2014年12月01日

将也だけが罰を受けすぎ? あるいは将也=キリスト仮説(5)

でも、そんな西宮母と西宮家の運命に、小さな、でも決定的な転機が訪れたのは、硝子を水門小の「普通クラス」に転校させるという西宮母の選択の結果、硝子が将也と出会った瞬間でした


第1巻54-55ページ、第1話。

この「水門小普通クラスへの転校」という選択自体は、他の選択と同じく、障害を否定しようとする西宮母の強引な意思によるものであり、そういう意味では本来は事態を好転させるものではありませんでした。
実際、硝子は水門小でもクラスに溶け込めず、将也や植野からひどいいじめを受け、硝子は絶望し、最後は追い出されるように学校を出ていったわけです。

でも、そこに将也がいて、将也と硝子との間に「つながり」が生まれたことが、硝子、西宮母、そして西宮家全体の運命を、5年後に大きく変えることになります

結果的に、「将也と出会った」西宮家の運命は、劇的に好転しました。
西宮母自身は「問題解決をする動きをしていないのに」、将也とかかわったことによって、最後はとても幸せな環境を取り戻すことに成功しています。


第55話、9ページ。
ここでの西宮母のこのせりふは、本考察をふまえると非常に本質を突いています。
「あなたがどんなにあがいても…」のせりふもそうでしたが、西宮母は本作品の宗教的側面について、かなり自覚的なキャラクターだといっていいでしょう。


そしてそれは、硝子にしても結絃にしても同じでしょう。
西宮家の家族は、全員が長い間にいろいろなことをこじらせていて、お互いがお互いに対して悪い影響を与えるような状態になってしまっていました。
もはや、誰がどんな罪を背負っていて、誰がどんな罰をいま受けていて、それらをどうやって償っていけば、もつれた罪と罰の糸を解きほぐして「救い」にいたるのか、まったく分からないような状態だったと言えるのではないでしょうか。

それが、将也がやってきて、それぞれが将也と関わったことで、なぜか全部解きほぐされて、全部解決してしまったわけです。

そしてそのプロセスで「罰」を背負い、贖罪に命を尽くしたのはほとんど将也だけでした
逆に将也はその過程で、結絃にも(バカッター事件等)西宮母にも(ビンタ攻撃)いろいろひどい目に合わされていますが、怒ることも非難することもやり返すこともなく、ただただ淡々とそれらをすべて受け止めていきます。

そして、「西宮家全員の救い」という「結果」を、たったひとりで出しているわけです。

将也は、確かに他の登場人物と比べても極めてバランス悪く、ひとりでものすごい重さの罪を背負わされ、次々と不幸と苦難に見舞われています。

でもそれは、将也の罪だけが重く設定されているというよりはむしろ、

将也が、将也以外の罪まで引き受けて、そしてそれを贖って、将也以外の人間まで救済しているのだ。

と考えたほうが、よほどすっきりとこの物語を理解できるように思う
のです。
タグ:第01話 第55話
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将也だけが罰を受けすぎ? あるいは将也=キリスト仮説(6)

では、将也が実際に「あらゆる人の罪を引き受け、その罪を償った瞬間」とは、いつだったのでしょうか?

それは、私は、

第43話で、硝子の身代わりになって川に転落した瞬間

だったと思います。


第6巻17ページ、第43話。

将也が物語の中で救世主的存在として描かれていると考えると、第43話で描かれた「度胸試し」、硝子の身代わりとなって将也が転落したことの意味は、違って見えてきます。

つまり、将也はこの場面で「転落しなければいけなかった」し、将也は転落によって「大いなる贖罪を遂に成し遂げた」ということになるのです。

以前も一度考察しましたが、このときの将也の行いは、キリストの「最後の晩餐」を思い起こさせるものになっています

硝子は、自分の周りの人間が不幸になるのはすべて自分の呪いであるという考えをもち、映画メンバーも家族も含め、あらゆる人の罪と不幸を一身に背負い、それらを償おうとして飛び降りたのだ、といえるでしょう。
だとすれば、そんな硝子を受け止め救出して、代わって自らが身を投じた将也は、硝子の背負っていた「罪」を、さらに硝子に代わって引き受けて転落した、と考えることができるのではないでしょうか。

