2014年11月19日

連載版「聲の形」、ついに完結!

こういうエントリを書くのをつい忘れてしまっていました(^^;)。

本日発売のマガジン51号に掲載されている第62話をもって、連載版「聲の形」が完結しました。


第62話、20ページ。

まず、全体の構成についての感想です。
作者の当初の構想通りとなったエンディングは、引き伸ばし連載に慣れた目にはものすごい駆け足にも見えましたが、「作者が描きたい部分にはたっぷり尺と手間をかけ、そうでない部分は徹底的にカットし手抜きする」という、本作品全体を流れる美意識が物語の構成にも現れていた、と感じました。
全体として、長いか短いか?と言われれば、作者の構想がどんなものであったかを想像すれば、やはり「この長さしかなかっただろう」という印象です。
ただ、それを踏まえても、前半はゆっくり、後半は駆け足というきらいはあり、もしかすると作者は後半の構想には前半ほどの時間をかけなかったのかもしれないな、とは感じましたね。

そして、個人的にもっとも面白かったのは、第3巻の後半、植野と硝子の修羅場から「うきぃ」までと、第5巻の後半、橋崩壊事件から硝子の飛び降りまでの2箇所でしょうか。
逆に実はいまひとつだと感じていたのは、第2巻の全体と、第4巻の後半(葬式回)から第5巻の前半(映画回、橋崩壊前)のあたりです。正直なところ、橋崩壊前の映画回あたりでは、このまま(自分的に)失速したままだったら読むのを止めてしまうかも、と感じた時期もありました。
でも、「橋崩壊事件」から一気に「聲の形」の暗黒面が全開になり面白くなって、このブログの更新スピードも大幅に上がりました。
実は本ブログが最新話を追いかける形になったのは、「橋崩壊事件」の第39話からです。それまでは、古い話のコネタ的なものをのんびりと拾うブログだったんですね。
そして、第5巻の後半の怒涛の展開と比べると、その先の第6巻でサブキャラ回に移行して以後は伏線回収的な平和な展開になりましたが、ムダのないコンパクトな展開で、一気にラストまで走りきった、という印象ですね。

また、登場人物のキャラクター設定も、全体として「よかった」と思います。

硝子が聖人キャラすぎる、という意見も散見しましたが、要は物心ついてから「橋の上の奇跡」までの長い長い期間、硝子は自身の障害を受け入れず、現実に対して離人的だった、と解釈すべきなんだろうと思っています。硝子のそういう「闇」と、そこからの脱出がしっかり第6巻から第7巻で描かれたので、硝子に対しても感情移入することができました。
むしろ硝子よりも植野のほうが、整合感のあるキャラクター像を維持するのが難しい側面がありましたが、まんがとしてのデフォルメを考慮すれば、「障害当事者と対立する健常者」という立ち位置を、単なる悪役とせずに描ききることができた、非常に稀なキャラであったと思います。

島田についての描写にも、不満はありません。
将也にとって島田は「永遠の謎」という側面をずっと残したまま、最終回を迎えたと思います。ですから、「将也視点」で物語をみている読者もまた島田のことが分かりにくい状況におかれているのはむしろ当たり前のことでしょう。
そんな中で、断片的な描写を組み合わせていくことで、読者は島田というトラウマの正体を知り、それを乗り越えることに成功した将也の姿をしっかり読み取ることができたのではないでしょうか。
そういう意味で、最終話に島田が出てこなくて、私は良かったと思っています。

そんなわけで、連載が終わり、このブログを更新するためのネタになる「新しいコンテンツ」も供給されなくなります。

当ブログの今後の予定ですが、まずは毎週と同じく、第62話に関連するエントリを数日間はアップしていく予定です。

そしてそれ以外に、現在、作品全体をカバーする長めのエントリを2つほど書いています。
それぞれのテーマは、

1)インガオーホーの物語として「聲の形」全体を読み解く

2)将也だけがひどい目にあい、他のキャラが制裁されない「正義の不均衡」について


といったものになります。

これらについては、第62話についての考察エントリが終わってから、順次アップしていければと思っています。

さらに、過去の個別回用に書いたにもかかわらず、次の回が出るまでの1週間の間にアップできずにお蔵入りになったエントリがけっこうたまっていますので、そちらについても、全体考察エントリのあと、基本的には全部アップしていくつもりです。
そのときそのときの想像も含めて書いているので、いま読むと見当違いのことを書いているエントリもありますが、そこは広い心で読んでいただければ幸いです(笑)。

そうやって手持ちのエントリをすべて投稿し終わって以降は、大きな出来事(単行本やファンブックの発売、アニメ化関連のニュース等)が起こったときを除いて、更新は行わなくなると思います。
ただ、何か新しい考察があれば、そのときはぽつぽつと更新するかもしれません。

