当ブログでは、いわゆる発売日前の「フライングのネタバレ」に関する話題は扱いません。フライングのネタバレとなるコメントはご遠慮ください。ご協力よろしくお願いします。(発売日後のネタバレはOKです。)

おすすめエントリ(最初はこちらからどうぞ)

2014年09月01日

第50話・定例 伏線回収ウォッチング

さて、第50話が「植野回」となったことで、期待通り(?)、大量の伏線が回収されました。

1)特A級
1a)硝子の将也への恋心は届くのか。将也の硝子への恋心は自覚され届くのか。
1b)将也、硝子双方が持つ自己嫌悪は克服されるのか。
1c)島田の中学での将也迫害の理由、島田が将也に考えている(いた)こと → まだ明確ではありませんが、島田が将也に腹を立てていたことは第50話で示されました。
1d)小学校時代の硝子がなぜ将也と友達になろうとしたか
1e)硝子が自殺を決意するに至る(小学校からの)心情的経緯 →44話の手紙と45話の結絃の回想で語られました
1f)橋メンバーとの和解。誰と和解し、誰と和解しないのか。 → 46、47、49話で、硝子ー永束ー佐原ー真柴の人間関係が再構築され、48話では川井との断絶が示されました。第50話では島田とのつながりもでてきました。
1g)将也がクラスメート全般につけている×は外れるのか
1h)硝子が「諦めていたもの」とは何だったのか→45話の結絃の回想から、かなり重いものである可能性が強まりました
1i)将也は、いつ硝子に過去の行い(いじめ)を謝罪するのか

2)A級
2a)硝子が植野に出した手紙の中身 → 第44話で明らかになりました
2b)硝子の補聴器が片方になった理由
2c)水門小から転校後の硝子の学校生活、交友関係
2d)なぜ島田はテキ屋になっているのか、ただのバイトなのか → なんと第49話おまけの「舞台探訪」で回収されました。ただのバイトのようです。
2e)結絃カメラのゴクヒ映像はもう使われないのか → 47話からみると、自殺の映像はガムシロ組にも共有されたようです。
2f)結絃の不登校は解消されるのか、自称「硝子の世話係」を卒業するのか → 第44話、45話で「世話係」の自己像が否定されました。
2g)硝子が「死にたい」から1か月半程度で立ち直るまでの経緯

3)Aマイナス級
3a)真柴の正体、真柴の「同級生」 → 第49話で、真柴が考えていたこと、同級生の話題が伏線回収されました。
3b)結絃が死体写真ばかり撮っていた理由 → 第45話で明確になりました。
3c)ガーデンピックはいつ聞くんだ
3d)佐原のメール「成長を証明する」方法 → 第44話、45話での植野への振る舞いに明確に見えました。47話でも成長が示されています。
3e)竹内がなぜ手話を知っているのか
3f)ペドロはどこへ行った?
3g)広瀬のいま、島田・植野との関係 → 第50話で、まだ普通に植野・島田と花火大会でつるむような親しい関係で、将也救出にもかんでいたことが判明しました。
3h)将也が中学時代も孤立していたことを硝子は知ることになるのか
3i)映画はどうなるの? → 硝子が、植野以外の全メンバーから再開合意をとりつけました。島田も参加の見込み

4)B級
4a)喜多先生の結婚相手、喜多はいま何をやっているのか
4b)小学校時代、将也以外のクラスメートの硝子いじめの実態 → 特に将也カースト転落後のいじめは、植野が、硝子に対する嫉妬で行っていたことが判明しました。
4c)石田母の「優しさの中の厳しさ」はもう表現されないのか → 第49話で、病室に籠城する植野への態度、硝子への拒絶などで改めて示されました。
4d)健脚コンビとは何だったのか
4e)デラックスってなぜ登場したんだろう、再登場はある?
4f)石田姉の顔出しはある?
4g)花火大会の「あれ 西宮さんじゃね?」の発言者は? → 広瀬(か島田)であることが第50話で判明しました。


順番が前後しますが、今回はっきりと回収された伏線の1つが、4g)の、花火大会での「あれ 西宮さんじゃね?」の声の主でした。これが広瀬(か島田)で、転落した将也を救出したのも島田と広瀬だった、というのが、第50話で示された大きな事実です。

