2014年08月11日

第48話、硝子の行動原理を考えてみる(1)

第48話は、冒頭煽り文のとおり、「川井の知られざる生態に迫る」回だったわけですが、その一方で、硝子も不思議な行動をとっているように見えます。

まず、

1)川井・真柴に会ったとき、ほとんど挨拶もなくいきなり「映画を再開しませんか」という筆談ノートを見せている

こと、それから、

2)恐らく話の流れがまったく分からなかったはずなのに、川井の抱擁に対して、最後に抱き締め返している

こと、この2点です。

こちらのエントリでは、この2つのうち1)について考えたいと思います。

1)の硝子の行動ですが、率直にいって相当違和感があります。あまりにも唐突すぎて、川井や真柴からは意味不明に見えたでしょう。


第48話、11ページ。

考えてみればあの橋事件以降、会ったのは初めてなわけですし、もしかすると自身の自殺についても知っているかもしれない(実際知っていた)、そういう相手である川井らに対し、あいさつをするなり(映画再開の)背景を説明するなりして、それから誘ってもよかったはずです。
実際、いまの「笑わないスタイル」になるまでは、ニコニコ愛想笑いをしてペコリとお辞儀をするのが当たり前だった硝子が、そのあたりの社交辞令、マナーを知らないとは考えられません

これについては、恐らく硝子はいま、あえて「ノーガード戦法」をとっているんじゃないか、と考えています。

これまで、硝子はいろいろなことを考えすぎて、遠慮をしすぎて、社交辞令や愛想笑いに逃げすぎて、言いたいことを言わなすぎて、失敗してきたと自覚しているはずです(家族とさえコミュニケーションができていなかった、ということを悟ったのが、第45話での硝子の涙の最大の原因だと思っています。)
だから、いまの硝子は、そういうものをすべて捨てて、思っていることを最短距離で率直に相手にぶつける、あえてそういうやりかたを選んでいるように見えるのです。

それに対して、川井がビンタで返したのはある意味、硝子にとって「収穫」ということになります
川井が映画について、あるいは硝子についてどう思っているのかが、社交辞令のオブラートにくるまれずにストレートに出てきているからです。

このあと、将也転落事件後、2回目となる植野と硝子の直接対決がやってくるでしょうが、硝子はまたきっと「映画再開」でジャブを打ってくるでしょう。
それに対して、まちがいなく植野は、強烈なカウンターパンチを打ち返してくるはずです(もしかすると本当にパンチかもしれませんが(笑))。
その「カウンターパンチがどんなものであるのか」ということが、植野にとって、映画撮影がどのようなものであったか、さらには橋メンバーとの、将也との、そして硝子との関係がおどのようなものであったか(あるのか)を浮き彫りにするのではないかと思います。

そういう意味で硝子は、それが失礼でぶしつけな側面があることを理解しつつも、あえて「ノーガード戦法」をとることで、相手と本音でコミュニケーションしようと試みているのではないか、と思うのです。

先の行動原理の2)については、次のエントリで。
タグ:第48話
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第48話、硝子の行動原理を考えてみる(2)

川井のエキセントリックな言動に隠れていますが、第48話における、硝子の奇妙な言動について考察するエントリです。

先の(1)のエントリで、

1)川井・真柴に会ったとき、ほとんど挨拶もなくいきなり「映画を再開しませんか」という筆談ノートを見せている

という硝子の行動について考察しましたので、こちらでは、もう1つの、

2)恐らく話の流れがまったく分からなかったはずなのに、川井の抱擁に対して、最後に抱き締め返している

について考えてみたいと思います。


第48話、15ページ。

こちらは、そんなに難しい話ではないんじゃないかな、と個人的には思っています。

硝子は筆談ノートを叩きおとされて、しかも抱き締められてしまって川井の口の動きも見えませんから、川井が何を言っているのか、その内容はまったく分からなかったと思います。

でも、川井は最後に感極まって(まあ、勝手に極まってるんですが…)泣き出しています。
わあわあ泣いているわけではないと思いますが、声が震え、嗚咽くらいはしているんだと思います。

