2014年12月11日

すべては植野のせいだった?

※このエントリは、第58話連載時に書いたものです。そのため、その後の連載の内容と齟齬があったり考察に変化がある場合があることをご了承ください。

これは半分ネタでもあり、またもしかすると禁断のネタ?かもしれませんが(笑)、「聲の形」の物語で起こっているさまざまな事件や悲劇のほとんどは、実は植野が動いていなければ起こっていなかったんじゃないか?という疑惑があります。

以下、順に見ていきたいと思います。

1)植野が佐原と席を交換しなければ…

第1話の席替えで、窓際の席が当たった植野は、将也の近くに行きたくて、佐原と席を交換しました。


第1巻44ページ、第1話。

もしこの交換がなければ、植野はひとり窓際になり、将也の近くには川井・佐原が座っていたことになります。
その場合、硝子は、竹内がどうしても植野を世話係にしたいと考えていたなら植野の隣となり、将也と硝子は離れて座っていたことになります
この場合、「将也が硝子に興味をもってからかい始める」というイベントそのものが起こらなかった可能性があります。

また、もし竹内が硝子を委員長である川井の近くに座らせようと考えていた場合、硝子は将也の近くに座ることになりますが、植野は離れたところに座っており、かつ、硝子の世話を焼きたがっていた佐原が硝子の近くに座ることになります
この場合、硝子と植野の確執は生じず、また、佐原のサポートが得られたであろうため、硝子はクラスになじんで平和に学校生活を遅れた可能性があります。


2)植野が喜多先生の提案をつぶしていなければ…

植野は、自分一人に硝子の世話の負担がかかっているのに評価されないことに不満をいだき、喜多先生の提案した手話勉強会の話をつぶしてしまいます。


第1巻87ページ、第2話。

もしここで植野が反論せず、手話勉強会が始まっていたらどうなっていたでしょうか?
もちろん、手話について否定的なクラスメートもたくさんいたと思いますが、佐原や将也は興味をもって勉強を続けた可能性が高そうですし、クラスのなかに一定の理解者を作ることは可能になったのではないかと思います。


3)植野が佐原をいじめなければ…

第2話で、喜多先生の提案に乗って、佐原が手話を勉強して硝子の世話を引き受けることを申し出ましたが、それによって面目をつぶされたと感じた植野が佐原をいじめ、佐原は不登校になってしまいます。


第1巻92ページ、第2話。

もしこの「植野による佐原いじめ」がなければ、硝子はクラスの中に佐原という理解者を得て、クラスの中に一定の居場所を得ることができ、無事に卒業を迎えられたのではないかと思います。

さらに、当然ですが佐原自身も不登校にはならなかったので、不登校による挫折と再生という、佐原のドラマ自体も起こっていなかったでしょう。


4)植野が島田の将也いじめに乗っていなければ…

植野は、学級裁判後、将也いじめを始めた島田からの誘いを断れず、一緒に将也をいじめ始めます。


第6巻134ページ、第50話。

もし植野がこの島田からの誘いに乗らず、将也いじめに加わっていなければ、植野は島田から「机の落書きが消されている」という情報を得ることはなく、そうなればそれを消している硝子に関心をもつことはなく、硝子いじめを開始して硝子を転校にまで追い込むことはなかったでしょう。


5)植野が硝子いじめを続けていなければ…

植野は、硝子が将也の机の落書きを消しているのを発見して、将也に色目を使っていると判断して硝子いじめをエスカレートさせ、硝子を転校にまで追い込みました。



もし植野がこの硝子いじめをやっていなければ、硝子は何とか水門小に踏みとどまって勉強についていくことができ、転校することなく水門小を卒業できたのではないでしょうか。
そして、もし硝子が後半いじめを受けることなく、無事に水門小を卒業できていれば、将也が中学時代に受けたいじめのきっかけである「硝子をいじめ抜いて転校させた」という噂は生じないことになり、将也は中学時代に孤立しなかった可能性が高くなります。
また、そもそも、植野によって行われていた(後半の)硝子いじめは、植野ではなく将也がやっているものだと、小学校時代の島田らやクラスメートから誤解されていたフシがあります
ですから、植野が硝子いじめを行わなければ、将也がやっていたことは「学級裁判までの間だけ硝子をいじめていたが、学級裁判後はおとなしくしていた」という評価となり、小学校の卒業前から中学時代の将也へのいじめはなくなっていた可能性さえあるわけです。


6)植野が、硝子をいじめて転校に追い込んだのは自分だと島田に告白していたら…

ここからは推測が入りますが、中学に入った島田が、「将也が」硝子を転校に追い込んだという噂を流し徹底的に叩いた一方で、植野との関係が良好なまま続いていることを見ると、島田は植野が行った後半の硝子いじめは将也の仕業であるとずっと誤解を続けていた可能性が高いです。

もし、植野が島田に正直に「硝子を転校に追い込む後半のいじめをやっていたのは自分だった」と早い時期に正直に伝えていれば、島田は将也いじめをやめていた可能性が高いのではないでしょうか。


…こうやって考えてみると、「聲の形」の高校編を成り立たせるための、小中学校時代のほとんどの事件は、実はほぼすべて植野の行動によって生じた結果になっていることに愕然とします。

高校編になって以降も、まあぶっちゃけ植野はトラブルメーカーなわけですが、それでも植野によって状況がかき回された結果として「物語がポジティブな方向に動く」という展開が多々あるのでまだ救いがある印象です。
一方で、小・中学校編では、植野の選択した行動のほとんどすべてが、将也と硝子の運命をネガティブな方に転落させていくものばかりになっていることに驚くほかありません。
もしもこれらの「行動の選択」の中で、たった1つでも植野が本編とは違う行動をとっていたら、「聲の形」高校編は存在すらしていなかったことになります。
そういう意味では、「聲の形」は、内容としては将也と硝子の物語ではありますが、構造としては、植野の行動選択によって作り上げられた、「植野の物語」でもあるのですね。
posted by sora at 07:01| Comment(3) | TrackBack(0) | 第1巻 | 更新情報をチェックする

第57話、永束の「願かけ」発言は出まかせだった?

