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2014年11月12日

第61話、将也の「島田トラウマ」の内容とその解決が改めて明らかに

さて、第61話での植野との昔話によって、将也は小中学校時代の島田がどんなことを感じていたか、その一端を知ることができました。

そして、それに対する将也のことばによって、私たちは、将也が島田らに対してどんなことを感じていたのかを、改めて確認することができました。

まずはそのせりふを拾ってみます。

将也「俺が まだ 島田たちと仲良かった時
   話しかければ 常に期待通りの返事が返ってくるから
   なぜかあいつらのこと なんでも知ってる気になっててさ
   それが一転 一番わからない奴になっちゃってて…
   何があるかわかんないなあって思ったよ
   まあ 自分のせいなんだけど…
   でも今は… そんなのいつでも覆せるような気がするんだ」



第61話、8ページ。

将也が島田らに対して持っていた「トラウマ」とは、やはりこれまでも考察してきたとおり、「親友で、なんでも分かっていたつもりだったのに、突然、すべてが分からなくなったこと」であり、「関係が壊れてしまった理由も、それを修復する方法も分からない」、ということだった、ということがここで語られていると思います。

そして、既に将也は、自分が抱えていたトラウマがどんなものであったかに気づき、さらにそれを解決する「答え」を手に入れ、そのトラウマを自己解決していることも分かります。
それはつまり、コミュニケーションに基づく他人の理解にはそもそも限界があるということを自覚して、他人との関係に謙虚になり、常に相手のことを知ろうと努力すること、それでもやはり、知らないことはたくさんあるんだということを忘れないこと。そして、そんな風に人間関係を作っていけば、きっといつでもやり直せること。

将也がこの答えに至ったのは、硝子の飛び降りの時以降のことでしょう。
「相手が話していることを聞いて、相手のことをなんでも知ってる気になってたけど、実際には何も分かっていなかった」という話を、将也は「橋の上の奇跡」のときには硝子に、そして文化祭のときには映画メンバーに語っていますが、今回も島田らに対する感想として、同じことを言っています。


第54話、6ページ。


第57話、3ページ。

橋崩壊から硝子への依存、硝子の飛び降り、身代わり転落、昏睡という激動の時間を過ごすなかで、将也はひととのコミュニケーションについて、上記のようなある種の「悟り」に到達し、それによって硝子のありのままを受け止め、映画メンバーに心を開き、クラスメートの×を外すことに成功しました。

映画選考会のときに島田と出会っても動揺しなかったのも、すでに将也はあらゆる対人関係について同じような境地に到達していて、それは島田についても例外ではなかった、ということになります。
今回の植野とのやりとりでの将也のことばは、将也がそういった心境に至っていることを改めて確認できる内容でした。

そして、それは同時に、島田と将也とのもっと「劇的」な和解によって、小学校時代の仲間関係を修復し、ひいては自分自身と将也との関係もその輪のなかで改善しようとしていた植野が、またもや「敗北」した瞬間でもあったのだと思います。
(だから、植野はそのあと、恐らく本来は「将也に伝えたい大本命」だったはずの「3つめの知らないこと」を言えずに帰ってしまったのかもしれません。)
posted by sora at 08:05 | Comment(8) | TrackBack(0) | 第7巻 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

第61話、ついに回収されたガーデンピックの伏線(2)

第61話で、これまでさんざん引っ張ってきた「ガーデンピック」の伏線は、「肝心なところで硝子に告白せずについガーデンピックのことを聞いてしまう」という、ラブコメ的ギャグ展開の小道具として回収されました。

ただ、ここはもう一歩深読みして、今回、ガーデンピックの伏線が回収されたことに、単なるギャグ以上の意味を見出したいと思います。

ガーデンピックの「謎」が解けた将也は、ながらく続いていたもやもやが解消して、満足そうな表情をしています。


第61話、17ページ。

以前も触れたとおり、このガーデンピックというのは、「将也と硝子との間の、ディスコミュニケーションの象徴」であり続けてきた、と思のです。

第23話というのは、硝子がガーデンピックを将也にプレゼントしたのと同時に、硝子が将也に「うきぃ」と大告白した回でもあります。
そして、プレゼントの意味も、硝子の渾身の大告白も、どちらも伝わりませんでした

その後、将也は何度もガーデンピックのことを聞こうとするのですが、結局一度も聞くことができず、今回に至っていました。
そしてもちろん、硝子の「告白」も、結局将也に届くことはありませんでした。


第4巻4ページ、第24話。

硝子と将也は、互いに相手に対して、「好き」と告白したり、「命を消耗して守る」と考えたりする関係であるにもかかわらず、たかがガーデンピック1つについて「これって何?」と聞くことすら実現しないほど、コミュニケーションが断絶していたわけです。
そんな「断絶」のある2人だったからこそ、橋崩壊事件以後、共依存の関係となって壊れていき、ついには飛び降りに至ってしまったのではないでしょうか。

そんないわくに満ちた、ディスコミュニケーションの象徴であるガーデンピックの伏線が、硝子が東京を離れるその瞬間に、ようやく解決されました。

これは、

2人の間には物理的な距離はできるが、もはや以前のようなコミュニケーションの断絶(ディスコミュニケーション)はない。

ということを示しているのだ、と思います。

これまで(特に橋崩壊前)は、毎週会うような関係だったけれども、そのコミュニケーションには断絶がある「遠い」ものでした。

これから(硝子の上京後)は、距離が離れていつもは会えなくなるけれども、精神的なつながりはずっと緊密になり、コミュニケーションもずっと「近い」ものになっています。

つまり、第61話で、上京していく硝子と地元に残る将也との間でガーデンピックの伏線が回収されたことは、物理的距離が離れることと対照的に、精神的距離が近くなったことを示しているのだと思うのです。

※ちなみに、このガーデンピックの伏線は、今回の硝子との別れのシーンを、第1巻で小学生の硝子が水門小を離れていくときのリフレインとして読んだ場合、「硝子の落書き消し」と対応している可能性があります。
その点については、リフレインに関する別のエントリで触れたいと思います。

posted by sora at 07:22 | Comment(4) | TrackBack(0) | 第7巻 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

第61話、ついに回収されたガーデンピックの伏線(1)

さて、第61話はタイムスキップを複数回使うという怒涛の展開となっていますが、そんななかで、ラストシーンでようやく「あの伏線」が回収されました

ガーデンピックです。


第61話、17ページ。

第23話のうきぃ告白回で、猫ポーチへのお返しとして硝子が将也に贈った、あのプレゼントですね。


第3巻173ページ、第23話。

これを受け取った将也は、それが何なのかわからなかったのですが、その場ですぐに聞くタイミングを逸してしまいました。
そしてそれ以降、何度も何度も聞こうとしてはかなわず、読んでいる側も、これはもう最終話まで引っ張るに違いないと思っていたわけですが、結果的には最終話1つ前の今回、第61話で回収されました。

ところで、第61話、東京に向かって地元を離れていくこのタイミングで、第23話のガーデンピックの伏線が回収されたというのは、どういう意味を持っているのでしょうか?

1つは、第61話を読めば分かるとおり、別れの最高のタイミングで将也に告白をさせず、ギャグで落とすための小道具としての役回りです。

様々な事件をへて、「生きるのを手伝う」約束までして、硝子と将也は、本人たち以外は誰もがすでに相思相愛のカップルであることを認めているのに、肝心の2人はそのことについていまいち自覚がないというか、特に将也は自身の感情を「恋愛感情だ」と認識できていない側面があるようです。

そんな状況を、周囲は微笑ましく思いつつも、やきもきもしているでしょう。
今回、別れの間際というのは、告白の絶好のチャンスに違いありませんし、永束が「言い残したこと」と言ったのは、当然それを期待してのことに間違いありません。
そして、硝子も、多少はそれを期待していたのではないかと思います。

それなのに、「言い残したこと」として伝えたのは「去年くれたのって何」だったわけですから、みんなドッチラケで、永束じゃなくても「ガッカリだよお前には」となってしまいますね。(笑)


第61話、17ページ。

ただ、私はこのガーデンピックがあの第23話から引っ張られていることを考えると、今回その謎が解決した「意味」は、それだけではないように思うのです。
タグ:第23話 第61話
posted by sora at 07:21 | Comment(0) | TrackBack(0) | 第7巻 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする