当ブログでは、いわゆる発売日前の「フライングのネタバレ」に関する話題は扱いません。フライングのネタバレとなるコメントはご遠慮ください。ご協力よろしくお願いします。(発売日後のネタバレはOKです。)

おすすめエントリ(最初はこちらからどうぞ)

2014年09月13日

第53話の展開を予想する(1)

第52話がリリースされ、これで第6巻収録分の内容が固まりました。
将也の転落から始まり、「将也のいないあいだの仲間たち」がひとりひとり順に描かれ、最後は硝子の孤独を救った将也への想い、そしてついに将也が昏睡から目覚めて、第6巻は終わりました。

第53話は、最終巻である第7巻の冒頭の話という、非常に重要な回になります。

そして、第52話の話末には、にわかには信じがたい煽り文として、第53話のサブタイが「橋の上の奇跡」になる、と告知されています。

これらの状況を勘案して、第53話がどのような展開になるか、予想してみたいと思います。

1)「橋の上の奇跡」とはどういう意味?

まずはこのパズルからですね。

過去には、「次号サブタイ煽り」はずっと外れ続けるという伝統?があったのですが、前回の「植野直花」が当たってしまい、「必ず外れる」という逆張り予想もできなくなってしまいました(笑)。
そこで、今回はあえて、「このサブタイ煽りは(多少実際のサブタイは異なるかもしれないけれども)当たる」という前提で予想してみたいと思います。

そう考えると、次号は「橋の上」で何か「奇跡」のようなことが起きる、ということになります。
多少オカルトにふりつつも、まあ自然な展開としては、将也の叫んだ「にひみやっ!」が橋のうえで泣く硝子の心に届いて(この部分が「橋の上の奇跡)、硝子は橋からそのまま病院に向かう。途中で「将也覚醒」の報を受けた石田母と合流し、病室で将也と感動の対面、といった流れでしょうか。

それ以外で考えると、覚醒した将也が寝ぼけてそのまま外出し、橋まで来て硝子と対面、というのも思い付きましたが、さすがにこれじゃ不条理まんがになってしまいます(笑)。

むしろそれだったら、水曜日以降も毎日橋に行って泣いていたら、あるとき突然将也が橋に現れて、「…退院したんだ」と語りかける、とかのほうがありそうですね。

あとは、「橋に橋メンバーが集まる」的な方向は、泣いているのが火曜の深夜で、次に集まるのが1週間後なので、間があきすぎて間抜けな感じです。
でも、もし次の火曜までに将也が退院したら、次の火曜は橋メンバー全員集合することになって、これは確かに「橋の上の奇跡」と呼ぶにふさわしい展開かもしれません

あと、考えられる展開としては、硝子が橋の上で泣いているところに、将也以外の誰かがくる、という展開でしょうか。
それで一番ありそうなのは石田母ですね。
将也覚醒の報を聞いて病院に駆けつける途中の石田母が、橋にうずくまる硝子を見つけて保護しつつ病院につれていく、という展開です。これなら硝子にあちこち歩き回らせる必要がなくなるので現実的かも。(あまり「奇跡」っぽくないですが)
あとは、真柴とか永束とかが来てもけっこう面白いかも。
「どうしたの、西宮さん!?」

でも、実は単に、

第52話のラストで、「橋の上で」涙を流した硝子の気持ちが将也に伝わって、昏睡状態だった将也が目覚めたこと。これが「橋の上の奇跡」の正体。

という可能性もあるんですよね(笑)。
つまり、「奇跡」は既に第52話で起こっていて、これ以上特になにも起こらない、というオチです。

まあ、これは意外と当たりそうなんですが、さすがにこれではつまらないので、以下では、これ以外の可能性のほうを考えたいと思います。


2)将也の側の展開は?

第52話ラストの将也は、見た感じダメージがほとんどないように見えます。

すでに別エントリで考察したとおり、記憶喪失とか構音障害といった、「将也になんらかのダメージが残る」といった展開も考えられるのですが、もしそういった特殊な形での覚醒となれば、その「問題」にフォーカスが当たって物語が展開していくことになるだろうと思います。

ここでは、将也にそういったダメージがない形で「覚醒」した場合に限定して、その後の展開を考えてみたいと思います。

もしもダメージなく目覚めて、かつ第一声が「にひみやっ!」なのだとしたら、将也が最初に気にするのは硝子の容態でしょう
深夜でまわりに家族はいないようですから、最初に話をするのは看護師、ということになるでしょうか。
そうすると、昏睡中に将也の見舞いを続けていたのがずっと植野だけで、硝子らしき人物は見かけていない、と看護師は答えるかもしれません。少なくとも、看護師とのやり取りのなかでは、西宮の安否はわからないでしょう。

そうなると、将也はいてもたってもいられないのではないでしょうか。
でも、だからといって夜中に「橋」に走っていったらそれは不審者になってしまいます(^^;)から、その続きの展開は「連絡を受けた母親がやってくる」でしょう。
そこで、先の予測のなかにあったとおり、母親がかけつける途中で硝子を橋でみかけてピックアップして、深夜の対面、となったら、これはドラマチックですね。

なんというか、「深夜に目覚めた将也」という場面から、切れ目なくドラマを展開しようと思うと、やはりその深夜のうちに硝子と対面する展開が必然なようにも思いますね…。

いうわけで、1)と2)を総合すると、「オカルトなし」「将也の障害なし」「でも『橋の上の奇跡』は起こる」という想定をした場合の第53話の展開予想は、

・橋で泣いている硝子に、
・将也覚醒の報を聞いた石田母がたまたま近くを通って気づき、
・ピックアップして病室へ。
・将也と硝子、久々の対面!


といった感じになるでしょうか。

長くなってきたのでエントリを分けます。
タグ:第53話 第52話
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第53話の展開を予想する(2)

続きです。

3)将也と硝子はどんな話をするのか?

