2014年11月29日

聲の形における「因果応報」を考える(16・完)

このように、「聲の形」の物語は、将也と硝子を中心とした、「因果応報の無限ループ」から脱出しようとあがく、ひとつの「罪と罰」の物語、「因果応報ループもの」の物語として読んだとき、全体像がきれいに浮かび上がるという性格を持っていると思います。

そして、第1巻から第7巻まで、巻ごとにその「因果応報」の位置づけ、役割がきれいに分かれて配分されているということにも気づきます。

第1巻:将也の「罪」と「罰」の提示。
第2巻:硝子の登場。将也の「贖罪」の提示。
第3巻:植野の登場。将也の偽りの「ループ脱出」の提示。
第4巻:硝子の「罪」と「罰」の提示。植野もまたループに陥っていることの示唆。
第5巻:全方位に向けた「罰」の発動。「ループ脱出」が失敗に終わっていることの提示。
第6巻:ループ脱出のためのカギを、各々が発見。
第7巻:ループ脱出の実現。


そして、ここが物語の最大のキーポイントだと思いますが、それぞれが因果応報を脱出するカギとなったのは、単なる「過去」の行為への贖罪、過去の修復ではなく、むしろ「罪」を背負っている関係や対象に対して、過去にとらわれずに「いま、ここ」を見つめ直し、「未来」に向けて新しい価値や意味を作り出すことに力を尽くすことにありました

ここで、前半で触れた西宮母のせりふ、

「あなたがどんなにあがこうと 幸せだったはずの 硝子の小学校時代は戻ってこないから」

を改めて思い出します。


第2巻165ページ、第13話。

西宮母が言ったとおり、どんなにあがいても、過去は取り戻せません。
でも、将也は「幸せだったはずの過去」は取り戻せませんでしたが、硝子の「幸せになれるであろう未来」を作り出すことができました将也は全7巻をかけて、あがきにあがいて、ついに「たどりつくべき場所」を見つけ、そこにたどり着いたように思います。

同じように硝子は、「小学校の頃から渇望していた、障害のない理想の世界」にとらわれることをやめ、「障害あるこの自分と、いま生きているこの世界」をありのままに受け入れ、肯定し、自ら明るい未来を作り出すだけの強さを手に入れました

植野もまた、「かつての将也」「かつての島田」にとともにとらわれていた過去から解放され、ようやく「いまの将也」のことも好きになれて、晴れ晴れとした思いで未来に向かって挑戦できるようになりました

ところで、ここで疑問になってくるかもしれないのが、将也と硝子以外の登場人物が、なぜこの2人と同じレベルの苦労をしていないのに、将也らと一緒に無限ループを脱出して「救い」が与えられているのか?という問題です。
これは、単にそれぞれの犯した罪の重さが違うから、と整理してもいいのかもしれませんが、どうもそれでは整理しきれない部分もあるように思います。
こちらについては、この連続エントリに続く、もう1つの「全体についての連続エントリ」で考えたいと思っています。

以上、非常に長文のエントリになりましたが、私が「聲の形」という物語全体を、どのように読み取ったか、という1つの考察として書かせていただきました。

(了)
ラベル:第13話
posted by sora at 08:59| Comment(0) | TrackBack(0) | その他・一般 | 更新情報をチェックする

聲の形における「因果応報」を考える(15)

さて、最後に植野です。
植野の第6巻(特に植野回後半)での認識の変化と行動の選択によって映画は完成し、その映画を大きなきっかけとして、将也は映画メンバーとの和解を果たしました。


第57話、11ページ。

映画メンバーと将也との和解は、(途中離脱したものの)植野と将也との和解でもありました
そして植野は第61話で将也をたずね、自ら過去の硝子いじめと将也いじめへの加担を告白し、謝罪します。それを将也は受け入れ、また同時に、将也は自身のなかですでに島田への確執が解決していることを植野に語ります。


