2014年09月04日

第51話、「空想シーン」で描かれている世界の意味とは?

第51話の真ん中に、明らかに現実と違う、楽しそうな毎日が描かれた硝子の「空想シーン」があります。(まんがのコマの枠がぐにゃぐにゃのものが、それにあたります)

このシーン、最初は、障害を持ちつつももう少しうまくやれていたら、このくらい楽しい毎日になっていただろうな、という硝子のささやかな願望、もしくは、辛いことがたくさんあった過去の記憶を微妙に捏造して、「楽しかった過去」に塗り替えているシーンとして読んでいたのですが、あることに気づいて、衝撃を受けました。

このシーンの読み方。それは、

硝子が空想する、「もし私の耳が聞こえていたら、障害がなかったら」というifの世界

ということです。

硝子が自宅に帰り、笑顔の西宮母、西宮祖母と一緒に食事をとるシーンにはもう1膳の食器があり、入浴中に「ガチャ」とドアの音がして、結絃が「おおぉあぁんあぁー」と言っています。これは「お父さんだー」でしょう。


第51話、11ページ。

つまり、この空想のなかでは、父親が離婚していません
そして、入浴中なのに、「ガチャ」という遠くのドアの音が「聞こえる」設定になっています
さらに、結絃の髪は長いままで、あの「髪切りイベント」も発生していないことがわかります。

そして、硝子は歌番組を楽しみ、合唱コンクールでもうまく歌えてみんなの中に溶け込んでいます。佐原も不登校になっておらず、ヘアメイク雑誌の話題で盛り上がる関係です。

…これらで分かるとおり、この「空想」の世界では、硝子は耳が聞こえるのです

では、なぜ「聞こえる」設定なのに、すべての登場人物の発音がおかしいのでしょうか?

それは、

硝子は、正しい発音の世界を知らないから。

です。

硝子の空想は、硝子が経験している、理解できている知識の範囲のなかで構築された「健聴者の世界」です。その「硝子が想像できる範囲」のなかに、健聴者がスムーズに話している音声言語は含まれていません。
ですから、この空想は「誰も聴覚障害者がいない世界」という設定になっているにも関わらず、会話は全部崩れていて、まさにそのことが、「本当は、硝子は重い聴覚障害者である」ということを残酷にも示している、ということになっているわけです。

…いや、この表現はすごい。
この表現の構造に気づいたとき、リアルに鳥肌が立ちました。

そして、「硝子視点回」を、単純に過去のいじめの回想とかに使うのではなく、硝子が障害をもっていることでどれだけ自己肯定感を潰され続けてきたか、硝子がどれだけ辛い人生を送っていたかを示すために、こんな形で使うとは、本当に度肝を抜かれました。

もう、この描写だけで、個人的には第51話は第21話(最初の植野大暴れ回)に匹敵するかそれを超える「神回」になりました。
タグ:第51話
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2014年09月05日

第51話、なぜ「転落後シーン」が描かれたのか?

第51話では、最初の4ページをかけて、将也転落後の硝子の行動と、島田・広瀬との遭遇を描いています。


第51話、5ページ。

少し疑問に思うのは、なぜ今回、硝子回でこのシーンが描かれたのか、ということです。

島田と広瀬があの場に居合わせて将也を救出したことは、前回の植野回ですでに出ていますし、今回、落下時の将也の様子などが描かれることもありませんでした。
そういう意味で、将也救出について、今回、新たな情報がほとんど付け加えられていないのです。

情報を追加せずに、あえて将也救出シーンをもう一度描いた理由について、まったく正反対の2つの説明が考えられると思います。

1つは、今後用意される島田視点回のためのネタの温存。

もう1つは、まったく逆に、「もう島田視点回はない」ということを示唆するもの。

ただ、「島田回のためのネタ温存」という仮説にはちょっと疑問があって、

1)だったらそもそも「硝子回」で転落・島田遭遇シーンなんて描写する必要がない。

2)将也が目覚めたら、もう自殺から身代わり転落までの一連の事件は「過去のもの」になって、それいこうわざわざ掘り下げなければならないような性格のものでなくなる。


といったところに答えが出ないように思うのです。

ですので現時点では個人的に、これでもう島田視点回はなくなったのではないか?と感じています。

では、なぜ硝子回でこのシーンが盛り込まれたかと言えば、

1)島田と広瀬が将也を助けた、という事実を硝子が知ること。
2)島田の「石田に言うなよ」というせりふを硝子に聞かせること。
3)将也転落後の硝子の動きが鈍かったことの「釈明」。
4)島田の映画参加の伏線。