実はこのあたりがとても予想が難しいです。

将也は転落時にある意味「覚醒」し、硝子とも「過去」ともしっかり向き合って、率直な謝罪と好きだという気持ちを伝えようという覚悟を決めていました。
一方、硝子も既に「待ってるだけ、だまって作り笑いしてるだけ」というキャラクターはとっくに卒業し、さらに「橋」での号泣により、いまの自分にとって将也がかけがえのない大切な存在だということを確信し、いったんは封印してしまった将也への恋心をもはや隠すつもりはないでしょう。

だとすると、こんな2人が腹を割って話したら、とんとん拍子に相互理解が進んで、おそらく告白しあって、そして物語が終わってしまうのです!

だから、逆説的ですが、そういう順調な展開は、何らかの理由で妨害されてそうならない、ということは間違いないと思うのです。

・実は将也と硝子はまだしばらく会えない。
・将也が記憶喪失か他の脳障害などで、転落時の想いを伝えられなくなっている。
・植野とか石田母の「邪魔」が入り、腹を割った話をするチャンスを逸してしまう。


このあたりのどれか1つが起こり、とりあえずまだ第53話ではお互いの率直な気持ちがすぐ伝わることはない、という展開に持ち込まれる可能性が高いように思っています。


4)植野はどう動く?

9月2日の深夜(すでに日付が変わって実際には3日)、将也が目覚めたとき、さすがに植野はいませんでした。
いなくて良かったですね、何しろ第一声が「にひみやっ!」なわけですから(^^;)。

ただ、植野持ち込み品と思われる猫型CDプレイヤーもそのまま置いてありますし、2学期は始まっているはずですが、いまだに朝がきたら植野は授業をすっぽかしてやってくるかもしれません。

「自分が選ばれないなら 目覚めないほうがいい」と考えていた植野、実際に将也が目覚め、かつ「選ばれない」こともほぼ確定してしまったとしたら、どう動くのでしょうか。

私は、

もはや植野は動けない。

と予想します。
ですから、植野は2学期が始まって籠城をやめていて、せいぜい放課後に見舞いにくる程度になっていて、目覚めた将也を普通に喜び、当たり障りのない会話を交わし、去っていくのではないかと予想します。

もし、植野が入ってきた病室に硝子がいたら…。
おそらく植野は、勝ち目のない戦いで今さらことを荒立てることはしないのではないでしょうか。
ちょうど、最初の再会時に硝子に「敗北」し、奪った補聴器を返して去っていくときのように、無理をして作った笑顔で去っていくのではないか、と思います。

もう、植野は「見てるだけ」に戻り、しばらく物語の前線からフェードアウトするのかな、とも思います。
だとすると、しばらくはそもそも見舞いにも来ない、という可能性はありますね。


5)その他、気になること

将也の病室で気になるのは、植野のCDプレイヤーに入っている「ニヒルな肉球」のCDです。
以前の考察でも触れたとおり、このCDは恐らく、名古屋で限定盤を買った、島田との嫌な思い出のある因縁のCDだと予想されます。
どこかのタイミングでこのCDが鳴らされたとき、将也は何を感じ、何を語るでしょうか。(そのとき、病室には誰がいるのでしょうか)

また、映画の進展と島田の登場も気になるところです。
第53話だけにそんなにたくさん話を詰め込めないと思うので、第53話は将也と硝子の再会だけで終わってしまうかもしれませんが、もし次の話へのつなぎとして映画の話も出てくるなら、いったん軌道にのった映画の話に波乱を呼ぶために、島田の登場というのも十分考えられます。

また、映画ということでいえば、将也が昏睡している間に、硝子がメンバーを再結集させて映画が再開されていることに、どういう感想を抱くのか、とても興味があります。
私は、それを素直に喜び、硝子が前向きさを取り戻していることに安心し、映画撮影を続けることを応援する、そういうストレートな展開かな、と予想します。
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第52話を読んで、「枠線ルール」を改めて考える

さて、第52話は、最後の将也の場面を除いて事実上せりふがなく、基本的に硝子の「行動」と、硝子の「イメージ」で展開されています。

ここで、やはり気になるのが、コマの周囲の「枠線」の描かれ方です。

以前のエントリでも考察したとおり、このまんがでは、枠線の描かれ方によって、「現実」「回想」「夢・空想」が描き分けられています
具体的には、「現実」は普通の枠線、「回想」では枠の外側が黒く塗りつぶされ、「夢・空想」では枠がフリーハンドの線になります

そういう視点で今回のシーンを見ると、不思議なことに気づきます。
硝子は橋のうえで、これまでの橋メンバーや将也との楽しい思い出を回想しているのですが、これらのコマが、「回想」の黒塗り枠ではなく、「現実」の通常枠で描かれているのです。
これら硝子の「過去のイメージ」のなかには、遊園地や駅前など、硝子がいまいる橋ではない場面のものもあり、明らかに過去のシーンの回想であるはずなのに、まんがのなかではそのように扱われていないわけです。


第52話、11ページ。

これはなぜでしょうか?