硝子は補聴器をつけていると思いますから、川井がこんな耳元の近くにいることを考えると、川井の泣き声に気がついて、「川井が泣いている」ことを知ったのではないでしょうか

しかも、この同じタイミングで川井は腕に力を入れて硝子をことさらに強く抱き締めています。
別エントリで考察する予定ですが、このとき川井は、「気持ち悪い」という同級生のことばや将也のことばを思い出して、自分も密かに気にしている自分の嫌なところを忘れようと、それまでの「きれいごと」的な抱擁をやめて、むしろ自分が甘えて抱きついているような「本気の抱擁」をしはじめたのだと言えます。

これらを総合すると、たとえ話していることばが分からなくても、川井がなにか自分のことで泣き出して、まるで甘えてくるかのように強く自分を抱き締めてきた、と硝子にはわかったんじゃないかと思います。

だから、抱き締め返した、と。

また、この「抱擁返し」が物語の中で持つ意味を考えてみると、各自視点回において、

・永束=筆談ノートで、
・佐原=手話で、
・川井=筆談ノートは叩き落されたけれども抱擁で、


それぞれ硝子は、なんとか「気持ちを自分から伝える」ことを試み、一応(川井を含めて)成功した、という「形」になっています。
今回、川井回における「抱擁返し」が物語の中でもっている「意味」は、たぶんそういうこと(筆談ノートも手話も通用しなかった川井にも、抱擁を返すことで何か「聲」を伝えることができた、ということ)なのかな、と思います。

とはいえ、硝子から抱きしめ返されたからといって、川井が「映画撮影再開賛成」に回ったとはちょっと思えないですし、真柴もそんなことはないでしょう。
せいぜい、この後展開されるであろう、将也をめぐる「植野vs硝子」の対立では、これまで植野派だった川井が「硝子派」に寝返る可能性が増したくらいかな、という感じですね。

タグ:第48話
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2014年08月12日

結絃は何をしてるのか?についてのネタ的考察

今日は、ネタ系のエントリを2件投稿したいと思います。

さて、第6巻相当部分に入り、さらに各自視点回になってから、大きく変わった点があります。
それは、

・硝子のそばから結絃がいなくなった。

ということです。
これは、真面目に考察すると、第44話~第45話の展開で、結絃が「硝子の保護者役」をおり、硝子も硝子で「ひとりで道を切り開いていく」覚悟を決めたから(そしてその結果として、「結絃視点」で硝子を語る、ということができなくなり、「各自視点」に移行したから)だと思います。

でも、ここで1つ、ちょっとネタっぽい考察を書いておきたいと思います。

それは、

・結絃はすでに映画撮影を始めている。
・映画の内容は、硝子が橋メンバーを再び集めていくドキュメンタリー。


というものです。
第46話からの3話では、すべて、硝子がかつての橋メンバーと接触し、映画再開を打診し、さまざまなリアクションを受ける、という展開がありました。
永束と佐原は同調し、川井からは反対されていますね。

この、硝子がさまざまなリアクションを受けている姿を、実は結絃が撮影していたとしたら、どうでしょう?

今後おそらく、硝子と植野がぶつかり、硝子は(ある意味空気を読まずに)植野を映画再開に誘い、修羅場が展開されるのではないでしょうか。
もしかすると硝子ー真柴、というのももう一回あるかもしれませんね。

それらのリアクションを全部まとめるだけでも、なんかロードムービーっぽい映画ができるような気がするのですが…。

さらにそこに、結絃が撮ってきたこれまでのゴクヒ映像、将也が目覚めたときのリアクションなどのいくつかの映像を組み合わせると、「硝子の再生物語」みたいなものが意外とうまくできあがってしまうような気もするのです。

最初から、硝子と結絃が結託してそういう映画を作ろうとしていた、ということではなくても、やはり自殺騒動直後だから心配な結絃が、遠くから見守っていたら偶然そういう映画のコンテンツができあがってしまった、という展開でもありかもしれません。

ということで、相当ネタ的ではありますが、「硝子の映画再開チャレンジ」がどう回収されるのか、の1つの推測として、「映画自体は再開できないが、映画を再開しようとしていた硝子自体が被写体になって別の映画ができる」というのを、ここであげておきたいと思います。
タグ:第48話
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夢オチ、劇中劇オチはありえる?