この4つが目的だと考えられます。

つまり、かつて将也をいじめた島田・広瀬は、すでに将也のことを悪く思っておらず、転落した将也を助けるくらいには心証は改善しているが、わざわざ将也との関係を修復したいとまでは思っていない(その部分が、遊園地回でふたりを強引に会わせた植野の思惑違いだった)、そういう「距離感」を読者に知ってもらうのが目的だった、ということです。
(また、「石田に言うなよ」と島田が言っているということは、石田はまだ生きているということの裏返しでもあるわけで、それを確認でいた硝子なら、その後気力がもたずに家で倒れ込んでいてもやむをえない、という、作者からの「釈明」でもあるように思います)

そして、こういう微妙な距離感にある島田のメールアドレスが永束に渡って、今後の映画撮影に島田がからんでくるだろう、という伏線が新たに設定されています。

もちろん、今後、島田の登場は十分に考えられますが、その登場のための「舞台」はすでに(視点回がなくても)整えられており、あとは将也視点のなかで島田が登場すれば十分、という状態になったのではないかと思います。
タグ:第51話
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第52話の展開を予想する

第51話は、まったく予想できなかった「硝子回」となりました。
前回、あそこまで思わせぶりに島田のメアドが登場し、「島田らが将也転落現場にいた」という特A級の新展開、かつ「6巻終了まであと2話」という状況、それらをもろもろ総合すると、ほぼ間違いなく「第51話は島田回で、6巻最後の52話が将也視点での目覚め」だと思っていたのですが、見事に外されてしまいました。

というわけで、第52話です。
素直に予想していいのか、やはり今回のようにひねってくるのか、もはやまったく予想がつきません(笑)。

既に次回予想に関連するエントリも書いていますが、ポイントをあげてまとめながら予想してみたいと思います。

1)硝子が向かった先はどこ?
さて、火曜日の深夜に外に飛び出した硝子ですが、いったいどこに向かうのでしょうか?

a)将也が眠る病院。
 常識的に考えればこれしか考えられませんが、常に読者の意表をついてくる大今先生なので、これではない可能性を捨てきれません。

b)橋。
 かなりオカルト的になってしまいますが、夢の中で将也が登場した「橋」という選択肢も可能性はゼロではないですね。まあ、硝子が本当に橋に走って、そこに将也の魂が現れたりすると、もはやまったく別のオカルトまんがになってしまうので、それはないのではないかと思いますが…。

c)マンションの下の川。
 第51話をよくみると、冒頭の将也転落でマンションを飛び出したのと、ラストの将也夢枕でマンションを飛び出したのが、微妙に対比させられているように見えます。
 だとすると、「転落現場」であるマンション下の川に、何か気になることがあって駆けつける、ということもあるかもしれません。

…。
うーん、やっぱりa)の「病院」以外は難しい気がします…。
というわけで予想としては行き先は「病院」としておきたいと思います。

2)どうやって病室に入る?
硝子がこの流れで病室にいくとすると、深夜に面会する展開になりますが、普通は病院はそんな深夜には面会を許してくれません。
ただ、もし将也の容態に急変があれば、家族は呼ばれると思いますし入れると思いますから、ここはきっと、

将也の状態が急によくなった(か、あまり考えたくありませんが急に悪くなった)ために、病院から呼ばれた石田母と病院の近くで偶然遭遇、一緒に病室に入る。

という展開だと読んでおきたいと思います。

3)次回は誰視点?
私は、もう島田視点回は消えた、と思っています。
そうなると次回は、「途中まで硝子視点、途中から将也視点」か、「最初から最後まで将也視点」のどちらかくらいしか思い付けませんが、展開のバランスを考えると

最初から最後まで将也視点

が一番ありえそうです。
硝子視点は非常に扱いづらい視点であり、もう二度と使われないんじゃないかと思いますから。

4)将也は生きているのか?目覚めるのか?
今回のラストの引きを見ると、将也が死んでしまいそうな展開になっていますが、仮に次回を「将也視点」とおくなら、まあ将也は死なない、生きているだろう、ということになりそうです。
そもそも、ここで死んでしまったら7巻をどうやってもたせるんだ、ということもあります。