もちろん、ブログを閉じる予定はいまのところありませんので、気が向いたときに覗いていただいて、コメントなどいただければ嬉しく思います。
タグ:第62話
posted by sora at 19:08| Comment(16) | TrackBack(0) | 第7巻 | 更新情報をチェックする

最終回、なんと「あの男」が再登場!(2)

最終回の最大のサプライズだったペドロ再登場ですが、振り返ってみると、第1話に登場したペドロ以外のサブキャラがそれなりに「活躍」していたのに対して、ペドロは第1話にはほとんど「登場」しただけでした。


第1巻42ページ、第1話。

デラックス事件後、ペドロはわずか1コマだけ登場して、将也に「お前を守る」と伝えました。
でも、その割にはその後消えてしまって、将也を守ることもなく、せいぜい、マリアが色黒であることの理由づけ程度の役割しか与えられていませんでした。

ですから、ペドロは今回「いきなり現れた」のではなく、「元々ここで役割が与えられていて、それで現れた」のだ、と考えたいですね。

では、その、ペドロが最終回で与えられた「役割」とは何でしょうか?


第62話、3ページ。

私は、大きく2つあると思っています。

1つは、せっかく将也がペドロから受け継いだ「美徳」である「お前を守る」を、ペドロ自身がちゃんと体現する場面が必要だった、ということです。

登場回数がわずか1回だったにもかかわらず、ペドロの「存在感」があまり薄れなかったのは、もちろんキャラクターとしての存在感の大きさもあったと思いますが、恐らく1つには、ペドロの「お前を守る」という価値観がそのまま将也に乗り移り、将也がずっと「硝子を守る」という価値観で生き続け、そしてそれが物語を引っ張ってきていたからだ、ということがあると思います。

将也は、ペドロから受け継いた「お前を守る」をちゃんと実現しました。
でも、このまま肝心のペドロが出てこなければ、ペドロ自身は、パートナーとして選んだはずの石田姉や、実の娘マリアを「守って」いないことになってしまいます。
ですからペドロは、最終回に登場して石田家に戻ることで、自身が誓っていたはずの「お前(石田姉、マリア)を守る」をちゃんと実現する姿を描かれたのだ、と思うわけです。

そして理由の2つめですが、ペドロの復帰は、石田姉やマリア、さらには石田母(さらにはペドロ自身)に、「エンディングとしての救済」を与えるためだった、ということだろうと思います。

第7巻で、将也をとりまくすべての人物には多かれ少なかれ「救い」が与えられて、ささやかな幸せを手に入れています。
詳細は別エントリで書きたいと思いますが、これは、「救世主としての将也」が覚醒し、周囲の人間をみな救済したのだ、と考えずにはいられません。

その一環として、将也のいちばん身近にいる家族である姉やマリアにも、将也の「救済」の力が働き、ペドロが帰ってきたのだ、と思うわけです。

さて、ペドロはかつて将也に「お前を守る」と言いましたが、実際に帰ってきたペドロが守らなければならないのは、マリアをはじめとする自分の子どもと家族でしょう。
今はかわいがられているマリアも、これから学校に行くようになれば、肌の色ゆえの差別にさらされることも十分考えられます。それは次の子どももそうでしょう。
そんなときに、一番頑張らなければならないのは、間違いなく父親であるペドロです。
ペドロにとって、これからの石田家での人生が幸せで充実したものになることを祈らずにはいられません。
タグ:第62話 第01話
posted by sora at 07:11| Comment(3) | TrackBack(0) | 第7巻 | 更新情報をチェックする

最終回、なんと「あの男」が再登場!(1)

最終回、第62話の最大のサプライズは、なんといっても、

ペドロの再登場

でしょう。


第62話、3ページ。

誰もが予想しなかった最終回での登場ですが、ここでふと考えるのが、このペドロの再登場はあらかじめ計画されていたのか、それとも連載後の読者の反応を見ていて、たった1コマしか出ていないのに非常に人気があったために、読者サービス的にハッピーエンドの輪の中に加えて登場させたのか、どちらなのか?ということです。

私はこの疑問については、

最初から予定されていた。

という説をとりたいと思います。
なぜなら、ペドロが最終回に登場することによって、

「第1話」と「最終回」というまさに物語の両端での登場

という、極めて特異な(そしていかにも大今先生が好みそうな)シンメトリー(対称)の構造を実現する形になっているからです。

そしてもう1つの、ペドロ最終回登場の必然性として、「これまでまだはっきりした役割が与えられていなかった」ということがありました。

この物語において、明らかにモブキャラとして登場しているキャラ以外には、それぞれ登場する「意味」が与えられています。

そういう視点で第1話で登場したキャラクターを拾ってみると、

デラックスは、無鉄砲な将也の性格を表現するため、そして「デラックス事件」を通じて、島田らと将也との関係のすきま風を表現するためのキャラクターでした。
そしてこのキャラクターとあわせてフォーカスの当たった「ゆうたろう君のスニーカー」は、その後「硝子捜索事件」をきっかけに結絃に渡り、結絃はそのスニーカーをずっと履き続けます。
そう考えてみるとデラックスというのは「将也をとりまく友情の姿」をあぶりだすキャラクターだった、と言えるでしょう。

