2014年08月22日

第49話までで描かれた「等身大の硝子」の姿とは?

第49話に関連した、硝子についてのエントリの2つめです。

第49話まで話が進んできたことで、第6巻に入り、「作り笑いで逃げない、自分から動く」と決意した硝子の「等身大の弱さ、無力さ」がはっきり描かれてきていることを改めて感じます。

本来なら、真っ先に謝罪しなければならない相手である石田母に対して、第44話で植野に阻まれてニアミスになってしまったとはいえ、第49話の場面まで、おそらく5日くらいの間、連絡をとることがなかったのは、もちろんいろいろな理由があるとはいえ、「話すのが怖かった」という感情があったことは否定できないでしょう。

また、毎日、将也の病室に入ることを植野に阻まれても強く反論せず、毎回すごすごと引き下がってしまっていたのも、植野をはねのけてまで将也に会う「資格」があるのかどうか、硝子自身も確信が持てなかったということなのだと思います。

つまり、硝子は、石田母と会うことも、将也と会うことも、どちらも微妙に怖がって逃げていた(正確に言うなら、その気になれば乗り越えられなくもない障壁を乗り越えずに、その障壁の前にすごすごと引き下がるくらい臆病だった)、ということです。

そんな、微妙な「逃げ」の動きの中で、硝子が永束に提案した「映画の再開」。
永束がその話を受けて以降、硝子は仲間集めにのめりこんでいきますが、それは硝子にとって2つの副次的な意味をもっていたように思います。

1)将也と石田母と直面し、自分の行いを「清算」しなければならないという重圧からの逃げ。
2)同時に、将也に対する、ひいては石田母に対する「贖罪」としての人間関係の再構築。


この2つは相互に関係しています。
硝子が自ら動き、映画再開でかつての人間関係を回復できればできるほど、将也に対する「贖罪の大きさ」「返せるもの」が増えて、将也や石田母に対してより「誠意のある」形で対面することができる、そう硝子は考えているようにも見えます。

だから、いま将也や石田母とすぐには会えない状態になっているなら、あえてそちらを急ぐのではなく、映画再開のほうに力を入れて、できるだけたくさんのものを「取り戻した」状態で、満を持して会いに行きたい、そんな風に考えて、硝子はいま「映画再開」にのめりこんでいるのではないか、そう思うのです。

決して、強い姿ではありません。
むしろ、問題に直面せずに少し横道を進んでいるようなところもあり、「覚醒」したとはいえ、やはり「弱さ」が垣間見える姿だと思います。
でもそれが、これまでのような作り笑いで守られた姿ではない、「等身大の硝子の姿」なんだろうと思います。

これはまさに、将也の第2巻~第3巻のころの硝子に対する感情と行動原理とそっくりです。

それともう1つ、なぜ硝子が「壊したものを取り戻したい」と考えたときに、選んだのが「映画の再開」なのか、という問題です。
将也も硝子も、映画撮影については中心というより外野で、特に将也は雑用係だけをやらされて退屈そうにしていました。それを硝子も見て、気を遣ったりする場面さえあったわけです。

なのになぜ、「映画再開」なのか?

よくよく考えてみると、これも簡単です。
硝子は、将也のことを、実は何も知らないのです。

もう一度、2巻の再会以降の物語を、硝子視点で読み返してみましょう。
将也が、硝子に対して自分のことをほとんどまったく話していないことに気づくはずです。

そんななかでほとんど唯一、将也が気にかけていた(ように硝子には見えたであろう)ものが、「映画づくり」でした。
橋事件・デートごっこのあと、硝子だけと毎日会うようになった将也は、実は何度も映画のことを話題にしています(映画も見にいっていますし)。

だから、硝子から見た場合、将也=映画という風につながっていたとしても、実は全然おかしくないわけです(他のつながりがまったく分からないため)。

全体的にいって、硝子の「将也のために映画再開にのめりこむ」姿は、弱くてちっぽけで、(将也のことを)何も知らない存在でしかない、でも何かしないといられない、そうしないと罪の意識に押し潰されてしまう、そんな等身大の硝子の姿をとてもストレートに映し出していると思います。
でも、そんな「弱くてちっぽけな」硝子が、必死に何かを取り戻そうとしている姿に、結果的に周囲の人間はいま動かされて、変わっていっているのではないでしょうか。
タグ:第49話
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第49話、硝子の感情はどのように描かれている?

さて、第49話は「真柴回」でありつつも、ほとんどの登場人物にしっかりそれぞれの「ドラマ」が描かれている回だと思います。

今回、それほど出番がなかった硝子についても、よく見ると、とても繊細に感情が描かれていることに気付いてはっとします。

まず、石田母と出会って、相手が将也の母親だと気付いたとき。


第49話、6ページ。

これまでで見た事もないほど大きく目を見開いて驚きの表情を示したあと、「ギュ」とものすごい力でペンを握り締めて筆談ノートに書き込みを始めます。


第49話、6ページ。

筆談ノートに必死に書き込んでいる硝子は、ブルブルと震えています
自分が犯してしまったことの重大さ、石田母に対する罪の意識の重さに押しつぶされそうになりながらも、何とか自分の「こえ」を伝えようとしている必死さが伝わってくるような「震え」です。

でも、その「こえ」は、石田母によって無視されます。(ただし、先の「硝子がブルブル震えているコマ」で、石田母は硝子のその姿をしっかり見つめている点は見逃してはならないとは思います。)
そのまま固まってしまって、去っていく石田母を見送ることさえできない硝子。