次に4b)の、将也以外による硝子いじめの実態ですが、将也がいじめなくなった後の硝子いじめは、植野によるものであったことが今回示され、「硝子いじめの構図」がほぼ解明されました。

そして3g)の「広瀬の現況」ですが、普通に島田と今もつるみ、植野ともLINEでやりとりする仲であることが分かりました。

そして1c)の「島田が将也を執拗にいじめ続けた理由」、これの「最終回答」は島田視点回に持ち越しだと思いますが、今回第50話でも、島田が将也の不正義にかなり怒っていたことは分かりました。

そして1f)と3i)に関係しますが、映画の再開、橋メンバーとの関係再構築にも進展があり、どうやらこの枠組みに島田が入ってきそうな状況になってきました。一方、植野は「見てるだけ」と考えているものの、実際には植野と硝子との距離は近づいており、今後さらに関係の進展があることが予想されます。
タグ:第50話
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第50話、久しぶりに硝子の笑顔が!

第50話では、雨のなかにヌッと現れ、ユーレイだとか散々な言われようの(笑)硝子ですが、実は今回はけっこう表情豊かなんですよね。

植野に「タワゴトは石田を返してから言って!」と罵倒されたときはとても寂しそうな顔をしています(このコマが大ゴマで描かれていることからいっても、大今先生もこの表情をしっかり読者に見せたいと考えていることがわかります。)


第50話、16ページ。

そして、今回ちょっと分かりにくいのですが、待望の「あの表情」のコマが!


第50話、17ページ。

微笑んでいます。

ほんとうにぎりぎりの微かな微笑みですが、あの自殺事件以来、ずっと封印されていた笑顔がここで自然に解放されています。

いいですね。
もちろんこういう微笑みは、もともと社交辞令的な意味合いは含んでいますが、ここでの微笑みは、かつての硝子の微笑みにあったような「本心とは裏腹に、無理に作っている笑顔」ではありません。

いちどは家に入ってしまった植野がまた出てきて、硝子に島田のメアドを教えたのも、扉を閉めようとした瞬間に硝子のこの表情を見てしまったことと無関係ではないと思います。

「ハラグロ」とか「カワイソーなふりをして将也をだましてる」とか、硝子の内面を悪く思いこむことで硝子を否定しようとしている植野ですが、硝子のこの表情を見て、それが自分の勝手な「思い込み」で、実際の硝子はもっと単純で、少なくとも「行動している」ときには裏表がないんだ、ということに何となく気づいて、毒気を抜かれてしまったようにも感じます。

また、川井回で、川井が硝子とまともにコミュニケーションをとる気がないということが、「硝子の表情をほとんど描かない」ということで示されたことと対照的に、今回、植野回では硝子の豊かな表情が描かれているということは、植野は実は硝子とコミュニケーションを取る気が(本心では)あった、ということを示しているように思います。

微笑みの次は、心からの笑顔を見たいですね。
そんな笑顔は将也が目覚めるまではお預けだと思いますが、「その日」も割と近いんじゃないかと期待しています。
タグ:第50話
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第50話、こんなところに1巻のリフレインが?

さて、第50話で、さりげないところにちょっと興味深いネタが仕込まれています。

それが、これです。


第50話、14ページ。

植野が「貸してみ!」といって硝子の筆談ノートを奪い、書き込んでいます。

書いている内容は「うざい!きもい!」ではありますが、それでも「ちゃんと筆談ノートに書き込んでいる」というところに意味があります。

ふりかえると、植野は、遊園地編の観覧車のなかでは、(わざわざ自分から会話の機会を作ったにも関わらず)筆談を拒否しました。
いろいろ理由はつけていましたが、これは本質的には、硝子との「コミュニケーションの拒否」だ、ということは、つい最近の「川井回」で、川井が筆談ノートを叩き落としてひとりでぺらぺらと喋っていたシーンでも象徴的に描かれていました。

ところが、今回は、ちゃんと筆談ノートに書いています。
しかも1度ではなく、何往復もやりとりをしています。

そして、この「貸してみ!」というせりふ自体も、第1巻で、植野が硝子のためにノートをとってあげたシーンで出てきたせりふのリフレインになっているのです。


第1巻79ページ、第2話。

合唱コンクールより前、まだ植野が、硝子のことを敵対視せず、せいぜい「世話するのが面倒な子」くらいに思っていた、平和な時代。

ここから、硝子はいじめの標的にされ、将也はカースト転落し、植野は硝子を誤解して嫉妬の炎を燃やしました。
そして、高校になって再会後もずっと「弱そうなふりをして将也を騙している」と硝子を敵視してきた植野ですが、このシーンにいたって、硝子との「関係」が、実は少しずつ修復され、「平和だったかつての2人」に、わずかながらも近づいてきている、ということを感じます。