※このエントリは、第57話連載時に書いたものです。そのため、その後の連載の内容と齟齬があったり考察に変化がある場合があることをご了承ください。

第56話の映画で、永束はなぜかチョビヒゲを生やしたチャップリンのようないでたちで映画に登場し(実際、無声映画でもありますからチャップリンのオマージュなのかもしれません)、そして映画が終わって教室に灯りがついたとき、やはり永束はチョビヒゲを生やしていました。


第57話、1ページ。

あまりに似合っていないこのヒゲ、第57話でさっそく将也がツッコミを入れています。

将也「てか なんだよ そのヒゲ」

それに対して永束は、

永束「願掛けだよ やーしょーが元気になれるようにって」


第57話、8ページ。

と答えています。

この答えからすると、永束のチョビヒゲはつけひげを貼り付けているんじゃなくて、地毛を生やしている、という風に受け取れるのですが、それにしてはちょっとおかしいのです。

第51話で、映画メンバーは水門小にロケに行って映画を撮影しています。
この日が、9月2日の火曜日であることは、まんがの中のカレンダーではっきりしています。

映画のカントクである永束は、当然この日も忙しそうに動き回っているわけですが…


第6巻154ページ、第51話。

ヒゲなどまったく生やしていません

映画のなかで、ヒゲを生やした永束が登場するのは「廃屋のシーン」で、このシーンは恐らく9月9日に撮影されたと推測されます。
そうなると、9月2日以降に永束はヒゲを伸ばし始め、9日に間に合わせてチョビヒゲを完成させ、映画に俳優として登場した(そしてそれを願掛けのためにそのまま剃らずに維持して、この文化祭の日を迎えた)、ということになるわけですが、これだと2つほどおかしな点が出てきます。

まず、

1)さすがに1週間でここまでの立派なチョビヒゲを完成させるは無理。

ということです。1週間でできるのはせいぜい「無精ひげ」的なものであって、映画のなかの永束のような立派なチョビヒゲは、1週間では難しいと思います。

そして次に、もっと致命的な問題として、

2)願掛けのくせに、将也が昏睡中はまったく伸ばさずに、将也が目覚めて元気になってから伸ばしていることになる。

ということです。
もちろん「早く登校できるくらい回復するように」という「願掛け」は不可能ではないでしょうが、それにしても昏睡中にまったくやらない「願掛け」というのはあまりにも不自然です。

となると、やはり答えはこうなるでしょう。

・永束のチョビヒゲは、やはり地毛ではなくつけひげ。
・しかも、別に映画撮影中ずっとそのヒゲをおまじないのようにつけていたという事実もなく、実際にこのヒゲをつけたのは映画に出演したときと今回(上映時)のみ。
・永束が将也に対して答えた「願掛け」というのは、せいぜい、「自分は高校生だからヒゲを伸ばすことは実際にはできないけど、気持ちではヒゲを伸ばして願掛け(をしたかった)」という程度のもので、端的に言えば将也に対していいかっこをするためのハッタリだった。


…。
まあ、永束らしいといえばらしいですが、相変わらずいい顔をするためにハッタリをかましたりウソをついたりする、という根っこのところはあまり変わっていないようです。
ラベル:第57話 第51話
posted by sora at 07:03| Comment(2) | TrackBack(0) | 第7巻 | 更新情報をチェックする

第57話、ネガティブな声を振り切る将也について

※このエントリは、第57話連載時に書いたものです。そのため、その後の連載の内容と齟齬があったり考察に変化がある場合があることをご了承ください。

第57話の最後で、将也は、橋メンバーだけでなく、クラスメートや担任の先生のバッテンを次々と外していきます。

中学のとき、勇気を出して限定盤CDの話題で島田に話しかけたにも関わらず、心ないことばを返されて傷ついて以降、将也は心を閉ざし、人の顔を見ず、人の声を聞かない人間になってしまいました。
それを象徴的に表したのが、周りの人間の顔につけられたバッテンだったわけです。

今回、久しぶりに学校に来た将也は「ぜんぶ見る ぜんぶ聞く」と決意し、勇気をもって橋メンバーと対話し、全員のバッテンをとり、そして文化祭で出会うクラスメートともしっかり向き合い、バッテンを1つずつ取っていくわけです。

そんななか、将也の耳に飛び込んできた声。

「よく 学校 来れるよなぁ」


第57話、15ページ。

これまで将也がずっと恐れていた(であろう)、ネガティブな「声」でした。

でも、将也はここでこのことばをしっかりと受け止めます。
それはちょうど、前半の橋メンバーとの対話の際、小競り合いを始めてしまった川井、植野、佐原とのやりとりを見て、佐原から「変わってなくてごめん」と言われたときの将也の様子に、よく似ています。


第57話、11ページ。

前半のこのやりとりのとき、将也はそれを「変われないこともある」と受け止め、そして一気に残りの橋メンバーのバッテンをすべて外しました。

そして後半、どこからともなく聞こえてきた、このネガティブな声を聞いて、将也は、同じようにこう思ったのでしょう。

俺のことを悪く思う奴もいる。

と。
そしてそれを、当たり前のこととして(これまでは逃げ続けてきましたが)今度こそ受け止めることができたのだ、と思います。

「変われないこともある」ということを自然に受け止められたことで、橋メンバー全員のバッテンをはずすことができたように、「俺のことをネガティブに思う奴もいる」ということを自然に受け止められたことで、将也は、クラスメート全員にバッテンをつけて守らなければならないものがなくなったことになります
だから、ここでバッテンをすべて外すことができたのだ、と思います。

この場面でのクラスメートとのやりとりで、将也を歓迎する声だけでなく、「ネガティブな声」もしっかり将也に届いたことは、とてもよかったですね。
「ネガティブな声」を聞いて、それでも動じなかったからこそ、もう大丈夫、今後多少の逆境に陥ったとしても、バッテンをつけてしまうところには戻らないだろう、と、将也自身も読者も確信できるようになったと思います。

将也は、ようやく過去の呪縛から解放され、自由になった、と言えると思います。
ラベル:第57話
posted by sora at 07:04| Comment(0) | TrackBack(0) | 第7巻 | 更新情報をチェックする

2014年12月12日

第55話、分かりにくいせりふの意味を考える(1)

※このエントリは、第55話連載時に書いたものです。そのため、その後の連載の内容と齟齬があったり考察に変化がある場合があることをご了承ください。

第55話で、さっと読むと具体的になにを指しているのか分かりにくいせりふが2つほどあります。
このエントリでは、それらのせりふを取り上げて、それぞれの登場人物がそのせりふに込めた意味を考えてみたいと思います。