ネタ系エントリの2件めです。

どんでん返しが大好きそうな大今先生だということで、映画回あたりからずっとくすぶっているのが、「これって実は劇中劇オチなんじゃ?」という憶測です。
要は、どこかのタイミングから、実は読者は「映画を見せられている」という仮説ですね。
この「劇中劇オチ」とは別に「実は夢オチ」という話もあって、このあたりは物語としては禁断の展開ですが、可能性としてはゼロではないので、「ネタ的予想」の1つとして書いてみたいと思います。

<夢オチ系>

1)将也は、硝子と再会して転んだときに、打ち所が悪くて昏睡してしまった。それ以降はすべて将也の夢。実際には硝子はそのまま逃げてしまっていた。

2)花火大会で硝子の代わりに転落した将也は、落ちた川のなかで昏睡状態になってしまった。第44話以降は、昏睡状態から死に至るまでの間に将也が見た夢でしかなかった。

3)花火大会で硝子の代わりに転落した将也は、救出されて病院に運ばれ、長く意識不明が続いた。
第44話以降は、昏睡する将也が見ていた夢だった。そして、その夢のなかでも眠っていた将也が目覚めた瞬間、夢のなかではない、本物の将也も目覚めた。
そこで知らされたのは、硝子の後追い自殺。映画を再開しようと頑張っていた硝子は、将也の夢の中にだけいた幻だった…。

4)花火大会で硝子は助けられたが、代わりに転落した将也は死んでしまった。第44話以降は、その事実に耐えられず寝込んでしまった硝子が見た夢でしかなかった。


<劇中劇オチ系>

5)実は、夏休みの登校日以降はすべて映画。橋事件も硝子の自殺も将也の転落も病室バトルもすべて映画の演出。読者は、劇中劇をずっと見せられていた!

6)実は、夏休みの登校日以降はすべて映画さとして撮影されていた。そのことを、将也だけは知らされていなかった。最後に硝子が自殺(もちろん演技、下で安全にキャッチする予定だった)して将也がショックを受けて終わりになるはずが、将也が頑張りすぎて転落してしまったからすべて予定が狂ってしまった。


…まだいろいろ考えられそうですが、どんどん非現実的になりそうなのでこの辺りで(^^;)。

このうち、もし万が一にも本当にこういうネタ落ちがありうるとすれば、3)みたいな展開だけかな、と個人的には思っています
それ以外の部分を「夢」とか「映画」にしてしまうのは、さすがに破綻度合いが半端なさすぎるかな、と。
まあ、3)でもメチャクチャはメチャクチャですが、いちおう「眠っている将也」というモチーフは重ねられるのと、植野が硝子を追い払っていることが、すでにリアルでは自殺している硝子が「亡霊」として将也まで迎えにこないように必死で追い払っているんだ、という形で、オカルト的に説明できるということがあるんですね。
ですから、ネタ的な予測として、万が一には3)はあるかもしれない、と書いておきたいと思います。
タグ:第48話
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第5巻の「帯メッセージ」が判明!

「聲の形」第5巻の発売(8月16日)が近づいてきましたが、いつも強烈な「帯メッセージ」の5巻の内容が判明しました!




「少年と少女が 少年と少女をやめる。
 ただ、互いのために生きたいと願った2人。
 それは、罪なのか。」


うーん、今回はこれまでにまして強烈ですね。
5巻の展開が分かっているだけに、この帯メッセージは重いです。

ともあれ、いよいよ新刊発売も近づき、盛り上がってきました。
今回もアニメイトととらのあなは特典がつくようですね。


posted by sora at 18:32| Comment(0) | TrackBack(0) | その他・一般 | 更新情報をチェックする

2014年08月13日

硝子のあの行為への発言から見える、橋メンバーの価値観の違いとは?

