2014年09月21日

第53話、将也にとっての「硝子の夢」の意味を考える(3)

前エントリからの続きです。

さて、ここまでのエントリで、第53話最初の「硝子と同じ夢」の「将也にとっての意味」を考えてきました。

それは端的にいって、将也が求めている「過去の仲間たちとの関係」は既に過去のものであり、高3になったいま、それを過去のものとして「卒業」して、「いまの仲間たちとの関係」を作っていかなければならないんだ、ということを「悟る」ことにあったんじゃないか、と思います。

そう考えると、この連続エントリの最初に戻りますが、この夢を将也が見たことを「非オカルト的に」読み解くヒントが見えてきます。

将也は、硝子との再会、さらに佐原や植野との再会から橋メンバーによる映画撮影といったことを通じて、「かつての仲間との関係を改めて作り直しても、それはもはや『かつての仲間との関係と同じもの』ではない」ということに少しずつ気づき始めたのだと思います。

でもそれを認めることは、小学校時代のスクールカースト転落以降、ずっと渇望してきた「かつての仲間との、かつてのような楽しい関係」を手に入れることを諦めることであり、将也のなかに残る、どうしてもそれを諦めたくないという気持ちが「そんなものはもはやいまここには存在しない」という「現実」を受け入れることを拒絶し続けてきたのだと思います。

その葛藤が端的に現れたのが、遊園地回での島田との再会での将也の動揺でしょう。

でも、橋崩壊事件から硝子への依存、その結果としての硝子の自殺といったことを経験し、「かつての仲間とのかつてのような関係」はもはやどこにも存在しない「夢」でしかないことを、ついに否定できなくなっていったのだと思います。

そこで将也が見たのが、「ありえないことだらけの世界」の中に「かつての仲間との関係がずっと続くこと」を配置し、かつそれを夢中夢として自覚しながら「見る」ことによって、かつての仲間への「夢」を卒業し、「現実」に「目覚める」という「夢」です。

将也が、小学校時代という舞台に対して設定できる「もっともありえない状況」の1つが、「硝子の耳が聞こえる」ということであるのは、自然なことだと思います。

さらにもう1つ、小学校時代の将也にとって「ありえない状況」が、「そんなごく普通のクラスメートの女子である硝子に、将也が積極的に関わっていくこと」でしょう。
第1巻の将也は、転校生が女子ならいいなという島田に対し、「女子じゃ遊べないからつまらない」と平然と言ってのけています。硝子が「ただの女子クラスメート」として転校してきたら、将也との関係そのものが生まれなかっただろうことは、将也自身も自覚していると思います。

そしてその「将也が容易に思いつく2大『ありえないシチュエーション』」の中に、「かつての仲間と中学・高校もそのままうまくいく」という状況を一緒に放り込んだ「夢中夢」を、将也は見たのです。

あまりにありえないシチュエーションのなかでそれを見ることで、将也自身が、「これはみんなありえない夢なんだ、だからこんなものは卒業して現実とともに前に進んでいかなければならないんだ」と自覚する、そのための夢を、将也は見たのです。

ちなみに、将也が見た「硝子と同じ夢」ですが、第51話と同じ絵、同じシチュエーションが使われているものの、実は「硝子と同じ」の部分は、基本的にはこの2つの要素だけです。(合唱コンや植野らとの摩擦も、第1巻で「障害があるから仕方のないこと」と将也は受け止めており、これらの要素の一部と言えると思います)
それ以外(つまり夢の後半)については、実は硝子の夢と将也の夢はずれていっているのです。
硝子の「夢」ではクラスメートらと一緒に帰宅し、将也の「夢」では「将也グループ」に硝子が入って一緒に遊んでいるわけで、この2つはある意味両立していないわけですから。

上記の2つの要素は、上記のとおり将也にとっても容易に想像でき、かつ想像する「意味がある」ものですから、将也が単独で(オカルトを想定せずに)夢に見た、それがたまたま硝子の夢と非常によく似ていた、と整理することも、まったく不可能ではないと思います。

まあ、苦しいことは苦しいですが(笑)、ただ、「夢の後半が将也と硝子で違う」という点については、無視できないくらい重要なポイントだと思います。
本当に完璧なシンクロニティにしたいのなら、将也の見た夢のシーンを硝子にも見させて、そこから(硝子の夢だけ)自宅に帰る流れにすればよかったわけですから、そうしていないことには意味があるのだと思います。