さらにいうと、将也は次号で目覚める可能性が高いと思います。
これまでの伝統だった、「各巻のラストは将也と硝子のふたりが登場するシーン」という法則を貫こうとすると、次回も眠りっぱなし、というのはちょっと考えにくく、目覚めて硝子とのなにかしらのやりとりが生じる可能性が高いと思います。

ただし、将也がまったく無事な状態で目覚めるとは限らないと思っています。別エントリで考察したとおり、記憶喪失になって目覚める、という展開の可能性がけっこうあると思います。

5)尺が足りない!
上記1)から4)を総合すると、第52話の予想ストーリーは、硝子が深夜に病院にかけつけ、石田母の助けも借りて将也の病室に入ると、将也がようやく目覚めるが、将也は記憶を失っていた…。といったものになります

でも、これでは18ページもたないですね。尺が足りないです。
たぶん、上記だと1話分の半分くらいのボリューム感だと思います。
だとすると、「もう1つ」くらい、第52話には大きなネタが入りそうなのですが、それが何なのか、それが分からないですね…。
「苦しいときの植野だのみ」で、植野がまだ病室にいてひと暴れしたりするのでしょうか(笑)。
タグ:第51話 第52話
posted by sora at 07:41| Comment(11) | TrackBack(0) | 第6巻 | 更新情報をチェックする

将也が記憶喪失になった場合の第7巻の展開は?

さて、次回予想として「将也は目覚めるが記憶喪失になっていた」が当たったとすると、第7巻の展開がうっすらと見えてきそうな気がするのですが、どうでしょうか。

それはつまり、

映画によって、将也の「記憶が失われた時間」を作り直す。

という展開です。

この映画、まだ細かい内容がほとんど明かされていませんが、

1)将也(に相当するビッグフレンド)の登場」から始まって、

2)「いじめられっ子がいじめっ子に復讐する」といういじめの復讐劇がストーリーの骨格としてあり、

3)妖精などが登場するファンタジー要素が込められている、


ということは分かっています。

これ、「将也の人生のやり直し」ととらえると、うってつけの展開になっているのではないか、と思うのです。

「ビッグフレンドの登場」はもちろん、将也が映画の舞台に登場することを示しています。まだ第51話では永束の買収小学生を使って「小学校時代」を撮っているだけのようですし、これから「成長したあとの復讐劇」のほうを橋メンバーで撮るとすれば、今から主役を将也に入れ換えてもOKということになります。(あるいは、主役は真柴のままでも、真柴がバーチャル将也を演じることで将也の「生き直し」を実現できるかもしれませんし、そのほうが真柴が光るかもしれません)

そして、「いじめられっ子がいじめっ子に復讐する」というのは、まさに硝子と将也の関係とシンクロさせることが可能ですから、二人の「かつての日々」のやり直しとして描くことが可能になります。


第4巻49ページ、第26話。さすがにここからはストーリーは変わるでしょう。

そしてそこには当然、将也と硝子だけでなく、まわりの人間が何を考え、どんな風にかかわっていくかも描かれることになるので、これはまさに「小学校時代の人生のやり直し」そのものになるように思います。
映画撮影に参加しているメンバーの多くも、かつての小学生時代のクラスメートですからね。

さらに、「妖精が登場する」というのも、隠れたキーポイントです


第4巻48ページ、第26話。

実際の将也と硝子の関係においては、硝子が聴覚障害者であることからコミュニケーション不全が発生し、お互いに不幸な結果に終わりました。
これは、2人の関係のみならず、硝子と他のクラスメートの関係においても同じだったでしょう。

でもここに、「妖精」とかファンタジーの要素を入れることができれば、硝子の思いを自由に伝える(別に妖精が伝えてもいいし、超能力とか魔法を想定してもいい)ことができるようになるので、硝子が本当に伝えたかった事を、ファンタジーの文法のなかで、しっかりと伝えていくことができることになります。
その役回り=硝子が伝えたかった「こえ」を伝える役回りとして、結絃ほど適任な人間はいないでしょう。

そして、将也にとって「硝子と最初に会ってからいままでの時間」というのは、「記憶が失われた時間」でもあるかもしれませんが、そもそも「将也自身の失われた人生の時間」でもありました。
それは実は、硝子にとってもそうですし、植野や佐原、真柴についてもそうだった、と言えます。

ですから、将也の「記憶が失われた時間」を取り戻す映画撮影の過程は、同時に、将也・硝子を含む、ほとんどの映画撮影メンバーにとって「失われた人生の時間を取り戻す過程」にもなるはずなのです。

そんな、とても重要な意味を込めた「映画撮影」によるメンバー全員の再生物語

もしも第6巻のラストが「将也の記憶喪失状態での目覚め」となった場合に考えられる、第7巻の展開は、そんなものになるのではないでしょうか。
タグ:第51話
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コミック第6巻の予約がスタート!