これは、「なぜ知っているのか?」問題と微妙にからんでくるのですが、そちらはちょっとおいておいて、ともかく「橋メンバー」はなぜかほとんどが硝子の自殺のことを知っています(真柴だけはどうか分かりませんが、川井が知っていることを考えると、たぶん知っていると予想します)。

そして、それぞれがそのことについて物語のなかで発言していますが、非常に興味深いこととして、

硝子の自殺に対する発言が、それぞれの人物の価値観や硝子への人物観をきれいに反映している。

ということです。

実際、それぞれの登場人物がどんな発言をしているか見てみましょう。

将也:「なんで なんで なんで?西宮 なんで こうなった? 俺 どこで 間違った?」(第43話)

自罰的な将也は、硝子の自殺を自分の責任だと考えています。
でもこのあと、「会わなければ(よかったのか?)」という自問に対しては、硝子の腕をがっちりつかみなおし、行動で否定しています。

結絃:「オレのカントクフユキトドキです ごめんなさい」(第44話)
「ちゃんと 言葉で 言えばよかった? 『死なないで』って そしたら変わってくれた?」(第45話)


第45話、13ページ。

結絃も将也と同様、自分を責めていますが、そのニュアンスは相当違います。
結絃の場合、最初のせりふでは、まだ硝子の保護者を自認していましたが、その後硝子の手紙を植野から聞かされてそのアイデンティティが壊され、後のせりふではもっとフラットに家族・妹として、どんなサポートができたかを自問しています。

植野:「こいつは みんなの気持ちを知りもせず 勝手にそれが一番いいって判断して 飛び降りやがったんだ!! とんだッ 思いあがり この性悪女!」(第44話)


第44話、17ページ。

硝子の自殺そのものというよりも、動機ないし行動原理を批判しているところが注目されます。
以前の遊園地回の観覧車での発言にも通じますが、思ってることをはっきり言えば相手にも通じる、言わないで自分で判断して行動すると「相手のため」と思って行動したことが逆に相手を傷つけたり自分が傷つくことになる、ということを植野はいっているのだと思います。

永束「なんで君は 死のうとしたんだい?」(第46話)


第46話、11ページ。

永束のこの発言、これは別の意味ですごい。
何しろ、この、まったくオブラートにくるまない、直球ど真ん中の質問を直接硝子にぶつけているわけですから。
でも、この永束の、回りくどい表現をしない、ある意味ぶしつけな問いかけだったからこそ、硝子も逃げずに正面から自分がかかえる「弱さ」をさらけ出すことができたのかもしれません。

佐原: 「私 何か見落としてた? 私 力になれてなかった? なんで 私に 何も相談してくれなかったの? でも 私は そんなこと わざわざ聞いたりしないよ」「どうにも ならなかったんだよね…」

佐原のモノローグは、よく読むとけっこう屈折しています。
力になりたかったけれども、自分からはそういうことをわざわざ聞いたりするつもりはなかったから、何も言わずに飛び降りてしまった硝子のことを、結局自分にはどうしようもなかった、と言っているわけですから。
そしてこのモノローグのあと、佐原の思考は自分が変わったか変わっていないかを自問自答する流れに入っていきます。
簡単にいうと、佐原の思考は、相手を変えようとせずに、自分が変わることで状況を変えていこう、という自己責任論的な価値観に強く拠っているのだと思います。
硝子から悩みを相談されるような「自分」になれていれば、問題は解決できていたかも、佐原はそんな風に考えているわけですね。
でも実際にはそうではなかったから「仕方なかった」と諦めているわけです。
この辺りは、人間関係をどうしても「取引」だと考えてしまいがちだという、佐原の「発達課題」の問題とつながりがあると思われます。佐原の発達課題については、別エントリで書きます。

川井:みんな 心配してたんだよ!! あのね 知ってる? 西宮さん! 苦しんでるのは あなただけじゃないんだよ? みんな苦しい! 苦しんでるの! それが命なの! でも その命は いちばん大事なんだよ… わかるよ… 西宮さんの気持ち… 言えないよね つらいこと… 相談できないよねっ… あなたは 私に似てるから わかる… だからね… つらいことがあっても いちいち気にしてちゃ だめ 自分の ダメなところも愛して 前に進むの そう…たとえば 自分はかわいいって… かわいいんだって…思うの… だって そうしないと 死んじゃいたくなる…


