2014年08月31日

第50話、硝子はなぜ植野の映画参加にこだわるのか?

第50話で、硝子は植野の映画撮影への参加を執拗に迫ります。
植野のせりふから判断するに、硝子は病室を訪れて、植野に追い返されるたびに、毎回映画参加の誘いもくりかえしていたようです。
植野が「もう自分の役割(服のデザイン)は終わった」と言っても、誘うのをやめていません。


第50話、15ページ。

なぜ硝子は、植野の映画参加にここまでこだわるのでしょうか?

結論から先に書くなら、それは、

硝子にとって、「壊したものを取り戻す」ためには、植野の映画撮影復帰が不可欠だと思っているから。

だと思います。

もう少し補足します。
硝子が映画再開によって「取り戻したい」と考えているものは、単に高校になってからの橋メンバーのつながりだけではなく、小学校時代に硝子が水門小に転校してきたことによって「壊れてしまったもの」をすべて含んでいると考えられます。
そして、硝子は植野に対しても、「自分が転校してきたことで壊してしまったものを取り戻したい」、と考えているのだと思います。

つまり、硝子は、第3巻で植野が将也に対して(硝子の知らないところで)ぶちまけた、あの「石田との時間を取り戻したい」というせりふに込められていたような「小学校時代に対する植野の思い」をかなり正確に察知していて、それをこの「映画撮影再開」で取り戻したい、と考えている、ということになります。


第3巻153ページ、第22話。
たしかにここでも、植野が「取り戻したい」「壊れてしまった」という、この2つのキーワードを語っているのです。つまりこの部分では、硝子は植野がやりたかったことをやっている、ということになります。

だから、植野の映画復帰は、硝子の「作戦」にとって必要不可欠な要素であり、植野からどんなに断られても、執拗に参加を求めているのではないか、と思われるわけです。

そうだとすると、これはかなり切ない話になっていきますね。
硝子は、もしかすると、というかある意味「間違いなく」、いま、映画撮影再開をとおして「将也と植野との関係修復」を目指していることになります。

では、いま、硝子の頭の中で、映画撮影によって植野と将也の関係が修復されたあと、自分はどうするつもりでいるのでしょうか?

ここへきて、だんだん硝子が映画再開で目指しているものが見えてきた気がして、また少し不気味な影がちらついてきています。
なかでもいちばん不気味なのが、「映画が再開されて、『いろいろなものが取り戻された状態』の中に、硝子自身が存在しているイメージがわかない」ということです。

そのあたりの不気味さや、硝子にとっての映画撮影の意味についても、改めてエントリを分けて考えてみたいと思います。
タグ:第50話 第22話
posted by sora at 10:18| Comment(8) | TrackBack(0) | 第6巻 | 更新情報をチェックする

硝子は植野の将也への恋心に気づいていた(いる)?(2)

前エントリからの続きです。

さて、もしも硝子が、小学校にいた時点で植野から将也への恋心に気づいていたとしたら(永束との筆談ノートでのやりとりから、その可能性が結構あると考えられます)、第3巻で、硝子が植野と久しぶりに遭遇した場面から「うきぃ」の展開になるまでの硝子の心情が、これまでのイメージとかなり変わってくることになります。

まず、植野と遭遇していきなり修羅場が訪れたとき、硝子はすでにその時点で「将也のことを昔から好きだった植野が、また将也と一緒に登場した」くらいのことを考えて将也とやりとりをしていることになります。
ここで、結絃が事前に硝子に吹き込んでいたデタラメ、「(将也が)彼女連れてたぜ」も効いているかもしれません。


第2巻 108ページ、第11話。

この時点で、将也は植野と付き合っているのかもしれない、と硝子が想像するのは、自然なことでしょう。
さらに、その翌日に将也が橋に来なかったことで、将也が植野との関係が硝子にバレたから橋に来なくなったんじゃないか、とも考えたかもしれませんし、そういった話を結絃にもしたかもしれません(橋の上で、あそこまで変な顔をしていたくらいですからね)。それで結絃が石田家にスパイにいったという流れになります。
3巻ラストの「うきぃ」も、自身の中にある恋愛感情を確信して、というよりは、魅力的になって現れた将也を失いたくない、という、女の子らしい嫉妬と焦りから思わず、という側面が相当大きかったのではないか、と推測されるわけです。