連載では、いよいよあと1話で6巻収録分が終わるというタイミングまできていますが、来月10月17日発売予定のコミック第6巻の予約受付が、Amazonで始まっていました。


聲の形(6)
著:大今良時
講談社 週刊少年マガジンKC

第6巻の現時点での最大の謎は、

表紙がどうなるのか?

ですね。

次回第52話でふたりが再会して、そのシーンが使われるというのがいちばんありそうですが、次回の展開が斜め上で再会場面が描かれなかったとすると、いよいよどうなるのかまったく分からなくなります。(「再会」できたとしても、将也はまだ寝たきりでしょうしねえ…)

ともあれ、あと1か月半弱ですね。
コミックも楽しみです。
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2014年09月06日

第51話、直球の恋愛ストーリーとして読むなら?

第51話、障害とともに生きることの困難を新しい表現で描いた回として、胸が苦しくなる回ですが、その一方で、実は直球の恋愛ストーリーも盛り込まれていることに気づいて、ほっとする部分もあります。

第51話では、映画撮影が再開され、植野を除く橋メンバーが、以前よりもむしろ強くなった絆とともに再結集しました。
そして、かつての小学校のクラスに入ったことで思い出した、かつて夢見ていた世界。
当時、その世界は実現せず、硝子は傷つき、その世界に手を伸ばすことを「諦め」たわけですが、今回、この空想シーンで、ところどころで「現実」に戻ってくるシーンがあります
佐原や結絃とヘアメイク雑誌の件で雑談を交わす場面と、「仲間たち」と一緒に帰宅の途についてバイバイと別れるシーンです。




それぞれ、第51話、10ページ。

それらのシーンは、かつての「夢」のシーンとシンクロしています。しかも、その「映画再開」は、自ら動いて実現した結果です。

さらにもう1枚、かつてのクラスの席に座ってふと「夢」のイメージをふくらませた瞬間も、硝子は「クス」と微笑んでさえいます


第51話、9ページ。

これらのシーンを見ると、硝子は、あの事件のあと、改めて覚悟を決めて、かつて「諦めた」ものに「自分から」手を伸ばして(完璧にではないかもしれませんが)手に入れた、ということが言えるのだと思います。

なのに、「空想」から戻ってベッドの中で目覚めた硝子は、悲しく涙を流しています。
この涙は、障害がゆえにどうしても手に入らない「自分に障害がなかったらというifの世界」(特に家族について)を思って流した涙だ、と考えることもできます(その考え方をベースにした考察も書きたいと思います)が、それにしても「悲しい」方向に振れすぎではないでしょうか。

この「涙」の理由はおそらく、

欲しかったものを手に入れたはずなのに、それでも満たされない想い、切なさからくる涙

なのではないでしょうか。

硝子にとって、とても大切な火曜日。
その火曜日の「つながり」を象徴する映画撮影を自らの努力で再開して、当時夢見ていた「みんなとの楽しい時間」を十分すぎるくらい取り戻せたのに、心の空白がどうしても満たされず、気づいたら涙が流れていた。

そして、硝子は改めて気づいたのでしょう。
自分の心のなかを占めていた、将也の存在の大きさを、その将也がいまここにいないことで生じた、心の空白の大きさを

そして、そんな想いで枕を濡らしているなか、将也が不穏な形で夢枕に現れたことで、硝子は心を決めたのだと思います。
「うきぃ」のあとは遠慮し、自分の過ちがきっかけで将也に大ケガをさせてしまった後は封印していた、将也に対する恋心を、もう隠さない、隠せない、ということを。

硝子が向かった先がどこであれ、そこは間違いなく「将也がいる場所」でしょう。
恋心をはっきり自覚し、隠すことをやめたであろう硝子と将也が出会い、そこでどんな展開が起こるか楽しみです
タグ:第51話
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第51話、「もうすぐ火曜が終わる」の意味とは?