1)私たちは幸運すぎます(西宮母)


第55話、9ページ。

「私たち」といっていますが、ここの主語は「西宮家の全員」だと思います。
そして、「幸運すぎます」の対象は「硝子の命を将也が救ってくれたこと」に加えて、「将也の命が無事だったこと」でしょう

まず、硝子の自殺を将也が救った、ということだけを見ても、西宮家にとっては幸運すぎる食らうの幸運だと思います。

西宮母の視点で改めて振り返ってみると、直前の花火大会まで朗らかに生きていた硝子が、突然自殺を決行してしまったわけですから、それだけで大変なショックだったでしょう。
もし「たまたま」将也が絶妙のタイミングで部屋に乗り込んでくれていなければ、硝子はもうこの世にはいませんでした。硝子は自殺を現に「決行」してしまっており、すでに飛び降りてしまった硝子を将也が空中でつかんでいるわけですから(そこもそこで「ものすごい幸運」です)、将也があの場にいなければ、確実に硝子は転落して命を落としていました。

西宮母は、硝子の自殺の兆候を見抜くことができませんでした。
恐らく、今回の自殺だけでなく、硝子が幼いころからそういう気持ちを心に秘めていたことも、西宮母は気づけていなかったのではないかと思います。

そのことについては、西宮母はその事実を、初めて結絃から聞かされたのではないかと予想します。
第45話で、結絃は「硝子の自殺を防ごうとして」ずっと撮影し続けていた死体の写真をすべてはがしました。
その写真はがしのとき、西宮母とのやりとりがあったことがまんがの中でも描かれています。


第6巻50ページ、第45話。

そこではごく簡単な会話だけしか描かれていませんが、実際には、この場面、さらにはそれ以降も含めて、なぜ死体写真を撮っていたのか、結絃は西宮母にしっかり伝えたのではないかと思います。

その話を聞いて、西宮母には2つの思いが生じたのではないでしょうか。

1つは、自分がいかに硝子のことを理解していなかったのかということに対する後悔です。

硝子がそれほどまでに人生に絶望していたことを、幼い結絃ですら気づいていたのに、自分は気づかなかった。
そして、硝子はそういった率直な気持ちについて、結絃には伝えて自分には伝えなかった。

西宮母は、辛うじて命をつないだ硝子に対して、これからはちゃんと「こえ」を聞こう、話をしよう、と決意したのだと思います。
(今回、将也宅で食事中に手話が飛び交うのを西宮母が特に止めなかったのも、そのことと関係があるかもしれません。)

もう1つは、そんな風に「硝子の絶望」を知っていた結絃でさえ、今回の硝子の自殺を察して止めることができなかった、ということへの悲しみです。

つまり、西宮母は「硝子の絶望、自殺念慮に気づいて、硝子の今回の自殺を阻止する」というところから最も遠いところにいて、将也がいなければ絶対にそれを止めることができなかったわけですが、そのあたりについて多少は分かっていた結絃でさえ、今回は手を打つことができなかった、ということです。

そう考えると、将也が「その場」にいあわせた偶然と、自らの命も顧みず硝子を助けた将也の勇気ある行動があったおかげで硝子の命は救われ、それらがなければ西宮家の家族は硝子を失っていたことになります。
このことを「幸運すぎる」と呼ぶのはとても自然なことです。

そしてもう1つの「幸運」は、硝子救出の結果、転落してしまった将也の命が無事だった、ということでしょう。
硝子は助かりましたが、もしも代わりに将也が命を落としたり、深刻な障害が残ったりしていたなら、硝子と西宮家は将也を傷つけた「罪」を一生背負い続けなければならなかったでしょう。
将也はマンションの相当高いところから転落して、大ケガをして2週間も昏睡していましたが、幸い無事に目覚め、大きな障害も残さず復帰しました。
これもまた、西宮家にとって、非常に大きな幸運であったことは間違いありません。

端的に言えば、2人の命が失われる可能性があったにもかかわらず、結果的にはどちらの命も助かったこと。
このことをもって、西宮母は「私たちは幸運すぎます」と言ったのだ
と思います。
ラベル:第55話 第45話
posted by sora at 07:12| Comment(2) | TrackBack(0) | 第7巻 | 更新情報をチェックする

第55話、分かりにくいせりふの意味を考える(2)

※このエントリは、第55話連載時に書いたものです。そのため、その後の連載の内容と齟齬があったり考察に変化がある場合があることをご了承ください。

第55話に登場する、やや分かりにくいせりふの意味を考察しています。

2)そうか… そーだったのか… 知らないこと あるもんなんだなあ



これは、硝子が転校直前にヘアメイクイシダで髪を切っていた、という話を聞いて、将也が思わずつぶやいたせりふです。
これ、ちょっと読むと、硝子がヘアメイクイシダにカットをしにきた日(将也が度胸試しで川に飛び込んでいる間に靴を盗まれた日と同じです)のことを将也が覚えていて、


第1巻27ページ、第1話。

ああ、あの日にお客として来ていた、あの女の子が西宮だったのか それは気づかなかったなあ。

という意味で話しているように見えます。

…が、よくよく読んでみると、このせりふはそういう意味ではないことが分かります。

このせりふの直前、将也は「あの おかっぱな感じの…! へー」と言っています。
そして、上記のせりふが書かれたコマで、硝子は後姿でボブカット(おかっぱ(笑))になっています。

ここまで見ていくと、ある「矛盾」があることに気づきます。

「あの日」、将也が硝子を店の待合室で見たとき、硝子はまだ髪を切る前のセミロングでした
そして、その後の騒動(第1巻番外編)を将也は見ていないので、将也は「あの日」にはボブカットになる前の硝子しか見ていないのです。
さらにいうと、将也が硝子を見かけたとき、硝子は後姿ではなく前向きで雑誌を読んでいました。

つまり、ここで「ボブカットで後姿の硝子」を思い出しているということは、将也が思い出しているのは「あの日」の硝子ではなく、「転校してきたころ」の硝子だ、ということになるわけです。
そして、ここで思い出している映像は、自分の前の席に座っていた硝子を後ろから眺めたものということになるのでしょう。
ちょうど一番最近で言えば、第53話で将也の夢の中に出てきた「障害がなく普通に話せる硝子」の後ろ姿が、まさにこのページの硝子とまったく同じです。