第61話、9ページ。

それは、植野がこれまでずっとこだわっていた「過去」はもはやどこにも存在せず、そこには「いま、ここ」の現在しか存在しない、ということが示された瞬間でもありました。

憎むべき「過去の」ハラグロな硝子は存在せず、いろいろ助けてもらったけど、それでも好きになれない「現在の」硝子しかいない。

かつて将也と親友だった「過去の」島田は存在せず、すでに別々の道を歩んでいるかつての友人でしかない「現在の」島田しかいない。

そして、

かつて大好きだった「過去の」将也は存在せず、劇的に価値観を変えて大人になった「現在の」将也しかいない。

ということを、植野はこのとき、思い知らされたわけです。

でもそれは、植野にとって実は「ループからの脱出」が明らかになった瞬間でもありました

植野は、「過去の将也」「過去の島田」への未練を断ち、「過去の硝子」への誤解を解き、ようやく過去へのとらわれから解放されて、植野自身が「いま、ここ」から「未来」に向かって歩いていけるようになったのです。
このあと、植野はファッションで成功するという夢を実現するために東京に出ていきます。
これは、映画の衣装を佐原が勝手にコンテストに応募していたおかげでしたが、因果応報のループから抜け出して過去へのとらわれから解放されたからこそ、「佐原のおせっかい」というイベントが発生して、植野の「未来への道」が開かれたのでしょう。

第61話で植野は、「3つめの知らないこと」を伝えずに走り去っていきます。


第61話、9ページ。

このとき、植野は、「私は『過去の』あんたのことが好き『だった』」ということを伝えたかったのだと思いますが、「生まれ変わった『現在の』将也のことも好きになった(好きになることができた)」からこそ、あえて過去形の告白みたいなことせずに走り去ったのだ、と考えることもできると思います。

むりやり島田を引き合わせるような「過去の将也が好き」という植野が、そうではない「いまの将也が好き」に変わったとき、将也の隣の場所はすでに埋まっていましたが、それでも、いまの将也が好きになれたこと自体、植野にとって「救い」であったことは間違いありません
ラベル:第57話 第61話
posted by sora at 08:55| Comment(0) | TrackBack(0) | 第7巻 | 更新情報をチェックする

聲の形における「因果応報」を考える(14)

登場人物がこれまで苦しめられ、第5巻ラストでは全員がどん底まで叩き落とされた「因果応報のループ」から、それぞれが脱出するヒントを得た第6巻をへて、第7巻では、実際にループから脱出し、未来に向かって歩き始める姿が描かれます

将也は、第43話で誓った「約束」を1つずつ実行していきます。
まず「橋の上の奇跡」で硝子と、文化祭で映画メンバーやクラスメートと、そして第61話では植野と、それぞれ「ちゃんと見て、ちゃんと聞いて、ちゃんと話す」ことを愚直にやり遂げました。


第57話、11ページ。

そして将也は、コミュニケーションの限界を自覚しつつ、でもそれを尊重して着実に前に進んでいくことでしか人間関係を構築していくことはできないのだ(逆にいえば、その手順をしっかり踏んでいけば、どんな人間関係だって「未来に向かって」やり直すチャンスもあるんだ)、ということを自覚します。

ここへきてようやく将也は、小学校のころに島田らに裏切られたことで失った、他人に対する信頼、自分に対する自信を取り戻し、過去へのしがらみからもようやく自由になることができたのだろうと思います。
そしてさらに、そうやって実現した「関係の再構築」によって、硝子はもとより、植野や結絃、西宮母、さらには佐原や永束、川井、真柴に対してすら、将也は「救い」を与えるほどの存在になっていきます。
これにより、将也は因果応報のループをようやく完全に抜け出した、といえると思います。

次に硝子です。
硝子の場合、既に第6巻でほぼ「ループからの脱出」は実現しているのですが、第7巻でそれを確固たるものにしています。

第7巻での硝子にとって、もはや障害は、否定すべきものでも隠すべきものでもなく、ただシンプルに「自分」の一部でしかありません
硝子は耳を隠すのをやめ、ヘアメイクイシダの店内をどうしても見たいと将也に甘え、押しの強いメールを送って将也を文化祭に誘い、選考会後にけんかが起これば不器用に声をあげて仲裁しようとし、ファミレスではくだらないことで声をたてて笑い、そして何より、みんなの反対をおしてまで東京に行って夢をかなえようとしました。