第50話をみると、硝子に対する植野の心情は「ハラグロ」とか「害悪」から、今は「カワイソーで無口な女」に変わっています。
「ハラグロ」や「害悪」とまともに会話しても無意味でしょうが、「カワイソーで無口な女」なら、まあ文句ぐらい言ってやろうか、という気持ちにもなるんじゃないでしょうか(つまり、それだけマシな見方になっている、ということです)。

だから、今回、植野は筆談ノートでやりとりをする気になったのでしょう。
そして、何往復かしたやりとりの最後には、植野は「島田との関係作りを硝子の映画作りに託す」という、これまででは考えられない選択をします。


第50話、18ページ。

こうやってみると、硝子が映画再開で「取り戻そう」としているものの形が、だんだん見えてきているように思います。
硝子が取り戻そうとしているのは、単に橋崩壊事件で壊れた「(高校になってからの)映画メンバーの関係」ではなく、時間を超えて、小学校時代に壊れてしまった、さまざまな関係にまで広がっているのではないでしょうか。
タグ:第50話 第02話
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2014年09月02日

「第43回」度胸試しが第41〜42回とまったく同じ構図だった件

第50話で広瀬が植野に送ったLINEによって、将也転落時に、下に島田も広瀬もいたことが分かりました。
それによって、第43話で描かれた「度胸試し」と名づけられた将也の川への転落は、「島田と広瀬が見守るなか、将也が度胸試しで水に飛び込む」という、第1話で描かれた小学校時代の「度胸試し」とまったく同じ構図だったことが分かりました。

そうなると、第43話で、将也がこの場面を回想していることに別の味わいが加わりますね。


第43話、12ページ。


第1巻13ページ、第1話。

ついでにいうと、第43話で、かつて「第43回」がお流れになったシーンの広瀬のせりふを思い出しているのも、完全に伏線だったことが分かります。


第43話、8ページ。

広瀬が嫌がった理由は、ひとことで言えば「あまり高い所から飛び込むと水がコンクリートみたいな硬さになってケガをするから、そういう事故が起こる前にやめようぜ」ということでした。

そして第43話では、実際に広瀬が恐れていたような高さから飛び込んで、実際に水がコンクリートのような硬さで、将也は大ケガを負って意識不明の重態になってしまったわけです。

第1話で「第43回度胸試し」をこの理由で断った広瀬、というのが伏線になって、第「43」話(サブタイ:度胸試し)で将也がこの話を思い出し、それでも覚悟を決めて硝子を引き上げて代わりに自分が転落し、落ちる直前に「飛び込みを見守りながら「あいついつか死ぬぞ」とささやく島田と広瀬」を思い出していて、そして実際に転落時にこの2人が転落の現場にいた、という、実にスキのない構成で伏線が設定、回収されていることに、改めて驚きます。

連載まんがの構成を、まるでパズルのように自在に操る大今先生に脱帽です。
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第50話 コネタ集(1)

恒例のコネタ集、第50話でみかけたものをご紹介します。
今回はかなり多いので、エントリを2つに分けます。

1)やっぱり捨ててた花束
冒頭のコマで、ゴミ箱のなかに見たことのある花束が…。


第50話、1ページ。

やっぱり、硝子が持ってきた花束、捨てましたね。
まあ、今回の展開からすれば当然ではありますね。将也がからんだ場面では、植野の硝子憎しは筋金入りですから。

2)川井はこんなに前から知ってた
今回、将也が硝子いじめを始める前から、将也が振り向いてくれない、という悩みを川井に相談していた、ということがわかるコマが描かれました。


第50話、2ページ。

植野が将也のことを好きだ、ということは、川井はずーっと前から知っていたんですね。
川井は、将也のカースト転落後、好きだったはずの将也へのいじめに植野が参加しているのを見て、どう思っていたのでしょうか。
そして、高校になって植野が将也を再度追いかけ始めたときには、どんなやりとりがあったんでしょうね。