第53話、1ページ。

というわけで、このせりふで将也が言っているのは、

転校してきたとき、硝子はボブカット(おかっぱな感じ(笑))だったけど、あの髪はうちで切ってたのか、それは知らなかったなあ。

という意味になるのだと思います。

つまり、さすがの将也も、まさか硝子が実際にカットしにきた日にも本人と会っていたということまでは思い出していない、ということになるわけですね。
もしそのことを思い出したら、(憧れだった理容師が実は将也の母だったと知って驚愕した硝子と同じく)将也もまたあまりの運命のいたずらに驚くことになるのかもしれません。
posted by sora at 07:13| Comment(0) | TrackBack(0) | 第7巻 | 更新情報をチェックする

第55話、分かりにくいせりふの意味を考える(3)

※このエントリは、第55話連載時に書いたものです。そのため、その後の連載の内容と齟齬があったり考察に変化がある場合があることをご了承ください。

第55話に登場する、やや分かりにくいせりふの意味を考察しています。

3)この髪 ねーちゃんが切ってくれてるの 知ってた?(結絃)


第55話、16ページ。

このせりふ、表面的な意味は言っている通りですから全然難しくありません。
でも、それに対して将也が「そうなんだ っへ~……」と感心するような普通のせりふを返したら、結絃はジト目(期待したリアクションが得られなくてずっこけた気持ちを表現)をしていますから、そういうリアクションを期待していたわけではない、ということが分かります。


第55話、17ページ。

ここは結絃は、将也から、

「えっ、西宮って髪切れるの?なんで?」

みたいなリアクションを期待していた
に違いありません。
そして結絃はその流れで、

・硝子がいま理容科に在学している(だからカットができる)こと。
・小5のときに出会った石田母が理容師を目指すきっかけだったこと。


を語りたかったんだと思います。

「そろそろチューくらいはしてもいいんだぞ」とまで言っていた結絃ですから、勢いで「うちのねーちゃんをこの店の跡継ぎにしてもいいんだぞ」くらいは言おうとしていたのかもしれません。

でも、そういう大事なときに限って必ずボケをかます将也…(笑)


4)次は俺もああやって(将也)


第55話、18ページ。

このせりふ、将也は酒を飲んで盛り上がっている石田・西宮両家の母親を見て言っています。
となると、「ああやって」というのは、ストレートに読むと「酒を飲んで盛り上がる」ということになってしまいますが、将也は(もちろん硝子も)まだ高校生ですので、酒を飲んで、の部分は修正して、「食べたり飲んだりして」盛り上がる、という風に解釈するのが適切だと思います。

そして「ああやって」、その結果としてどうするのか、というところですが、席を外す前はまだまだよそよそしくて、しかも少し険悪な雰囲気まで漂っていた石田母・西宮母が、戻ってきたときには(酒のおかげで)すっかり意気投合して親密になっていたわけですから、ここで将也がイメージしているのは、「自分と硝子も、同じように意気投合してもっと親密になりたい」ということだと思います。

そう考えると、この将也のせりふは、こんな風に読み取れるのではないでしょうか。

「次の機会には、俺も硝子と、食べたり飲んだりして楽しく盛り上がって、いま以上に意気投合して親密になりたい」

確かに、みんながコンビニに出向く前の食卓は、暗くてどんよりとした雰囲気でしたから、まあシンプルにいって「また硝子と家で食事をする機会があったら、今度はこんな風にわいわいと盛り上がりながら食べたいな」くらいの気持ちだったのかもしれませんね。
ラベル:第55話
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第54話、硝子が魅力的に見える理由とは?

※このエントリは、第54話連載時に書いたものです。そのため、その後の連載の内容と齟齬があったり考察に変化がある場合があることをご了承ください。

第54話で、硝子は悲しみ、否定し、泣き、そして最後に最高の笑顔を見せます。


第54話、16ページ。

そして、その表情をみるとき、とても重要なことに気づいて、感慨深い気持ちになります。

ああ、そうか。
硝子は、ようやく感情を素直に表すことができるようになったんだ。
ポジティブな感情も、ネガティブな感情も。
だから、今回みせた硝子の最高の笑顔を、何の曇りもなく100%信じる事ができるんだ、と。


硝子は、将也の身代わり転落のあと、家族のコミュニケーションの断絶をひとしきり泣いた後、何かを決心して「外の世界」に出て行きます(第45話)。


第6巻56ページ、第45話。

「外の世界」に出ていってやろうとしたことは「待っているのではなく、自分で動いて壊れたものを取り戻す」こと。それが結果的に「映画撮影の再開」につながっていきました。

ところで、どうやらこのとき、硝子は「作り笑い」をやめたように見えます
その一方で、将也を傷つけた罪の意識からか、硝子は作り笑いではない、素直な「笑い」、喜びの感情も失ってしまったように見えました。
その結果として、各自視点回の硝子は、無表情のままひたすら映画再開のための勧誘だけを繰り返す「映画勧誘ロボット」というか、植野のことばを借りれば「ユーレイかと思う」ような姿に変貌していました。


第6巻142ページ、第50話。

真柴回で石田母と会ったとき、わずかに表情を見せましたが、その出会いも「対話拒否」という形でつぶされ、硝子は改めて「過ち」の重さを感じたと思います。

そんな硝子の「感情」が堰を超えてあふれ出したのが、映画が再会され、水門小のロケを終えた日、9月2日の深夜だったようです。
将也の「死」を予感した硝子は、いてもたってもいられず、深夜の街を走り「橋」にたどりつき、そこで、感情を爆発させて号泣しました。


第6巻180ページ、第52話。

その「こえ」に反応するかのように目覚め、「橋」に現れる将也。
その将也の前で、初めて硝子は、うれしさも悲しさもつらさも苦しさも、すべての感情を隠すことなく、将也の前にさらけ出したのだ、と言えると思います。

考えてみれば、硝子はまだ幼い小学校の頃から、結絃の前で、そしてクラスメートの前で、「作り笑い」をすることで辛い体験を乗り越えるという「適応」を行なってきました。
そんな「小学生硝子」の素直な「ネガティブ感情」を、たった一度だけ引き出したのも、よく考えれば将也でした(取っ組み合いのケンカ)

その後、高校生になって再会してからは、実は硝子はその将也の前でも「作り笑い」を続けていました
その感情の押し隠しがピークに達したのが橋崩壊事件後で、最後は笑顔のまま花火大会で別れ、自殺を決行するところにまで至ってしまったわけです。

