2014年09月06日

やはり祖母の死去のダメージは大きかった?

第51話の「硝子の望んだ理想の世界」のなかでは、誰もが笑顔で、誰もが優しく、誰もが傷ついておらず、幸せな時間が流れています。
それとは対照的に、「硝子をとりまく現実の世界」では、多くの人が険しい顔、悲しい顔をしていて、硝子に辛くあたったり避けたりし、傷ついています。
「硝子の理想」と「硝子の現実」の2つの場面に、重なっている部分はほとんどありません。(言い換えると、この2つの差があまりに大きいことが、硝子のおかれた環境の厳しさを如実に物語っています)

でも、よくみると、たった一人だけ、夢と現実で同じキャラクターの人物がいます

西宮祖母(西宮いと)です。


第51話、11ページ。


第4巻107ページ、第29話。

西宮祖母だけは、夢でも現実でもニコニコと硝子や結絃を迎え、味つけが濃いかどうかという他愛もない話を笑顔で硝子に語り、いつも硝子の味方でいます。
(佐原も同じキャラクターですが、「現実」では不登校になって小学校生活の世界から消えてしまいました。)

「夢」とはあまりにかけ離れた、厳しい「現実」。両者の断絶に絶望する硝子を思うとき、そんな厳しい世界のなかでの祖母の存在は、とても大きかったことを改めて思います。

母親さえもが、常に「この子に障害がなかったら」あるいは「障害なんか克服して普通に生きなければ」といった、障害への否定・敵視や条件付きの愛情ばかりを与える環境のなかで、ただ一人、硝子の障害をありのままに受け入れ、動じることなく、障害と無関係に無条件の愛情を注いでいた西宮祖母の存在は、硝子にとってかけがえのない救いになっていたはずです。

ノート池ポチャで「死にたい」と結絃に伝えた硝子が、その後立ち直ることができた背景に、祖母の存在(と動植物とのふれあい)があったのではないか、というエントリを以前書きましたが、逆に言えば「死にたい」とまで思い詰めた硝子を救うことができた人物がいたとすれば、それは西宮祖母以外にはあり得ない、とも言えるのではないかと思います。

そんな祖母を、家族は失いました。
そのインパクトは、硝子にとって、おそらく周囲が感じていた以上に大きかったのではないかと思います。
失ったあとで、あの「橋崩壊事件」が起こり、硝子は「死にたい」のときと同じ表情をし、そして今回は本当に自殺を決行してしまいました。

前回の「死にたい」では踏みとどまり、今回は決行してしまったことの背景には、もちろんさまざまな要素が複雑にからみあっているとは思いますが、西宮祖母の存在がいなくなっていることも大きかったんだな、ということが、今回、第51話の「硝子の夢の世界」によって、改めて示されていると思います。
ラベル:第29話 第51話
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第51話、「もうすぐ火曜が終わる」の意味とは?

第51話は、後半はすべてが陰喩とか象徴とかで語られていて、「解釈」を入れないと、何を言っているのかほとんど分からない、極めて難解な回になっていると思います。

このエントリで考えてみたいのは、夢?のなかの将也が語る、「もうすぐ 火曜が終わる」の意味についてです。


第51話、16ページ。

まず、ダイレクトかつ表面的な意味として、

(物語のなかの)リアルな時間として、もうすぐ日が替わる、という意味

があるでしょう。
この「メッセージ」を硝子が受け取ったのは、9月2日火曜日の深夜、もうすぐ0時になるという時刻です。
ですから、実際の時間として、もうすぐ火曜が終わる、という意味がこのメッセージとつながっています。

でも、その意味はおそらくそれほど重要ではないですね。
話末煽りでも触れられていたように、「火曜」というのは、再会して以降の将也と硝子にとって、特別な曜日でした

再会した最初の日、4月15日。
ふたたび会って、橋でお互いの気持ちを確かめあった日。
佐原と再会した日。
せっかくプレゼントを持ってきたのに、将也が現れずに複雑な気持ちになった日。
将也に「うきぃ」と大告白した日。
将也から遊びに(遊園地に)誘われて足をバタバタした日。
将也から「今日めっちゃかわいいね」と言われ、植野への手紙を投函した日。
将也・永束・佐原が、祖母の死で落ち込んでいる結絃を精一杯応援した日。
将也から、映画撮影の誘いを受けて、とまどいながらも承諾した日。
将也と永束が橋でケンカを始め、必死に仲裁した日。
映画撮影をみんなと楽しみながら、将也に「あなたのおかげで夏休みが楽しい」と伝えた日。


