巻181ページ、第52話。

硝子は「正しい答え」にたどり着いたのです。

その涙は、川のなかにいる「鯉」にしっかりと届きました。
これをもって、硝子の「贖罪」も完了し、そして硝子を含むすべての人間が、将也による「救い」を与えられる「準備」もすべて成ったということになります。

そして鯉は、最後の大いなる奇跡を起こします。
タグ:第52話 第51話
posted by sora at 07:11 | Comment(4) | TrackBack(0) | 第6巻 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

将也だけが罰を受けすぎ? あるいは将也=キリスト仮説(7)

将也が硝子の身代わりとなって、鯉のいる川に身を投じて「罪」を償おうとしたとき、将也が背負っていたのは、

・将也自身の罪

だけでなく、

・自殺という過ちを犯した、硝子の罪

も一緒に背負っていた、と言えます。
そしてさらに、硝子自身が引き受けようとしていた、

・将也、硝子がかかわってきた、すべての人々の罪

も、硝子から引き継いで、一緒に背負っていた、と考えられるでしょう。

つまり将也は、この行為によって、自分自身のみならず「硝子を含む、すべての関係者の罪」を、彼ら・彼女らに代わって引き受け、そして償ったのだ、と考えられます。

そしてこの「贖罪」は、川にいた「鯉」によって受け入れられ、贖罪を認めた鯉は1つの「奇跡」を起こします。
将也転落の際に、島田と広瀬が「偶然近くにいた」という状況を作り出し、彼らに転落直後に将也を救出させることによって、将也は水没による呼吸停止で脳や心臓に致命的なダメージを受けることなく、純粋な「落下の衝撃」だけのダメージに留まってとりあえず一命をとりとめました。


第6巻152ページ、第51話。

これは偶然にしてはあまりにもできすぎていることからも、物語の中でも単なる100%の偶然ではなく、何らかの大いなる意思の働いた「奇跡」である、ということが示唆されているようにも思われます

ただし鯉はここで、将也をすぐに完全復活させることはありませんでした。
将也が与えようとしている「救済」について、それを「与えられる側」にその準備はできているのかを、しばらくじっと見守っていたのです。(それに加えて、将也が償うことができなかった「罪」が1つ残っていた、ということもあります。これについてはあとで説明します)

第6巻の各自視点回(さらには、結絃視点の最初のほうの回も)を改めて読むと、どの回も、その登場人物と将也がどのようなかかわりをもち、そしてそれによって、自分自身がどのように(将也の影響を受けて)変わっていったのかが描かれていることが分かります。


第6巻81ページ、第47話。

誰もが、将也との出会い、関わりによって自己を省みていろいろなことを考え、少しずつ前へ、「いい方向へ」進んでいることが、各自視点回では示されました。
その事実をもって、将也の救いが「成る」機は熟していきました。
posted by sora at 07:10 | Comment(0) | TrackBack(0) | 第6巻 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

将也だけが罰を受けすぎ? あるいは将也=キリスト仮説(6)

では、将也が実際に「あらゆる人の罪を引き受け、その罪を償った瞬間」とは、いつだったのでしょうか?

それは、私は、

第43話で、硝子の身代わりになって川に転落した瞬間

だったと思います。


第6巻17ページ、第43話。

将也が物語の中で救世主的存在として描かれていると考えると、第43話で描かれた「度胸試し」、硝子の身代わりとなって将也が転落したことの意味は、違って見えてきます。

つまり、将也はこの場面で「転落しなければいけなかった」し、将也は転落によって「大いなる贖罪を遂に成し遂げた」ということになるのです。

以前も一度考察しましたが、このときの将也の行いは、キリストの「最後の晩餐」を思い起こさせるものになっています

硝子は、自分の周りの人間が不幸になるのはすべて自分の呪いであるという考えをもち、映画メンバーも家族も含め、あらゆる人の罪と不幸を一身に背負い、それらを償おうとして飛び降りたのだ、といえるでしょう。
だとすれば、そんな硝子を受け止め救出して、代わって自らが身を投じた将也は、硝子の背負っていた「罪」を、さらに硝子に代わって引き受けて転落した、と考えることができるのではないでしょうか。