そんな硝子が、ようやく硝子の前で、すべての感情を表に出せるようになりました。
だから、途中の涙に私たちも(将也も)心を打たれ、そして最後に見せた「心からの笑顔」に救われるのだ、と思います。
そして、その「笑顔」は「本物」なので、花火大会のときとは違って、将也も「信じる」ことができるわけです。

第54話の硝子が魅力的に見える理由。
それは、硝子が18年かけてようやく、「すべての感情をありのままに表出できる相手」を見つけたところにあるのだ、と思います。
posted by sora at 07:17| Comment(0) | TrackBack(0) | 第7巻 | 更新情報をチェックする

2014年12月13日

硝子と将也、ふたりの「告白」を比較してみる

※このエントリは、第54話連載時に書いたものです。そのため、その後の連載の内容と齟齬があったり考察に変化がある場合があることをご了承ください。

第54話の将也の「君に 生きるのを手伝ってほしい」というのは、将也から硝子への事実上の「告白」だったと言っていいと思います。


第54話、15ページ。

そして、聲の形で「告白」といえば、なんと言っても第23話の硝子からの告白を思い出します。


第3巻178~179ページ、第23話。

第23話の硝子の「告白」と第54話の将也の「告白」、比べてみるといろいろと興味深いことが見えてきます。

1)前回は硝子から、今回は将也から。

2)前回は伝わらなかった。今回は伝わった。

3)前回は6月3日、今回は9月3日

4)前回は満月の夕刻、今回は月のない闇夜。

5)前回は口話で、今回は手話で。

6)前回は過去と向き合っていなかった。今回は過去としっかり向き合えた。

7)前回はダイレクトな感情表現、今回は間接的だけれどむしろずっと深い親愛の情の表現。

8)告白の前後で登場したサブキャラは、前回が佐原・結絃、今回が石田母・西宮母・結絃。どちらにも登場しているのは結絃のみ。

9)前回・今回、どちらにも「鯉」が近くにいる

10)前回は「橋」に将也が行ったら硝子がいなかった、今回は「橋」に将也が行ったら硝子がいた


このなかでも、比べてみて初めて気づいたのが、3)の日付の件です。
2回の「告白」、どちらも「3日」に行われていて、ちょうど3か月違いになっていたんですね。(その3か月の間に実にいろいろなことがありましたが…。)

第23話での硝子の告白は、最初に読んだときはこの作品の雰囲気を一気にラブコメ一色にする、非常に甘酸っぱいシーンに感じられましたが(恐らく多くの読者にとってもそうだったのではないでしょうか)、それにしては将也が「小学生将也」を殺しているシーンが「告白」直前に差し込まれていたりと微妙に不穏な演出が混ぜ込まれていました。


第3巻176ページ、第23話。

その「不穏さ」は第5巻の後半で一気に露呈し、あの「告白」が実は「通じ合わない『こえ』」の象徴として残酷に描かれていたことに気づかされたわけです。

そして、最初の「告白」から3か月、それぞれ死の淵から這い上がってきたふたりは、今度こそお互いの「こえ」を通わせることができました。
現状を見るなら、あのとき硝子の告白が将也に届かなくてむしろ良かった、とも思えますし、逆説的に言えば、あのとき硝子の告白が届かなかったのは「必然」だった、とも言えるのかもしれません

そして、今回、第54話の「告白」は、結果的にダイレクトなものにはなりませんでした(みんなが探しにくるのがもう少し遅ければ、もしかしたらという感じでした)が、もう「気持ち」は十分すぎるほど伝わっているので、もう再度の告白イベントは発生しないかもしれません。

でも一方で、第4巻の番外編で硝子は「練習」してますし、この練習の成果を活かすために、将也も「ちなみに 俺はさ」の続きを言って、お互いに告白し合うという展開の可能性もまだ残っていますね。
ラベル:第54話 第23話
posted by sora at 07:39| Comment(4) | TrackBack(0) | 第7巻 | 更新情報をチェックする

第53話の超難問、「夢」の終わりをどう読み解くか?(1)

※このエントリは、第53話連載時に書いたものです。そのため、その後の連載の内容と齟齬があったり考察に変化がある場合があることをご了承ください。

第53話前半の夢は硝子が第51話で見た夢とのシンクロニティが描かれており、単純にロジカルに読むよりも、オカルト的に盛り込まれた「意味」まで読み解いていくことが不可欠になっていると思われますが、そのなかでも屈指の難解な場面が、3ページ目の「夢」の終わり部分だと思います。

ここは、次のようなコマ運びになっています。

1)「そして幸せな気分で眠りにつく」のモノローグと、全裸でベッドに横になる将也。
2)「その時 誰かに手を引っ張られ ハッとした」のモノローグと、水中のような背景、左手を誰かにつかまれる描写。
3)「本当の俺たちは ドコへ行くんだろう」のモノローグと、教室に座る冬服姿の将也を窓の外から俯瞰した描写。
4)「本当のみんなは」のモノローグと、真っ黒な背景、硝子を含む高校編の全登場人物が去っていく後ろ姿の描写。
5)4)の登場人物が小さくなり、真っ黒な背景が画面全体を覆っていく。
6)真っ黒な背景に白抜き文字で「死ぬんだろうか」


全体としては、「将也はこの瞬間、生きるか死ぬかの瀬戸際にあった」ということが描かれていることは間違いないでしょうが、「それ以上」を読み解くのが至難の業です。

まず、それぞれのコマに潜んでいる「謎」を順に整理していくところから始めたいと思います。

1)のコマ


第53話、3ページ。

1a)横になっている将也は小学生?高校生?

このコマの前の2ページのラストでは、「中学でも 高校でも」というモノローグがあり、それぞれのコマの将也は、小学生の格好のままで成長した「中学生の将也」「高校生の将也」に見えないこともありません。
だとすると、1)のコマで横になっている将也は「高校生の将也」ということになります。
実際、第1巻で描かれていた小学生将也より、このコマの将也のほうが歳をとっているようにも見えますが、どうでしょうか…?