この問題を考えるときに思い出すのが、第51話の将也登場シーンです。
こちらも、非現実的な「夢」っぽい映像だったにも関わらず、「現実」扱いの普通枠で描かれていました。
ですから、表現の使い方として、今回の第52話の「過去イメージ」と通ずるものがあると考えられます。

第51話で、硝子の「夢」のなかに登場した将也は、死を示唆することばを硝子に伝えていましたが、実際には将也は死なず、回復して目覚めました。
つまり、第51話の将也は、オカルト的に硝子に死を伝えにきた、ということではなく、どちらかという硝子自身の心のうちにある将也へのイメージが夢のなかで映像化したもの、ととらえたほうがよさそうだ、ということになります。

そうなると、すごく乱暴にいうと、第51話で登場した将也の各シーンは、「単なる夢」にすぎない、ということになります。
硝子が将也の手助けなしに映画メンバーを再結集させて、「取り戻したかったもの」を取り戻すことができた、という安心感が逆に、「これまで「取り戻す」ために頑張ってくれた将也が、これなら俺がいなくても安心と思って死んでしまうんじゃないか」という不安を呼び起こして、硝子に将也が去っていく夢を見させたのでしょうか。

考えてみると「いろいろあるけど自分がいなくても万事OK」という考えは、硝子自身が自殺を決意したときに将也に対して抱いていた想いだったのではないか、とも思います。
硝子は、将也にそのせりふを言わせることで、将也がもはや自分にとってかけがえのない大切な存在であるということを再確認したのと同時に、同じような考えで自殺を決行してしまった自分の愚かさと罪についても改めて痛感したのではないかと思います。

ともあれ、このような硝子の夢が、普通の枠線で描かれているということは、「普通の枠線」が示す意味を、もう少し拡張しなければならない、ということを意味していると思います。

おそらく、「普通の枠線」が使われるのは、

1)現実の描写。
2)仮にそれが回想や夢であっても、見ている当人がそれを回想や夢と認識しておらず、あたかも現実であるかのように受け止めている場合の描写。


この2つのパターンなんだと思います。


第51話の将也登場シーンは、実際には「夢」ですが、その夢を見ている当の硝子は、それが夢であると認識せずに、その夢を見ているから、枠線が「普通枠」になっているのだ、と考えることができます。

一方、第52話での橋メンバーや将也のイメージも、実際には過去の回想なんですが、当の硝子は「いま回想してる」という認識ではおらず、橋に身をおいただけで自然とイメージされた映像だったので、「普通枠」が使われているのだと思います。
言い換えると、第52話での硝子は、橋についた途端意識もしていないのに次々と仲間の映像がフラッシュバックし、硝子はそれらの映像を「回想」としてではなく、いまその場でリアルに感じられる映像として実感している、ということを示しているのではないか、と思います。
タグ:第51話 第52話
posted by sora at 10:33 | Comment(0) | TrackBack(0) | 第6巻 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年09月14日

第52話で復活した読みきり版の演出とは?

さて、第52話は硝子視点で、かつ第51話のような「空想」ではなく、硝子が経験した実際の過去の回想(「枠線問題」がありますが、これについては別エントリで書きました)が描かれたこともあって、読みきりでは描かれていて連載では削除された、いくつかの演出が「復活」しています

そのなかでも重要なのはこちらです。


第52話、9ページ。

硝子が将也に筆談ノートを池に捨てられた「ノート池ポチャ事件」のとき、硝子はノートを探すために池に飛び込んでいるにもかかわらず、学級裁判の日に池に落とされた将也は、池の中からその筆談ノートを発見します。

あのとき、硝子は筆談ノートを見つけられなかったのか?という疑問が(連載だけ読んでいる方には)残る場面ですが、今回、第52話で、

硝子はいったん筆談ノートを見つけて池から拾い上げるが、クラスメートと仲良くなるための筆談ノートが、実際には悪口だらけで池に捨てられるという現実を思い、絶望して、また池に落としてしまった。

という「真相」が語られました。

ちなみにこの「真相」、読みきり版のときは池ポチャ事件の流れで普通に描かれていたのですが、連載では省かれました。


読みきり版、29ページ。

これは、作者の大今先生がインタビューで語ったように、連載化にあたって視点を将也視点に限定したため、硝子視点でしか見えないエピソードはカットされたことによるものです。
今回、第52話にして硝子視点での回想が登場し、ようやくこの「連載で隠されたエピソード」が明かされました。

さらにこのシーンですが、よく読むと読みきりと連載(今回)で描写が大きく変わっている部分があり、それがびっくりするような形で非常に重要な伏線を回収しているので、それは別エントリでまとめたいと思います。

そしてもう1点、目立たないですが「読みきりでは掲載されて、連載ではカットされたエピソード(?)」があります。
それが、このシーンです。


第52話、10ページ。

将也が「友達になれるか?」と聞いて硝子がびっくりしてとまどうシーンです。

このシーン、連載版でもあったよ?と思われるかもしれません。
確かにあったのですが、そのときの描写はこうでした。


第2巻21ページ、第6話。

はい、硝子の顔が筆談ノートで隠れているんですね。
ノートで隠れた後ろで、硝子はこんな表情をしていたというわけです。

これも、読みきり版ではこちらの「横視点」でこのシーンが描かれていて、硝子の顔の表情がよく見えていたのですが、連載では「将也視点」とするために、ノートで顔の半分が隠れた硝子しか見えていなかった、というわけです。

今回のこれらの描写で、読みきり版では描かれて、連載では省かれていた描写は、ほとんどなくなったように思います。(あとは補聴器を最初に外に捨てられたときの硝子の表情とか、そのくらいでしょうか。)
posted by sora at 08:47 | Comment(0) | TrackBack(0) | 第6巻 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

第52話、たった1コマの入れ替えで回収された意外な伏線とは?