第51話は、後半はすべてが陰喩とか象徴とかで語られていて、「解釈」を入れないと、何を言っているのかほとんど分からない、極めて難解な回になっていると思います。

このエントリで考えてみたいのは、夢?のなかの将也が語る、「もうすぐ 火曜が終わる」の意味についてです。


第51話、16ページ。

まず、ダイレクトかつ表面的な意味として、

(物語のなかの)リアルな時間として、もうすぐ日が替わる、という意味

があるでしょう。
この「メッセージ」を硝子が受け取ったのは、9月2日火曜日の深夜、もうすぐ0時になるという時刻です。
ですから、実際の時間として、もうすぐ火曜が終わる、という意味がこのメッセージとつながっています。

でも、その意味はおそらくそれほど重要ではないですね。
話末煽りでも触れられていたように、「火曜」というのは、再会して以降の将也と硝子にとって、特別な曜日でした

再会した最初の日、4月15日。
ふたたび会って、橋でお互いの気持ちを確かめあった日。
佐原と再会した日。
せっかくプレゼントを持ってきたのに、将也が現れずに複雑な気持ちになった日。
将也に「うきぃ」と大告白した日。
将也から遊びに(遊園地に)誘われて足をバタバタした日。
将也から「今日めっちゃかわいいね」と言われ、植野への手紙を投函した日。
将也・永束・佐原が、祖母の死で落ち込んでいる結絃を精一杯応援した日。
将也から、映画撮影の誘いを受けて、とまどいながらも承諾した日。
将也と永束が橋でケンカを始め、必死に仲裁した日。
映画撮影をみんなと楽しみながら、将也に「あなたのおかげで夏休みが楽しい」と伝えた日。


そして、まさにこの第51話で描かれている、かつて通った小学校でみんなで映画を撮っている日、9月2日。

すべては、火曜日に起こっているイベントです
そして、私自身、カレンダーを確認していて改めて驚いたことは、これらの、「火曜日に起こった、硝子にとってささやかだけれども本当に大切な、楽しい経験、思い出」はすべて、将也が運んできていた、ということです(ただし、最後の9月2日だけは違います。これが、将也が夢?のなかで「俺がいなくても万事OK」とか言ってしまっていることと関係しているのかもしれません)。

つまり、硝子にとって「火曜日」とは本当に特別な日であり、その「火曜日」の大切さ、特別さとは、そのまま、将也の大切さ、特別さとつながっているのですね。

だから、「もうすぐ 火曜が終わる」とは、

火曜日の幸せを運び続けてきた将也の存在が、もうすぐ消える。

ということを示している、と読み取らざるを得ません。


第51話、16ページ。

それが「リアル」なのか、硝子の単なる不安なのか、それともどちらでもない第3の展開につながるのか、それは次回を待つほかありませんが、少なくとも、「硝子が受け取ったイメージとしては」、これは「硝子にとって大切な存在であるところの将也」のダイイングメッセージである、と解釈できると思います。
タグ:第51話
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やはり祖母の死去のダメージは大きかった?

第51話の「硝子の望んだ理想の世界」のなかでは、誰もが笑顔で、誰もが優しく、誰もが傷ついておらず、幸せな時間が流れています。
それとは対照的に、「硝子をとりまく現実の世界」では、多くの人が険しい顔、悲しい顔をしていて、硝子に辛くあたったり避けたりし、傷ついています。
「硝子の理想」と「硝子の現実」の2つの場面に、重なっている部分はほとんどありません。(言い換えると、この2つの差があまりに大きいことが、硝子のおかれた環境の厳しさを如実に物語っています)

でも、よくみると、たった一人だけ、夢と現実で同じキャラクターの人物がいます

西宮祖母(西宮いと)です。


第51話、11ページ。


第4巻107ページ、第29話。

西宮祖母だけは、夢でも現実でもニコニコと硝子や結絃を迎え、味つけが濃いかどうかという他愛もない話を笑顔で硝子に語り、いつも硝子の味方でいます。
(佐原も同じキャラクターですが、「現実」では不登校になって小学校生活の世界から消えてしまいました。)

「夢」とはあまりにかけ離れた、厳しい「現実」。両者の断絶に絶望する硝子を思うとき、そんな厳しい世界のなかでの祖母の存在は、とても大きかったことを改めて思います。

母親さえもが、常に「この子に障害がなかったら」あるいは「障害なんか克服して普通に生きなければ」といった、障害への否定・敵視や条件付きの愛情ばかりを与える環境のなかで、ただ一人、硝子の障害をありのままに受け入れ、動じることなく、障害と無関係に無条件の愛情を注いでいた西宮祖母の存在は、硝子にとってかけがえのない救いになっていたはずです。