硝子は「すべての関係者の罪」を背負って飛び降りようとしたわけですから、その硝子の身代わりとなって転落し、硝子が抱えようとしていた罪も代わりに引き受けた将也は、「硝子の罪」に加えて、硝子を通じて間接的に「すべての関係者の罪」を引き受けて、身を投じたことになったと言えるでしょう。

みんなの罪
  ↓
  ↓ 背負う
  ↓
硝子]+硝子の罪
    ↓
    ↓ 背負う
    ↓
  [将也]+将也の罪
      ↓
      ↓ 償う
      ↓
    [池の鯉


このとき、転落した川の中には、鯉がいました。


第43話、17ページ。

別のエントリでも考察しましたが、この物語のなかで、鯉は「インガオーホー」の理(ことわり)を司り、罪ある者に罰を与え、それを贖った者に奇跡を起こす超越的存在として描かれている、と思っています。

将也は、そんな鯉のいる川の中に身を投じましたが、それは「鯉」に対して自らの肉体と血を捧げる(実際、将也は第43話の見開きで血を流しています)ことであり、これまでの罪をつぐなう最大級の行為であったと思います。
ちょうどキリストが最後の晩餐でパンとワインを「これはわたしのからだと血である」と言って分け与え、そして処刑され、その処刑により人々の罪が贖われ誰もが救済されたと信じられているように。
タグ:第43話
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将也だけが罰を受けすぎ? あるいは将也=キリスト仮説(7)

将也が硝子の身代わりとなって、鯉のいる川に身を投じて「罪」を償おうとしたとき、将也が背負っていたのは、

・将也自身の罪

だけでなく、

・自殺という過ちを犯した、硝子の罪

も一緒に背負っていた、と言えます。
そしてさらに、硝子自身が引き受けようとしていた、

・将也、硝子がかかわってきた、すべての人々の罪

も、硝子から引き継いで、一緒に背負っていた、と考えられるでしょう。

つまり将也は、この行為によって、自分自身のみならず「硝子を含む、すべての関係者の罪」を、彼ら・彼女らに代わって引き受け、そして償ったのだ、と考えられます。

そしてこの「贖罪」は、川にいた「鯉」によって受け入れられ、贖罪を認めた鯉は1つの「奇跡」を起こします。
将也転落の際に、島田と広瀬が「偶然近くにいた」という状況を作り出し、彼らに転落直後に将也を救出させることによって、将也は水没による呼吸停止で脳や心臓に致命的なダメージを受けることなく、純粋な「落下の衝撃」だけのダメージに留まってとりあえず一命をとりとめました。


第6巻152ページ、第51話。

これは偶然にしてはあまりにもできすぎていることからも、物語の中でも単なる100%の偶然ではなく、何らかの大いなる意思の働いた「奇跡」である、ということが示唆されているようにも思われます

ただし鯉はここで、将也をすぐに完全復活させることはありませんでした。
将也が与えようとしている「救済」について、それを「与えられる側」にその準備はできているのかを、しばらくじっと見守っていたのです。(それに加えて、将也が償うことができなかった「罪」が1つ残っていた、ということもあります。これについてはあとで説明します)

第6巻の各自視点回(さらには、結絃視点の最初のほうの回も)を改めて読むと、どの回も、その登場人物と将也がどのようなかかわりをもち、そしてそれによって、自分自身がどのように(将也の影響を受けて)変わっていったのかが描かれていることが分かります。