また、第39話で、川井と植野が「目くそ鼻くその争い」を展開しているとき、川井が「なおちゃんは積極的に西宮さんをいじめてたじゃない」と植野に反論している場面がありますが、これも、単に川井が植野に責任転嫁しているとは言い切れず、実際に植野が「将也の気を引くために」積極的に硝子をいじめていたことを、実は川井ははっきり知っていたのかもしれない、という風にも読み取れるようになり、解釈が変わってきます。

たった1コマですが、「その後」のことをいろいろ想像させるエピソードだと思います。

3)広瀬のフルネームが判明
今回、広瀬からLINEもどきが送られてくるときに、広瀬のフルネームが明らかになっています。


第50話、9ページ。

「広瀬 啓祐」(おそらく「けいすけ」)という名前だったんですね。
まあ、今さら知ったとしても使われずに終わりそうな雰囲気がひしひしとしますが…。

4)広瀬のLINEのアイコンは誰?
広瀬LINEネタの続きですが、広瀬が使っているアイコンが何者かわからなすぎて笑えます。
本人?だとしたらすさまじいビジュアルの変化ですし(花火回のときのビジュアルとも合いません)、彼女?だとしたらなかなか派手な女性とつきあってることになりますね。
でも、もしかしたら、単に好きなアーティストの写真、とかかもしれません(笑)。
タグ:第50話
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第50話 コネタ集(2)

第50話に関するコネタエントリの続きです。

5)病院はマナーモードにしよう(笑)
病室に籠城してあんなことやこんなことをやってる時点で、細かいことを言っても仕方ない感じがしますが、


第50話、9ページ。

植野の携帯、思いっきり着信音がなっています
意識不明の患者がいる病室内だということを考えれば、本来は電源オフ、最低でもマナーモードにしたほうがいいと思います植野さん(^^;)。

6)硝子の筆談ノートに漢字の間違いが!
硝子の筆談ノートの漢字が、1文字間違っています。


第50話、13ページ。

「橋」の字、本来は「きへん」であるべきところ、間違って「のぎへん」になっていますね。

以前も、佐原カラオケ回で佐原から送られてきた写メの手書きメッセージ「私達を会わせてくれてありがとう」の「達」の字のつくりの部分が「幸」になっていたことがありました(単行本では修正されています)。

たぶん、これも単行本では修正されるでしょう。
大今先生、漢字は微妙に苦手なようです(^^;)。

7)島田のメールアドレスに秘められた下剋上の思い?
今回、島田のメールアドレスが判明しました。


第50話、18ページ。

硝子も植野も凝ったメアドだったのに比べると、なんか異様にあっさりしています。
ちょっと全体が見えませんが、「Kz_001@smn.net」あたりでしょうか。

「Kz」は「かずき」のKzでしょうし、「001」も「一旗」の「一」だと思われますから、「1」ということにずいぶんこだわっていますね。
やはり、小学校時代も、もともとカーストトップに立ちたくて、石田の存在をずっと微妙に鬱陶しく思っていたのかも知れません。

8)また泣いた植野
高校生編の植野は、「硝子と感情的な(修羅場を含む)やりとりをしたあとは負けて必ず泣く」という法則に基づいて動いています(笑)。
そして今回も、それほど感情的、というわけではありませんでしたが、硝子とやりとりをして、また泣きました。


第50話、18ページ。

でも、今回は「負けた」のでしょうか。
確かに、結局、行動する硝子に対して「見てるだけ」の自分を自覚し、「切り札」であるはずの島田カードを硝子に渡すハメになってしまったのは一見「負け」に見えます。
でも、これは硝子と植野のコミュニケーションの前進でもあり、実際のところは「負け」なんかではまったくないと思います。
タグ:第50話
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2014年09月03日

第51話はまさかの硝子回!

