2014年09月10日

第52話、硝子はなぜ橋に行き、何に泣いたのか?

第51話で将也を夢枕にみて、思わず飛び起きた硝子が向かったのは、将也のいる病室ではなく、二人の出会いを育んだ「橋」でした。


第52話、4ページ。

硝子は、なぜ「橋」に向かったのでしょうか?

もちろん、将也が夢のなかで現れた場所は、福祉会館と橋でした。夢のなかの将也が「じゃーな 西宮」といって去っていこうとしたのも、橋でした。

でも、本当にその「じゃーな」を、将也の危篤のサインとして受け止めたなら、やはり硝子の行き先は橋ではなく病院であるように思うのです。
ですから硝子は、「将也が死にそうだからすぐに病室に向かわなければ」という発想とは少し違う考えで、深夜に外に飛び出したのではないか、と思うのです。

では、それはなんでしょうか?

ここでひとつのポイントは、夢枕に現れた将也が「4月15日の再会の日」の将也だった、ということなのではないかと思います。

この日、硝子は、さりげないけれどもとても重要な会話を将也と交わしています。


第2巻26ページ、第6話。

将也「なんで お前が 毎週エサやってんの?」
硝子「必要とされるのが嬉しいから」


この会話を見てから第51話を改めて読んでみると、第51話の夢枕将也のせりふが、この4月15日の対話と対をなしていることに気づきます。


第51話、15ページ。

将也「俺がいなくても 万事OKなんだ」

この将也のせりふは、「もうお前(硝子)は、俺を必要としていない(だからさよならしても大丈夫)」ということを意味しています。

自己肯定感が低く、条件付きの承認ばかり与えられて、障害ゆえに当たり前の関係を「あきらめた」硝子は、鯉や花などの動植物を心の支えとし、「必要とされる」ことでそれらとつながりそこにいてもいいという安心感を得ていたのだと言えます。
言い換えると、「諦めた」あとの硝子にとっては、人間関係も鯉とのつながりと同じく、「必要とされる」間だけそばにいてくれればよくて、相手がもし自分を「必要としなく」なったら、いつでも離れていっていいよ、そのくらいの「諦め」を含んだものだったと思います。

そういう意味で、橋崩壊事件後の将也は、猛烈に硝子を「必要として」いました
それは橋崩壊事件への反動でもあり、硝子への依存でしかありませんでしたが、それでも将也が強く強く硝子を必要としていたのは間違いありません。
そしてそのことを、硝子もはっきり分かっていたと思います。(そして、硝子が自殺前に最後に見ていた将也は、この「硝子を猛烈に必要としている、依存状態の将也」でした。)

「必要とされるのが嬉しい」と、硝子は将也に、再会した初めての日、まさにこの橋の上で語りました。
そしてそれから4か月後、橋崩壊事件後の将也は、硝子を強く強く必要とし、求めました。


それなのに、硝子は、「私と一緒にいると不幸になる」という別の思いにとらわれて、「自分を必要としている」将也を振り切ってひとりこの世を去る選択をする、という過ちを犯してしまいました
でも、そんな硝子の「過ち」を、将也は自らの命を捧げて、赦し、救ったわけです(このあたりは、以前エントリを書いた「将也=キリスト」的な議論と重なってきます。今回も「鯉」が活躍していますし)。

でもそれによって硝子は逆に、「必要とされるのが嬉しい」という、自分自身の「4月15日の橋でのことば」を裏切ったという罪を負って生きることとなりました。
硝子は、将也が求めていた(必要としていた)、かつての仲間たちとの絆を取り戻すべく、映画再開に向けて動き出しました。
それは、硝子の考える将也への贖罪でもあったでしょうし、同時に、「必要とされるのが嬉しい」と言って待っているだけだった硝子が、かつての仲間たちに能動的に「あなたが必要です」と語りかけるという、これまでとはまったく逆のメッセージを発することでもあったのだと思います。