第6巻81ページ、第47話。

誰もが、将也との出会い、関わりによって自己を省みていろいろなことを考え、少しずつ前へ、「いい方向へ」進んでいることが、各自視点回では示されました。
その事実をもって、将也の救いが「成る」機は熟していきました。
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将也だけが罰を受けすぎ? あるいは将也=キリスト仮説(8)

そして、最後に残ったのが硝子です。
硝子は、こと将也の身代わり転落に関してだけいえば、最も重い「罪」を背負っていることは明らかです。

将也は、硝子についても、転落時にほとんどの罰を引き受けてくれていたはずでしたが、最後の最後に犯された「罪」だけは(時間軸的にも)引き受けることができませんでした。

硝子が犯した最後の「罪」と、それがゆえに硝子に残された「罰」。
それは、自分の肉体を軽んじて、自殺という過ちを犯してしまった」という「罪」に対する、「代わりに大切な人の肉体が痛めつけられ、自分は生き残ってしまって、その一部始終を見届けなければならない」という「罰」です。


第6巻149ページ、第51話。

硝子については、この「罪」を自覚し、償うことができるかどうかが、将也の「救済」を受けるための前提条件になったと考えられます。

そんな硝子の1つめの「贖罪」は、「映画を再開する」という行為によってなされました。
橋崩壊事件以後、ばらばらになってしまった映画メンバーのつながりを、自らの行動によって修復し、そして映画撮影の再開にまでこぎつけることができました。

これによって「贖罪」の第一段階は成った、と判断した「鯉」は、いよいよ硝子が将也の「救い」を与えられる「準備」ができているのかどうかを試そうとします。

鯉は硝子の夢枕に将也を登場させ、「将也と出会わず、友達とうまくやれていればすべてが丸く収まっていたんじゃないか? そういう運命を選んでいたほうが良かったんじゃないか?」という謎を、硝子にかけます。


第6巻163ページ、第51話。

これも別エントリで考察しましたが、これを「硝子の側」から解釈すれば、「私に障害がなかったら、という理想の世界のほうに行くこと」と、「私が障害を持っていて、いじめを受けたりする現実の世界にそれでも残ること」のどちらを選ぶんだ、という選択が提示された、ということです。

硝子はここで、「将也と出会ったこの現実の世界こそが、辛いこともたくさんあるけれども一番大切なんだ、私が選ぶのは、いまここの現実の世界だ」という「答え」を見出します。
そして、その「答え」を噛み締めたとき、改めて、自殺という過ちを犯し、将也を傷つけてしまった「罪」の重さを再認識し、硝子は深く深く後悔し、涙を流します。


第6巻181ページ、第52話。

硝子は「正しい答え」にたどり着いたのです。

その涙は、川のなかにいる「鯉」にしっかりと届きました。
これをもって、硝子の「贖罪」も完了し、そして硝子を含むすべての人間が、将也による「救い」を与えられる「準備」もすべて成ったということになります。

そして鯉は、最後の大いなる奇跡を起こします。
タグ:第52話 第51話
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コミック第7巻の表紙がきました!

月がかわり、そろそろ…と思っていたコミック最終第7巻の表紙が、今日いよいよ公開されました!


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どうやら文化祭のようですね。

やはり、成人式とか手つなぎとかだと最終話のネタバレになってしまいますから、無難なところを選んだということでしょうか。
将也、硝子の自然な笑顔、硝子の耳が出ているところ、二人の距離がこれまでになく近いところ(特に、これまでは硝子が接近している傾向だったのが、今回は将也が接近しているところ)など、見どころもたくさんある表紙です。

また、いつもの表紙の「色かぶり」ですが、今回は虹色っぽい感じで、あえてカメラ用語でいうなら「色収差」「フリンジ」が出ている感じですね。(まあ、虹の出る原理と色収差の出る原理は基本的に同じですから(笑))
さらにいうと、今回は表紙に「魚眼レンズ」の歪みのある背景が使われているのも注目ポイントです。