第52話では、読みきり版では描写され、連載版では当初カットされていたシーンである、「ノート池ポチャ事件のときに硝子がいったん拾ったノートを絶望のあまりまた池に落としてしまう」というシーンが、ようやく描かれました。


第52話、9ページ。

ところでこのシーン、実はよく読むと読みきりと連載(今回)で描写が大きく変わっている部分があります
そして、それがびっくりするような形で、非常に重要なまったく違う場面の伏線を回収しているらしいことに気づきました。

それは、

筆談ノートを拾ったときの「笑うタイミング」

です。

読みきりでは、

1)池に落ちた筆談ノートを拾って、
2)笑顔になり、
3)転校日に筆談ノートで友達を作りたいと語ったシーンを思い出して、
4)絶望的な表情になり、
5)拾ったノートを池に再度落とします。


でした。
連載(今回)は、

1)池に落ちた筆談ノートを拾って、
2)転校日に筆談ノートで友達を作りたいと語ったシーンを思い出して、
3)笑顔になり
4)拾ったノートを池に再度落とします。


読みきり版を読むと分かりますが、読みきり版の硝子の笑顔は、「池に落ちたノートをうまく見つけられて良かった」という意味での笑顔です。
一方、連載(今回)のほうは、読みきりで「絶望の表情」をした場面で、逆に笑顔になっています
連載版の硝子は、「諦め」て絶望したところで、ふいに「笑顔」を見せているわけです。そしてこの後、自宅に帰った硝子は「死にたい」と結絃にもらします。

つまり、今回のこのシーンで読みきり版とは異なる演出がなされ、新たに「絶望し、自殺を意識したときに、硝子はふいに『絶望の笑顔』を見せることがある」という設定が示されていることになります。

さて、そうなると、「読み解きかた」が変わってくるシーンがあります。
硝子が「絶望」し、自殺念慮をもつ瞬間は、このまんがの中で2回あります。
1回目は、この小学校時代のノート池ポチャ事件で、筆談ノートを拾って、再度落とした瞬間です。
2回目は、橋崩壊事件後の「デートごっこ」で、「私といると不幸になる」と将也に告げて、将也が一瞬答えに詰まった瞬間です。

「1回目」の瞬間に、硝子は「絶望の笑顔」を見せていることが、今回分かりました。
では、「2回目」はどうだったでしょうか?


第5巻156ページ、第40話。

そうなんです、やはり「笑顔」を見せているのです。
このシーン、なぜここに「笑顔」が描かれているのかこれまでずっと分からなかったのですが、今回の描写によって、このデートごっこのときの「笑顔」も、かつてと同様、「諦め」て自殺を決意した硝子の「絶望の笑顔」(5年ぶり2回目)だったのだ、と解明されたように思います。

この読み解きが合っているとすれば、これはなかなかすごい伏線回収ですね。
「読みきり版から、たった1コマ笑顔のコマの位置をずらすこと」によってその謎解きが実現されているわけですから。
posted by sora at 08:54 | Comment(3) | TrackBack(0) | 第6巻 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年09月15日

第52話、橋に来た理由はもっとシンプルだったのかも?

第52話で硝子が病院ではなく橋に来た理由、先日のエントリでいろいろ考察していましたが、改めて考え直してみて、実はもっとシンプルなことなのかもしれない、と思い始めています。

つまり、

硝子は将也に会いたくて橋に行き、将也に会えなくて泣いた。

というだけなのでは、と。

硝子は、飛び降りたところを将也に救出されますが、その入れ代わりで将也が転落していくのを目の前で目撃してしまいます。

このとき、硝子は将也に手を伸ばしましたが、将也をつかむことはできませんでした。

そして、第51話の描写にあるとおり、ベランダから部屋に戻ったあとしばらく気絶してしまった硝子が転落現場に着いたとき、すでに救出は終わり将也は搬送されていて、姿はありませんでした。
ここで、硝子が川岸まで近づいているコマがはさまれていますが、これは、硝子が将也に会いたいと思っていたが会えなかった、ということを示しているのだと思います。


第51話、5ページ。

つまり、第51話の気絶→島田と出会う、のシーンが描かれた最大の理由は、「硝子はこの日、転落した将也をひと目も見ることができなかった」ということを示すためだったのではないか、と思うわけです。

そして、最初に将也の病室に向かったときは、植野につかまって殴る蹴るの暴行を受け、その後は何度病室に行っても植野に門前払いを食らっています。(もしかすると、新学期が始まっても植野は籠城を続けているのかもしれません)

籠城している植野を振りきって病室に入ることは、硝子にはできなかったのだと思います。
植野も言っているとおり、硝子自身もおそらく「自分は将也を見舞う資格があるのだろうか」と自問し、自分を責めているでしょうから。

そして、硝子は、将也のために泣くことも、周りの関係から作り笑いで逃げることも「封印」しました
その結果、硝子は表情のない「ユーレイ」みたいなキャラクターになってしまいまったわけです。

そんな日々が続き、相変わらず将也とは面会できず、将也は目覚めず、そして将也抜きで映画が再開され、「火曜日」が将也抜きでもうすぐ終わる瞬間…。
硝子の感情が爆発したのだ
、と思います。

このまま会わないで毎日が過ぎたら、本当に将也は消え去ってしまうかもしれない、「病室の将也」に会う資格はないかもしれないけれども、「過ち」を犯す前の、4月15日の橋に現れた将也になら会えるかもしれない、そんな思いが、硝子にあの夢を見させ、病室ではなく橋に駆り立てたのではないか、と思うのです。

でも、当たり前ですが、橋に将也はいません。
やはり会えない。
いま将也がいるのは病室で、自分の過ちによって昏睡を続けていて、もはや自分に会う資格があるのかどうかすらわからない。
でも会いたい。どうしても会いたい。

その思いが、これまで封印してきた感情を爆発させ、硝子をして橋の上で号泣させるにいたった。


第51話、14ページ。

そういうことなのかな、と、今は思っています。
「転落してから一度も会えていない」という点に着目すれば、それ以降の流れについてはシンプルに読む方がいいのかな、と思います。

タグ:第52話
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第52話、筆談ノートに象徴される、「硝子の過ち」とは?