そして、映画撮影は再開し、硝子は望んでいたものを手に入れたかに思えました。
でも、なぜか硝子の心はまったく満たされず、将也が夢枕で語ったことばによって硝子はその理由に気づきます。

将也は、「硝子が手に入れたかったものを取り戻す」ために、一生懸命動いていました。
そしていまや、将也が取り戻そうと頑張っていたものは、手に入ってしまいました。それも、硝子自身の働きで。

「硝子の失われた過去を取り戻すために頑張ってきた」「火曜日の将也」は、役目を終えました。
だから、夢枕の将也は出会った頃の姿に戻り、「俺がいなくても万事OKなんだ」と言って「過去」の姿に戻り、「じゃーな 西宮」と言って去っていったわけです。

そしてそのとき、硝子ははっきりと気づきました。
かつての「諦めて」いた硝子がそうであったように自ら去っていく将也を黙って見送ることなど、もはやできないということに。
「必要とされるのが嬉しい」でもなく、「必要とされていたい」でもなく、

自分にとって、将也が必要なのだ、と。

だから、硝子は病院ではなく、「橋」に行ったのだ、と私は考えたいです。
「いま病室にいる将也」というよりはむしろ、夢枕に立った「4月15日の将也」に会いに行くために
あのとき言った「必要とされるのが嬉しい」ではなく、今度こそ「私にはあなたが必要です」と告げるために


第52話、14ページ。

もちろん、そこには将也の姿はありませんでした。
でも、硝子の想いのたけが込められた涙が川に落ち、そこにいた「鯉」にそれが届いたとき、病室の将也はついに目覚めます。
少し大げさに考えるなら、もしかすると将也は、本当に「死の間際の夢枕」に立ったのかもしれません。
その危険な状態を、橋の上での硝子の涙が救ったのだとすれば(まあオカルトですが)、それこそが「橋の上の奇跡」だったのかな、と思ったりもします
タグ:第52話
posted by sora at 08:36| Comment(12) | TrackBack(0) | 第6巻 | 更新情報をチェックする

第52話、硝子視点の将也のイケメン補正がすさまじい件

これはちょっと笑ってしまいましたが、第51話に続き、第52話の硝子の回想シーンに登場する将也が、ものすごくイケメン補正されていて別人のようです(笑)。

本作では、各キャラクターの造形は、そのときの「視点」の持ち主によって、いい方向にも悪い方向にも補正されている、ということがずっと言われています。

この「補正傾向」は回想シーンでは特に顕著で、例えば川井回での回想シーン(やイメージ)では、真柴だけが異様に丁寧に描かれ、背景に花まで登場しているのに対して、将也や植野はラクガキのように描かれるといった露骨な差別化がなされています。


第48話、7ページ。花まで背景に描かれている、川井視点の真柴。

そして、第52話の硝子の回想シーンで描かれる、将也をはじめとする橋メンバーはすべて、過去に描かれていた(回想ではない)本来のシーンよりも基本的に整った造形で描かれているように見えますが、なかでも将也だけは、圧倒的にイケメンに描かれていることが分かります。

まず、将也視点では硝子と会話するときにはほぼ常に描かれていた「汗」を、最初の再会シーン以外ではまったくかいていません。
これだけでもイケメン度は50%くらいアップしている感じですが、さらに硝子イメージでの将也は、常に余裕たっぷりの落ち着いた表情をしています。
実際には、硝子と会っているときの将也はいつもいろいろな不安を抱えながらおどおどとしていたのに…。

特に、最後の「一緒に」の手話のシーンは、花火大会のシーンのクライマックスですが、将也はこのとき、自分のなかにある硝子への恋心にふいに気づいたように、真っ赤になり硝子を正視できなくなってテンパってしまっているのですが、硝子の回想イメージでは、かっこよく手話を決めて余裕たっぷりに微笑んでいます。もちろん汗もまったくかいていません