もちろん、これらの感情は、植野の小学校時代の将也への想いを硝子が知っていても知らなくても同じように説明できる部分でもあるのですが、「知っている」と考えた場合には、よりはっきりと「三角関係になってもいいから将也への気持ちを告げて、結果的に植野に「宣戦布告」することになることもいとわない」というくらいの、非常に強い想いと勇気が込められた「大告白」だった、ということになると思います。

そのくらいの強烈な想いが背後にある、と考えると、あんな風に白昼の街のど真ん中で告白し、何度聞き返されても果敢にその告白を繰り返したのはなぜなのか、ということもしっくり理解できる気がします。

こんな風に考えると、3巻の読み方がずいぶん変わりますね。

ところで…

1つ前のエントリで、ちょっとひっかかることばを使ってしまった気がします。

>硝子は「自分が転校してきたことで、植野と将也との関係を壊してしまった」と理解しているのではないか

「壊してしまった」

このキーワード、やはり同じ永束回で、硝子が筆談ノートに書いていました。
このあたりについても、テーマは違いますが話としては続いていますので、別のエントリで考察してみたいと思います。
タグ:第50話
posted by sora at 10:11| Comment(0) | TrackBack(0) | 第6巻 | 更新情報をチェックする

硝子は植野の将也への恋心に気づいていた(いる)?(1)

第50話で、植野が小学校のころから将也のことが好きだったことが(今さらながら)明らかにされました。
それ自体は何も新しい情報とはいえませんが、ここで改めて気になるのが、

硝子は植野の将也への感情を、小学校の頃から気づいていたのか?

ということです。
これがYesかNoかで、けっこういろいろなことが変わってきます。

ここでヒントになっていそうなのが、第46話で硝子が永束と交わした筆談ノートでのやりとりです。


第46話、7ページ。

硝子「なおかさんとは班が同じで席も近かったので 特に世話をかけてしまいました
そのせいで 私がいない所でも色々あったんだと思います」


このなかでもポイントになるのは「私がいない所でも色々あったんだと思います」の部分です。

この部分、第50話を読んだ後で改めて読んでみると、

「私がいない所」=「私が関わっていない関係」=「植野と将也の関係」
「色々あった」=「関係を悪化させてしまった」


ということを硝子が婉曲に表現しているように思えてならないのです。

つまり、硝子は「自分が転校してきたことで、植野と将也との関係を壊してしまった」と理解しているのではないか、と思うのです。

思えば、将也が硝子をいじめ始めたとき、将也本人以外で、唯一積極的にそのいじめに参加していたのが植野だったらしいことが、第50話で描かれています。
そんな二人の表情のやりとりを見ていた硝子は、植野→将也という方向の好意を感じとっていたんじゃないかと思うのです(ことばが聞き取れないからこそ、硝子は相手の表情をよく見ていたのではないかと思います)。

さらに、将也のカースト転落後に始まった植野から硝子へのいじめについて、硝子はそれが植野からのものだということを察していたのではないでしょうか。
特にノートへの悪口は、目の前で書いていた可能性も高いですし、そこまでではなくても、観覧車で当たり前のように自分から話していることを考えれば、「当時から植野がやっていたと硝子も知っていた」と考えるのが自然でしょう。
そのノートの悪口の内容は、第50話だけではよく分かりませんが、あれだけ性格がストレートな植野のことですから、将也を傷つけたお前は許せない、的なニュアンスが伝わるような内容は(遠回しであっても)書いてあったんじゃないかと思います。

そういったことを含めて、硝子は小学校時代から既に、植野の将也への恋愛感情に気づいていて、しかもそこに自分が「割り込んでしまった」ことで、結果としてその関係を悪化させてしまったと感じていた、ということになるのではないでしょうか

そして、もしそうだとすると、第3巻での硝子の植野との再会から、「うきぃ」までの意味がかなり変わってきます。

長くなったのでエントリ分けます。
タグ:第50話 第46話
posted by sora at 10:10| Comment(0) | TrackBack(0) | 第6巻 | 更新情報をチェックする