いよいよ第7巻発売まであと2週間あまりとなりました。
楽しみです!(^^)
posted by sora at 22:15| Comment(10) | TrackBack(0) | 第7巻 | 更新情報をチェックする

2014年12月02日

将也だけが罰を受けすぎ? あるいは将也=キリスト仮説(9)

硝子が橋の上から落とした涙を受け止め、将也による救いを受け入れる「準備」が硝子を含めてすべて正しく整ったことを確認した川の中の鯉は、最後の大いなる奇跡を起こします。

それはもちろん、

将也の復活

です。


第6巻183ページ、第52話。

実際には、将也の復活から、それに続く「橋の上の奇跡」までが、このとき鯉が起こした、物語中最後の奇跡だったと言っていいでしょう。
この「奇跡」が発動中の第53話では、将也が遠視能力を発揮して病床から橋の上の硝子を見つける描写まであります。


第53話、4ページ。

しかもこのとき、将也が夢に見た硝子の姿は、将也が一度も見たことがないはずの、腕を吊るサポーターをつけたものでした。
これもまた、この展開が超常的な「奇跡」であることをあえて明示する描写だったのだろうと思わずにはいられません。

ところで、この「奇跡」の場面でも、将也が自分以外の人間にまで「救い」を与える力をもった、救世主としての特別な存在であることを示唆する描写があります

それは、

将也が復活した「日」

です。

この「将也が復活した日」が、キリスト教において、キリスト処刑後に「キリストが復活した日」とつながりを持たされているように思われるのです。

キリストは、処刑から「3日後」に復活したと言われます。
連載の将也転落の頃から、「将也=キリスト、と扱われているのではないか?」という仮説をもっていた私は、将也も、このキリストの逸話と同様、川に転落してから3日後にきっと復活するだろうと予想していましたが、その予想はあっさりと外れました。
将也が実際に復活したのは、転落からおよそ2週間ほどもたった後でした。

連載中は、「転落後3日」を過ぎてもまったく将也が復活する様子がみられないことから、「将也=キリスト」説は、いったん説得力を失って徐々にフェードアウトしていったかのように見えていました。

ところが、実は将也とキリストの「つながり」は消えていなかったのです。

第52話から第53話において将也が復活したことを受けて、改めて日付関係を確認・整理してみた私は、驚くべきことに気づきました。

実は将也は、ちゃんと「3日で」復活していたのです。
タグ:第52話 第53話
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将也だけが罰を受けすぎ? あるいは将也=キリスト仮説(10)

将也は、転落してから目覚めるまで、2週間も眠り続けていました。
でも、それと同時に、将也はちゃんとキリストの逸話と同様、「3日で」復活してもいたのです。

それは、将也が復活した日がいつなのか、カレンダー分析を行うと見えてきます。

実は、「聲の形」のなかで、日付がはっきり示されている日はそう多くありません。
高校編では、初めて将也と硝子が再会した「4月15日」、橋崩壊事件のあった「8月5日」、そして映画再開にこぎつけて水門小ロケが行われた「9月2日」、この3日しかないのです。

ただ、ここから「将也復活の日」については明確に確定させることができます。
硝子が橋に向かって家を飛び出したのは「もうすぐ火曜日が終わる」9月2日火曜日の深夜です。デジタルクロックに、日付と時間がはっきりと表示されています。


第6巻166ページ、第51話。

そして、橋について涙を流している場面で時計台が映り、そこではっきり夜中の0時を過ぎていることが描かれています。


第6巻181ページ、第52話。

つまり、このとき日付はすでに変わり、「9月3日」になっていることが分かります。
(ちなみにこのシーン、たった1コマのなかに「9月3日であることのエビデンス」と「鯉」と「硝子の涙」、この3つがまとめて描かれていることは、非常に重要です。)

そしてそのあと、どうなったでしょうか?

そうです。
ここで、将也は目覚めるのです。
つまり、「将也復活」は9月「3日に」実現しているのです!