硝子は「すべての関係者の罪」を背負って飛び降りようとしたわけですから、その硝子の身代わりとなって転落し、硝子が抱えようとしていた罪も代わりに引き受けた将也は、「硝子の罪」に加えて、硝子を通じて間接的に「すべての関係者の罪」を引き受けて、身を投じたことになったと言えるでしょう。

みんなの罪
  ↓
  ↓ 背負う
  ↓
硝子]+硝子の罪
    ↓
    ↓ 背負う
    ↓
  [将也]+将也の罪
      ↓
      ↓ 償う
      ↓
    [池の鯉


このとき、転落した川の中には、鯉がいました。


第43話、17ページ。

別のエントリでも考察しましたが、この物語のなかで、鯉は「インガオーホー」の理(ことわり)を司り、罪ある者に罰を与え、それを贖った者に奇跡を起こす超越的存在として描かれている、と思っています。

将也は、そんな鯉のいる川の中に身を投じましたが、それは「鯉」に対して自らの肉体と血を捧げる(実際、将也は第43話の見開きで血を流しています)ことであり、これまでの罪をつぐなう最大級の行為であったと思います。
ちょうどキリストが最後の晩餐でパンとワインを「これはわたしのからだと血である」と言って分け与え、そして処刑され、その処刑により人々の罪が贖われ誰もが救済されたと信じられているように。
タグ:第43話
posted by sora at 07:09 | Comment(0) | TrackBack(0) | 第6巻 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

将也だけが罰を受けすぎ? あるいは将也=キリスト仮説(5)

でも、そんな西宮母と西宮家の運命に、小さな、でも決定的な転機が訪れたのは、硝子を水門小の「普通クラス」に転校させるという西宮母の選択の結果、硝子が将也と出会った瞬間でした


第1巻54-55ページ、第1話。

この「水門小普通クラスへの転校」という選択自体は、他の選択と同じく、障害を否定しようとする西宮母の強引な意思によるものであり、そういう意味では本来は事態を好転させるものではありませんでした。
実際、硝子は水門小でもクラスに溶け込めず、将也や植野からひどいいじめを受け、硝子は絶望し、最後は追い出されるように学校を出ていったわけです。

でも、そこに将也がいて、将也と硝子との間に「つながり」が生まれたことが、硝子、西宮母、そして西宮家全体の運命を、5年後に大きく変えることになります

結果的に、「将也と出会った」西宮家の運命は、劇的に好転しました。
西宮母自身は「問題解決をする動きをしていないのに」、将也とかかわったことによって、最後はとても幸せな環境を取り戻すことに成功しています。


第55話、9ページ。
ここでの西宮母のこのせりふは、本考察をふまえると非常に本質を突いています。
「あなたがどんなにあがいても…」のせりふもそうでしたが、西宮母は本作品の宗教的側面について、かなり自覚的なキャラクターだといっていいでしょう。


そしてそれは、硝子にしても結絃にしても同じでしょう。
西宮家の家族は、全員が長い間にいろいろなことをこじらせていて、お互いがお互いに対して悪い影響を与えるような状態になってしまっていました。
もはや、誰がどんな罪を背負っていて、誰がどんな罰をいま受けていて、それらをどうやって償っていけば、もつれた罪と罰の糸を解きほぐして「救い」にいたるのか、まったく分からないような状態だったと言えるのではないでしょうか。

それが、将也がやってきて、それぞれが将也と関わったことで、なぜか全部解きほぐされて、全部解決してしまったわけです。

そしてそのプロセスで「罰」を背負い、贖罪に命を尽くしたのはほとんど将也だけでした
逆に将也はその過程で、結絃にも(バカッター事件等)西宮母にも(ビンタ攻撃)いろいろひどい目に合わされていますが、怒ることも非難することもやり返すこともなく、ただただ淡々とそれらをすべて受け止めていきます。

そして、「西宮家全員の救い」という「結果」を、たったひとりで出しているわけです。

将也は、確かに他の登場人物と比べても極めてバランス悪く、ひとりでものすごい重さの罪を背負わされ、次々と不幸と苦難に見舞われています。

でもそれは、将也の罪だけが重く設定されているというよりはむしろ、

将也が、将也以外の罪まで引き受けて、そしてそれを贖って、将也以外の人間まで救済しているのだ。

と考えたほうが、よほどすっきりとこの物語を理解できるように思う
のです。
タグ:第01話 第55話
posted by sora at 07:08 | Comment(2) | TrackBack(0) | その他・一般 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする