2014年06月01日

硝子が将也を好きになった瞬間はいつ?(4)

さて、この連続エントリのなかで、硝子が高校生になって将也と再会して、将也にはっきりと好意をもったのは、5月5日の夜、結絃を迎えにいったときに将也と出会い、別れ際に「またね」の手話をやりとりした瞬間だ、という(当ブログ的)結論に達しました。

とはいえ、「イケメン石田にまたねと言われたから」、ただそれだけの理由で好きになったわけじゃなくて(笑)、ここにいたるまでには数多くの「行い」の積み重ねがありました。

1.小学校時代から、将也に対してもともと何らかの気持ちがあった。

 筆談ノート、握手、手話で、3回も「友達になりたい」と伝えた(第2話~第3話)からには、何かあったとしか考えられません。それに加えて、魂をこもった喧嘩までやった「特別な仲」です。
 ただ、なぜそこまで「自分へのいじめの主犯格」だった将也に特別な思いを寄せていたかはいまだになぞです。(将也転落後については、分からなくもないですが…)


(第1巻114ページ、第3話。「友達になりたい」の手話を伝えようとしているところ。)

2.筆談ノートを拾ってくれた
3.それを5年もたっているのにわざわざ届けにきてくれた
4.将也の側から積極的に「友達になりたい」と手話でアプローチを受けた
5.西宮母に再度捨てられそうになったノートを躊躇なく川に飛び込んで一緒に探してくれた



(第2巻20ページ、第6話)

 4月15日の再会からの一連のドラマ、これもインパクトはとても大きかったと思います。
 どのイベントも、将也がからかいではなく誠意をもって自分に会いに来てくれた、ということを心から実感させるものだったと思います。中でも最大の感動的できごとは、かつて自分が(上記1.で)伝えようとした「友達になりたい」の手話を、筆談ノートともに将也が伝えてきた瞬間だったでしょう。
 再会時に硝子が問いかけた「どうして」に、将也はしっかり答えた、と言えます。

6.再会後に、似たような気持ちでお互いに慕っていたことを確認できた

 そして、2週間後の橋でのやりとりも、無視できないと思います。
 劇的な再会を果たしたものの、冷静になってみれば、やはりかつてのいじめっ子でもあり、硝子からすると自分のせいでカースト転落させたという「負い目」も感じていた将也との関係再構築に躊躇する気持ちは生まれてきたことと思います。
 その「とまどい」そのものを共有できた、ということは、逆にとても意味のあることだっただろうと思います。

7.家出した結絃をかくまい、気遣ってくれた、服も貸してくれた
8.結絃と一緒に夜中に自分を探してくれた
9.バカッター投稿などの結絃の悪行を受け止め許してくれた
10.さらにご飯もごちそうになったりして、孤独な結絃の心を開いてくれた



(第2巻159ページ、第13話)

 さらに、その後の1週間も硝子にとって激動の1週間でした。
 結絃の将也へのいたずら(将也の停学までの大ごとになった展開は、ある意味、小学校時代の「補聴器学級裁判事件」にも通じる部分があります)から結絃の家出、その結絃を捜索して自分が捜索される側になってしまった事件、それらすべてについて、将也が全面サポートしてくれていたことを後から知り、さらには頑なな結絃の心を少し開いてくれるところまでに至った将也に対して、硝子が信頼感に加えて、「大事な存在」だと感じたとしても何の不自然もないでしょう。

この話題で、あと1エントリ書きます。
posted by sora at 08:09| Comment(6) | TrackBack(0) | 第2巻 | 更新情報をチェックする

今日は、結絃と植野が石田宅に押しかけた日です!

さて、月も替わり、「うきぃ記念日」の6月3日をあさってに控えた皆様、いかがお過ごしでしょうか(笑)。

というわけで、今日はその「うきぃ記念日」のお膳立てをそろえるエピソードとなった、「結絃の石田宅訪問・植野の石田宅押しかけ」の記念日です!


第3巻153ページ、第22話。植野が将也に事実上告白してるけど将也からは悪夢のように見えてる(笑)シーン。

ちなみに結絃はこの日、結局何をしにきたのか?というなぞについては、以前解説していますのでそちらを参考にしてください。

http://koenokatachi.seesaa.net/article/395472935.html
第22話・結絃の「用事」って何だった?

ここで結絃がプレゼントを渡してしまっていたら、きっとあの「うきぃ」はなかったんでしょうね。(^^)
タグ:第22話
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明日から更新タイミングが変わります。

皆さん、いつもこのブログにお越しくださりありがとうございます。

さて、このブログはしばらく朝に更新をかけていましたが、明日から朝の生活パターンが大幅に変わりますので、平日朝の更新は原則なくなります。
明日からは、平日の更新は夜になりますが、今後ともよろしくお願いします。
posted by sora at 23:35| Comment(0) | TrackBack(0) | その他・一般 | 更新情報をチェックする

2014年06月02日

植野の×(バッテン)はどこから飛んでくるのか?

このネタ、そろそろ書かないと賞味期限切れになりそうなので、連投エントリの途中ですが投下します。

ちょっと前に触れていたとおり、将也のメンタルが弱っていることを端的に表す描写として、クラスメートの顔に×(バッテン)マークがついています。



この×、基本的には将也の通う高校のクラスメートにだけついていて、将也が心を少し開くとペラリと外れる、という展開になるのですが、例外が2人だけいます。

それが植野と島田で、この二人の場合は最初は×がついていなかったにも関わらず、高校生になってからの将也と再会したあとに×がつきました。

この「最初からクラスメートについている×」と「植野と島田にあとからついた×」、その意味もずいぶん違いますが、まんがのなかの描写としても、非常に面白い違いがあります。

それは、「この2人の×だけは、出会うたびにどこかから飛んでくる」ということです(笑)。

たとえば、第22話で、石田宅に植野が押しかけてきた場面をみてみましょう。(第3巻149ページ、第22話)



この場面、最初に突然植野と出くわしたときには×はついていませんが、何コマかあとで、このように×が「どこかから飛んで」くるわけです。(赤↓参照)
「飛んできている」ことを示すために、動作線が描き込まれているのがわかります。

同じように、第26話、遊園地で島田と再会したときの×も見てみましょう。(26話5ページ)



こちらでは、島田だけでなく、よく見ると植野についても×が「飛んできて」いることが分かります。
あとは、第33話で映画の脚本づくりでみんなが将也宅にいったら植野が上がりこんでいたときも、×が「飛んできて」いますよ。

植野と島田以外の、「最初から×のついているクラスメート」は、こんな風に「飛んでくる」描写はありません。
なぜ植野と島田に対する×だけ「飛んでくる」描写になっているのかといえば、おそらくこれは「将也が意識的にこの二人を拒絶しているから」だと思います。

特に植野については、×をつけたあともその位置がブレブレで、顔の表情がよく見える(笑)ことからも、×をつけて拒絶しているつもりだけど本心では気になっていることを表しているといえますね。

この「植野の×」についてはもう1つネタがありますのでそれも書きたいと思います。
タグ:第26話 第22話
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2014年06月03日

いよいよ今日は「うきぃ記念日」です!!

さて、聲の形ファンが待ちに待った日?がやってきました。

今日は、硝子が将也に一世一代の告白をする、「うきぃ記念日」です!


(第3巻178-179ページ見開き、第23話)

この、「聲の形」の前半最大のヤマ場である硝子の告白シーン、このイベントが発生したのが、まさに6月3日火曜日、今日なんですね。(私のカレンダーの推測による。でも多分合ってると思います。)

この、カレンダー上ではムードが最高潮のタイミングで、当の連載のほうは鬱展開全開で読むのが辛いような場面が続いていますが、今日だけは3巻を読み返して、この第23話の神回を初めて読んだときの衝撃を思い出して感慨にひたりたいところですね。(^^)

ちなみに、以前も書きましたが、明日、空にのぼる月は、実際には上弦の、半月よりも薄い月になります(参考エントリ)。
ただし、時間的にはちょうど将也が空を見上げた夕方にちゃんと空に上がっているはずなので、夕方6時ごろに空を見上げてみるといいと思いますよ!

ところで、単行本のほうも第4巻の発売が約2週間後に迫ってきました。



第4巻の「なぞ」は、「表紙はどの場面か?」でしょうね。
普通に考えたら遊園地かなあ、と思いますが、あの編は二人の距離が微妙に遠いので、どうでしょうか。
そろそろ、たまには悲しい表情の二人が写る表紙でもいいかな、とも思いますね。
タグ:第23話
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植野の×が取れたのはいつ?