第48話、14ページ。

真打ち登場(笑)。
長いです(笑)。
ある意味、いちばんズレていて「喜劇」になっているのが、川井のこの事件に対する言動です。
川井は、硝子の実際の葛藤とか事情とかそういうことをすべて無視して考慮に入れず、「人生は苦しいかもしれないけれども命は大切にしなきゃダメ!」という、陳腐な道徳のレベルまで問題をずらしまくったうえに、それを「こんな美しい道徳が語れる私ってすごく立派!」という「川井劇場」を展開するためのネタにしてしまっています。
川井については、この「川井視点回」で、この「川井劇場」を、深い策略を練ったうえで行っているのではなく、本気でそう思って繰り広げているという「天然キャラ」だということが示されていますから、これは相当なものです。
とはいえ、「硝子の事情」はまったく関係ないものの、この「川井劇場」の後半は「川井のホンネ」だと考えられますので、そういう意味では興味深いことを言っているといえば言っていますね。
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東地高の2学期はいつから始まった?

これは、ずっとアップデートを続けている「イベントカレンダー」に関連する話題です。

今回第48話で、将也や永束、川井、真柴らの通う「東地高」は2学期が始まっていますが、一方で、植野・硝子については、普通に私服で病院にいます(佐原は制服ですが、衣装作りで夏休みでも学校に通っていることがわかっています)。


第48話、11ページ。

また、将也の転落について、新学期の時点で石田家から学校に連絡が入ったのが「先週」という発言があります

イベントカレンダーから推測すると、花火大会は8月18~24日の週のどこかであることはほぼ確実で、もし新学期のスタートが9月1日からだとすると、石田母は実際の転落からかなりたってから学校に連絡したことになるだけでなく、将也の昏睡期間がとんでもないことになるという問題も生じます。

これらを総合して推理されることは、

進学校である東地高の2学期は、8月25日の月曜からスタートしている。
一方、太陽女子や硝子の通う高校は、それよりも始業日が遅い。


ということです。

これなら、まだ植野や硝子が私服で病院にいるのも説明できますし(太陽女子や硝子の通う高校はまだ夏休み中ということ)、花火大会を19日とおくことで、第47話の佐原のエピソードが22日となり、土日をはさんで47話と48話が連続している形もとれます。
学校への連絡が「先週」なのも問題ありません。

ということで、今後前提がひっくり返る描写がないかぎり、第48話の日付を8月25日、そこから遡って花火大会を8月19日とおくこととしたいと思います。

ちなみに、イベントカレンダーについては、「高校編」「小中学校編」「佐原・植野の関係編」と3つのバージョンを作っていますので、よろしければご覧ください。
タグ:第48話
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新たな聖地巡礼写真がアップされました!

以前、当ブログでも紹介させていただき、リンク集にも入れさせていただいている、@kashiwa0141 さんの聖地巡礼写真ですが、大今先生サイン会の整理券ゲットとあわせて新たな写真をアップされていたので、まとめさせていただきました。

http://togetter.com/li/705588
大垣・マンガ「聲の形」舞台訪問その2






















Togetterには、もっとたくさんの写真がまとめられています。

今回も「よくこんなところが分かるなー」という場所の写真が多くてうならされます。
@kashiwa0141 さん、ありがとうございました!
また新しい聖地巡礼写真、期待してます!
posted by sora at 23:02| Comment(0) | TrackBack(0) | 第5巻 | 更新情報をチェックする

2014年08月14日

第47話から読み解く、佐原の「もう1つの発達課題」とは?(1)

以前のエントリで、佐原が抱える過去のトラウマに、第47話で解決の糸口がつけられた、というテーマのエントリを書きましたが、今回の第47話については、佐原に関するそれとは別の「発達課題=個人が発達し大人になっていく過程で乗り越えていくべき、ないし獲得していくべき課題」にかかわるストーリーとして読み解くこともできると思っています。

