当ブログでは、いわゆる発売日前の「フライングのネタバレ」に関する話題は扱いません。フライングのネタバレとなるコメントはご遠慮ください。ご協力よろしくお願いします。(発売日後のネタバレはOKです。)

おすすめエントリ(最初はこちらからどうぞ)

2014年05月01日

第21話・大事なことなので2回聞いた植野

「聲の形」の表現で、極めて特徴的なのが「呼応」「対応」「相似」「対称」とでもいうべきもので、「同じような描写が、登場人物や人間関係、意味を変えて繰り返し登場する」というものです。

ちょっと思い出してみただけでも、

・硝子と将也の時をこえた「友達に…なれるか?」
・第2巻冒頭と巻末の結絃の「オレはこいつが嫌いだ」
・さらに、その内側にはさまれる、将也の(巻頭と巻末の)「俺は俺が嫌いだ」
・硝子の過去を取り戻したい将也と将也の過去を取り戻したい植野


などなど、いくつも思い当たります(たぶんもっとたくさんあるはず)。

そんな中でも、「植野回」といわれる第3巻第21話に、非常に興味深い「相似・呼応」関係がありますので、今回はそれについてとりあげたいと思います。

第21話で、(それまでの何度かの再会の試みが失敗した後)川井と結託して、強引に将也との再会を果たした植野は、これまた無理やり乗り込んだ自転車の荷台から、こんなことを将也に聞きます。(第3巻119ページ、第21話)



「石田さ 私のこと嫌い?」

そして、硝子と遭遇し、修羅場があって、そのあと自宅まで将也に自転車で送ってもらった植野は、別れ際にふたたびまったく同じことを聞きます。(第3巻140-141ページ、第21話)





「石田 私のこと嫌い?」

同じ人間が、同じ人間に対して、同じ日に、まったく同じことを聞いています。
ところが、それに対する返事がまったく違います。

(最初の問いに対して)「……まあ別に…なんとも…」
(2回目の問いに対して)「嫌い」

なぜ答えが変わったのか、それはもう明らかですね。
将也にとって、再会したときの植野は「ただの過去の人(まあ相当気にはしていますが)」で、特段の感情をいまさら持つような相手ではありませんでした。
それに対して2回目に聞かれたときには、まさに「いま」、将也にとって大切な人である硝子に対してひどいことをし、将也の人間関係まで笑い飛ばした、そして「顔も見るだけで頭痛くなる」(第3巻136ページ)存在に変わってバッテンがついた(ちなみに、バッテンがついてなかったのに後からついたのは現時点で植野が最初で最後と島田だけ)植野は、「いままさにネガティブな感情を持っている相手」に変わった、ということです。

ここで面白いのは、対する植野のそれぞれの答えに対するリアクションですね。

最初の答えには「ふーん…私の知ってる石田は はっきりと「嫌い」って言っちゃう奴なんだけどなー」と、将也の答えに満足できない様子を示している一方で、2回目の答えにはとても嬉しそうな微笑みを返しているのです。

これはなぜでしょうか?

もちろん、最初の植野の返答からわかるように、2回目の将也の答えを「自分の知っている石田が戻ってきた」と感じた、ということもあるでしょう。
植野にとっての「石田」とは、裏表や遠慮のない、思ったことをストレートにぶつけストレートに行動する痛快な人物であり、それこそが魅力だと感じていたのでしょうから。

そして、それとは別のもう一つの「解」として、「将也にとって、自分が『過去の存在』から『現在の存在』に変わった」と実感できたから、ということがあると思います。
将也の最初の返答からは、目の前にいる自分に対し、積極的な感情をもっているとは思えない、もはや「過去の人間」として取り扱われているという印象しかもてません。
それに対して、目をしっかり見据えて「嫌い」と言い切った(2回目の)将也からは、あらためて、高校生となったいまの将也にとっての「現在そこにいる人間」としての感情をぶつけてもらえた(ネガティブなものであっても)という印象を持つことができます。