さて、先のエントリで植野の×(まあ島田もですがこっちは割とどうでもいい)が、会うたびにわざわざどこかから「飛んでくる」ことに触れましたが、それにしても、この×、割と何度も植野といい感じになりつつも、しつこく外れずに残っていますね。

ですから、ネットなどでも「いつになったら植野の×が取れるんだ」といった話題が定期的にあがりますが、実はすでに、第21話で植野に×がついた後、1度だけ、「ついた×が外れる」展開がありました
ちょっと気を抜くと見逃してしまうくらいわずかですが、それはどこでしょうか?

それは、第4巻収録予定の第25話、将也が「友達っぽい!」と叫んだ後です。(第25話18ページ)



「石田!たこやき喰おーよ!」のコマ、
「頭の中でこねくり回すものじゃない」のコマ、
「やっと今理解した気がする」のコマ、


すべて植野の×が外れていることが分かります。

ここで一旦、植野に限らずすべての人間に対する警戒心を緩めて、植野の×もとれてしまった(前のエントリで触れたとおり、植野についている×は意識してわざわざつけているものなので)わけです。

…ただ、このあとまさに植野の差し金で、たこやき屋バイトの島田と遭遇してしまい、植野にはまたまた×がついてしまいます。(26話5ページ)



ここで、島田だけでなく植野にも、×が「飛んできた」動作線が入っていることは見逃せません。
「飛んできた」ということは、「それまではついていなかった」ということに他ならないわけですから。

それにしても、ほんの一瞬だけ、「友達っぽい!」のおかげで心を許しかけてくれた将也に、よりによってトラウマの塊である島田を合わせてしまってまた心を閉じさせてしまうとは、ほんとに植野は常にやることが裏目裏目にでる可哀想なキャラですね。(^^;)
タグ:第26話 第25話
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2014年06月04日

硝子が将也を好きになった瞬間はいつ?(5)

さて、植野の×ネタで少し間が空きましたが、こちらの連続エントリについても、最後のエントリを投下しておこうと思います。

さて、これまでの考察で、実は硝子は単行本2巻の巻末の時点ですでに将也に(かなり明確な)好意をいだいていた、ということが判明しました。



そうすると、好きになってから告白するまで、実は単行本3巻1冊をまるごと使っていることになりますから、全7冊といわれているこの作品の中では、実は「ある程度時間をかけて」告白にいたっている、ということになります。

それが唐突に見えるのは、少なくとも部分的には、私たち読者が「ものすごく鈍感な将也目線」だけで物語を読まされているからなのだろうと思います。

そこで、第3巻で登場するさまざまなイベントを、「既に将也のことが好きな硝子(と、そのことに気づいている結絃)」の視点から見直してみると、この第3巻がまったく違ったものに見えてくることに愕然とします

それこそ、「硝子からみた第3巻」だけでスピンオフ小説が1冊書けてしまいそうなくらいです。

・佐原の話題が出た端の上でのやりとりの時点で、既に恋する女子モードだった(これは番外編2で描かれているとおり)
・このとき将也のメアドを聞かなかったのは、結絃経由でとっくに聞いていたから
・将也の佐原探しに付いていったのは、将也と一緒にいたいという気持ちが強かったから
(冷静に考えると、硝子自身が佐原といきなり会うというのは、佐原を傷つけた、という経緯からすると少しデリカシーに欠ける行動とも言えるが、将也への好意がまさってしまった、と考えられる。天使も人の子。)
・たぶんこのデート?をお膳立てしたのは結絃。永束から連絡を受けて硝子をたきつけて連れていき、自分は永束ともども「気を利かせて」帰った


(第3巻17ページ、第15話)

・3巻の表紙はこのときの二人だが、ここでの硝子の笑顔は、すでに将也への好意を含んだものだということに
・電車のなかで自分からメールを送ったのも、将也に対する精一杯のアプローチ、積極性のあらわれ。さらには将也にメアドを提供するため
・そんな将也から猫ポーチを送られて、それはうれしかったはず。お返しのプレゼント選びも気合いが入りまくりだったはず
・そこに突然植野登場、修羅場が展開され、将也はことばを濁して詳細を語ってくれない
・その翌日、不安な気持ちを何とか振りきっていつもの橋でお返しのプレゼントを渡そうとしたら、なんと再会後はじめて橋にこなかったことで疑心暗鬼に
・スパイ結絃を石田家に派遣、結絃も植野情報を存分に収集していい仕事をする(どこまで硝子に伝えたかは不明なものの、二人は付き合ってないくらいは最低限伝えただろう)。
・次の火曜日、髪型も変えて気合いを入れて待っていたが緊張のあまり帰ってしまったが、帰り道で偶然将也に出会って勢いで「うきぃ!」


なんか「将也目線」と全然違う話でワロタ。
こうやって整理してみると、硝子は小学生時代からかわらず、「こいつと仲良くなりたい」と思ったら躊躇せずにガシガシと相手との距離を縮めてくる、かなり積極的な性格の持ち主であることが浮き彫りになりますね。

そして、こうやって整理してみると、少なくとも硝子にとっては、あの「うきぃ」はそれほど唐突でむちゃくちゃなことではなくて、自身の感情に素直に行動するなら、あのタイミングで言ってしまうというのも「十分ありえる」ものだった、と私には思えます。
タグ:第15話
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「聲の形」コミックス第4巻の表紙がきました!&ロケ地?考察

今月17日に発売予定のコミックス第4巻、注目の表紙デザインがでてきました。


(楽天BOOKSにリンクして予約・購入可能です。)

やはり大方の予想通り、遊園地ですね。
今回は私服ですが、将也は例の「タグの出ているTシャツ」ですね。タグ見えてないけど(笑)。
そして硝子も、「いつも同じあの私服(笑)」ですね。

これまで、表紙の二人は巻数が進むにつれてだんだんお互いの方を向いていっていたんですが、今回は将也が一気にあさってのほうを向いてしまいましたね。硝子の微笑みもちょっとレベルダウン。

まあ、遊園地編って実際には将也にとっても硝子にとっても割とろくでもない結果に終わっているので、この表紙は「嵐の前の静けさ」といったところでしょうか。

ちなみに、この「遊園地」は「ナガシマスパーランド」だ、ということですでに同定されていますが、この表紙の「撮影」場所はどこかな、ということでちょっとネットでだけですが調べてみました。
公式ページのマップをお借りしました。)



観覧車の位置、右側に見える建物の雰囲気からして、どうやらこの○印の場所が近そうですね。
どなたか聖地巡礼された方がいらっしゃたら、ぜひより正確な位置を教えてください。(^^)

ところで気が早いですが、5巻はどうなるんでしょうね。
平和に描くなら水門小学校にロケハン許可をとりにいったときの場面で、このあたりで表紙絵でも大きく「物語」を動かすならまさに今週の39話のボロボロの将也とそこに寄り添う硝子、あるいはこのあとに続くかもしれない傷心デートでのワンショットというのもあるかもしれません。

ともあれ、コミックス第4巻は6月17日、火曜日発売です。ちなみにこの6月17日は、「カレンダー」によると、なんと将也が「今日めっちゃかわいいね」と硝子をほめ、硝子が植野への手紙を投函する日なんですね。

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2014年06月05日

第39話「いつか報いは受けるんだな」は誰のセリフ?&スニーカーと人影の謎

第39話「所詮 他人」は久しぶりに衝撃的な回になりましたね。
前回、植野の活躍に期待を持たせておいてのこの展開。

39話にはいろいろ議論のポイントや謎(特に真柴まわり)があると思いますが、とりあえず1点だけにしぼってエントリ書きます。
なお、このエントリのコメントで第39話について自由に語っていただいてもOKですので、コメントをお待ちしています!

さて、今回とりあえず1点だけとりあげるのは、将也が橋メンバーに次々と暴言を浴びせたあと、真柴に殴られる前にはさまれているこのセリフ、


「いくら善人になったつもりでも いつか報いは受けるんだな」(第39話 13ページ)

は、誰が誰に対して言っているのか?という謎です。

かつ、このコマには、非常に不思議な場所にスニーカーが描かれています
さらに、誰かわからない人影が黒く描かれています
このスニーカーと人影はそれぞれ何を描いているのかというのも、「セリフを誰が言っているのか?」と連動する可能性のあるなぞだと思います。