それは、佐原が、

「条件付きの承認」ではなく「無条件の承認」を得ることで、自己肯定感を高めていく(という発達課題をクリアしていく)こと。

というものです。

ここからしばらく、まんがから離れた一般論を書きます。

子どもは、親や周囲の大人から、「ただそこにいるだけでかけがえがなくて大切なんだ」という、「無条件の愛、承認」を受けて育つことが必須です。
それによって子どもは、自分は愛されている、ここにいる価値がある人間なんだ、という実感、すなわち「自己肯定感」を獲得していきます。

ところが、ここで親から、「無条件の愛、承認」ではないものを与えられてしまうケースがあります。
それが「条件付きの愛/条件付き承認」と呼ばれるものです(長くなるのでここからは「条件付き承認」と呼びます)。

これは例えば、あなたは「私の言うことを聞いてくれるから」好き、とか、あなたは「テストでいい点をとってくれるから」本当にいい子ね、とか、そういう風に、ただありのままの存在としてではなく、「ある条件を満たしてくれるから」愛される、承認される、という、そういう愛され方、承認のされ方を呼びます。

この「条件付き承認」は、子どもの自尊心を傷つけます。
子どもは常に、設定された条件が満たせなくなるのではないか、満たせなくなったら愛されなくなるのではないか、という不安を感じて成長していくことになり、「自分が」愛されているのではなく「親の希望を満たす自分」が愛されているのに過ぎないのではないか、ここにいるだけでは価値のある存在ではないのではないか、という疑いを自身の存在に対して持ってしまうわけです。
ですから、親や周囲から「条件付き承認」ばかり与えられて育った子どもは、周囲の評価にばかり敏感になり、自分に自信が持てなくなり、自己肯定感も低くなります。
また、周囲の人間に接近するとき、相手に有益なものを提供し、その代償として人間関係を構築するような「取引」を行う傾向が強くなります

これって、作品中の佐原の設定とよく似ていないでしょうか。

私は、とてもよくあてはまる、と感じます。
佐原は作品のなかで、条件付き承認を得ようという行動原理で動いており、自分への自信、自己肯定感も低く描かれており、実は高校3年生になった時点でも、「条件付き承認ではなく、無条件の承認を十分に受けることで、ありのままの自分を認められるだけの自己肯定感を獲得する」という発達課題をクリアできていない様子が伺えるのです。

長くなってきたのでエントリを分けます。
タグ:第47話
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今日は、西宮母の44歳の誕生日です!

今日、8月14日は、聲の形の世界のなかで、西宮母の44歳の誕生日です!

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第41話、10ページ。

この誕生日のエピソードで、西宮母のファンになった人もたくさんいそうです。

この第41話の掲載されている第5巻も、あさって発売ですね。(すでにフライング販売されてるようですが…)



タグ:第41話
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第6巻は第2巻と第3巻の「掛け合わせ」?

当ブログでも、少し前に「第6巻は第2巻をトレースしているのではないか?」という議論があり、いま病室の門番をして硝子を追い払っている植野と、第2巻で手話サークルの教室の門番をして将也を追い払っていた結絃が重なる、といった話題が出ていました。

そろそろ第6巻も中盤になり、この議論をもう少し前に進められるんじゃないか、と感じています。

それはつまり、

6=2×3

ということで、第6巻は、単なる第2巻のトレースというよりは、第2巻と第3巻の内容が並行して展開し、ところどころでぶつかるという、「第2巻と第3巻のかけあわせ」の展開になっているんじゃないか、ということです。
2かける3は、6ですしね。

どういうことかというと、

第2巻のテーマ:将也と敵対する結絃が、硝子に近づこうとする将也を必死で追い払おうとするが、最終的には将也を理解し、受け入れる。硝子は、将也に心からの笑顔を返す。
その過程で、将也は永束と新たに友達になる。

第3巻のテーマ:将也が、自分が壊してしまった硝子をとりまく人間関係を取り戻そうと奮闘する。
その過程で、佐原との関係が修復される。
次に植野が登場し、修羅場になる。
最後に、硝子は将也に恋愛感情告白。