第52話はほとんどせりふがなく、物語の大きな進展は(将也が目覚めたことを除けば)ありませんでしたが、ちょうど真ん中辺りに描かれている筆談ノートを巡るエピソードには、物語の中核となる問題へのさまざまな意味が提示されていると思います。

そのなかの1つとして、硝子の「自殺」という行為が、物語のなかでどのように位置づけられ、どういった意味において「過ち」であったのかが整理された、ということがあると思います。

第52話の筆談ノートの回想は、将也が「忘れ物」といって筆談ノートを持ってきてくれたシーンから始まります。


第52話、8ページ。

そこから小学校の回想に入り、硝子が「手に入れたかったもの」の象徴だった筆談ノートが将也によって池に捨てられ、それを硝子がいったん拾い、でも改めて池に落としてしまいます。

その筆談ノートは将也に拾われ、5年後に将也から硝子に手渡され、手渡したときに将也は「友達になろう」という手話を伝えます。


第52話、10ページ。

その後、将也は「筆談ノート」が象徴していた「手に入れたかったもの」、それを捨てたときに「諦めたもの」を実現していったわけです。

そして硝子の回想は、花火大会での将也の「来年の誕生日を一緒に」という手話で終わるわけですが…。

その後に硝子は、もう1つ、思い出しているはずです。

その「象徴」である筆談ノートを部屋に残して、自らの身を投げたことを。

そしてそれこそが、硝子の犯した最大の過ちでした

この「過ち」の構造を、「筆談ノート」を中心に据えて、整理してみたいと思います。

繰り返しになりますが、「筆談ノート」とは、硝子が手にいれたいと望み、でも手に入れられないのだと「諦めた」、幸せで豊かな人間関係の象徴です。

硝子が持っていた筆談ノートは、将也によって奪われ、捨てられてしまい、硝子はそれによって「諦め」ました。
ところがそのノートは、その後将也が拾い、改めて硝子の手に渡されました。「忘れ物」というせりふと一緒に。
将也が再会時に筆談ノートを手渡したことと、将也との再会後に「諦めたもの」が取り戻せたことは、本質的に同じことを指していると思います。

ところが硝子は、橋崩壊事件後、思い詰めて、将也や仲間、家族を捨てて、自殺を決行します。
第42話の自殺決行シーンで将也がいすにつまづいて筆談ノートが地面に落ちる描写があります。
これは、「筆談ノートをおいて自分だけ飛び降りる」ということを示しており、もっと象徴的に言うなら「硝子が筆談ノートを自分から捨てた」ということを意味しているわけです。


第5巻186ページ、第42話。

つまり、硝子の自殺決行という過ちが物語のなかでもつ意味を、筆談ノートになぞらえて象徴的に語るとするなら、

せっかく将也が持ってきてくれた「筆談ノート」を、自ら捨ててしまうという行為だった。

ということになるんじゃないかな、と思います。
それは、将也がそれまでに行ってきたことの全否定でもありますし、さらに突き詰めれば、自分自身が小学校のころにもがいていたこと、それ自体の全否定でもあったのだ、と思います。
タグ:第52話 第42話
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2014年09月16日

硝子の誕生日は、なぜ「6月7日」なのか?

これは、以前、当ブログのやりとりの中で話題になったトピックです。

さまざまなものに作者がひそかに意味を持たせているこの作品で、なかなかその「意味」が分からなかったものの1つが、「硝子の誕生日の日付」でした

第15話で、硝子のメールアドレスが「nichinichisou0607@mokomo.ne.jp」であることが明かされました。


第3巻20ページ、第15話。

この時点で、「この6月7日というのは硝子の誕生日ではないのか?」という議論がありましたが、結局物語内の6月7日にはなにも起こらず(永束君がお茶飲んでただけ)、肩透かしをくらっていたところ、ようやく第42話で、やっぱり硝子の誕生日は6月7日だったことが明かされました。


第5巻176ページ、第42話。

つまり6月7日は、なにかイベントを発生させるために設定された日付ではなかったわけです。それでは、なぜ硝子の誕生日は6月7日だったのでしょうか?

これについて、もっとも可能性の高そうな答えは、

6×7=42で「死に」という運命を示唆するため。

というものです。

最大の根拠は、硝子の誕生日が明かされたのが、他ならない「第42話」だった、ということです。
これはかなり強固な根拠だと思います。
そして、第42話はいうまでもなく、硝子が身を投げた「死に」回だったわけですから、硝子の6月7日の誕生日は、ある意味、硝子にかけられた「死の呪い」のようなものとして「裏設定」されている、と考えるのがもっとも自然なんじゃないかと思います。

ついでにいうと、第43話は「度胸試し」回として、第1話のエピソード(第42回度胸試し)からの厳密な数字つながりを構成しています。
当然、その1話前の「第42話」についても、構成はかっちり固められていたはずで(第43話で「度胸試し」をするためには、第42話で飛び降りなければならない)、あらかじめ第42話で誕生日を明かすつもりで、誕生日の日付を設定するのは、作者としてまったく難しいことではなかったはずです。

ちなみに、かけ算して42になる組み合わせは、以下の4つあります。

6月7日
7月6日
3月14日
2月21日


このなかで、なぜ6月7日が選ばれたのかは謎ですが、2月や3月だと「早生まれ」となり、第42話の将也の「来年は一緒に」のせりふが言えなくなってしまうこと、結絃との学年差が絶対に3年になってしまうので結絃が中3で高校受験を控えている設定になってしまうことなどから避けられたのかな、と思います。

あともう1つは、第23話の「うきぃ」告白回が6月3日にあたるので、「もし将也が告白を受け止めていたら直後の誕生日を祝えたのに」という日程感になっているのかな、とも思っています。

ちなみに最後に、6月7日はかけ算すると42ですが、足し算すると13です
以前エントリで考察した通り、この物語はキリスト教との関係もありそうに思えるので、最後の晩餐・イエスの処刑で不幸な日付とされる「13」とも関係させているのかな、とも思います。
タグ:第42話 第15話
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第52話・定例 伏線回収ウォッチング

さて、第52話は硝子の感情の爆発をせりふを使わずに絵だけで描写するというアーティスティックな回で、伏線回収という面からは大きな進展はありませんでした。
ただ、いくつかのシーンの読み込みや、第51話との会わせ技で、いくつか「伏線回収」と呼んでいい状態になったものがあります。