これに対して、常識的に答えるとすると、

・セリフは真柴が言ったものだと考えるのが自然だろう。将也は、たぶん、自分がそもそも「善人ぶ」れていると思っていない。
・真柴だとすると、この「善人ぶっていても報いを受ける」が直接指しているのは、じつは川井(と植野)だと考えられる。二人とも友情崩壊と将也の暴言で報いを受けた。
・それに対して、いじめの主犯格と認識された将也はこの時点で真柴からみてまだ十分に「報い」を受けていないように見えていたはず。
・それを察した将也が「前 殴りたいって言ってただろ」と真柴を促し、真柴はそれに応え、将也は自ら「報い」を受けた。


といったあたりになると思います。
とりあえずこれを出発点にしてみましょう。

さて、では今度、スニーカーと人影はなんなんだ、ということになりますが、ここで橋に集まっているメンバーの足元をチェックして見ましょう。

まず、将也と永束は明らかにスニーカーではなくローファーをはいています。
微妙に制服っぽいので真柴もたぶん同じですね。
硝子は白い靴、佐原は黒いハイヒールの靴。川井は黒い靴で詳細不明ですがたぶんスニーカーではないでしょうし、このシーンよりかなり前に退場しています。
スニーカーをはいているのがはっきりわかるのは、植野と結絃です。

そして、スニーカーの向きが「下向き」なので、このスニーカーを「見ている」人物は、スニーカーを「はいている」人物とは別人です。

そして、人影は、橋の欄干のそばにあります。少し前のコマをみると、直前に欄干(と車止めポール)のそばに立っていたのは、植野と真柴です。結絃は、欄干よりも遊歩道寄り(トラックが停まっていない方)に立っています。
そして、シルエットしか見えませんが、このシルエットは髪型からして植野には見えません。


第39話、12ページから。遊歩道側の橋の欄干近くに真柴と植野がいます。

以上を矛盾なく説明するのは、以下のものだと思います。

・このコマの視点は「神の視点」。つまり誰のものでもない。無理して解釈すると「植野の視点」でもOKだが、すでに物語的に退場した後だし、そもそも植野は「視点」の与えられたキャラクターではない。
・スニーカーは、結絃のもの。「神の視点」は、ちょうど結絃の立っている位置の正面あたりにあるということ。
・人影は、欄干近くに立っていた真柴。


だとすると、真柴はこのコマのあと、将也に歩み寄っているということになります。
歩み寄ってきた真柴に将也が気づき、真柴が近づいてきた「意図」を将也がくんで、「殴りたいって」のせりふになった、と解釈することができますね。

というわけで、39話の橋のうえでの各メンバーの位置関係を一度整理しておきましょう。



カメラ(下手ですが)のアイコンが描いてある場所が、「いつか報いはうけるんだな」のコマの「神の視点カメラ」の位置です。
それにしてもスニーカーの位置と欄干(シルエット)の位置が不自然ですが、超広角カメラで上のほうから斜め下向きに撮ればこういう映像は撮れます。

ただ・・・です。
実は、人影とシルエットを上記のような組み合わせで読み取ると、このセリフを言ったのが誰なのか、について、もう1つの有力な解釈が出てきます。

このセリフ、吹き出しがスニーカーにまとわりつくように書かれていて、「人影」には全然まとわりついていないんですよ。
つまり、このセリフは「スニーカーをはいてる人物」が言っていると考えるのが、「まんがの表現」的には正しい可能性が高いです。

そうすると…

これは結絃のセリフだ!

ということに。
最初に「真柴と考えるのが自然」と書きましたが、スニーカーが結絃でシルエットが真柴だとすると(逆はありえない)、「真柴ではない」ということになるのです。(ただ、セリフを自分で言ってないだけで、それ以降の真柴の行動とその理由については基本最初に書いた通りでしょう)

でも、そう考える(これは結絃のセリフだ)と納得できることがいくつもあるんです。

つまり、このセリフは、4巻の24話や29話で結絃が筆談ノートを見ながら、「当時姉ちゃんをいじめていた人間は他にもいるんだろうか、そいつらはどうしてるんだろうか」と考えていたこと、まさにそのことに対して「答え」が出た、ということでの発言だということになります。
つまり、ここで「いくら善人になったつもりでも報いを」で言及されている対象は、植野と川井(硝子を当時いじめていた人間で、まだ決着がついていなかった人たち)になります。