に対応して、第6巻はこの2つが混ざって展開しているように思われるわけです。

第6巻のテーマ:硝子と敵対する植野が、将也に近づこうとする硝子を必死で追い払おうとする。(第2巻成分)
硝子は、自分が壊してしまった将也をとりまく人間関係を取り戻そうと奮闘する。(第3巻成分)
その過程で、硝子は永束と新たに友達になる。(第2巻成分)
その過程で、佐原との関係が修復される。(第3巻成分)


…ということで、ここまで、第6巻の内容は、単に「第2巻のリフレイン」というよりは、「第2巻と第3巻の内容がパラレルに重なりながら展開している」というものに近いように思われるわけです。

だとすると、このあとは、

次に植野が登場し、修羅場になる。(第3巻成分)
植野は最終的には硝子を理解し、受け入れる。(第2巻成分)
将也は、硝子に心からの笑顔を返して(第2巻成分)、硝子に恋愛感情を告白。(第3巻成分)


という展開になるのでしょうか。
第7巻を待たずに、第6巻中に(=あと数話以内に)将也の硝子への告白が実現したら、盛り上がりそうではありますが、実現するでしょうか?(^^)
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2014年08月15日

第47話から読み解く、佐原の「もう1つの発達課題」とは?(2)

前エントリの続きです。

佐原の対人関係における行動原理は「条件付き承認志向」、つまり、相手に何か「役に立つこと」を提供して、それによって相手や周囲から承認を受け、それで初めて自分自身が肯定される、という構造をしているようです。

この原理に乗せて、小学校時代の佐原不登校事件を読み解くと、こうなります。

1)佐原は、みんなに代わって手話を学び、硝子をサポートすると発言した。佐原は、硝子の「役に立」ち、さらに周囲の負担を軽くすることで周囲にも「役に立つ」ことで、硝子および周囲の承認を得ようとした。

2)ところが結果は意に反して、植野からの否定(さらにはクラスメートの植野への同調)という反応となり、「承認」を受けられなかった。

3)「承認」を受けられず、否定されたことで、佐原自身の「自己肯定感」が著しく傷つけられ、「自分がここに存在してもいい」という感覚が失われた。

4)結果、不登校となり、植野への苦手意識もあわせて生まれた。


思い起こしてみると、佐原は硝子と再会してから、いきなりみんなでカラオケに行ったり、プールに連れていったり、なぜか微妙に「接待」じみたことを硝子に対して行っています
これも、硝子の「役に立つ」ことで相手から承認され、それにより逆に自分の居場所を確認する、という、「条件付き承認」を受けるクセのついた行動だと言えなくもないです。

そして、高校に進学し、スタイルの良さで後輩から慕われるようになって以降は、後輩からの「スタイルがいいから」愛される、という「条件付き承認」を維持するために、高いヒールをはくことにこだわるなど、「後輩が期待する自分」を演出していることにも改めて気づきます。

植野に対しても、ここ数話で少し対等な関係になる以前は、まあぶっちゃけて言えば「植野にとって格下の便利な手下」的ポジションに甘んじ、植野の「役に立つ」ことで、「友達ごっこ」を維持していたような状態だったともいえます。

このように、佐原の行動原理は実はかなり明確に、条件付き承認ばかりを与えられて成長してきた(だからそういう承認を得ようと行動する)人間のそれとして設定されていることがわかります。

そもそも、第47話全体を通じても、「高めろ」とか「成長」とか、そういうことばかり言っていますし、佐原は基本的に「自分が自信を持ち、周囲からも認められ愛されるためには、資格が必要で成し遂げなければならないハードルがある」と考えているわけですね。

もちろん、こういう「成長志向」が悪いわけではありません、実際、成長すること、いろいろなことを成し遂げることは、社会で成功するために欠かせないことでもあるでしょうから。

でも、こういったメンタリティを持っていることは、「承認してもらえると思った相手から認めてもらえなかった」という状況に陥ったとき、脆さを露呈します

また長くなってきたのでエントリを分けて続けます。
タグ:第47話
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