また、リストにない伏線回収として、すでに別エントリで言及した通り「硝子の自殺決意時の笑顔」の件がありますので、それについてもあとで軽く触れます。

1)特A級
1a)硝子の将也への恋心は届くのか。将也の硝子への恋心は自覚され届くのか。 → 第51〜52話で硝子は将也への想いを改めて自覚しました。
1b)将也、硝子双方が持つ自己嫌悪は克服されるのか。
1c)島田の中学での将也迫害の理由、島田が将也に考えている(いた)こと → まだ明確ではありませんが、島田が将也に腹を立てていたことは第50話で示されました。
1d)小学校時代の硝子がなぜ将也と友達になろうとしたか → 第51〜52話で、硝子は将也のいじめをほとんど恨んでいないことが示唆されています。だとすれば、将也は硝子と関わりを持ち続けていた唯一のクラスメートだったかもしれません。
1e)硝子が自殺を決意するに至る(小学校からの)心情的経緯 →44話の手紙と45話の結絃の回想で語られました
1f)橋メンバーとの和解。誰と和解し、誰と和解しないのか。→ 硝子ー永束ー佐原ー真柴の人間関係が再構築され、川井とは距離が示されました。島田とのつながりもでてきました。
1g)将也がクラスメート全般につけている×は外れるのか
1h)硝子が「諦めていたもの」とは何だったのか → 第51〜52話で「クラスメートとの友人関係を筆頭とする、障害がなければ当たり前に得られただろう幸せな関係」を、障害があっても努力で手に入れることだったと示されました。
1i)将也は、いつ硝子に過去の行い(いじめ)を謝罪するのか

2)A級
2a)硝子が植野に出した手紙の中身 → 第44話で明らかになりました
2b)硝子の補聴器が片方になった理由
2c)水門小から転校後の硝子の学校生活、交友関係 → 第51〜52話の硝子回でまったく示されなかったことから、極めて没交渉な生活だったと判断できそうです。
2d)なぜ島田はテキ屋になっているのか、ただのバイトなのか → なんと第49話おまけの「舞台探訪」で回収されました。ただのバイトのようです。
2e)結絃カメラのゴクヒ映像はもう使われないのか → 47話からみると、自殺の映像はガムシロ組にも共有されたようです。
2f)結絃の不登校は解消されるのか、自称「硝子の世話係」を卒業するのか → 第44話、45話で「世話係」の自己像が否定されました。
2g)硝子が「死にたい」から1か月半程度で立ち直るまでの経緯

3)Aマイナス級
3a)真柴の正体、真柴の「同級生」 → 第49話で、真柴が考えていたこと、同級生の話題が伏線回収されました。
3b)結絃が死体写真ばかり撮っていた理由 → 第45話で明確になりました。
3c)ガーデンピックはいつ聞くんだ
3d)佐原のメール「成長を証明する」方法 → 第44話、45話での植野への振る舞いに明確に見えました。47話でも成長が示されています。
3e)竹内がなぜ手話を知っているのか
3f)ペドロはどこへ行った?
3g)広瀬のいま、島田・植野との関係 → 第50話で、まだ普通に植野・島田と花火大会でつるむような親しい関係で、将也救出にもかんでいたことが判明しました。
3h)将也が中学時代も孤立していたことを硝子は知ることになるのか
3i)映画はどうなるの? → 硝子の努力により、再開されました。島田も参加の見込み

4)B級
4a)喜多先生の結婚相手、喜多はいま何をやっているのか
4b)小学校時代、将也以外のクラスメートの硝子いじめの実態 → 特に将也カースト転落後のいじめは、植野が、硝子に対する嫉妬で行っていたことが判明しました。
4c)石田母の「優しさの中の厳しさ」はもう表現されないのか → 第49話で、病室に籠城する植野への態度、硝子への拒絶などで改めて示されました。
4d)健脚コンビとは何だったのか
4e)デラックスってなぜ登場したんだろう、再登場はある?
4f)石田姉の顔出しはある? → 第51話と同じ号に掲載の作者インタビューで「物語上不要だから(出さない)」と説明がありました。
4g)花火大会の「あれ 西宮さんじゃね?」の発言者は? → 広瀬(か島田)であることが第50話で判明しました。


今回、「諦めたもの」の象徴である「筆談ノート」のエピソードについて改めて描写があったことから、1h)の「諦めたもの」が、将也が高校編で取り戻した(取り戻そうとした)ものとほぼイコールだったことが確実になり、これだけの描写がなされたということで「伏線回収」と見なしてよさそうだと思います。

同様に、2c)の、水門小転校後から将也と再会するまでの硝子の交遊関係は、この間ずっと「諦めた」状態であったことと、硝子視点回でも描写がまったくなかったことから、「語ることがまったくないほど没交渉なものだった」という形で「伏線回収」されたと判断したいと思います。

1d)の「硝子がなぜ将也と友達になろうとしたのか」については、まだ「伏線回収」とまではいっていませんが、もうこれ以上説明はされないのかな、とも予想しています。
6巻の各自視点回で、硝子はかなり早い時期から孤立しており、またその時点での「いじめ」は実はほとんど将也の単独犯だった、という「構図」も見えてきましたので、補聴器事件のときには既に将也くらいしか硝子の方から接近できるクラスメートがいなくなっていた、というのが「真相」であるように思われます。(これについてはエントリをまとめてあるので、そのうちリリースしたいと思います)

1a)の「恋心」については、将也自殺後、封印していたその感情を硝子ももう抑えられずに爆発させましたので、あとはふたりが出会って話をするだけ…という状態になってきました。