ところが、そのセリフを聞いた真柴が将也に近づき、将也は「殴れ」と言った。
結絃からすると、将也は既に償いを終えていて、いまさら「報い」なんか受ける必要はないのに、言った。
しかもそれは、自分の発したセリフが明らかにきっかけになっている。

だから、そこで結絃は「真柴(さん)!」じゃなくて「石田!(何でそんなこと言うんだ!)」と叫んだわけです。
そもそもこのセリフも、ここだけ抜き出して見ると、なぜ真柴じゃなくて石田のほうを呼ぶんだ、という疑問があったところですが、こう考えると自然に思えます。
それでも容赦なく将也を殴った真柴に対して、「(いじめ当事者側で既に終わっていたことなのに、よく分かってない関係ないはずのお前が殴るなんて)何様だよお前」と真柴に詰め寄ったわけです。

…うん、自分的にはこの解釈はこの解釈で、きれいにすべてつながりました。
分かりにくくなったのでもう一度整理すると、

・橋の上の修羅場で、川井、植野いずれも硝子いじめに加担していてどっちもどっち、という姿が暴かれる。
・これにより川井も植野も、好きな異性(真柴、将也)の前で醜態を晒し、完全にそっぽを向かれる形になり、「過去の硝子へのいじめに対する報いを受けた」形になった。
・この顛末を見て、結絃は「いくら善人になったつもりでも いつか報いは受けるんだな」と発言。
・そのことばを聞いた真柴は、将也に接近。真柴からすると、将也はいじめの主犯格だったのにまだ「報い」を受けておらず、むしろ暴言を吐いて攻撃者になっていたから。
・将也はその真柴の意図をぼんやりと悟った。自分自身「罰が足りない」と感じている将也は「前 殴りたいって言ってただろ やりたきゃやれよ」と挑発。真柴は「え いいの?」と応じる。
・何が起こるかを察した結絃は、(自分の発言がきっかけだとも感じて)慌てて石田に声をかけるも…
・真柴のパンチが将也に炸裂。


かなり大胆な仮説になっていますが、十分ありうる解釈なんじゃないかと思っています。

そして、だとすると、この「橋」でのできごとは、結絃にとってもとてつもなく大きな意味を持っていることになります。
つまり、結絃がいつも考えていて、執念を燃やし、いつか実現しなければと腹に抱えていた、「姉ちゃんをいじめた奴への復讐」が、まさに「インガオーホー」という形で成就し完結した、ということになるわけです。

でも、その結果は、結絃にとって嬉しいものにはならなかった。
大切な姉、硝子と、いまや心の支えにすらなっている将也、二人の絶望と孤立。
結絃もこのとき、「自分が望んだ決着はこれだったのか?それで正しかったのか?」と激しく自問しているはずです。

このイベントは、おそらく硝子にとっても将也にとっても「過去との決別」の第一歩になることだと思いますが、それよりもはるかに深いところで、実は結絃にとっても「過去に執着することから卒業する」大きなきっかけになる可能性があり、何がきっかけになるかすら分からなかった「結絃が抱えるさまざまな問題を解決し、結絃が本当に成長するきっかけ」になっている可能性があるのです。

そして、もしこれが本当に「過去を切り離すきっかけ」になるのだとしたら、第28話6ページ、あるいは第29話8ページで描かれた、かつて「絶望」した硝子のエピソードがどんなものであったのかという「伏線」については、「あえて伏線を回収しない(忘れる)」という形で「回収」される可能性も出てきましたね。



ともあれ、たった18ページに、これだけの重く深く複雑で多層的な意味を込め、はるか以前の伏線をこっそりと回収している(ように読むこともできる)というのは、とんでもなくすごいことだと思います。
posted by sora at 22:09| Comment(19) | TrackBack(1) | 第5巻 | 更新情報をチェックする

2014年06月06日

第27話、植野の「硝子と嫌いなものが一緒」の意味は?