物語の展開上、将也を転落から3日後に目覚めさせることはできませんでしたが、それでも作者は、将也の復活をキリストの復活になぞらえたかったのではないか、と思います。
そこで、「3日」という日付にこだわって、9月3日に将也を復活させたのではないか、と私は想像します。

将也の復活が9月「3日」となっているのが偶然ではなく、作者が意図的にこだわっているのではないか、と推測できるポイントとして、以下の3つほどをあげることができます。

1.将也が復活した9月「3日」という日付が強調されていること。

2.水門小ロケの日程に不自然さがあること。

3.将也が復活した曜日が、火曜日ではなく水曜日であること。


順に見ていきたいと思います。

まず1つめとして、将也が復活したのが、この「9月3日」である、ということが、誰にでもはっきりわかるように非常に丁寧な描写をしている点が挙げられます。

まずデジタルクロックで「9月2日」という日付を明示し、さらにその後で深夜0時を過ぎている時計台を映して「日付が変わった(=9月3日になった)」ということをはっきりと示しているわけです。

ここまで丁寧に「日付」を描写しているのは、作者がその日付に意味を持たせているからと考えるほかありません
タグ:第52話 第51話
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将也だけが罰を受けすぎ? あるいは将也=キリスト仮説(11)

2つめは、ロケのタイミングの不自然さです。
つまり、なぜわざわざ水門小のロケを、学校が始まってしまったあとの9月2日に行なう設定にしたのか?という疑問です。
もともと(橋崩壊前に)真柴と将也でロケの許可をもらいにいったとき、真柴は「夏休み中に撮りたい」と言っていました。常識的に考えれば、9月に入って新学期が始まり、生徒が学校にくるようになってしまった後では、ロケの許可なんて普通はおりないでしょう。

もちろん、橋崩壊→映画撮影中止という事件があって、当初考えていたよりもロケのタイミングが大幅に遅れたということはあるわけですが、それにしても、物語のカレンダーを調整して、夏休みの終わりぎりぎりくらいに水門小ロケを持ってくることは、それほど無理をしなくても可能です。

にもかかわらず、「あえて」水門小ロケは新学期が始まったあとの「9月2日」になっているわけです。
これは、「映画再開・水門小ロケ→その日の夜に硝子が夢を見る→日付が変わって将也復活」という流れが最初から想定されていて、しかも「将也復活」が9月「3日」に固定されていたために、必然的に(多少不自然であっても)水門小ロケを9月2日とせざるを得なかったのだ、と考えるほかありません。

3つめは、将也の復活を火曜日ではなく「水曜日」にしている点です。
将也は、硝子の夢枕で「もうすぐ火曜日が終わる」と言って去っていこうとしているわけですから、それを硝子が引きとめて、そしてその願いがかなって将也が復活する、という展開を考えるならば、やはり火曜日中に将也が復活し、再会できたほうが美しいでしょう。そうすることで、「火曜日」というのをよりいっそう特別な曜日として位置づけることができるわけですから。

でも、実際には日付が変わってしまって、「水曜日」に将也は復活し、橋の上の奇跡につながっていきます。
なぜ「9月2日・火曜日」ではなく、「9月3日・水曜日」に将也が復活したのでしょうか。
それは、「火曜日に再会する」という「曜日」の展開の美しさよりも、「復活するのが3日である」という「日付」のほうが作者として重要度が高かったから、と考えるほかありません。

これらのポイントを見ると、多少の強引・不自然な展開を許してでも、将也の復活を「3日」にしたかったのだ、という作者の意図がはっきりと伝わってくるように感じます。
そしてその理由は、将也の復活を9月「3日」とすることで、将也の転落をキリストの処刑に、「3日」の将也の復活を、「3日後」のキリストの復活になぞらえたかったからなのではないかと思います。

