2014年11月17日

第61話、「同じこと」考えてた、の意味とは?

さて、第61話は、エンディングに向けて、これまでの懐かしいシーンのリフレインがてんこ盛りの展開となっています。
リフレインそのものについてはエントリを分けて書いていますが、ここではその中でも「同じこと考えてた」という硝子のセリフについて考えておきたいと思います。


第61話、13ページ。

言うまでもありませんが、この「同じこと考えてた」は、2巻の橋でのやりとりのリフレインです。その2人をファインダー越しに眺める結絃、というのも同じ構図ですね。


第2巻84ページ、第9話。

ところで、この「同じこと考えてた」の「同じこと」とは、一体何でしょうか?

ここはシンプルに、以下の部分が「同じこと」だった、と考えるのが一番自然だと思います。

将也は今回、

1)硝子の進路を知らずに、自分の進路を決めた。
2)それがたまたま硝子と同じだと、後で知った。
3)硝子が自分と同じ進路を目指していると知って、とても恥ずかしい。
4)硝子と同じ進路に進みたいから理容師を目指したのではないから、誤解しないで欲しい。


といったことを硝子に話しています。
それに対応して、第59話あたりで硝子が考えていたことは、

1)将也と「憧れの理容師」の関係を知らずに、自分の進路を決めた。
2)憧れの理容師が石田母で、結果としてたまたま自分の進路が石田家の商売と同じだと、後で知った。
3)自分が目指していた理容師が石田母で、目指している進路が石田家の商売と同じだと知って、とても恥ずかしい。
4)石田家に入りたいから理容師を目指したのではないから、誤解しないで欲しい。


ということだったのではないかと思います。

つまり、将也と硝子、どちらも、独立した考えで理容師を目指すことを選択したにもかかわらず、結果的に相手と一緒になるためにそれを選んだとしか思えないシチュエーションになってしまっていて、きっと相手にもそう誤解されるだろうと思って恥ずかしかったのでしょう。

その類似性に気づいた硝子が、「同じこと考えてた」と言ったわけですね。
そう理解すると、第59話で硝子が将也に進路を伝えるとき、すごく恥ずかしがった理由もすとんと納得できます。
今回も、その「同じこと考えてた」を伝える前に、頭を「カシカシ」とかいて、かなり恥ずかしそうです。


第61話、12ページ。

それでも、はっきりと「一緒に頑張ろう」と伝える硝子、「うん」と答える将也、それを遠くから見つめながら応援する結絃…
この3人には、本当にいい関係が生まれているな、とあらためて感じさせる名場面でした。
posted by sora at 07:15| Comment(0) | TrackBack(0) | 第7巻 | 更新情報をチェックする

第61話には西宮母への「救い」も描かれている?(2)

第7巻では、さまざまな登場人物に和解や救いが与えられていますが、第61話は、一見「植野への救いの回」に見えて、実は「西宮母」にも「救い」が与えられていることは見逃せません。

第61話では、いくつかの場面で、西宮母をとりまく環境の変化と、それによってもたらされた西宮母への「救い」が描かれています。

まず冒頭、硝子の上京を西宮母が認めた、という話。


第61話、1ページ。

これは、西宮母がもともと持っていた「障害があっても自立して力強く生きてほしい」という願いを、硝子自身が自らの意思で(それこそ、母親の意見に反対してまで)実現しようとしていることの現れであり、西宮母にとっては実は嬉しいできごとだったでしょう。

同時に、硝子が上京を決意し、西宮母自身もそれを受け入れていいと考えられるようになった背景には、結絃の進路に明るさが見えたということもありますが、それを実現したのは「硝子のコンクール応募」という計らいと、「将也の家庭教師」と、「結絃のやる気」だったわけで、この「みんなが協力しあう体制」というのも、西宮母にとって嬉しかっただろうと思います。

そして、11月から3月まで、時がながれていくコマのなかで描かれた、石田母とのふたたびの酒飲みシーン。


第61話、15ページ。

石田母というのは、家の中でも外でもすべてを敵に回して戦い続けていた西宮母にとって、おそらく離婚後初めてできた「友達」だったのではないかと思います。
そんな石田母の家にときおり遊びにいって、思う存分酒を飲みながら、それぞれの息子と娘の関係の進展や進路を語り合うというのは、西宮母にとって最高のストレス解消であり、幸せな時間であるに違いありません。