今回、第51話は、「聲の形」全体のなかでも、屈指の難解な回となっている印象です。
どのシーンをどう読むか、まだはかりかねている部分もありますが、今回、何よりも驚いたのは、

・最終話ではなく、ここでサブタイ「西宮硝子」が出てきた。

ということです。


第51話、1ページ。

多くの人が、サブタイ「西宮硝子」は最終話だと予想していたのではないでしょうか。
私も、第1話がサブタイ:石田将也だったこともあり、それとの対比から、最後の最後に「西宮視点」で一気に伏線回収、大団円という流れを想像していました。

ところが、大今先生はここで硝子視点を使ってきました。
これによって、6巻で描かれているのは、「将也と硝子の物語」であるのと同時に、「将也をとりまく、残り全員の群像劇」であることが明確になりました。

改めて読み返してみると、第6巻の各自視点回は、「それぞれの登場人物が、高校生になった将也と再会することで、どう変わったのか、どう影響を受けたのか」を描く回になっていたことに気づきます。

第44〜45話(結絃):「石田 お前ならどうしてた?」→将也が心の支えになっていた
第46話(永束):親友とはこういうものだと初めて感じた
第47話(佐原):石田くんは変わった。自分はどうだ?
第48話(川井):「気持ち悪い」で自分の防衛機制と弱さを自覚
第49話(真柴):自分の愚かさに気づかされた
第50話(植野):変われない自分を自覚


そして、第51話の硝子回です。

硝子にとっての再会後の将也は、硝子の人生のすべてを変えるほど大きな存在だったことがわかりました。
水門小を離れたときに諦めてしまった、たくさんの夢、壊れてしまった関係。
そういったものを次々と取り戻して、空っぽだった硝子の毎日の生活を満たしてくれた、奇跡のような存在が将也だったのだ、ということが、第51話を読んで痛いほど伝わってきました。

そんな将也が、過去の自分とのかかわりが原因で傷つき、ボロボロになり、将也が取り戻してくれたものもまた壊れてしまったとき、硝子が自殺という選択をせざるを得なかったという流れも、改めて説得力を増したように思います。

最後に夢枕?に出てきた将也のメッセージが非常に不穏ですが、今度こそ、硝子も、自分にとっての将也の「かけがえのなさ」をはっきり自覚しましたから、もし次回、将也が目覚めて硝子と対面できれば、第3巻ラストの再来も期待できるように思います。
タグ:第51話
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第51話、冒頭煽りと話末の煽りが出色の出来!

さて、第51話は大今先生の「実験」が全面的に盛り込まれた回になっていますが、その「実験」の一方で、連載だけで楽しめる「アレ」が、今回はいつになく切れ味が鋭くて素晴らしいです。

「冒頭煽り」と、「話末煽り」の文章です。

まず、今回の冒頭の煽りです。


第51話、1ページ。

あの日、そしてこれまでの人生で、少女は何を見て、何を聞いたのか。

そして、話末煽りがこちらです。


第51話、18ページ。

5年ぶりの再会も、「パン係」中の雑談も、映画撮影の定例会も…
気が付けば、「火曜日」が少女の生きがいだった。溢れる想いを抱え、走る先は−。


冒頭のあおりについては、あえて、「何を『聞いた』のか。」という一文を入れてあるところが深いですね。
失われた聴覚のなかで、硝子に「聞こえていた世界」を(極めて実験的な手法で)描ききった今回は、まさにこの煽りにあるとおり「何を見て、何を聞いていたのか(逆にいうと、何が見えず、何が聞こえなかったのか)」を、冷徹に描いていると感じています。
また、「見て」のほうについても、硝子が夢「見て」いた世界が、現実とあまりにもかけ離れた「妄想」に近いものだったことが、逆に硝子の「現実への絶望」を明確に示していて、息苦しくなります。

そして今回、何よりも胸に刺さったのが、話末煽りの文でした。

これはまだエントリを上げられていませんが、硝子は水門小学校から転校して以降、「諦めた」状態になり、恐らくまともな人間関係を構築することはなかったようです。(硝子は将也に「楽しくやれている」と答えていましたが、多分社交辞令だったと思っています)

そんな生活のなかに、突如ふたたび現れた将也。
将也は深い海に沈むように生きていた硝子をその海から引き上げ、かつて「諦めた」ものを次々と取り戻してくれる、硝子にとってかけがえのない存在になっていったのだと思います。
第4巻の西宮祖母と結絃との会話の中でも、そんな硝子の「変化」が語られていました。


第4巻114ページ、第29話。

そんな将也が橋事件で傷つき、それを償おうとした自分の行為が逆に将也をさらに傷つけ、自分にできることを必死に探してたどりついた「映画再開」。それがようやく緒につき、みんなが集まった「火曜日の」映画撮影の場に、肝心の将也がいない。