これも39話で「回収」されたと思っていますので、書いておきたいと思います。

第27話、遊園地編で植野が硝子と観覧車にのって降りてきた後、植野が「硝子と嫌いなものが同じだった」と話すシーンがあります。


(第27話、3ページ)

「でも話してみて気が合うっていうか?
 嫌いなものが一緒だった所がシンパシー?って感じ」


で、その後、結絃の録画した観覧車の会話で、「硝子が嫌いなもの」が「わたし」だということも明かされます。


(第27話、19ページ)

「…ち…ちがいあしゅ… わたちは…わたちが きあいでしゅ…」

この回のリリース当時、この植野の「嫌いなものが一緒」というセリフの解釈が2つに割れたのを記憶しています。

1.硝子の嫌いなもの=私(硝子)、植野の嫌いなもの=硝子

2.硝子の嫌いなもの=私(硝子)、植野の嫌いなもの=私(植野)


私は、この27話の段階では、このセリフの解釈は「1」であることは明らかだと思っています。

そもそも、この観覧車での会話は、「私はあなたのことが嫌い」という植野の発言で始まり、最初から最後まで「植野はなぜ硝子のことが嫌いだったのか」という話をし続けているわけです。
もうこれだけで、そのたった数分後の上のセリフの解釈が「1」であることは明らかですね。

それ以外にも、3~4巻での植野は、はっきりと自己肯定感の高い自信満々の人物として描かれていますし、また観覧車の会話でも、硝子に対して「昔の感情は間違いだと思ってない」と発言するなど、過去の自分も含めて自分を肯定しているととれる発言も繰り返しています。

ですから、ここの解釈は1で終了、と思っていたのですが…。

大今先生がまたまたやってくれました。

第39話、集まったすべてのメンバーの内面の弱さをえぐることとなったあの橋の上のやりとりで、植野が最後にこうつぶやいて去っていくのです。(第39話13ページ)



「ごめんね石田…
 私がやること 全部 裏目に出るね…
 ホント…
 自分がやんなる……!」


硝子に対して(そして周囲に対しても)強気に振舞っていた植野の内面の奥深くには、一生懸命やった自分の行動が期待通りの結果につながらないということへの自己嫌悪の気持ちが隠れていたのです。

だとすると、小学校時代の植野についても、観覧車では「間違ったことだと思ってない」と言い切っていたものの、実際には、世話係としての努力が認められず評価されなかったこと、硝子との関係がいろいろこじれた結果として将也との仲のいい友達グループが崩壊したことに自分自身も責任の一端があったことなどについて、後悔の念(何か自分は間違っていたのではないか)という思いを秘めていた、と考えることもできるのではないでしょうか。

そういった、隠れていた植野の自己嫌悪と後悔の気持ち、それが39話の「場」であらわにされ、第27~28話でいったん回収されたはずの「伏線」がさらに大きなスケールで回収されなおした、ということになるのではないでしょうか。

つまり、こういうことだったわけです。

表面的意識:硝子の嫌いなもの=私(硝子)、植野の嫌いなもの=硝子

深層的意識:硝子の嫌いなもの=私(硝子)、植野の嫌いなもの=私(植野)


こういう多層的な伏線の回収の仕方、ほんとうに興味深いところです。
タグ:第39話 第27話
posted by sora at 07:40| Comment(4) | TrackBack(0) | 第4巻 | 更新情報をチェックする

第39話で回収された佐原の伏線とは?

第39話の話題を続けたいと思います。

第39話は非常にショッキングな内容ですが、同時に、物語としてはいろいろな伏線を回収したり新たに提示したりしている、非常に「忙しい」回でもあります。

そんななかで今回、佐原について注目してみたいと思います。
佐原は、今回とばっちりのような形で川井、植野、そして将也からも暴言を投げつけられ、かわいそうとしか言い様のない状況でしたが、この修羅場で、実はかなりの伏線が回収されています


(第39話10ページ)

それは一言で言えば、読者が漠然と抱いていた佐原への違和感の正体が明らかになった、ということです。一般的な意味で言えば伏線とも呼べないような伏線ですが、今回きっちりと回収されました。

まず、「違和感」のその1は、植野との和解と友情です。
26話で、植野は高校の服飾デザインのコンクール事件をきっかけに、佐原と「仲良くなれた」と言いました。
それと対応するように、第25話では「怖いかどうか乗ってから決めることにした」という佐原の発言がありました。
これまでの物語では、この2つの発言をベースに、シンプルに「佐原と植野は仲良くなった」という扱いがされてきましたが、その割に植野の佐原に対する発言はいまだに上から目線だし、佐原にしてもそんな簡単に怖さが消えるものなのか、といった「違和感」がありました。