さらに、ラストの硝子上京時のやりとりにも、「救い」は現れています。


第61話、16ページ。

まず、結絃が自然な形で母親におみやげをねだっています。
これは当たり前に見えますが、少し前の絶望的なまでの親子の断絶からは劇的な変化であり、西宮家の家庭内の関係が完全に修復されたことを示しています。

一方、西宮母は将也と永束に対して「結絃をよろしくね」と、留守中の世話を任せています。


第61話、16ページ。

こんな風に、家の外にも家族がつながっていて孤独ではない状態が生まれていることも、15年もの間、家の中でも外でも孤独だった西宮母には考えられないことなのではないでしょうか。

「聲の形」という作品は、「大人が子どもの問題を絶対に解決しない」という徹底した特徴があるのですが、ここへきて逆に「大人の問題は子どもがけっこう解決する」という、非常にユニークな?展開がいくつか出てきました
そういう視点からこの作品を読み解くのも、なかなか興味深そうです。
タグ:第61話
posted by sora at 07:14| Comment(3) | TrackBack(0) | 第7巻 | 更新情報をチェックする

第61話には西宮母への「救い」も描かれている?(1)

聲の形は第7巻に入り、6巻までの、ほぼあらゆる登場人物に対して苦難が描かれてきたのとは一転して、伏線回収的に「和解」や「救い」が描かれてエンディングに向かっています。

さて、そんな中でラス前の第61話ですが、「和解と救い」という観点で見ると、実はこの回でもっとも明確にそれが描かれたのは、

西宮母

ではないか
、ということに気づきます。

思えば、西宮母は、硝子の障害発覚によって夫から離婚を告げられて以来、孤独な人生を歩み続けてきました。

夫やその家族に、硝子という存在(さらには、硝子を産んだ自分自身の存在)を、硝子の障害がゆえに否定されたという西宮母の絶望と怒りは、そのまま硝子に向けられました。
その結果、西宮母は硝子に対して、障害を克服して「普通」になれ、そして「普通」の幸せを手に入れろ、という難題を押し付けることになり、逆に自分は手話を学ぼうともしませんでした。手話を学ぶことは、ある意味、硝子に障害があることを認めてしまうことになるから、学ぼうという気持ちになれなかったのでしょう。
そして、そういった母親のやり方に反発した結絃とは完全に信頼関係が崩壊し、結絃は不登校、家出を繰り返すような子どもに育ってしまいました。
残る祖母とも、協力は受けつつも子育ての方針では完全に対立していたわけで、西宮母は(自業自得という側面も否定できませんが)家庭の中でも孤立無援でした。
そして、そのような子育ての方針は、家庭の外においても対立を招き、いわゆる「ママ友」のような存在とは無縁だったと思います。竹内の話を引くまでもなく、学校とも折り合いは悪かったでしょう。


第5巻51ページ、第35話。

家の中にも価値観を共有する味方がおらず、また家の外に出ても友達も誰もいない、といった状態で、西宮母は離婚してからいままでの15年あまりを過ごしてきたということになります。

そんな西宮母に、結果的に「救い」をもたらしたのは、皮肉にも、かつて硝子をいじめ、自らも「下品な親子」と蔑んだ、将也と石田母でした。


第1巻136ページ、第3話。

将也は、硝子の心と命を救い、硝子が障害を受け入れ、自信をもって自立していくだけの生きる力を与え、かたくなだった結絃の心を溶かして生活を立て直し、西宮家そのものの関係を再構築するところにまで至りました
それどころか、橋崩壊事件以後、西宮家で一緒にケーキを食べたり花火を見に行ったあたりからは、硝子や結絃を通じてではなく、将也が直接西宮母を癒やしていた側面すらあると思います。


第5巻171ページ、第41話。

硝子が東京に出ていったあと、西宮母にとっても結絃にとっても、石田家が「心の拠り所となる第二の居場所」になったのは間違いないと思います。

第61話では、そういった西宮母をとりまく環境の変化と、それによってもたらされた西宮母への「救い」がいくつかの場面によって描かれています。
posted by sora at 07:11| Comment(0) | TrackBack(0) | 第7巻 | 更新情報をチェックする