ただ、第51話の硝子の夢とシンクロさせるなら、この将也は「小学生」ととったほうがシンクロ率が高まります。(その場合、その前の2ページのラスト2コマでも、将也は小学生のままということになります)

この「謎」については、私は、

このコマの将也は小学生である可能性が高い。

と考えます。

大今先生が、小学生将也と高校生将也をどう描き分けているかをいろいろ比較して考えてみたのですが、どうも「顔の縦方向の長さ」が最も大きな描き分けファクターであるように思われます。
これは、佐原回での硝子の描きわけでも示されましたが、小学生将也の顔が、概ね縦と横が同じ比率に描かれているのに対して、高校生将也では明らかに「縦長」に描かれています。

そういう基準で1)のコマを見てみると、このコマの将也の顔のタテヨコ比率は1:1にかなり近く、この比率で描かれているこのコマの将也は「小学生」である可能性が高い、という結論に至りました。
そうなると、2ページのラスト2コマも、小学生のままの将也が描かれている、ということになります。


1b)なぜこんなに痩せているの?

1)のコマの将也のもう1つの謎は、身体が異様に痩せ細っていることです。
第1巻に登場した小学生時代の将也は中肉中背で、この1)のコマのようなやせぎすではありません。

だとすると、このコマの将也は、

病室のベッドで横たわり、やせ細った将也が見ている「小学生の頃の夢」であるために、顔は小学生に戻っているけれども身体は現状のやせ細った状態になっている。

と読み取るほかないでしょう。
そして、夢のなかの小学生将也がやせ細っているのは、楽しい夢を見ているのだけれども、実際には衰弱して生命の危機が近づいてきている、ということを将也自身が暗に察していて、夢の中でその部分(体格)だけが「現状」を反映してしまったんだ、ということになると思います。


1c)なぜ全裸で寝ていて、ベッドの上にタオルみたいなのがあるのか?

これを考えることは、結果的に1a)の推理を補強することになります。
このシーンで描かれているベッドとゼブラ模様の枕ですが、これは第1巻を見ると分かるとおり、小学生の将也が使っていたものです。


第1巻18ページ、第1話。

そして、自殺を決意したときに全部売り払っており、それ以降は真っ白な布団に寝ています。
つまり、この1)のシーンの将也はやはり小学生で、恐らく、前のページで立っていた橋から川に飛び込んでシャワーを浴びて、タオルで身体を拭いた後そのままベッドに入っている、そういう「設定」なんだろうと思います。

つまり、1)のコマは全体として、仲間と橋から川に飛び込んで盛り上がっていた、小学生の頃の楽しい思い出をさらに「美化」して、耳の聞こえる硝子とも仲間だった、そんな「小学生の頃の夢」のラストを表現しているのだ、と「読み解く」のがもっとも妥当であるように思われます。
ラベル:第01話 第53話
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第53話の超難問、「夢」の終わりをどう読み解くか?(2)

※このエントリは、第53話連載時に書いたものです。そのため、その後の連載の内容と齟齬があったり考察に変化がある場合があることをご了承ください。

さて、第53話の3ページだけを徹底して読み解く連続エントリの2つめ、ここでは2コマ目を読み解きます。

2)「その時 誰かに手を引っ張られ ハッとした」のモノローグと、水中のような背景、左手を誰かにつかまれる描写。


第53話、3ページ。

2a)このシーンはいつのシーンで、
2b)このシーンの場所はどこで、
2c)手を引っ張っているのは誰なのか?


この3つはすべて連動しているので、まとめて考えないわけにはいきません。

そしてその前に、

2d)このコマが意味しているものは何か?

ということも考える必要があります。

まず2d)からいきますが、このシーンは、1つまえの1)のコマで「幸せな気分で眠りにつく」の「眠りにつく」の意味が「息を引き取る」の意味であって、そのまま「眠って」しまったら「死んでしまう」という状況を示しているのだと思います。

だから、誰かに手を引っ張られハッとした、というのは、そのまま放っておくと死んでしまったところを、誰かに手を引っ張られたことで「目が覚めた」=「生還した」ということを意味しているのに、間違いありません。

ですから、ここでの「誰かが手を引っ張った」という描写は、「死にかけていた将也を誰かが『手を引っ張る』ことで生還させた」という「意味」にならなければならない、ということになります。

そう考えたとき、この「手を引っ張る」シーンの答え、2a)~2c)の組み合わせは、以下の3つくらいが思い当たることになります。

ア)このシーンは将也のマンション転落時の川で、手を引っ張ったのは、そのとき将也を救出した島田。

イ)このシーンは第51話の「夢枕」で将也が登場した4月15日の「橋」。手を引っ張った、行かないでと懇願した硝子。

ウ)このシーンは第52話で硝子が駆けつけ、涙を落とした「橋」の下の川の中。手を引っ張ったのは、硝子の涙を見届けた「鯉」。


このうち、イ)は相当苦しいです。
まず、将也の腕が「裸」で、イ)のシーンならあるはずの冬服の袖が映っていませんし、このシーンなら「視点」は水中ではなく橋の上のはずです。
また、このシーンで硝子が引っ張っているのは「袖」であり、さらに「両手でつかんでいる」ので、このコマに描かれているようなイメージで腕をつかまれているのとはかなり状況が異なります。


第6巻164ページ、第51話。

ということで、イ)は(いったん)脱落です。

残るア)とウ)ですが、素直に考えると、ア)が出てくるでしょう。
このシーン、「視点」が水中ですし、花火大会のときの将也は半そでなので腕に「袖」が見えないのも合っていますし、「水中から引っ張られることで命拾いする」というシチュエーションとして実際にあったのはア)なわけですから、一見、ア)が正解なように見えます。

でも、ア)はア)で苦しいのです。
その最大の問題点は、時系列が壊れてしまうところにあります。

将也が島田から助けられたのは、当然ですが西宮宅のマンションから転落した直後です。
一方、将也がこの「手を引っ張られてハッとした」という「夢」を見ているのは、将也が昏睡から目覚める直前です。
そして、少なくとも最低限の時系列として、「手を引っ張られた」のは、その直前のコマの「幸せな気分で眠りにつく」の「後」であることは絶対に確実ですが、この「幸せな気分で眠りにつく」の「夢」は、硝子の第51話の「夢」との間にシンクロニティが生じていますから、やはり9月2日の夜でなければおかしいわけで、この「手を引っ張られた」夢を見たのは、やはり9月2日の深夜だとしか考えられません