また、「げんき君」については、将也の向こう見ずな性格の出自、あるいは「汚い大人」の象徴として(そして恐らく「姉がペドロをパートナーとして選ぶための対比軸として)登場したのだ、と思います。
また物語の展開上は、デラックス事件の「影の仕掛け人」として使われた側面もあります。

このように、サブキャラはサブキャラなりに、ちゃんと物語上の意味をもたされて登場しているわけです。

いっぽう、ペドロはどうだったでしょうか。


第1巻42ページ、第1話。
タグ:第62話 第01話
posted by sora at 07:10| Comment(0) | TrackBack(0) | 第7巻 | 更新情報をチェックする

最終回で告知された「聲の形・アニメ化計画」!

さて、最終回はセンターカラー(カラーといいつつほぼ白黒塗りなのが笑えますが)でしたが、そのカラーページに「アニメ化企画進行中」の文字が!


第62話、カラー表紙。

いろいろ噂は出ていましたが、本当に映像化、それもアニメ化が実現するようです。

アニメ化はとても楽しみな一方、一抹の不安も感じますね。
あえてここでは、ざっと思いついた、不安な点を中心に書いておきたいと思います。

まず、テーマがテーマだけに物議を醸すのではないか、というのは少し心配です。
特に第1巻の小学生編は、読み切り版のメインコンテンツでもありますし、連載版でもそのあとの高校編に続く非常に重要なパートではありますが、その中身は残酷な障害児いじめの連続で、さらにその「いじめ」への制裁がもう1つの別の「いじめ」を生み、教師までもがその構造に加担しているという、カタルシスも正義も見いだせない展開が続きます。
この第1巻のパートが、視聴者から「残酷だ」とか「いじめを助長する」みたいなネガティブなリアクションを受けないだろうか、というのが1点目の心配です。

2点目として、同じく第1巻の展開があまりにも鬱展開なため、視聴者が高校編に進む前に見るのをやめてしまうのではないか、という心配もあります。
1クールだとすると最初の1話まるごと、2クールなら場合によっては最初の2話くらいが「小学生編」になると思いますが、第1話での脱落組が相当出るのではないかと予想します。
実際、まんがのほうでも、ツイッターなどの反応をみると「単行本1巻の途中で挫折してしまった人」をたくさん見かけたので、その点が心配になります。

3点目は、シンプルに「映像」のクオリティについての心配です。
「聲の形」はコマ割りや背景、そして登場人物の表情に非常に力が入っていて、まんがの時点ですでに映画のような「映像作品」としての力があり、それが作品の魅力のかなりの部分を占めていると思います。
それをアニメ化した場合に、原作のクオリティに追いつき、それを超えていくような作品に仕上がるのかどうか、楽しみでもありますが、「かなり」不安でもあります。

4点目は声優のキャスティング、特に「硝子」はどうするのか、という問題です。
聴覚障害者ゆえのたどたどしい発話を、普通の声優が例えば「舌足らずな幼児声」で再現したら、相当がっかりな感じになってしまうように思いますが、一方で実際の聴覚障害者が声をあてたり、あるいはそれを声優がリアルに模して演じるとなると、今度はリアルすぎてアニメが一気に社会派ドキュメンタリーみたいになってしまう可能性もあります。

5点目は「手話」の取り扱いです。
この作品では、手話が非常に多く使われ、かなりのシーンでは「訳」さえあてられなかったりしますが、そのようなシーンでは、字幕が出たりするのでしょうか。

ただ、この点については逆に期待する部分もあって、まんがでは将也が当たり前に手話を駆使して、同時に音声もつけている(硝子の手話は将也が読み取ったものが文字として書かれている)ため、意外と「手話がばんばん飛び交っている」という印象が薄くなっています。
アニメでは、2人の会話には常に手話が飛び交うことになりますから、「手話濃度」は間違いなくアニメのほうがまんがよりも濃くなることでしょう

6点目は、まんがで駆使されたさまざまなユニークな手法を、アニメでどう表現するのか?という点です。
特に、将也がクラスメートらにつけたバッテンはそのまま使うのかということと、第51話の硝子回をはじめとする「硝子視点」をどのようにアニメで描くのか、これは不安でもあり、楽しみでもあります。


さて、そんなわけで、アニメ化はいいニュースで嬉しいですが、実際アニメ化が相当難しそうな作品であり、制作側には大いにチャレンジになると思います。(でも、上記では心配ごとばかり書いていますが、アニメ化決定自体はすごく嬉しいと思ってます!!)

というわけで、続報を楽しみに待ちたいと思います(^^)。
タグ:第62話
posted by sora at 07:08| Comment(12) | TrackBack(0) | 映画 | 更新情報をチェックする