そして、まさにこの第51話で描かれている、かつて通った小学校でみんなで映画を撮っている日、9月2日。

すべては、火曜日に起こっているイベントです
そして、私自身、カレンダーを確認していて改めて驚いたことは、これらの、「火曜日に起こった、硝子にとってささやかだけれども本当に大切な、楽しい経験、思い出」はすべて、将也が運んできていた、ということです(ただし、最後の9月2日だけは違います。これが、将也が夢?のなかで「俺がいなくても万事OK」とか言ってしまっていることと関係しているのかもしれません)。

つまり、硝子にとって「火曜日」とは本当に特別な日であり、その「火曜日」の大切さ、特別さとは、そのまま、将也の大切さ、特別さとつながっているのですね。

だから、「もうすぐ 火曜が終わる」とは、

火曜日の幸せを運び続けてきた将也の存在が、もうすぐ消える。

ということを示している、と読み取らざるを得ません。


第51話、16ページ。

それが「リアル」なのか、硝子の単なる不安なのか、それともどちらでもない第3の展開につながるのか、それは次回を待つほかありませんが、少なくとも、「硝子が受け取ったイメージとしては」、これは「硝子にとって大切な存在であるところの将也」のダイイングメッセージである、と解釈できると思います。
ラベル:第51話
posted by sora at 08:17| Comment(0) | TrackBack(0) | 第6巻 | 更新情報をチェックする

第51話、直球の恋愛ストーリーとして読むなら?

第51話、障害とともに生きることの困難を新しい表現で描いた回として、胸が苦しくなる回ですが、その一方で、実は直球の恋愛ストーリーも盛り込まれていることに気づいて、ほっとする部分もあります。

第51話では、映画撮影が再開され、植野を除く橋メンバーが、以前よりもむしろ強くなった絆とともに再結集しました。
そして、かつての小学校のクラスに入ったことで思い出した、かつて夢見ていた世界。
当時、その世界は実現せず、硝子は傷つき、その世界に手を伸ばすことを「諦め」たわけですが、今回、この空想シーンで、ところどころで「現実」に戻ってくるシーンがあります
佐原や結絃とヘアメイク雑誌の件で雑談を交わす場面と、「仲間たち」と一緒に帰宅の途についてバイバイと別れるシーンです。




それぞれ、第51話、10ページ。

それらのシーンは、かつての「夢」のシーンとシンクロしています。しかも、その「映画再開」は、自ら動いて実現した結果です。

さらにもう1枚、かつてのクラスの席に座ってふと「夢」のイメージをふくらませた瞬間も、硝子は「クス」と微笑んでさえいます


第51話、9ページ。

これらのシーンを見ると、硝子は、あの事件のあと、改めて覚悟を決めて、かつて「諦めた」ものに「自分から」手を伸ばして(完璧にではないかもしれませんが)手に入れた、ということが言えるのだと思います。

なのに、「空想」から戻ってベッドの中で目覚めた硝子は、悲しく涙を流しています。
この涙は、障害がゆえにどうしても手に入らない「自分に障害がなかったらというifの世界」(特に家族について)を思って流した涙だ、と考えることもできます(その考え方をベースにした考察も書きたいと思います)が、それにしても「悲しい」方向に振れすぎではないでしょうか。

この「涙」の理由はおそらく、

欲しかったものを手に入れたはずなのに、それでも満たされない想い、切なさからくる涙

なのではないでしょうか。

硝子にとって、とても大切な火曜日。
その火曜日の「つながり」を象徴する映画撮影を自らの努力で再開して、当時夢見ていた「みんなとの楽しい時間」を十分すぎるくらい取り戻せたのに、心の空白がどうしても満たされず、気づいたら涙が流れていた。

そして、硝子は改めて気づいたのでしょう。
自分の心のなかを占めていた、将也の存在の大きさを、その将也がいまここにいないことで生じた、心の空白の大きさを

そして、そんな想いで枕を濡らしているなか、将也が不穏な形で夢枕に現れたことで、硝子は心を決めたのだと思います。
「うきぃ」のあとは遠慮し、自分の過ちがきっかけで将也に大ケガをさせてしまった後は封印していた、将也に対する恋心を、もう隠さない、隠せない、ということを。

硝子が向かった先がどこであれ、そこは間違いなく「将也がいる場所」でしょう。
恋心をはっきり自覚し、隠すことをやめたであろう硝子と将也が出会い、そこでどんな展開が起こるか楽しみです
ラベル:第51話
posted by sora at 08:10| Comment(4) | TrackBack(0) | 第6巻 | 更新情報をチェックする