最後に、これは別エントリで触れましたが、第40話で「私と一緒にいると不幸になる」と告げたあとの硝子がなぜか笑顔を見せるシーンの「真相」について、第52話のノート池ポチャ事件の描写から、「硝子が自殺を決意したときに見せる絶望の笑顔」だった、という形で「伏線回収」されたと理解しています。
タグ:第52話
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第52話 コネタ集

さて、火曜日恒例のコネタ集です。
今回もボリュームがけっこうありますが、今回は1エントリにまとめて投稿します(Seesaaブログのサーバが不調なので、アップ回数を減らしたいので)

1)将也の指が6本
硝子の回想のなかで、「忘れ物」と手話で伝えて筆談ノートを見せる将也。


第52話、8ページ。

たいへん感動的なシーンですが、よく見ると、将也の指が6本あります(笑)。
第52話のすさまじい背景の描き込みで、さすがに大今先生も疲れていたのでしょうか。

でも、逆に言うと、このシーンを過去のシーンのコピペではなくちゃんともう一回描き直しているということですから、実は素晴らしいことでもあると思うんですよね。

2)池の季節が変わってる
硝子の回想での、筆談ノートを硝子が「諦めて」池の中に手放すシーンと、将也がそれを拾うシーン。


第52話、10ページ。

よくみると、この2つのシーン、下の「拾う」シーンの池の水面にだけ落ち葉が散らばっています
私のカレンダーによると、ノート池ポチャ事件は9月中旬、将也がノートを拾ったのは「学級裁判」と同日で恐らく10月下旬ということで、季節が変わって落葉のシーズンになっているということですね。
実に芸が細かいです。

3)鯉が鯉を食べてる?
硝子が最後に橋の中央で号泣し、涙が下を流れる川に落ちるとき、「鯉」が登場します。
そして、次のコマでちょうどその涙が落ちた辺りを通過したコマがアップになったところ、よく見ると反対側(右側)からもう少し大きな鯉が大きな口を開けてその鯉を飲み込むような動きを…


第52話、15ページ。

えっ、これって鯉が鯉を飲み込んじゃってるの?どういう意味?と思ったら、よくよく見るとその次のコマの端のほうにちゃんとさっきの鯉がいますね。
単にすれちがっただけのようです。
まあ「鯉(恋?)がすれちがう」というのはあんまりいいフラグには思えませんが、「鯉が鯉を食う」よりはマシかもしれません(笑)。

4)下にあるのは導尿?
見開きの、将也が起き上がったコマ。


第52話、17ページ。

病院らしく、いろいろな点滴っぽいパックがぶら下がっていますが、唯一、将也のベッド位置より下に下がっているパックが手前に見えます。
これは、恐らく導尿パックですね。
昏睡状態が続いていたということで、カテーテルによる導尿が施されていたということなのでしょう。
それにしても、見開きで導尿している姿を描写されてしまう将也ェ…。(しかも中身が少したまってるし…)

5)フルカリック2号は栄養点滴
同じく病室のシーン。
点滴のなかの1本の名前が「フルカリック2号」とはっきり読めます。



実在する、テルモの「フルカリック2号輸液」のようですね。(商標管理とか大丈夫なのでしょうか?)
私は薬とか詳しくないですが、1日2本くらいを24時間かけて投与するもののようです。そしてこのフルカリック2号1本のカロリーは820kcalとのことです。
また、いま改めて読むと、植野回の1ページ目でも、この「フルカリック輸液」が将也に点滴されていることがわかります。

6)また「まずいシーン」が使われてる(笑)
今回、声の形第52話が掲載されている、週刊少年マガジン2014年第41号、ここ最近ずっと大々的に宣伝されている「第93回新人漫画賞」の特別審査委員長が大今先生ということで、告知広告に聲の形のカットが使われているのですが、今週は…



このカットはまずいんじゃないですか(笑)。
だってこれ、第40話の「私と一緒にいると不幸になる」の直後の「絶望の笑顔」ですよ。

聲の形の場合、表情と心情が裏腹のシーンがたくさんあって、以前も巻末の「持ち込み歓迎」のシーンで花火大会時の硝子のフェイクスマイルが使われたこともありますが、原稿募集の広告で「一緒にいると不幸になる」の笑顔が使われているのは、逆にちょっと笑えます。
タグ:第52話
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2014年09月17日

聲の形の「オカルト的展開」をどう読むか、という話

これ、エントリとして書くかどうか迷ったのですが、たぶん第51話から53話くらいの展開について議論していく際に、この部分について私がどう考えてエントリを書いているのかを示しておかないと、個々のエントリごとに微妙に火種がくすぶりそうなので、独立エントリとして自分なりの立ち位置を示しておくことにしました。

端的にいって、第53話で、

1)将也が硝子と同じ夢を見たこと。
2)将也が橋で泣いている硝子を夢で「透視した」こと。
3)その泣いている硝子の服装が、将也が見ていないはずのものだったこと。


などは、どれも「超能力的」であるように見えます。

こういった展開をみると、聲の形はオカルトまんがになってしまったのか、だとすればなんでもありだから「考察」しても仕方ないんじゃないか、といった意見も、まああると思います。

一方、これらの一見オカルト的な展開も、さまざまな考察を重ねることで、(多少強引になるでしょうが)オカルト的な前提をおかずに、「リアル路線+偶然」で説明することも不可能ではないと思います。
でも、そういった態度は、「オカルト的展開を無理に否定してリアル路線で読むという苦しい態度」に見えるということもあると思います。

ただ、この点について、私のポジションははっきりしています。

フィクションなんだからまずは全肯定。
オカルト要素があってもなくても構わないし、それも含め純粋に「作品の要素」として楽しみたい。
そのうえで、最終的にはそれによって表現されたものに対する「好き嫌い」の問題。(ただし「読み解き」は好き嫌いとは別)