「相手にされていない」よりは、それがたとえネガティブなものであっても「相手にされている」ほうが関係再構築への距離が近いことは間違いのないことです。
植野は、この「大事な質問」を2回することで、また2回目に期待どおりの答えを得られたことで(ライバルになりそうな硝子との関係もまだ「恋人」ではなさそうだと分かったこともあり)、「昔好きだった石田」との関係をふたたび作れるかもしれない、という前向きな気持ちにいたったのだと思います。

なお、この第21話のやりとりによって植野が得たであろう「将也に対する認識」こそが、「植野がなぜ再会後、こりずに将也を熱心に追いかけているのか」という「なぞ」を解く鍵になると思うので、改めてエントリ書きたいと思います。

ついでに言っておくと、久しぶりに再開して、いきなり最初の問いかけが「私のこと嫌い?」なんていうものだ、という時点で、植野の将也に対する恋心はすでにものすごくはっきり透けて見えていますね。
このあたりの描写も実に心憎いところです。
タグ:第21話
posted by sora at 10:02 | Comment(2) | TrackBack(0) | 第3巻 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年05月02日

第23話・硝子のお返しのプレゼントは何?

これは非常にポピュラーな「謎」のようですので、ほんとうは5巻が出るまで待とうかと思ったのですが、早めに取り上げたいと思います。

第23話で、硝子が「猫ポーチ」へのお返しとして、将也にプレゼントを渡すシーンがあります。(第3巻172〜173ページ、第23話)



将也は「いやあ 気に入ったよ ありがとう」とか言いながら、実際にはこれが何なのかがまったく分かっていません。
読者も、このお返しが何なのか、そのうち本編で明かされるんだろうと思って読んでいると思いますし、本編でも将也はこれが何なのか硝子に聞こうとしたりするのですが結局かなわず、なんと現時点の第35話までの間で、この謎は明かされずにここまできています。

で、これが何なのかということですが、「ガーデンピック」「プランターピック」と呼ばれる、庭やプランターに挿して彩りをそえる、ガーデニングアクセサリーです。

いくつか売っているのを見かけましたので、せっかくなのでご紹介。






まあ、「分かりにくいプレゼント」であることは間違いありませんね。
なぜこんな「分かりにくいプレゼント」を送ったのか、ということについては、こちらの記事でも少し触れていますが、改めて別エントリで書こうと思います。

ちなみに、このガーデンピック、なぜか永束が食いついていて、第24話では「かんざしだろ?」とか言いながら自身のうんこ頭に挿していますし、第33話では、映画のプロットのなかで、敵を倒す武器として使っています(笑)。(第33話、2ページ)



まあ、この「武器」で、植野とおぼしき「キャットガール」とその取り巻きを倒そうとしているわけで、ある意味「正しい使い方」になっているような気もします(笑)。
タグ:第23話
posted by sora at 09:29 | Comment(5) | TrackBack(0) | 第3巻 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

硝子担当の火曜以外に鯉にえさをあげているパンのおじさんの名前は?

これはちょっとしたパズルです。

「聲の形」の固定舞台ともいえる「橋での鯉のえさやり」、毎週火曜日だけ硝子が担当しており、それ以外の日は「パンのおじさん」がえさをやっている、という話が2巻の最初に出てきます。(2巻24ページ、第7話)



この「パンのおじさん」、一度も実際には登場しませんが、実はちゃんと名前がついています。彼の名前は、

高須さん

です。

どこに書かれているかというと、ここです。



第2巻104ページ、第10話で、結絃が将也の川飛び込み写真をバカッターに投稿し、それが記事になってしまった、という場面で、その記事の中にこうあります。

週6日、この場所で鯉に餌をあげている高須さんは言う。『最近ここの鯉の元気が無い・・・・』」

週6日、というと1週間に1日足りませんから、それがちょうど硝子が代わりにエサ係をやっている火曜日ということになってつじつまが合います。

ですから、この「高須さん」というのが「パンのおじさん」ということでほぼ間違いないでしょう。

ちなみに、ここで言われている「最近鯉に元気がない」に、いったいどういう意味があるのかというのもなぞの1つです。

こちらについてもいつかエントリを改めて書ければと思います。
タグ:第10話 第07話
posted by sora at 12:42 | Comment(0) | TrackBack(0) | 第2巻 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年05月04日

硝子と将也・佐原が使っている手話は別のもの?