そして、すべての「準備」が整い、「3日に」将也は復活します。

将也が復活したあとの世界は、将也による「救い」によって、将也や硝子をとりまくあらゆる登場人物に対して、それぞれ「救い」が与えられる世界に変わっていました。
タグ:第51話 第52話
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将也だけが罰を受けすぎ? あるいは将也=キリスト仮説(12)

さて、第7巻です。
将也は復活し、将也の贖罪によって将也と硝子をとりまくあらゆる人物の罪は救済されました

硝子は障害をありのままに受け入れて自分を認めて生きていけるようになり、自分が周囲を不幸にするという「呪い」からも解放されました。

結絃は登校を再会して高校にも合格し、西宮母は子どもが全員立ち直ったうえに自らも飲み友達ができ、外にも中にも味方がいる安定した環境を手に入れました。

石田家にはペドロが戻り、新しい子どもも生まれ、将也の進路選択の結果、家業の後継問題もなんら心配がなくなりました。

佐原は植野と和解し、自らを高める努力が実って東京行きが決まり、自らファッションブランドを立ち上げて20歳で社長になってしまう勢いです。

植野も過去へのとらわれから解放され、東京で成功する道を切り開いて家庭の貧困から脱出するチャンスを得ました。

永束はずっと渇望していた確かな「友情」を手に入れて信じられるようになり、
川井は矛盾が生じてきていた優等生キャラをスムーズに卒業し、人間関係を維持したままより自然に振舞えるようになり、
真柴は過去のいじめ経験のトラウマを解消して前向きに将来を考えられるようになり、人間も丸くなりました。


これらは、もちろん個々の登場人物の成長としてとらえることもできますが、「将也=救世主」論をとおしてみたときには、全員の罪をつぐなったあとで復活した将也が見た、「すべてが救済された世界」でもあった、と思うのです。

そして、肝心の将也自身ですが。

将也の進路自体は実家の家業を継ぐ、という、率直にいえば「地味な」ものになりましたが、「未来への希望」という、かけがえのない大きなものを手に入れました。

それに、将也は2度も命を救われているんですよね。
1度目は、最初に硝子と再会したとき、「友達になれるか?」の手を硝子が握り返してくれたことによって。
2度目は、転落し、昏睡して生死の境にいた将也の「手を引っぱって」、目を覚まさせてくれたことによって(こちらで「手を引っぱった」のも、硝子(の心)だった、と考えられそうです)。


第53話、3ページ。

命を救われ、未来に希望を得て、はっきりした進路が見つかったこと(さらには硝子を人生のパートナーとして得たこと)、これらを総合的に考えるならば、実は最も大きな「救い」が将也に与えられていると私は思います。

佐原や植野、島田が外の世界に羽ばたき、真柴や川井が大学に進学していくなど、これらのメンバーが「大きな成功」を手に入れているように見える一方で、将也が地元で「くすぶっている」ことに、やはり不公正感(罰を受けていない植野や島田がのうのうと成功して、罰を受けまくりの将也が地元で先の見えた将来なんておかしい)を感じるむきもあるかもしれませんが、作者はあえて意図的にそれをやっているように思います。
タグ:第53話 第62話
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将也だけが罰を受けすぎ? あるいは将也=キリスト仮説(13・完)

登場人物の成功とか勝ち負けを、本人の進路の可能性みたいなもので測るとするならば、進学校に行ったにもかかわらず大学に進まず、実家の理髪店を継ぐことを決めた将也は、大学に進学したクラスメートや、東京で実業家になりそうな佐原・植野や、フランスに羽ばたいている島田らと比べてずいぶん小さくまとまってしまったように見えます。

でも、これまで見てきたとおり、この物語の中での将也の存在の大きさ、重さというのは、将也自身の進路がどうこうということではなく、将也とかかわった周囲の人たちがどのくらい人生を好転させたか、その「総量」で測られるべきなのではないか、と思うのです。