この39話で、やはり植野は佐原を対等というよりは見下した目で見ていたこと(植野の語った「仲良くなれた」という物語は、植野フィルタにより都合よく歪められた部分があったこと)、佐原は「怖い」という感情を残しながらも「大人の対応」でそれを乗り越え友達関係を構築していたことが明らかになりました。
これまで描かれてきた二人の関係に対する「違和感」(それは、まさに植野が発した「友達ごっこ」という言葉がもっともぴったりくるでしょう)が伏線回収されたといえます。

もう1つの「違和感」は、小中学時代と高校になってからの佐原のキャラのあまりの変わり具合に対するものです。

植野グループからの、佐原へのいじめがそれほど熾烈だったり長期にわたっていたような描写はありません。
にも関わらず(かなりあっという間に)不登校になり、それが中学校まで続いていた、ということからすると、佐原はメンタル的に強くなく、ダメージを長く引っ張るキャラクターとして描かれています。

ところが、高校生で将也が再会した佐原は、後輩に慕われる頼もしい先輩となり、さばさばとして姉御風さえ吹かせている雰囲気です。トラウマの源であるはずの植野との関係修復に踏み込む勇気も兼ね備えていました。

あれ、これってキャラとして矛盾してるんじゃないの?という議論(違和感)はずっとあったわけですが、今回、川井と植野から追い込まれ、さらには将也からトラウマをえぐる決定的な一言を投げ込まれ、ついに佐原の深層に隠れていた「小学校時代の佐原」と同じ素顔があらわにされました。


(第39話12ページ)


(第1巻93ページ、第2話)

小学校のときとまったく同じ表情で、まったく同じ相手(硝子)に対してほとんど同じセリフをはきながら、同じように去っていく佐原。
やはり佐原は、(キャラ崩壊などではなく)小学校のときと同じ、あの佐原だった。
でも、その「弱さ」を必死に克服して、ほとんど以前の面影がなくなるくらいに「成長」した、それが高校生になった佐原だったわけです。

そう考えると、もう1つの違和感という名の伏線である、「佐原のハイヒール」の意味もわかってきます。
背がものすごく伸びた佐原が、なぜさらにその背の高さを強調するハイヒールのブーツをいつもはいているのか、というのもずっと議論されてきたことですが、これはやはり、自分の弱さを「克服」し強くなるための「道具」の1つであって、伸びた背をさらに強調することで、ある意味その部分から「誰にも負けない強さ」を得ようとしている、少し悪い言い方をすると、佐原の強がりの象徴だった、ということになります。

これらの佐原の問題は、いじめ加害者であった将也、植野、川井の問題とは違い、誰かから責められる類いのものではありません。
でもやはり、佐原自身にとっては乗り越えなければならない課題であることは間違いありません。

高校生になった佐原は、伸びた背をうまく自信の源にして「弱さ」を克服してきたといえますが、こんどは逆に、自分の「弱さ」を改めて直視し、その「弱さ」も受け入れて大人になっていかなければならない段階に入ってきたのだと思います。

この39話で、佐原に関するさまざまな「違和感」という名の伏線が回収されましたが、こんどは、このあと佐原がどう変わるか、ハイヒールは脱ぐのか、植野との関係は、そういったさまざまな伏線が新たに張られました

このあとも、佐原の成長に目が離せません。
ここ最近、たまに硝子や結絃とからむ以外は空気なキャラになってきていましたが、ここへきてまた物語的に「活躍」できる余地が生まれてきたように思います。
posted by sora at 21:34| Comment(7) | TrackBack(0) | 第5巻 | 更新情報をチェックする

2014年06月07日

第39話・将也はどこに消えた?

重い39話ネタの連投でだいぶ疲れてきた感じなので、同じ39話でもお気楽なコネタを1つ。

第39話、いつもの橋で川井、植野、佐原らがバトルを繰り広げているとき、なぜか将也の姿が見当たりません。

カメラの位置的に佐原の後ろかな、と思ったのですが、実は佐原の後ろはすぐ橋が終わってトラックが駐車している場所です。



で、こちらの位置チャートを作ってみた後で、改めてチェックしてみると…


(第39話8ページ)

いました。
ここに隠れていました。

もうこの時点で将也は放心した顔をしてしまっているはずですし、「動く」わけにもいかないですから、まんがの演出上、ここでは姿が見えにくい位置に「配置」されているといえますね。
posted by sora at 08:39| Comment(0) | TrackBack(0) | 第5巻 | 更新情報をチェックする