そうなると、仮にア)だとすると、転落直後に誰か(実際には島田)に水中から引き上げられたイメージが記憶に残っていて、今回9月2日夜に、また死にそうになったところでたまたま(何もないところで)また同じイメージ(水中から引き上げられる)がわいて気がついて助かった、ということになります。

どうも、この場面で島田を思い出す必然性がまったくないのです。
なぜなら、この(ハッと気がついた)瞬間、将也を助けようと必死な気持ちでいたのは硝子であって、島田は関係ないからです。
どうせなら、夢枕で会った硝子に袖を引っ張られて気がつく、という、イ)の展開にもっていたほうが演出的にマシな気がします。

ここで、がぜん有力になるのがウ)の仮説です
もともと、第52話のラストの演出も、硝子の涙が橋の下の水面に落ち、その川のなかにいた鯉にその涙が「受け止められた」次の瞬間、将也が目覚めた、という流れでした。


第6巻181ページ、第52話。

ですから、2)のコマで起こったことは、1)のコマのあと、「死の眠り」についてしまいそうになった将也の夢に、川で「硝子の祈り」を受け止めた「鯉」が入り込んで、将也の腕をつかんで死の縁から引き上げて生還させた、という風に解釈する3)の読み解きが可能だと思われるのです。

考えてみると、そもそもマンションから転落したときも、将也の回りには鯉が泳いでいて、その「鯉」が島田らをして将也を助けさせたと考えることもできるので、そういう意味ではア)とウ)は意外と近いところにあるのかもしれません。
さらに、ここで将也の手が引っ張られたのは、硝子の「橋での想い」が通じたからなので、そういう意味では「気持ちとしては」イ)でもある、ということになります。

まあ、何でも鯉のせいにするというのもアレですが、ここは、

・「引っ張る」原動力は、イ)の「硝子の願い」であり、
・「引っ張る」という現象そのものは、将也の意識の深いところに残されたア)の「島田による転落時の引き上げ」の記憶が夢に現れたもので、
・それらをまとめあげて「奇跡」を起こしたのは、ウ)の「鯉」だった


という風に理解したいと、私は思っています。
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2014年12月14日

第53話の超難問、「夢」の終わりをどう読み解くか?(3)

※このエントリは、第53話連載時に書いたものです。そのため、その後の連載の内容と齟齬があったり考察に変化がある場合があることをご了承ください。

さて、超難解な第53話の3ページ目の読み解きの続きです。今度は3コマめ、4コマめです。

3)「本当の俺たちは ドコへ行くんだろう」のモノローグと、教室に座る冬服姿の将也を窓の外から俯瞰した描写。
4)「本当のみんなは」のモノローグと、真っ黒な背景、硝子を含む高校編の全登場人物が去っていく後ろ姿の描写。



第53話、3ページ。

それぞれのコマについて、まずは、

3a)これはいつの映像なのか?
4a)これはいつの映像なのか?


が考えなければならないポイントでしょう。

この3)の映像ですが、冬服です
これは、このあとの4)のコマで、みんなが着ているのが夏服であるのと対照的で、3)のコマと4)のコマの間で時間が経過していることに気づきます。

そこで改めて3)ですが、将也がこれまで冬服で自席に座っている場面は、

ア)1巻の見開きで描かれた、クラス全員の顔に×印がつけられた印象的なページ。(第5話)
イ)2巻で永束と友達になった初日、永束が将也を映画に誘うシーン。(第9話)
ウ)2巻で、バカッターへの投稿が晒され、停学になってしまう日の朝。(第10話)


この3場面しかありません。ウ)の次の登校日、停学明けには既に夏服になっています。
また、ウ)では永束はタヌキ寝入りをしていて、将也は自転車から転倒してボロボロですから、ちょっとこの3)のイメージと合いません。
一方、ア)のオリジナルの場面では、クラス全員に×印がついていることから、ア)ではない、と考えられそうですが、将也は第43話で転落前に「クラスメイトとしっかり向き合う」と誓っていることから、いまア)と同じシーンを夢に見た場合、×印は消えていると考えられるので、×がないことを根拠にア)の可能性を消すことはできません。

ということで、この場面はア)もしくはイ)あたりの時期を描いていると考えられますが、時期ははっきり特定できません。
そもそも、3)では全員の机の上に何も乗っておらずきれいですが、ア)でもイ)でも各自の机の上には筆箱などが必ず置いてあるので、厳密にはこの3)の場面はア)でもイ)でもありません。

というわけで、3)についてはここまでで一旦保留しておいて、先に4)を片付けようと思います。

4)は3)とは一転して、高校になってから再会したすべてのメンバーが勢ぞろいです。
はっきり見えない人もいますが、右から順に、

島田・広瀬・永束・川井・石田母・硝子・西宮母・植野・真柴・佐原・結絃

は確認できます。(石田母と西宮母は硝子と重なる位置で前のほうに、結絃はモノローグの下にいますね。)

ちなみに、この映像の雰囲気は、第5巻の第37話で、真柴の発言に疑心暗鬼になって、みんなが将也の過去のいじめを知って去っていくシーンによく似ています。


第5巻102ページ、第37話。

違うのは、「去っていくメンバー」に、硝子や結絃、石田母や西宮母まで加わっていることです。
「全員が去っていく」ように見えるシーンというのは、実際には「自分が去っていく」シーンの裏返しでもあります

私には、この4)のシーンは、第37話で心配していた崩壊が、第38話から第39話の橋崩壊事件までで「現実のもの」となり、さらに第40話から第42話に至っての「硝子の自殺」によって硝子や西宮家のみんなも去り、さらに第43話で自分が転落してしまったことによって、家族を含むすべての「みんな」が去る(=実際には自分が死んで消えてしまう)、という展開を1枚のコマで示しているシーンだと思われます。

つまり言い換えると、この4)のシーンは、硝子と再会後にいろいろ頑張ったことが、結局最後にはすべて「上手くいかず」失敗してしまった、という将也の思いを描いているのではないだろうか、と思うのです。

これは、2ページのモノローグで、「夢の中の俺は なぜかこのまま 何もかも上手くいくと思ってた 中学でも 高校でも」と言っていることともうまく対応します。

「夢の中では何もかも上手くいくと思ってた」けれども、「本当のみんな」とは「上手くいかなかった」、ということです。

そう考えると、3)のコマが何を意味しているかも、おぼろげながら見えてくるように思います。
つまり、3)のコマは、硝子と再会してから始まる、激動の時期の「直前」の将也を描いているのだ、と考えられるのです。

つまり、前のページで、「夢の中」(実際には夢中夢ですが)の小学生将也は、中学でも高校でも何もかもうまくいくと思っていたけれども、

3)中学から高校3年(硝子と会う前)は孤立してまったく上手くいかなかった。
4)硝子と会ってから、いろんなことがあって頑張ったけれども、やはり結局上手くいかなかった。


ということで、上手くいくと思っていた「夢」に対して、上手くいかなかった「現実」を提示しているのが、3)と4)のコマだ、という整理がつけられるんじゃないか、と思います。

あと、残っている疑問としては、

3b)「俺たち」の「たち」って誰のことだろう?
4b)「みんな」って誰のことだろう?