この連続エントリはいったんこれで終わりですが、補足的な話題に後日触れたいと思います。
ラベル:第53話
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第53話、将也にとっての「硝子の夢」の意味を考える(2)

前エントリからの続きです。

将也にとって、「もし硝子とのことがなければ(もしくは硝子とうまくいっていたら)、島田らとのかつての関係は何も変わらずに続き、そのまますべてうまくいっていた」という想像が「ありえない夢」だと悟ることは、とても重要な意味があります。

まず、将也は小学校時代、硝子をいじめたことをきっかけにスクールカースト転落したことを「すべてあいつ(硝子)のせいだ」と硝子に責任転嫁し、「クソったれ西宮」と、硝子を憎んでいました。
そして、それと対応する形で、「もし硝子とのことがなかったら、仲間たちとはずっと仲がいいままだったはずなのに」とも考えていたでしょう。

でも、読者である私たちは、「ガキ大将・将也」を頂点とする「将也グループ」は第1話の時点ですでに崩壊寸前であり、将也自身も気づかないうちにスクールカーストをゆるやかに降下中で、将也と仲がよかったクラスメートたちは遅かれ早かれ離反していったであろうことを知っています。

島田の将也に対するいじめが、硝子いじめという行為やその罪を自分たちになすりつけようとしたことへの怒りによるものなのか、それとも島田自身が下克上でスクールカーストの頂点にのし上がるために、放っておくと行動力がありて面倒だが、ガキっぽいので叩き潰しやすい将也を意図的にカースト転落させ続けたのか、どちらかはまだはっきりしませんが、どうも中学での言動をみると、後者の要素が強いように思えます(だから、学校が別になった今では将也のカーストポジションなどどうでも良くなって将也に対して攻撃的でなくなっている、とも考えられます)。

だとすれば、小学6年になり、将也の子どもっぽい言動がだんだん周囲の支持を得られなくなってクラスで浮いていくのを冷静に観察していた島田が、どこかのタイミングで将也をいじめ始めるか、そこまでしないにしてもかつての「将也グループ」を乗っ取って、いずれにせよ将也は孤立していったことでしょう。

恐らく、それが現実です。

それに対して、将也の「仲間観」は、ある意味「夢」のままで止まっています

小学校時代のスクールカースト転落直後のモノローグと、遊園地回での島田についての回想を比較すると分かるとおり、将也の「友達関係」についての時計は、学級裁判でスクールカースト転落した直前で止まっており、将也が高校生になった今も、島田らとの関係について思い出すのは、「小学校のころの楽しかった関係」のままです。
そして将也はその関係に対して、もう忘れた(忘れたい)と言いつつ、実際にはいつまでも忘れられずに、そこに留まっています。


第1巻143ページ、第3話。


第4巻43ページ、第26話。

でも、時は流れました。
将也も「仲間たち」ももう高3で、大人への扉にすら手がかかっている状態です。
仮にいま、すべての関係に「和解」が訪れたとしても(それ自体も「夢」でしかありませんが)、将也がいまだにこだわっているような「かつての仲間たちとの、かつてのような(子どもじみた)関係」は、もはやどこにも存在しないでしょう。

「硝子の耳が聞こえたら」は、ありえない夢。
硝子の耳は聞こえず、将也も硝子も、その現実を前提に前に進まなければなりません。

「硝子に障害がなかったら将也と仲間になっていた」も、きっとありえない夢。
将也と硝子は、硝子に障害があったからこそ、結果的にこれだけの関係が築けたふたりであり、それぞれに「負うもの」がありつつも、その現実を受け止めて前に進まなければなりません。

そして。

「小学校の頃の楽しい仲間たちとの日々は、そのまま中学・高校まですべてうまくいって続いたかも」というのも、ありえない夢なのでしょう。
誰もが変わっていき、かつての仲間との関係も、いずれ消えたり変容したりもしていきます。将也が高3になったいま、「かつての仲間との関係」をそのまま取り戻そうとするのではなく、いまここに生まれる「新しい仲間との関係」とともに、前に進まなければならないわけです。

将也が「硝子と同じ夢」を「夢」として見て、「その夢は現実とは違う」と感じながら目覚めたことには、そういう意味があったのではないかと思います。

次のエントリに続けます。
ラベル:第53話
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第53話、将也にとっての「硝子の夢」の意味を考える(1)