そんな、硝子にとってかけがえのない「火曜日」がまもなく終わる時間に突如訪れた、その「火曜日」にかかわず全てを運んできてくれた存在を失ってしまうかもしれない危機への直感。

まさに硝子は、そんな「火曜日」に対するさまざまな「溢れる想い」を抱えながら、残りわずかしかない「火曜日」を終わらせないために、走り出しました。
この話末の「煽り文」には、まんがのなかではダイレクトに描かれない、硝子の内なる感情の爆発が描かれていて、感動的です。

これらの煽り文は、残念ながら単行本では消されてしまいますから、この「感動」を味わえるというのは、連載を追いかけている人ならではの特権ですね。(^^)
posted by sora at 08:02 | Comment(11) | TrackBack(0) | 第6巻 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

第51話、ヒントはコマ枠にあり?

第51話は、硝子の現実と回想と妄想とテレパシーみたいなオカルトなどが入り交ざって、しかも時系列もぐちゃぐちゃで、それらをあえて分かりにくく配置しているので、どこで何が描かれているのか、どれが現実でどれが空想か、どういう順序で話が進んでいるのかが非常にわかりにくいですが、実はそれらの区別をかなりはっきりつけさせてくれるギミックが盛り込まれています。

それは、

コマの枠の描かれ方

です。

まず「回想」シーンは、枠の外が黒く描かれています
この技法は過去にも何度も使われていますし、現実から回想シーンに入るところでは枠の外がだんだん黒くなって、回想から現実に戻ってくるとまただんだん白くなるように描かれていますから、たぶん皆さん気がついていらっしゃるでしょう。

今回も、冒頭の花火大会の夜、石田転落後に警察や島田・広瀬と出会うシーンは、普通に枠の外が黒く塗りつぶされていますから、ここは「回想」ということになります。


第51話、5ページ。

そして映画再開の場面は普通の枠なので、ここは「現実」ということになるでしょう。

ところがこのあたりから雲行きが怪しくなります。

かつての6年2組の席に座ったところから過去に戻り、小学校で硝子がクラスメートと仲良くやっている描写は、一見「回想」に見えますが、枠の外が黒くなく、かつ枠がぐにゃぐにゃです。


第51話、10ページ。

つまりこれは、「現実」でも「回想」でもない、ということを示しています。
そして内容を読み込むと、全面的に過去の事実と異なるものになっていることがわかりますから、この「ぐにゃぐにゃ枠」で描かれている場面は、「夢」ないし「妄想」ととらえるのがいいと思います。
実際に、幸せそうな小学生硝子が布団に入る(妄想)シーンから、腕を器具で固定して涙を流す硝子が目を覚ます(現実)シーンに切り替わるときに、「ぐにゃぐにゃ枠」が「通常枠」に戻っています
(よくみると、「妄想」シーンのところどころに少しだけはさまれている「現実」シーンでも、そのコマだけ「通常枠」に戻っていることがわかります。)

そして、さらに悩ましいのが、将也が現れて死を示唆する場面。ここは明らかに「夢」であるように見えるのに、「枠」の線がまっすぐで、かつ外側も黒く塗られていません


第51話、15ページ。

この枠は「現実」の表現です。
なのに、そこにいないはずの将也が、さまざまな場面で現れ、年格好まで変わるという、明らかに「夢」の中としか思えないシーンになっています。

これは、どういうことでしょうか?

それはおそらく、このシーンは(あえてオカルトに傾く事を妨げないなら)、「夢」ではなく「現実」だ、ということなのでしょう。
硝子の頭の中だけで完結している「夢・妄想」ではなく、「現実」の将也が硝子のもとにやってきて、リアルタイムに「会話」をした、そういう「現実」として描かれている、と。

だから、硝子は走らないといけない、ということになります。
火曜日が終わる前に。
じゃーな、と言って去っていこうとする将也を、「現実」として、引き止めるために。
なぜなら、将也のそのメッセージは、「現実」のなにか、だということだから。

なお、今回は「枠」だけでなく、「文字」にも読みときにつながる表現技法が使われていますので、それについては別エントリで触れたいと思います。
タグ:第51話
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2014年09月04日

第51話、将也登場シーンをどう考えるか?(1)