石田母から残された、優しさと厳しさが入り交ざったメッセージを、佐原の手話によって伝えられた硝子は、その場に崩れ落ちて尻もちをついてしまいます。


第49話、8ページ。

本当に「こえ」を伝えなければならないはずの人に、何も伝えられず、相手からは厳しいことばこそなかったものの、実質的に「拒絶」されてしまった…。

ここで尻もちをついて放心状態になっている硝子の心を覆っているのは、肝心なときに何もできなかった無力感と、改めて感じざるを得ない自分が犯したことの重大さだったことでしょう。

でもこのあと、硝子はさらなる「覚悟」を決めたのだと思います。
第49話最後のページで判明しますが、硝子はこの場面のあと、ひとり水門小学校に向かい、竹内を説得してロケハンの許可を得ようとします。
このロケハンの失敗は、「将也が壊したもの」でも、「硝子が壊したもの」でもなく、「真柴が壊したもの」でした

ここへきて硝子は、映画制作について、単に「自分が壊したものを取り戻す」を少し超え、「自分にできることをやる」の段階にまで到達しつつあるように思います。
というか、もともと硝子がやってきたことは、既に橋崩壊事件の前にあった「つながり」以上のものを創り上げてきていたわけですが、いよいよ、硝子を中心に、橋崩壊の前とはまったく違った「映画制作環境」が生まれつつあります。

「必要とされるのが嬉しい」という受身だった硝子が、「みんなを必要として自ら動く」前向きで一途な思いで突っ走る硝子へ
第49話は、硝子についても大きな前進が描かれている回だと思います。
タグ:第49話
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第6巻の残りの構成を予想する(第50話の展開を予想する(3))

第50話の予想エントリの最後として、「残り3話の構成」について、改めて考察しておきたいと思います。

まず、第6巻がどういう構成になるかを整理するため、第43話からのページ数をカウントしてみました。

第43話:左から右へ、18ページ。
第44話:左から右へ、18ページ。
第45話:左から右へ、18ページ。
第46話:左から右へ、18ページ。
第47話:左から右へ、18ページ。
第48話:左から左へ、17ページ。
第49話:左から右へ、18ページ+カラーページ2ページ(たぶん単行本には収録されない)。


ここのところ、ずっと原則1話あたり18ページで進んでいます。
そして、「最終話の掲載予定号が今年のマガジン51号」という情報とかね合わせると、




第6巻は第43話~第52話の10話構成、
第7巻は第53話~第62話の10話構成、


ということでほぼ間違いなさそうです。

そうすると、第6巻は次回50話を含めてあと3話となります。
材料もだいたい出揃ってきたので、この残り3話の構成もだいぶ見えてきました。

まず、これまでの伝統でいうと、各巻の最終話は、必ず将也と硝子の絡みで終わっています。(第1巻:再会、第2巻:ショーちゃんで顔が大接近、第3巻:うきぃ、第4巻:2人で結絃を応援、第5巻:転落する硝子を将也がつかむ)
間違いなく、7巻の終わりもそうなることを考えると、第6巻の終わりも、将也と硝子が絡む展開で終わるだと思われますので、

・将也が目覚める。
・硝子がようやく病室に入れる。


この二つは残り3話の間に実現するのでしょう。
一方、第6巻は「各自視点消化巻」となっているので、絶対に

・植野視点回

は含まれると思いますが、少し前に考えていたような、植野視点が数話続く、ということは残りの巻数を考えると微妙で、植野視点回も1話だけになる可能性が高まりました。

さらに、第6巻の物語の中核となっているのが、硝子によって進められている「映画の再開」です。既に植野以外の元映画制作メンバーは全員再開に同意したので、残る展開として、

・硝子による植野の映画再開への参加要請

というエピソードも入ってくるように思います。

さらにいうと、

・硝子視点というのはたぶん使われない(使われるとしても最後の最後、最終話「西宮硝子」だけだろう)

ということもありますので、「各自視点」を消化しきってしまうと、どうしても「将也視点」に戻ってこざるを得なくなる、ということもあるわけです。

それらを総合すると、残り3話の構成は以下の2つのどちらかになるんじゃないかと予想します。

1)次回が植野視点の場合
 第50話:「植野直花」植野視点の物語。
 第51話:将也視点。冒頭で目覚める将也。そこには植野がいた。話末までにいろいろあって植野の篭城終了。
 第52話:将也視点。植野の篭城が終わり、ようやく硝子が病室へ。はじめて将也と硝子がホンネで話しあう。


2)次回が島田視点の場合
 第50話:「島田一旗」島田視点で過去の回想。
 第51話:「植野直花」植野視点の物語。
 第52話:最後に将也視点。植野とのやりとり、篭城解除、硝子と面会、はじめて将也と硝子がホンネで話しあう。


ここで、2)の応用編として、「島田一旗」と「植野直花」が入れ替わる(植野視点→島田視点→将也視点)というパターンも、可能性は非常に低いと思われますがあるかもしれません。

2’)先に植野視点、次に島田視点の場合
 第50話:「植野直花」植野視点の物語。
 第51話:「島田一旗」島田視点で過去の回想。
 第52話:最後に将也視点。植野とのやりとり、篭城解除、硝子と面会、はじめて将也と硝子がホンネで話しあう。


いずれにしても、最後の第52話はどうしても将也視点になりそうで、だとするとどんなに遅くとも将也はこの先(マガジン発行ベースで)3週間以内には目覚めることになるのではないかと思います。
タグ:第49話 第50話
posted by sora at 07:08| Comment(7) | TrackBack(0) | 第6巻 | 更新情報をチェックする