そういう意味では、将也は「救世主」的存在でもあり、また見方を変えると「触媒」的な存在でもあったと思います。
将也との再会がなければ、佐原と植野が親友になり、東京で一緒に実業家になるなんていう未来はなかったでしょう。永束は孤独なままで、真柴は過去にとらわれて歪んだ進路を選択し、川井は自身の「気持ち悪さ」に無自覚なまま、どこかで人間関係の破綻を招いていたと思いますし、結絃は不登校のまま、そして硝子も西宮母も不幸なままだったと思います。

そんな将也のまわりの人たちが、将也と関わったことで、誰もが人生を好転させていくわけです。
もちろんそれを「将也のおかげ」と考えるのはずいぶん勝手な考え方でもあるのですが、また一方で、物語として「そういう目に見えない力が働いたからこそ、事態が好転したんだ」と考える「見方」もできると思うのです。

そう考えれば、地元で「散髪屋のオヤジ」になる道を選んだ将也が、本当は「とてつもなく多くのことを達成し、多くの人の人生を変えた偉大な存在」として、聲の形のキャラクターのなかでもひときわ輝いて見えてくるのではないでしょうか

このように、将也を救世主ととらえて「聲の形」を読み解くなら、第5巻から第7巻はそれぞれ、以下のような意味のある巻としてきれいに分けられていることになります。

第5巻:将也がすべての「罪」を一身に背負って「処刑」を受ける直前まで(最後の晩餐)。
第6巻:「罪」を背負った将也の処刑(転落)による贖罪の成就と、将也の復活。
第7巻:あらゆる「罪」を償った将也による「救済」の実現。



さて、最後にまとめ的な話を。

この「聲の形」の物語で、将也ひとりがたくさんの罪を受けているのは、「将也だけがひどいめにあうひどい話」だからなのではなくて、「将也があらゆる罪を背負って償い、あらゆる人の成功・成長を触媒して救いを達成する話」だからなのだ、と私は思います。

そして結果的に、将也自身はささやかで平凡な幸せを手に入れるだけだけれども、逆に将也のまわりの人間は将也が存在したおかげで救われ、将也のおかげで大きな幸せを手に入れていて、そんな「実は将也ってのはすごい存在なんだ」ということを、読者だけがメタの視点で知っている、そういう物語なんだろう、と思っているわけです。

(了)※エントリ数が13で終わっていますが、特段の意図はありません(^^;)。
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2014年12月03日

タイムスキップ連発、第61話の「時間考証」を試みる(1)

※このエントリは、第61話連載時に書いたものです。そのため、その後の連載の内容と齟齬があったり考察に変化がある場合があることをご了承ください。

さて、第61話では、最初のコマは高3の10月で、最後のコマは20歳の成人式ということで、たった18ページで2年と2か月もの月日が経過しています
しかもその間、時間が一気に飛ぶのではなくて何度もタイムスキップを繰り返して時間が進んでいますので、どの場面がいつ頃のシーンなのか、細かく考察していく必要がありそうです。

第61話を、時期ごとに区分けして整理すると、以下の通りになるでしょう。

1)結絃が西宮母から、「あんたがいいなら」硝子の上京を認める、と聞かされるシーン。

2)それを電話で将也が聞くシーン〜植野と公園で話すシーン。

3)将也と硝子が橋で将来の夢について語り合うシーン。


そして14ページの下から15ページの上まで、タイムスキップしながら進む7コマが続きます。

4)将也が自宅で勉強しているシーン。
5)東地高メンバーがランチを食べているシーン。
6)将也が自宅で結絃に勉強を教えているシーン。
7)硝子が結絃の髪をカットしているシーン。
8)石田母と西宮母が飲んだくれているシーン。
9)太陽女子メンバーのクリスマス会。
10)将也、硝子、結絃の書店での買い物。


さらにそのあとに、次の3つのシーンが時間を飛ばしながら展開します。

11)東地高の卒業式。

12)硝子の上京シーン。

13)ラストのコマ、成人式当日。


3)と4)の間に、カレンダーをめくって11月にするシーンが入っていることと、既に第60話までで10月の初旬になっていたことから、まずは1)から3)が「10月」であることは間違いないでしょう。