すみません、このエントリはまだはっきりとは答えが出ていないのですが、気がついたところをまとめて、考える糸口にしたいと思っています。

第51話の後半で、夢のなか?に将也が現れて、別れを告げるシーンがあります。


第51話、14ページ。

ここからのシーン、最初の「場所」は、点字ブロックと手すりがあり、奥にソファが置いてある場所ですが、これと同じ場所を特定しました。
これは将也が入院している病院ではなく、硝子と将也が再会した手話サークルのある福祉会館の廊下です


第2巻21ページ、第6話。

ここに、点字ブロックも手すりもソファも映り込んでいますから間違いないでしょう。
そして、この場面に登場している硝子も将也も「冬服」を来ていますから、これは4月15日の「再会の場面」で確定です。

そして、場所が切り替わって、硝子がつかんだ袖を将也が振り払うシーン、これはいつもの「橋」でまちがいないですね。


第51話、16ページ。

この場面も、おそらく4月15日です。
このシーンも硝子と将也が「冬服」ですが、「橋」で硝子と会った日で、硝子と将也が「冬服」なのは、4月15日と4月29日(結絃に妨害されつつも、永束の助けでなんとかもう一度会うことができた日)の2回しかありません。
しかも、4月29日の将也はかばんからバゲットを盛大にはみ出させていますが、今回のシーンでは将也はかばんを持っていません。4月15日に再会したときには、将也はかばんを持っていませんでした。

さらに、この同じ橋の場面では、最後に将也が高校生から小学生に戻ります。これにもきっと意味があるのだと思います。
(一応、この「橋」から小学生の将也が飛び込んだのは「第42回」度胸試しの日であり、同じ日に硝子はデラックスらに補聴器を(別の)川で捨てられ、その後ヘアメイクイシダにカットに来ています。)

次のエントリ以降で、この場面についての中身の考察に入っていきたいと思います。
タグ:第51話 第06話
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第51話、将也登場シーンをどう考えるか?(2)

第51話の後半部分、将也の登場シーンについて考察するエントリの続きです。

まず最初のポイントとして、今回硝子が「見た」将也は、すべてあの再会の日、4月15日の「場面」として現れている、ということを押さえる必要があると思います。

硝子は、この「夢」を見る前に、カレンダーと時計を見ています。
カレンダーには、火曜日に星印がついていました。
時計は、今日が火曜日で、その火曜日がもうすぐ終わることを示していました。


第51話、13ページ。

そして、現れた将也のいた「場面」は、硝子に訪れた夢のような日々のきっかけとなった「最初の火曜日」の場面でした。
一方で、そこで語られた将也のメッセージは、将也が、今日の火曜日の終わりとともに死んで硝子のもとを去っていくことを示唆するものでした。

つまり、この将也登場シーンの「場面の設定」は、将也とともに過ごした楽しい日々の「最初の火曜日」と「最後の火曜日」を同時に表すための場面設定になっている、と考えることができるように思うのです。
いまの硝子にとって「火曜日」は特別な日ですが、それは「火曜日」自体が特別だったのではなく、そこに将也がいたからこそ、火曜日が特別な曜日になっていたのだ(だから、将也のいない火曜日は、実は「ただの火曜日」であり、将也のいなくなった火曜日は「失われた火曜日」になってしまう)ということに、硝子は改めて気づいたのではないかと思います。

次に、最初に将也が現れた場所が病院ではなく「初めて再会した福祉会館」であることをふまえると、このときに将也が言っている「見つけた 最後に挨拶してから しのーと思ってさ」には、ダブルミーニングがかけてあることになります。

1つは恐らく、

1)いま昏睡している将也が、リアルタイムに危篤状態に陥っていて、死の前に硝子の夢枕に立って語っている。

という意味で、もう1つは、

2)4月15日に再会したときに、実は将也が胸のうちに秘めていた自殺念慮が、この場面で硝子に伝えられた。

という意味です。

このシーンを素直に読むと、硝子の夢枕に立った将也が、いま危篤状態に陥っていてダイイングメッセージを届けにきた、つまり1)ということになると思うのですが、だとすると不自然なところがいくつかあります。

まず、将也は転落直前に、硝子にしっかり向き合って謝罪することや、硝子の自分に対する気持ちを聞くこと、そのうえで自身の硝子への恋心を打ち明けることなどを考えています。
それに対して、今回現れた将也は、謝りかたも結構テキトーで、お互いの気持ちを確認することなく、一方的に、万事OKだから俺は死ぬ的なことをいって硝子を振りきって去っていってしまいます