ノート池ポチャで「死にたい」と結絃に伝えた硝子が、その後立ち直ることができた背景に、祖母の存在(と動植物とのふれあい)があったのではないか、というエントリを以前書きましたが、逆に言えば「死にたい」とまで思い詰めた硝子を救うことができた人物がいたとすれば、それは西宮祖母以外にはあり得ない、とも言えるのではないかと思います。

そんな祖母を、家族は失いました。
そのインパクトは、硝子にとって、おそらく周囲が感じていた以上に大きかったのではないかと思います。
失ったあとで、あの「橋崩壊事件」が起こり、硝子は「死にたい」のときと同じ表情をし、そして今回は本当に自殺を決行してしまいました。

前回の「死にたい」では踏みとどまり、今回は決行してしまったことの背景には、もちろんさまざまな要素が複雑にからみあっているとは思いますが、西宮祖母の存在がいなくなっていることも大きかったんだな、ということが、今回、第51話の「硝子の夢の世界」によって、改めて示されていると思います。
タグ:第29話 第51話
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2014年09月07日

第51話・定例 伏線回収ウォッチング

第51話では、ついに「硝子視点」が解禁されました。
下記リストでは回収された伏線は意外に少なめですが、ある意味最大の謎だった「硝子が何を考えて生きてきたのか」が判明する、そういう意味では非常に大きな伏線が回収された回だったと言えるように思います。

1)特A級
1a)硝子の将也への恋心は届くのか。将也の硝子への恋心は自覚され届くのか。 → 第51話で硝子は将也への想いを改めて自覚しました。第52話に期待。
1b)将也、硝子双方が持つ自己嫌悪は克服されるのか。
1c)島田の中学での将也迫害の理由、島田が将也に考えている(いた)こと → まだ明確ではありませんが、島田が将也に腹を立てていたことは第50話で示されました。
1d)小学校時代の硝子がなぜ将也と友達になろうとしたか
1e)硝子が自殺を決意するに至る(小学校からの)心情的経緯 →44話の手紙と45話の結絃の回想で語られました
1f)橋メンバーとの和解。誰と和解し、誰と和解しないのか。→ 硝子ー永束ー佐原ー真柴の人間関係が再構築され、川井とは距離が示されました。島田とのつながりもでてきました。
1g)将也がクラスメート全般につけている×は外れるのか
1h)硝子が「諦めていたもの」とは何だったのか → 第51話で「障害がなければ当たり前に得られただろう幸せな関係」を障害があっても努力で手に入れること、だと示唆されました。
1i)将也は、いつ硝子に過去の行い(いじめ)を謝罪するのか

2)A級
2a)硝子が植野に出した手紙の中身 → 第44話で明らかになりました
2b)硝子の補聴器が片方になった理由
2c)水門小から転校後の硝子の学校生活、交友関係 → 第51話の硝子回でもまったく示されなかったことから、極めて没交渉な生活だったと推測されます。
2d)なぜ島田はテキ屋になっているのか、ただのバイトなのか → なんと第49話おまけの「舞台探訪」で回収されました。ただのバイトのようです。
2e)結絃カメラのゴクヒ映像はもう使われないのか → 47話からみると、自殺の映像はガムシロ組にも共有されたようです。
2f)結絃の不登校は解消されるのか、自称「硝子の世話係」を卒業するのか → 第44話、45話で「世話係」の自己像が否定されました。
2g)硝子が「死にたい」から1か月半程度で立ち直るまでの経緯

3)Aマイナス級
3a)真柴の正体、真柴の「同級生」 → 第49話で、真柴が考えていたこと、同級生の話題が伏線回収されました。
3b)結絃が死体写真ばかり撮っていた理由 → 第45話で明確になりました。
3c)ガーデンピックはいつ聞くんだ
3d)佐原のメール「成長を証明する」方法 → 第44話、45話での植野への振る舞いに明確に見えました。47話でも成長が示されています。
3e)竹内がなぜ手話を知っているのか
3f)ペドロはどこへ行った?
3g)広瀬のいま、島田・植野との関係 → 第50話で、まだ普通に植野・島田と花火大会でつるむような親しい関係で、将也救出にもかんでいたことが判明しました。
3h)将也が中学時代も孤立していたことを硝子は知ることになるのか
3i)映画はどうなるの? → 硝子の努力により、再開されました。島田も参加の見込み

4)B級
4a)喜多先生の結婚相手、喜多はいま何をやっているのか
4b)小学校時代、将也以外のクラスメートの硝子いじめの実態 → 特に将也カースト転落後のいじめは、植野が、硝子に対する嫉妬で行っていたことが判明しました。
4c)石田母の「優しさの中の厳しさ」はもう表現されないのか → 第49話で、病室に籠城する植野への態度、硝子への拒絶などで改めて示されました。
4d)健脚コンビとは何だったのか
4e)デラックスってなぜ登場したんだろう、再登場はある?
4f)石田姉の顔出しはある? → 第51話と同じ号に掲載の作者インタビューで「物語上不要だから(出さない)」と説明がありました。
4g)花火大会の「あれ 西宮さんじゃね?」の発言者は? → 広瀬(か島田)であることが第50話で判明しました。


今回、「はっきりと」回収されたのは、意外にも4f)の「石田姉の顔出し」でした。
本編ではなく、同号に掲載の作者インタビューで、「将也と硝子のドラマに無関係だから」顔を出さないんだ、という解説がありました。
ですので、石田姉の顔は最後まで出ないでしょう。

あとは、1h)の、硝子が「諦めたもの」の正体は、明確に伏線回収されたわけではありませんが、個人的には「回収された」と感じています。
第51号で硝子が夢見た「自分が健聴者だったら得られていたであろう、平和で幸せで当たり前の関係と生活」、それを(障害があっても)何とか手に入れること、そのことを硝子は「諦めた」のだ、と思います。
(そして、突然現れてそれをかなりの程度まで取り戻してくれた夢のような存在が、将也だった、ということだと思います)

加えて、2c)の「硝子の水門小転校後~将也との再会までの交友関係」ですが、今回「西宮視点」でもまったく描かれなかったことが、1つの「答え」だろうと思います。
つまり、この期間の関係は、結絃が「家でぼーっと本を読んでるくらい」と称していたように、周囲と没交渉でまったくぱっとしないものだったことは、恐らく間違いないと思います。

リストのなかで、伏線回収されたものは、これくらいでしょうか。
次回以降、いよいよ将也が目覚めて硝子とも再会しそうなので、残された伏線回収が一気にすすむ展開を期待したいところです。
タグ:第51話
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永束と硝子の相性がかなりいい件

当たり前に進行していて気がつきにくいですが、第51話では、将也の転落事故をへて、成長した永束が描かれています

硝子から植野を呼んでこれなかったことを謝罪されたときも、植野が苦手だという個人的感情をおさえて、硝子をねぎらいつつ、「植野さんに 衣装をデザインして良かったって思わせる位 いい作品を作ろう」と、むしろ植野を立てるような発言をしています


第51話、7ページ。

以前の永束からは、考えられないようなせりふです。

また、もう1つの驚きは、永束が「マイ筆談ノート」をもって硝子と会話をしている、ということです。
まあ、これは映画の「カンペ」なのかもしれませんが、それでも、手元にあるノートを当たり前に駆使して筆談をする永束は、硝子とのコミュニケーションスキルは相当高いと言っていいと思います。

思えば、第46話の永束視点回でも、永束は非常にうまく筆談ノートを使いこなし、硝子から心に秘めた本音を引き出し、映画再開への決意を共にしただけでなく、そのやりとりは真柴をも動かしました。


第46話、11ページ。

これだけでも、永束は「聲の形」ワールドのなかでもトップクラスの「硝子との相性がいい人物」だと言えますが、その片鱗はもっと前から見えていました。

例えば、佐原と再会直後のグループデートでのカラオケで、将也と佐原がやりとりしている後ろで、硝子と永束がちゃっかり部屋選びをしていたりします


第3巻50ページ、第17話。

また、遊園地でも、当たり前のように硝子となじんで遊んでいるシーンが見られます。


第4巻50ページ、第26話。

永束は友達との距離感が近すぎることのある「ウザいキャラ」として描かれていますが、逆にそれくらいだからこそ、筆談という「ひと手間」かかるコミュニケーションでも面倒臭がらずに続けられる、ということがあるのかもしれません。

でも、残念ながら、硝子には将也がいるので、せっかくの相性のよさも、どこまでいっても「友達どまり」ではあるのでしょうね…。

うんこ頭に、需要はあるのでしょうか?


第3巻103ページ、第21話。
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2014年09月08日

第51話、文字にも施された実験的技法とは?