少し前から書いていましたが、もともと、このまんがでは「リアル路線」とはちょっと違うセカイが描かれている、と思ってきました
具体的には、ものすごく少ない人数で物語が回っていき(将也転落を救出したのが島田と広瀬、とか)、「偶然の出来事」が割と当たり前に発生する、私たちが生きている世界とは微妙に違うパラレルワールドが舞台の物語だという認識です。(ゴールデンウィークもありませんでしたし、まだ肌寒い春でも平気で川に飛び込んだりもしていました)

ですから、ある場面で超能力っぽい展開が出てきたとして、それをそのまま「超能力」として受け止めてもいいですし、そうではなく「偶然の出来事が当たり前に起こるパラレルワールドで、また素晴らしい偶然が起こった」と読んでも、どちらでもいい、と思っています。

考察についても、

1)オカルトを前提として素直に読む。
2)オカルトは前提にしないが、「偶然の出来事がよく起こる」という「聲の形的パラレルワールド世界観」を前提にして深読みする。
3)あえてリアル世界観を前提にして「こんなこと起こらねーよ」と笑い飛ばす。


上記の1)から3)を組み合わせたり使い分けたりして、考察という営みそのものを楽しんでいきたい、というのが当ブログでの私の考え方です。
つまり、「この場面をオカルト的に読むなら素直に○○だけど、理屈をつけて読むなら××と考えれば説明がつけられる、でもまあどっちも強引だよなあ(笑)」みたいな読み方をするのが、私なりのこの作品の「オカルト的展開」の楽しみかたになります。

オカルト的展開を否定することもしませんし、オカルト的に見える場面にあえて理屈をつける、という読み解きを楽しむことも否定しません。「さすがにここでオカルトになっちゃうのは強引だ」と笑うこともしますが、それは作品叩きとしてではなく、しっかり「読み解き」をやった後でのツッコミとして語りたいと思います。

ちなみに第53話についてですが、大今先生は基本的に「オカルトでない前提でも読みきれる」ラインをぎりぎり走っているように見えますし、むしろそれを楽しんでいるように見えます
そもそも将也自身に「グーゼン会えるなんて出来過ぎだし?」とかまんがの中なのにメタ的なことを言わせてますし、硝子を何話も使って「ユーレイ風」に演出し、将也を白装束で登場させて二人を会わせる、なんてのも、オカルトオチを嗤うギャグにしか見えません。


第53話、15ページ。

また、今回の展開は、ふたりの出会いをドラマチックかつスピーディ(かつコミカル)に演出するために選択されており、翌朝普通に病室で出会うという(合理的だけれども恐らく退屈な)展開と、本質的には何も変わらないものでもあると思います。

ですから、第53話についていえば、納得できる形で「奇跡」が演出された、そう素直に思っています。

なお、このブログは、「読み解き」をメインとしてやっている「ファン」ブログです。(読み解き=作者がそれぞれの場面で何を表現しているのかを、作品内の情報から推理していくことです)
作品の好き嫌いの議論を否定するものではありませんが、例えばオカルト的であることを理由とする「作品叩き」「作者叩き」「キャラクター叩き」は、当ブログではご遠慮いただいていますので、ご了解いただいたうえで、楽しく皆さんと議論していければと思っています。

よろしくお願いします。
タグ:第53話
posted by sora at 07:15 | Comment(19) | TrackBack(0) | 第7巻 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

やはり聲の形は「鯉の形」だった?(あるいは第53話のオカルト展開をどう読むか)(1)

先ほどのオカルト展開エントリの続き的なエントリです。
さっそく、第53話でのオカルト的展開をがっつり楽しみつつ読み解いていきたいと思います。

第51話あたりから、将也と硝子の物理的距離を超えたコミュニケーションが少しずつ出てきて、物語がややオカルト的要素を帯びてきていましたが、第53話ではっきりと「超能力」としか読めない(あるいはそう読むのが最も自然な)展開が出てきました。

それは、

硝子が橋で泣いているシーンを将也が夢に見た際の硝子の服装が、将也転落後に硝子がはじめて着た、将也の知らない服装だった。

という点です。


第53話、4ページ。

他の場面はなんとか偶然で説明することもできそうなのですが、このシーンだけは「将也が転落して昏睡したあとの硝子の服装」を知っていなければありえない描写になっているため、偶然だけで説明するのは厳しそうです(あえていうなら、記憶の錯乱によって、実際の再会時に見た硝子の服装を、夢でも見たかのように「夢の記憶の後付けの修正」が行われた、と考えるくらいですが、まあちょっと無理があります)。

簡単にいえば、将也はこの場面で、「透視能力」という超能力を発揮していま橋で泣いている硝子を「見た」、そう考えるのがもっとも自然な読み解きでしょう。

でも、それにしてもこのシーンには少し不思議なところがあります。

このシーン、もしも硝子の姿を無難に「将也の知っている服装」にしておけば、偶然の一致かオカルトか微妙なラインを走ることができたはずだからです。
実際、このシーンで将也のほうは病院着ではなく4月15日の制服姿をしています。
つまり、作者もこの「服装問題」を意識して描いていることは間違いありません。
この場面で硝子も同じく制服の冬服にすることで第51話の夢枕シーンっぽく見せることも可能だったはずで、そう描けば「オカルトか偶然か」の微妙なラインを維持することもできたはずです。

でも、そうはなっていません。

つまり、この場面では、作者はあえてはっきりと「この場面では超能力が発揮されたんです」と表現しようとしている、そう考えたほうがよさそうだ、ということになります。

だとすると、他の場面ではオカルトか偶然か分からないように描いているのと比較して、この場面には「奇跡」がおこる必然的な背景、状況がある(と作者が考えている)ことになります。
それは、何でしょうか?

…と考えていて、「答え」らしきものにいきつきました。

「鯉」です。

次のエントリに続きます。
タグ:第53話
posted by sora at 07:22 | Comment(0) | TrackBack(0) | 第7巻 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする