2014年09月27日

第7巻、これから映画はどうなる?(3)

さて、ここまでは、「映画撮影はこれ以上掘り下げられない」という可能性について考えましたが、こんどは逆に「映画撮影が今後も掘り下げられていく」という可能性について考えてみたいと思います。

まず、文字どおり一度「死んで」生まれ変わった将也の、人間関係再構築の「場」として、映画はうってつけなんじゃないか、ということがあります。

将也は硝子に、こう伝えました。

将也:もし俺が 今日からやらないといけないことがあるとしたら
もっとみんなと 一緒にいたい たくさん話をしたり 遊んだりしたい



第54話、14ページ。

将也が、「みんなと一緒にいて」「たくさん話をしたり」「遊んだり」したいと思ったとき、それを実現するための場としていまもっとも身近にあるのが「映画撮影に加わる」ことです

しかもそれは、硝子が将也への想いを込めて取り戻した「場」です。
将也の言った、

将也:それを手伝ってほしい 君に 生きるのを手伝ってほしい

にもぴったりの「場」になっていると思います。

将也が「みんなと一緒にいて、たくさん話したり遊んだりする」ための場として、硝子が「手伝って」再結成した映画撮影に参加する、それは、第7巻の残りを使って描くに値する物語であるように思われるのです。

そして次のポイントですが、先ほど一度引用しましたが、第51話で永束が硝子に言ったせりふ、「構想どおりできそうだよ」の「構想」の意味を改めて考えてみると、これから将也に、映画の中の大切な役割が与えられる、という展開が残っている可能性が十分にありそうなのです。

もともとこの映画は、永束にとっての「将也との友情物語」というのが出発点でした。
途中で、脚本作りを川井に横取りされて、いじめっ子による復讐劇にストーリーが変わってしまいましたが、いまだに監督は永束であって、決して映画の中身に妥協しているようには思われません。

また、永束が硝子から「(将也のために)映画を再開しませんか」と言われて、将也がやっていたことが「雑用と人集めだけだった」ということを振り返るシーンがあります。


第46話、17ページ。

私は、ここで永束が、再開する映画の「構想」を見直した可能性を考えたいと思います。
つまり、映画を撮影しようと思ったそもそものきっかけである「将也という存在(ビッグフレンド)」を、改めて映画の「構想」の中心にすえ直したのではないか、ということです。

そして、将也がいない間に、将也登場シーン以外の撮影を済ませて、将也が戻ってきたら満を持して将也の出演シーンを撮影し、映画を完成させる、そういう手はずをととのえることで、硝子に提案された、「将也のために」映画を再開する、という「意味づけ」を改めて持てるように「構想変更」したのではないか、と考えるわけです。

次のエントリに続けます。
タグ:第54話
posted by sora at 08:36| Comment(4) | TrackBack(0) | 第7巻 | 更新情報をチェックする

第7巻、これから映画はどうなる?(2)

最終巻、残り8話となった現状から、「映画」がこれからどう扱われるかを考察するエントリです。

想定される展開として、映画が今後、1)ちゃんと描かれる、2)描かれない、のどちらもありうると思われますが、まずは2)の可能性について考察しています。

今後、映画が軽く流されてしまう可能性を示唆する2つめの理由として、今さら「いじめの復讐劇」というテーマの映画で何が表現できるのか、という問題があると思います。

映画の内容は、遊園地回で真柴が提案し、その後川井が脚本を勝手に書き始めた部分から察するに、「ファンタジー要素のあるいじめ復讐劇」であることがほぼ確実です。

KOE_NO_KATACHI_05_018.jpg
第5巻15ページ、第33話。

その後、夏休みの登校日の真柴・川井の会話においても、「主役」らしい真柴が、自分が演じる「いじめっ子の役」に共感できない、という話をしています。

そして、映画撮影が空中分解し、硝子によってメンバーが再結集されて撮影再開したあとも、そのシナリオ自体は書き換えられた様子がなく、また硝子もその点には関心がない様子です。

そうなると、この映画はやはり「いじめられっ子がいじめっ子に復讐する」という内容のまま撮影が続いていると考えざるを得ません。

ところがその一方で、「いじめられっ子がいじめっ子に復讐する」というシナリオを「必要とする」ような関係が、もはやどこにも存在しないのです。

まず、もともとこのシナリオになった「動機」としての、「かつてのいじめっ子 → 真柴」という過去のいじめの関係。
この脚本を真柴が提案した頃は、真柴はまだ「いじめ行為全般に対する憎しみ」に縛られていたと思われますが、その後、真柴回で描かれたとおり、すでに真柴は過去の呪縛から抜け出し、もはや映画で復讐を演じて気分スッキリ、といった必要はなくなったと思います(それにそもそも真柴はどうやら映画では「いじめっ子役」のようですし)。

そして、真柴がこの脚本を提案したときに将也がイメージした「将也 → 硝子」のいじめの関係。
これについては、もはや第54話で完全に過去のものになったといえ、問題はすでにふたりの間で解決されています。

最後に、「島田 → 将也」のいじめの関係。
こちらも、もはや将也は自分だけで解決できる程度の「過去の問題」になったと言えるのではないでしょうか。
一方の島田も、おそらく「過去のこと」として気にしていないか、せいぜい一言謝れば済んでしまう程度のものだと思います。
しかも、川に転落した将也を救出するというイベントもありましたから、島田的にもそれで「過去の清算は終わり」と感じているのではないかと思います。

そう考えていくと、映画が完成して、「いじめられっ子の復讐劇」がつぶさに描かれたとしても、それによって何か「救い」とか「問題の解決」につながるような、清算されるべき「いじめの関係」が、もはや存在しないわけです。


そして最後に、「映画の撮影が既に結構進んでいる可能性がある」というポイントをあげておきたいと思います。

第51話で、永束が硝子に「(映画が)構想通りにできそうだよ」と話しているシーンがあります。


第51話、6ページ。

この永束のせりふには、第51話で水門小で「主人公の小学校時代」をロケハン撮影したことで、すでに撮影がかなり大詰めを迎えているようなニュアンスを感じないでもありません。
そうだとすると、映画のかなりの部分は橋崩壊事件前に撮影が終わっていて、あとは残った数少ない場面を撮影して編集して音楽をつければ終わり、みたいな段階に入っている可能性があるわけです。

このように、いくつかの状況証拠は、映画が「仲間集め」の目的だけに使われて、中身はあっさり流される可能性を示唆しているように思われます。

一方で、「映画撮影が今後もちゃんと描かれるかも」と思わせる状況証拠もいくつもありますので、次のエントリではそちらに触れて、両者を比べていきたいと思います。
タグ:第54話
posted by sora at 08:22| Comment(2) | TrackBack(0) | 第7巻 | 更新情報をチェックする

第7巻、これから映画はどうなる?(1)

第6巻の前半~中盤(各自視点回)であれほど重要なトピックとなっていた「映画撮影の再開」ですが、実際に映画撮影が再開され、さらに将也と硝子の橋での劇的な再会に物語が移行して、すっかり後ろのほうにフェードアウトしてしまいました。


第51話、6ページ。

でも、まだ最終話まで8話あります。
残りの話のなかで、映画についてはどのような進展があるのでしょうか?

まず、この「映画」について、第5巻、第6巻でずっと話題になって物語が進んでいるにも関わらず、その中身が漠然としていて全然見えてこない、という「なぞ」があります。

この「なぞ」について、現時点で想定しうる「答え」とは、以下の2つのどちらかではないでしょうか。

1)これから残り8話で、映画についてかなり深い掘り下げが行われる。これまであまり細かい内容が出てこなかったのは、ラストでそれらを示すために情報が出し惜しみされていたから。

2)映画については、「みんなが一緒に何かをする」ということが重要な、ある種の「舞台装置」にすぎず、内容は重要でないので描写されてこなかった。(だから最後まで描写されない)


どちらについても可能性があると考えていますが、いろいろ考えを巡らせていくと、どちらかというと1)のほうがありえるんじゃないか、という思いがつよくなってきます。

というわけで、1)についてはあとで触れることにして、まずは2)の可能性について先に触れておこうと思います。

2)の可能性がある、と考える場合、その理由は大きく3つくらいあります。

1つは、先日の大今先生のインタビューで「物語上不要だと思うことはあえて描かない」ということを明言して、具体例として「石田姉の顔」をあげていた点です。
石田姉の顔については、「意味がないから出さない」という「作者としての意思」を示すのと同時に、「顔だけ出てこない」というまんが表現としての面白さに利用している、という話が出ていましたが、映画についても、いろいろな状況証拠からぼんやりと内容が推測されて「どんな内容なんだろう?」という興味を引く一方で、「映画の中身そのものは物語上意味がないから出さない」という「作者の意思」が示される可能性があるんじゃないだろうか、と思っているのです。

ここでいったんエントリを分けます。
タグ:第54話
posted by sora at 08:15| Comment(0) | TrackBack(0) | 第7巻 | 更新情報をチェックする

第54話、硝子の手話を解読する(未完成版)

第54話の大きな特徴は、硝子がものすごくたくさん手話を繰り出しているのに、その「訳」が一切示されていないという点です。

特に、将也が謝って自殺のことに触れたあとの手話は、硝子が繰り出した手話のなかでも、これまでで最長のものだと言え、何を言っているのかも非常に興味のわくところです。

私は手話はできないので、ネットや書籍の手話辞典を参照しつつ、ストーリー上の文脈をふまえて解読してみました。
最終的にすべて自分なりに「手話辞典」等で確認したものを掲載していますが、後でも触れるように間違いが混ざっている可能性が高いことをご了承ください。

2ページ:ごめんなさい。
(1コマ目は泣いているだけ。2コマ目、3コマ目の2コマの連続動作として「ごめんなさい」)

3ページ:おかげで助かりました。
(1コマ目が「命」、2コマ目が「守る」)

6ページ:どうして謝るの?
(2コマ目が「なぜ」)

8ページ:あなたが落ちたのは 私のせいです。 または
     あなたじゃなくて、私が悪いんです。

(3コマ目が「あなた」+「落ちる(?)」または「”~ない”+???」、4コマ目が「わたし」「悪い」)


分からないコマの1つ、第54話8ページの3コマ目。

9ページ:またバカなことを考えてしまって…。みんなの関係を壊してしまったことが悲しくなって、
(1コマ目「同じ」、2コマ目「醜い」「考え」、4コマ目「関係」「乱す」、5コマ目「悲しい」、7コマ目「なる(?)」)


分からないコマのもう1つ、第54話9ページの5コマ目。右手は「悲しい」でよさそうだとして、左手に意味はあるのでしょうか。

10ページ:それで…
(1コマ目、前のページの「なる」の続き)

16ページ:わかりました。
(2コマ目「了解、わかった」)

この中では、特に「落ちる」と「なる」、さらに「悲しい」のときの左手が怪しいですが、それ以外も間違っている可能性は大いにあります。

ただ、上記の読み方なら、自分的にはいちおう意味が通る気がするので、とりあえずこれを暫定版(未完成版)の読み解きとしておき、必要に応じて修正していこうと思います。
(間違いがあればぜひご指摘ください。助かります。)
タグ:第54話
posted by sora at 08:13| Comment(15) | TrackBack(0) | 第7巻 | 更新情報をチェックする