第51話は、硝子が生きている聴覚障害の世界を描くために、さまざまな実験的技法が盛り込まれていますが、そのなかの1つが、

文字の左右を削る。

というテクニックです。

ほとんど子音の聞こえていない母音中心の発音を文字化することで音声言語の識別の困難さを表現し、さらにその文字の左右を削ることによって、「そもそもそんな発音ですら聞き取りが困難」ということを示している、といえるのではないかと思います。

この文字の左右カットもいくつかバリエーションが用意されていて、それぞれの状況の違いが表現されています。

1)将也転落後の警官や島田らとのやりとり
 文字の右側がかなり大きく削られ、左側も若干削られている。


第51話、4ページ。

2)映画撮影中や、その後の雑談時
 文字の右側は削れているが、1)より削られ度は小さい。左側も若干削られていて、それは1)と同じレベル。さらにフォントが変わっている


第51話、6ページ。

3)硝子の空想のなかでの会話
 文字の削れはない。フォントは1)と同じ。


第51話、10ページ。

まず、1)の状況ですが、硝子は補聴器を外したまま外に出ていると思われますので、聞こえは非常に悪く、そのぶん文字の削れが大きくなっているということだと思われます。

そして、2)では、左耳に補聴器をつけていますので、その分、ことばが聞き取れるようになっていることが表現されています。
一方で、補聴器により音声が機械的に拡大・調音されていることを、フォントを変更することによって表現しているといえそうです。

ところで、1)と2)を比較すると、左耳の聴力=文字の右側のカットされ具合、という対応のようですから、そういう意味では、硝子の右耳は補聴器がなくても左耳に補聴器をつけた程度には聞こえている(文字の左側のカットのされかたから)、ということが表現されていると判断していいのではないかと思われます。

この部分については、硝子が将也との再会時、池に落ちて補聴器を壊した(らしい)という描写があり、それ以降補聴器が左耳のみになっていて、右耳の補聴器をなぜ買い直さないのか、という謎があるのですが、今回の描写からは「比較的右耳のきこえの具合がよく、補聴器をつける必要が薄くなっているから」ということになるのかもしれません。(どうも、聴力がよくなっているという設定は特に感じられないので、この解釈にも不自然な印象はぬぐいきれないのですが…)

そして、3)については、硝子の空想のなかでの会話ですから、「健聴者」のようにきれいに聞こえる、という状態を硝子なりにイメージしたものとして、文字は欠けていない、ということになっていると考えられます。

今回、第51話は、聴覚障害者が経験している世界をどのように表現したら「伝わる」のか、ということについて、大今先生がさまざまな新しいアイデアを駆使して技法面からも実験的にチャレンジしていることが伝わってくる、とても「熱い」回になっているな、と改めて思います。
タグ:第51話
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第51話と同号に掲載されている作者インタビューでまたまた伏線回収!

第51話が掲載されている「週刊少年マガジン」2014年第40号には、本編以外に大今先生の3ページにわたるロングインタビューが掲載されています。(かなり分かりにくい場所にあります。246~248ページです)

こちらは、これから漫画家を目指す人たちに対して、大今先生が駆使している演出面のテクニックを「構図」「コマ割り」「小道具」の3つのポイントから解説するという、大変興味深い内容のインタビューになっています。

ところで、当ブログ的な話題としては、このロングインタビューの中で、またまた「聲の形」の伏線がいくつか回収された(笑)ということをとりあげないわけにはいきません。

1)顔に×印がつく演出は、「ひらめいた」だけ。
 でも、×をつけたり外したりという演出が、将也の気持ちを表現するうえで役に立っていると大今先生自身が感じているとのこと。

2)石田姉の顔が出ないのは「将也と硝子のドラマに無関係だから」。

3)でも、石田姉を登場させる理由は「将也の人格形成に大きく関わっているから」。

4)石田姉の歴代の彼氏達の大人とたくさん交流したことによって、将也は「根拠のない自信」や「何でも怖がらずに面白がってしまう性格」を身につけた。

特に、2)の、石田姉の顔が出されない理由がはっきり説明されたのは、なかなか大きな「伏線回収」ですね(実は、「伏線回収ウォッチング」にリストアップされている伏線だったりします(笑))。


「週刊少年マガジン」2014年第40号より。

また、4)で、石田姉の彼氏との交流が、将也の人格形成に大きな影響を与えている、という話が出てきましたから、ペドロの「お前を守る」というキャラクターが、将也にも引き継がれて硝子を守った、ということになるのかもしれませんね(笑)。


「週刊少年マガジン」2014年第40号より。
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