第53話で、表面的に読むとすっと過ぎてしまうものの、改めて考えると意外と難しく思えるのが、

「硝子と同じ夢」を将也はどのように「見た」のか。

ということです。

将也が見た夢は「硝子が見たのと同じ夢」でしたが、ひとつ、硝子が見ていたのとはっきり異なるのは、将也が、それが夢であることをはっきり意識していて、「本当の俺たち」「本当のみんな」とは違うことをわかってその夢を見ている、ということです。


第53話、2ページ。

ただし、「本当の俺たち」のことを考えているときも、まだ将也は眠っている状態ですので、「硝子と同じ夢」は、「将也の夢(これは夢だと気づいていない)」に挿入された「夢中夢」だということになります。(さらにその「夢中夢」のなかに「眠る」シーンがあるという多層構造です)

まず、そもそも、「なぜこんな夢を見たのか」ということを考えなければなりませんが、この説明には2つの方向性が考えられるでしょう。

a)合理的に説明する。
 将也にも、そういう夢を見る必然性があった(結果的に硝子と同じ内容になったのは奇跡的な偶然)とする考え方です。具体的には、将也の心のなかにあった何らかの考え、意識(心理)が、そういう夢を見させた(それがたまたま硝子の夢と非常に近かった)、といった説明になると思います。

b)オカルトで説明する。
 「硝子が見ていた夢」が将也に伝わって同じ夢を見た(そうでなければ同じ夢なんて見るわけがない)、という考え方です。
 眠り続けていた将也の「夢の中の意識」が、硝子の「もし自分の耳が聞こえていたら」という夢に呼び出されて同じ夢が共有された、とでもいった状況でしょうか。

ここで、1)か2)かは実はあまり重要ではありません。
ただ、この後の考察をふまえると、1)で説明できるような「将也の心理」が見えてきますから、このエントリでは、主に1)のアプローチで考えていきたいと思います。
ちなみに、2)であれば、単に「不思議だけれども必然性のあるできごと」としてオカルト的に理解すればいいので、特に説明は不要でしょう。また、この方向での読み解きについては、「第6巻は第2巻だけでなく第1巻のリフレインでもあった?」というエントリとも関連してくるので、そちらも参照ください。

ともあれ、将也は、硝子と共有された「硝子の耳が聞こえ、将也も仲間とずっと仲がいい」という世界を、「ただの夢」として、ある意味距離をおいて見ていることが分かります。

ところで、ここで描かれている「夢」には、「本当の俺たち(みんな)」とは異なる要素が、3つほど含まれていることに気づきます。

1)硝子の耳が聞こえること。
2)将也が硝子に親しく話しかけ、硝子も将也の仲間になっていること。
3)島田や植野など、かつての仲間との関係が壊れずにそのままずっと続いていること。


このうち、3)は少し分かりにくいですが、よく読むと、やはり1)や2)と同じように「ありえないような夢」として語られていることに気づきます。
(2については、当時の将也は異性に興味がある様子はまったくなく、硝子が健常のクラスメートだったとしたら恐らく関心を持たなかっただろうと思われるので、やはり「ありえない夢」だろうと思います。)

3)について、少し考えてみれば、男女数人が放課後に集まってただ橋で遊ぶ、なんていう「子どもじみた遊びかた、集まりかた」が、中学、高校になっても(しかもメンバーも変わらず)ずっと同じように続いていく、なんてことはありえないことに気づきます。

そしてここから場面が暗転し、「本当の俺たち(みんな)は…」と続いていくわけで、この「夢から抜ける」場面では上記の3つ(硝子の耳が聞こえること、硝子が健常であっても親しかっただろうということ、かつての仲間がまったく変わらず仲がいいこと)のすべてが「現実はそんなことはない」と否定されている、と考えるのが妥当だと思われます。

このあたりから、将也にとっての「この夢」の意味が、少しずつ見えてくるのではないでしょうか。

つまり、将也はこの夢によって、

「硝子の耳が聞こえる」「その場合に、硝子と仲良くやっている」というのがそれぞれ「ありえない夢」であるのと同様に、
「(諸々のトラブルがなければ)かつての仲間とずっと変わらず何もかもうまくいった」というのも「ありえない夢」だった、


ということを悟ったのではないでしょうか。

次のエントリに続きます。
ラベル:第53話
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