そして、1)で結絃のテスト結果が50点にまで上がっていること、第60話ではまだ「地元の大学」とか言っていた将也が、2)では地元の理容学校に進路を決め、願書までもらってきていることなどから、第60話からはある程度の時間がたっていることが予想されます。

そして、2)で硝子が目指しているのは理容師だと聞かされた将也は、そのあとすぐの「火曜日」に橋でその話題を語るだろうと思われますので、

3)は10月28日(火)


第61話、13ページ。3)に該当するコマです。

で確定していいと思われます。
タグ:第61話
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タイムスキップ連発、第61話の「時間考証」を試みる(2)

※このエントリは、第61話連載時に書いたものです。そのため、その後の連載の内容と齟齬があったり考察に変化がある場合があることをご了承ください。

タイムスキップによって、時間軸の異なる13のシーン(前エントリ参照)に分かれている第61話を、カレンダーにマッピングするエントリです。

前エントリで示した1)から13)のシーンのうち、3)は10月28日(火)であることが分かりました。

そして、2)については、将也・植野が制服だということと、3)との間に土日がはさまったら、将也は待ちきれずに硝子とメールで理容師の話をしてしまいそうだということを考えると、

2)は10月27日(月)

KOEKATA_61_009.jpg
第61話、9ページ。2)に該当するコマです。

と考えるのがいいでしょう。

問題は1)ですが、結絃が制服を着ていることから平日、そして、西宮母の発言を受けて改めて家族会議、上京を決意して、2)の月曜日に硝子が学校に話をして、その流れで結絃が将也に電話、と考えると、家族会議を土日にやったと考えるのが自然ですから、

1)は10月24日(金)


第61話、1ページ。1)に該当するコマです。

と置くのが一番しっくりきます。

これで、1)から3)までの日付が決まりました。

続いて、7コマ連続するタイムスキップである4)から10)までです。
4)から10)は、11月から2月までに起こったイベントであることは、10)と11)の間にカレンダーをめくって3月にするシーンがあるので確定です。

ここで、実はかなりピンポイントで日付がわかるのは、6)です
6)のコマをよく見ると、結絃の右後ろに本が6冊積み重なっています。1冊目からみて、「マガジン」が積み上がっているようです。


第61話、14ページ。6)に該当するコマです。

そして、2)のとき、植野が毛布にくるまって寝ているシーンで、同じ場所に、「マガジンらしき雑誌3冊」と、「大きさの違う本1冊」が積み重なっていることに気づきます。


第61話、2ページ。2)に該当するコマです。

つまり、

6)は2)の3週間後である(区切りは水曜日)

ということが推測できるわけです。
2)は10月27日でしたから、水曜区切りで3週間後というと、

6)は11月12日(水)から11月18日(火)の間のどこか

ということになります。
ところで、第60話で結絃が将也に勉強を教えてもらっていたのは「水曜日」でした。
だとすると、もしかすると勉強を教えるのは毎週水曜日になっているかもしれません。
そうすると、上記の期間のうち水曜日ということだと、

6)は11月12日(水)

と考えてもいいかもしれません。
ちなみに、第61話が掲載されているマガジン50号は、「11月12日(水)」に発売されていますから、ここで推測した6)の日付にぴったりと合っています
そこまで伏線をはっているとはちょっと思えませんが、興味深いことです。

続いて、6)を基準として残りを考えてみたいと思いますが、4)と5)についてはまったくヒントがないので、これ以上進みようがありません。

4)11月上旬
5)11月上旬?(平日)
6)11月12日(水)



第61話、14ページ。4)から6)に該当するコマです。

というのが限界ですね。
タグ:第61話
posted by sora at 07:13| Comment(0) | TrackBack(0) | 第7巻 | 更新情報をチェックする