第59話、9ページ。

こんな風に「自分が自分であるように、ありのまま、自然体で生きていくこと」を実践すること、それこそがまさに、最終的に硝子がこれまでとらわれていた「一緒にいると(障害のせいで)不幸になる」「自分はいないほうがいい」という呪いから自由になり、不本意にもとらわれてしまった因果応報のループから脱出する行為になっているわけです。
ラベル:第59話 第57話
posted by sora at 08:48| Comment(0) | TrackBack(0) | 第7巻 | 更新情報をチェックする

聲の形における「因果応報」を考える(13)

硝子が「現実」を否定するのをやめ、過去ではなく未来を志向できるようになったことで、硝子回の前半部分(理想世界の夢想部分)までは「過去を取り戻し、理想の世界を実現する」と(硝子の中で)整理されていたであろう、映画の再開という行為の意味、解釈も変わりました。

すなわち映画の再開とは、「失われた過去、理想の世界を取り戻す」ことではなく、「現実の世界のなかに希望を生み出し、未来の関係を作り出していく」ことであり、そういう未来の創造に自分は役に立てるんだ(周囲を不幸にする呪いなんてなかったんだ)、という「自己肯定」でもあった、ということです。

そして、その新たな「意味」のなかでは、他ならない「現在の将也」、かつては自分をいじめたけれども、会いに来てくれてたくさんの幸せを運んできてくれた「いま、ここ」にいる将也こそが、もっとも大切な存在だということにも、硝子は気づきました。

でも、その「いま、ここ」の将也は、呪いにとわれて犯してしまった自分の過ちによって転落、昏睡し、生死の境をさまよっている…。
その過ちの罪深さを思い、心からの後悔と、どうしても将也に戻ってきてほしいという心からの願いが橋の上での硝子を号泣させ、その涙は川に落ちて川の中にいる鯉に届きました。


第6巻181ページ、第52話。

繰り返しになりますが、この物語のなかで「鯉」は、因果応報の理(ことわり)を司る超越的な存在であり、罪を犯した人間を因果応報の無限ループに取り込んで罰を与え続け、一方でその罪をしっかり償った者には「奇跡」を起こして因果応報のループからの脱出に導いてくれる存在だと考えられます。
そしてこのとき、川に落ちた涙に込められた硝子の思いに十分な贖罪を認めた鯉は奇跡を起こし、将也を目覚めさせるのです。


第6巻183ページ、第52話。

…このように、第6巻で描かれていたのは、第5巻まででは「どうしても脱出できない」ように描かれていた因果応報の無限ループに対して、それぞれが「脱出のヒント」を得て、行動する過程だったと言えます。
その「脱出の方向性」はみな違いますが、1つ共通していることは、罪を犯したころの「過去」を償う、過去を取り戻そうとするのではなく、新たな「未来」を作ろうとすることが、ループ脱出のためには不可欠であるという、考え方の転換でした

ところで、第6巻の最後、鯉が奇跡を起こして将也が目覚めた瞬間に、将也と硝子は「因果応報のループ」を抜け出した、と考えられます。
いわゆるタイムループものの物語で、ループから抜け出すことが「ループする世界」から「ループしない世界」へ、パラレルワールド間の移動を行うことになるのと同様、将也と硝子もこの「目覚めた瞬間」に、因果応報のループのない別のパラレルワールドに移動したと考えられます。

将也らがパラレルワールドを移動したことを示す「証拠」は、第7巻、第61話に登場した鯉です。
第7巻における「こちらの世界の」鯉は、魔力をもたないただの鯉で、硝子らからえさをもらってまるまると太ってしまっていました。

KOEKATA_61_010b.jpg
第61話、10ページ。
ラベル:第61話 第52話
posted by sora at 08:11| Comment(3) | TrackBack(0) | 第6巻 | 更新情報をチェックする