それにそもそも、いまわの危篤状態で挨拶にきているなら、場面が時間をさかのぼった再会シーンである必然性はないことになります。

そしてさらに、最後に「じゃーな」で小学生将也になってしまう、ということを、どうとらえればいいのでしょうか

このあたりを整合的に解決する「答え」が、いまのところ自分のなかで1つだけあります。
ちょっとベタでご紹介するのに多少勇気がいる(笑)のですが、次のエントリで、その「仮の答え」について書いてみたいと思います。
タグ:第51話
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第51話、将也登場シーンをどう考えるか?(3)

第51話の後半部分、将也の登場シーンについて考察するエントリの続きです。

硝子の「夢枕」に立って語る将也の言ってることがどうもおかしい、という点について、いまの時点で考えられる整合的な答えとは、

将也が時間をさかのぼって、記憶を失いつつある。

という仮説(記憶喪失の展開となる、という仮説)です。

簡単にいうと、

1)いま、将也は死ぬ方向ではなく、むしろ回復の方向にあって、もうすぐ目覚める。
2)でも、その回復の過程で、時間をさかのぼりながら記憶を失いつつある。
3)ちょうど再会した当時まで記憶を失った時点で、硝子の夢枕に立った。
4)硝子に別れを告げる場面では、すでに小学生のころまで記憶喪失の時間がさかのぼっている。


ということです。

まず、夢枕にたった将也が、転落直前の決意や想いと関係のない話しかできていないことは、そのときの記憶をすでに忘れ、記憶が「再会時」にまで遡っているから、ということで説明できます。

そして、将也がいっている「挨拶してから しのーと思ってさ」というのは、いま死にかけているということではなく、再会時に胸に秘めていたけれども言えなかった(結果的にそれがよかったわけですが)、硝子に謝罪して自殺しようという想いを語っているに過ぎない、と解釈できます。
つまり、「挨拶してしのーと思って」いたのは再会したときであって、ちょうどその時期の記憶まで記憶喪失が遡っている瞬間だったからそういう話を将也がしているのであって、いま現に死にそうなわけでもない、という解釈です。
実際には将也の語っている内容が「謝罪」ではなく「挨拶」になってしまっているのは、再会時の将也はまったく過去に立ち向かう「覚悟」ができておらず、「謝罪できない将也」がそのまま出ているだけ、と考えれば自然です。

だとすると、その後に、「みんな変わらないけど普通に過ごせてるから万事OK」などと、無責任っぽいことを硝子に話している部分についても、将也がいっている「みんな」というのは、再会後に再度つながった橋メンバーのことではなく、硝子の転校後、将也が孤独に過ごしてきたなかでのかつてのクラスメートを指しているということになります。
(実際には、少なくとも転落事故後の橋メンバーの多くは、少なからず「変わって」いるので、その点でもこの将也のせりふをそのまま受けとるのは不自然に思われます。)

そして、最後に硝子がつかむ袖を振りきって、将也が「じゃーな」と去り、小学生の姿に変わるのは、この時点で、将也のなかから「再会した頃の記憶」も消え、将也が小学生だったころ以降の記憶をすべてなくしたことを示しているのではないでしょうか。

この仮説に従うなら、「じゃーな 西宮」というのは、将也の存在自体が消えるという意味での別れのことばではなく、「再会後、硝子に幸せな火曜日を運んできてくれた高校生の将也」が消える、という意味での別れのことばだった、ということになります。

将也の記憶が小学生まで戻るとするなら、将也は手話を忘れ、硝子が机の落書きを消していたことを忘れ、とっくみあいのケンカをしたことも忘れてしまうかもしれません。
それどころか、硝子と小学校で出会い、さまざまなことがあったことまで、忘れてしまうのかもしれません。

もしそうだとすると、将也と硝子の関係は、この後どうなっていくんだろう、と思わずにはいられません。

まあ、もちろん「将也が記憶喪失になる」というのは、それ自体はあまり当たる確率が高くなさそうな「予想」の1つでしかないので、ここでこれ以上この部分に深入りするのは避けたいと思います。
それに、こんな重要な場面で「挨拶してから しのーと思ってさ」と言っている将也が、「たまたま昔思ってたことをいってるだけ」というのも、さすがにちょっとあんまりな気もしますので(^^;)。
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