3c)「本当の俺たち」の「本当の」ってどういう意味だろう?
4c)「本当のみんな」の「本当の」ってどういう意味だろう?


4d)「本当のみんなは」の文章はこのあとどう続くのか?

というのがあるでしょう。

このうち、3c)、4c)の「本当の」が、前のページの「夢では」に対応しているのは明らかで、どちらも「夢とは違う現実の」と言い換えて理解すればそれでいいように思います。

次に4b)については、「将也本人以外の、将也の周囲にいる全員。別の言い方をすれば、4)のコマに映っている人たち」で問題ないでしょう。

やや難しいのが3b)の「俺たち」ですが、これは4b)と対応関係があることと、3)が中学~高校(硝子に会うまで)、4)が高校(硝子に再会後)という関係があることをふまえると、「小学校のときに仲間だった『俺たち』」という意味にとらえればいいのかな、と思います。

将也が「俺たち」という仲間意識を持てた時代は、恐らく小学校時代にしかありません。
ですから、3b)の「俺たち」というのは「既に失われてしまった小学校時代の仲間たちと俺」、4b)の「みんな」というのは「自分以外の、いま現にそこにいるみんな」という風に理解するのが、いちばん妥当であるように思われます。

最後に4d)ですが、3)のコマの「ドコへ行くんだろう」が省略されているのか、6)の「死ぬんだろうか」に続いているのかの2択でしょう。

ここは、常識的に考えて、「ドコへ行くんだろう」が省略されているとしか考えられません。
「みんな」を全員「死ぬんだろうか」といきなり考えるというのは唐突すぎますし、意味がわからなくなってしまうので。
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第53話の超難問、「夢」の終わりをどう読み解くか?(4)

※このエントリは、第53話連載時に書いたものです。そのため、その後の連載の内容と齟齬があったり考察に変化がある場合があることをご了承ください。

さて、第53話の難解な「3ページめ」の読み解き、このエントリが最後になります。
残るは5)と6)、

5)4)の登場人物が小さくなり、真っ黒な背景が画面全体を覆っていく。
6)真っ黒な背景に白抜き文字で「死ぬんだろうか」



第53話、3ページ。

ですが、ここまで読み解きを進めてきた後では、割と簡単に思われます。

5a)この5)のコマはどういう意味か。
6a)この6)のコマはどういう意味か。


5)は、4)の続きであると同時に、6)に続く橋渡しをしています。
つまり、3)と4)から、「現実の俺は、中学でも高校でも、そして硝子と出会ってからも、結局いつも上手くいかなかった」という思いから、

5)だんだん気力が薄れ気味になり、イメージが薄くなり、
6)「死の闇」がどんどん大きくなっていって、真っ暗になったときに、「俺は死ぬんだろうか」とふと思った。


そういうシーンである、と素直に読み解くのがいいんじゃないか、そう思われます。

ちなみに、6)については、主語が「自分(将也)」なのか「本当のみんな(4のコマ)」なのか、という問題がありますが、すでに4)で考察のとおり、ここは主語が切り替わって、「自分が」このまま死んでしまうんだろうか、という意味でとるのが適切だろうと思います。


さて、これで1)から6)まで、すべてのコマの読み解きが完了しましたが、全体をまとめる前に、この場面が「夢」という点において、とても複雑な多層構造になっていることを指摘しておきたいと思います。

まず、第53話1ページから続く小学生将也の場面について、モノローグを語っている将也は「夢を見た」と言っているので、「モノローグ将也」に対して「小学生将也」は「夢の中の存在」です

そして、「モノローグ将也」は、実は目覚めているわけではなく、昏睡している将也の夢の中で語っているわけですから、「リアル世界」に対して「モノローグ将也」は「夢の中の存在」です

さらに、3ページの冒頭、1)のコマで、「小学生将也」は「眠りについて」いて、どうやら2)の「手を引っ張られる」シーンは、その「眠りについた」夢の中の場面であるように見えます。
つまり、「小学生将也」に対して、「手を引っ張られた将也」はさらに「夢の中の存在」です

そして、「手を引っ張られた将也」は、そのまま手を引っ張られなければ、どうやら死んでいたようです。

つまり、将也が手を引っ張られた『夢のレイヤー』は、死の世界につながるレイヤーだった、ということになるわけです。

つまり、こういうことになります。

[リアル世界]→夢→[モノローグ将也]→夢→[小学生将也]→夢→[手を引っ張られた将也]=[黄泉の世界]


以上をふまえて、第53話3ページの読み解きを改めて整理しておくと、

1)「夢中夢」の小学生将也がさらに「眠りにつく」。

2)するとそこはすでに黄泉の世界。死の寸前までいった将也だったが、硝子の願いのこもった涙を受け取った鯉がそこに現れ、将也を引き戻す。

3)引き戻された将也は、「何もかも上手くいくと思っていた小学生将也」が「夢」であったことに気づき、実際には硝子と会うまで、孤立の続くひどい人生だったことを思い出す。

4)さらに硝子と会ってからも、いろいろあったけれども結局上手くいかなかったと回想する。

5)そんなことを思い出していたら少し気力が萎えてしまい、だんだん意識が黒く塗りつぶされてきた。

6)すっかり意識が黒く塗りつぶされた暗黒の世界に(また黄泉の世界に近づいている)。将也はふと「自分は死ぬんだろうか」と弱音を吐く。


こういった感じになるのではないか、と思います。

これが正解、というわけではありませんが、ばらばらの場面が集まっただけにも見える、非常に難解な第53話の「第3ページ」の読み方の1つのヒントになればと思います。
ラベル:第53話
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