第52話、11ページ。

ここまで将也にイケメン補正がかかっているのを見ると、硝子も将也にベタ惚れなのは間違いないところですね。
(そういえば、将也もこのとき硝子にベタ惚れで、硝子の不穏な自殺念慮にまったく気づくことができませんでした。恋は盲目、ということでいえば、本当はこの二人はあの「事件」がある前からとっくに両想いだったわけです。)

それにしても、将也のあの「一緒に」が、硝子にしっかり伝わって、硝子の心に「刺さって」いた、というのは、とても嬉しくなる事実ですね。
将也は転落中に「ちなみに 俺はさ」と、硝子に気持ちを伝えられなかったことを少し後悔するようなことを思っていますが、大丈夫、もうしっかり伝わっていました。
将也が手話を覚えた、ということが、結果的にこれほどまでに硝子の人生に影響を与えている、これもまた、感動的な「聲の形」だと思います
タグ:第52話
posted by sora at 07:31| Comment(3) | TrackBack(0) | 第6巻 | 更新情報をチェックする

第52話、継続される実験的手法

えー、第52話。
当ブログ的にはキツいです(笑)。
今回、話が全然進んでいないので、第52話を題材にした新たな考察ネタを書くのに苦労しています。

今週は、途中でネタ切れになるかもしれないので、これまでに書きためてある(というか、各話掲載の1週間の間に出し切れずに死蔵している(笑))、以前の回に関する連続エントリなどを投下して、何とか回していこうと思っています。

ともあれ、気をとりなおして、第52話について、まずは全体的な話を書いていこうと思います。

今回、一番驚いたことは、

第51話からの硝子視点が継続されたこと

ですね。

前回の予測でも、ストーリー的には硝子視点が継続される可能性があるものの、それをやった場合にはまともにせりふを使えなくなるなど表現への制約が強く、第51話に引き続いて実験的要素が強くなりすぎるので、第52話では視点が変更されて将也視点に移行するだろう、と考えていましたが、作者はあえて硝子視点を継続するという選択をしたことになります。

その結果、今回はせりふが事実上まったくないという、またもや実験色の強い回となりました

そして今回も、聴覚障害の生きている世界の描写としてリアルさを感じます。
我々は、五感を駆使した世界を生きていて、ふだんそれを当たり前のものとして意識すらしませんが、第52話の描写をみるとき、障害のある人にとってそれは当たり前ではない、ということを改めて感じます。

第51話では、「周囲の声が崩れて聞こえる」という形で、聴覚障害の人の生きている世界が描かれましたが、第52話では、聴覚障害の人の生きている世界は、聴覚以外の感覚刺激を構成することによって成り立っている、という、考えてみれば当然のことを、まんがの描写として示した回になっているように感じます。
だからこそのサブタイ「静寂」なのであり、第52話は「硝子の将也への想いをいよいよ明確に描く」というストーリー面での意味と同時に、第51話とは別の側面から、聴覚障害の世界を何とかまんが的に表現しようとする描写的実験回になっていると思います。

これまで、サブタイに名前のついた各自視点回は全員1回ずつでしたが、硝子だけは2回連続で視点が与えられ、しかも2回目については「ほとんどストーリーを進めずに1話の尺を使いきる」という、スピード感と密度の高さが特徴の本作としては例外的な展開となりました
それだけ、「西宮硝子」という存在に対しては、作者が描きたかったものの性格が(他のキャラクターとは)異なる、ということなのかな、と思います。

まあ率直なところをいうと、展開としてはちょっとまったりしすぎかな、という気がしないでもないですが、作画としてはまったく手抜きがないというか、各ページ各ページ、週刊誌とは思えない凄まじいレベルの背景の描き込みで、よくこんな細かい背景を毎週毎週入稿できるもんだと思わずにはいられません。
(いまざっと見直してみて、一番手抜きができそうなのが再会後の出会いの回想シーンのように思われますが、大ゴマで主要キャラクターを描くシーンが一番楽そう、という時点で既にとんでもない気がします。)
タグ:第52話
posted by sora at 07:12| Comment(4) | TrackBack(0) | 第6巻 | 更新情報をチェックする