今回のエントリについては、私も知識だけなのでざっと表面的な話だけを(そのレベルに留めておくべきデリケートな話題でもあるので)。

「聲の形」での非常に重要なファクターとして、手話があります。
硝子は筆談ノートを奪われたとき、それでも将也に「友達になりたい」と伝えるため手話を使いました。
硝子転校後に初めて硝子の優しさに気づいた将也は、硝子に「こえ」を伝えるために、手話をマスターしました。
佐原も「失ってしまった過去」をいつか取り戻せたらと、独学で手話を学んでいました。

そんな本作品のキーファクターである手話ですが、日本では2種類の異なった手話が使われていることをご存知でしょうか。

1つは「日本手話」と言われ、耳の聞こえない方のコミュニティ内で自然に育まれてきた、いわば「ネイティブな手話」です。
もう1つは「日本語対応手話」と言われ、日本語をベースに学習のための手話として人工的に開発された、非ネイティブな手話になります。

両者の違いについては私も詳しくありませんが、下記のWikipediaなどをみると、語順の違いや顔の表情などの非手指動作など、かなり大きな違いがあることが分かります。
特に日本手話使用者からすると、両者は「まったく別のもの」「文化としてもまったく別」であるということになります。
端的にいうと、日本手話は日本語とは無関係に成立している独自の言語です。いっぽう、日本語対応手話は日本語を手話に翻訳した「日本語の一形態」ということになります。

Wikipedia:日本手話
Wikipedia:日本語対応手話

そして、ここが重要なポイントですが、「日本手話」を使っている方からみると、「日本語対応手話」は異なった文化、異なった言語であるということ、だからこそ、日本語対応手話を(教育の場面や行政の場面などで)強要することを、ある種の文化破壊として拒絶する価値観が存在する、ということを理解する、ということです。

これは、私自身の以前の失敗経験ですが、MikuMikuDanceという3Dソフトを使って「手話ソング」を再現する、という挑戦をしてその経緯をブログで掲載していたところ、当事者の方から「無神経なことをやるな」と叱られたことがありました。(当該ブログは既に消しましたが、一部成果物をこちらこちらに残してあります。)

このとき、一時流行した「手話ソング」「手話コーラス」というムーブメントが、少なからず障害当事者のコミュニティのなかでは評判が悪い(場合によってはボロクソに言われている)ということを知ったんですね。
要は、「聴者の自己満足に過ぎない」と。
私自身、重度知的障害+自閉症の子どもの親であり周辺当事者なので、こういった「健常者がよかれと思ってやっていることが、実際には当事者を疎外することがある」というケースについては実感しているため、それ以降、「手話」について発言することには慎重になっています。

さて、話を「聲の形」に戻して、本ブログ的に興味のあるポイントは、このまんがで使われている手話はどっちなんだ、ということです。

将也と佐原が使っている手話が、「日本語対応手話」であることは間違いないでしょう。
聴者であるふたりが本などで独学でマスターした、という設定からもそうだと思われますし、将也は口で日本語をしゃべりながら手話をやっていますが、これは「日本語対応手話」のやり方です。
結絃や西宮祖母が使っている(いた)のも、手話サークルで勉強したという設定から、ベースは日本語対応手話だと思われます。

ただ、まんがを見ていても、語順などが明らかに日本語と異なった順序で描かれているシーンもありますし、手話サークルなどで学ばれる手話も、日本手話的な語順や非手指表現を取り入れている部分があるということですから、日本手話の用法の一部をとりいれた日本語対応手話、というのがより正確なのではと思います。

一方、硝子はどうでしょうか?
将也や佐原と会話しているときに使っているのは、基本的に日本語対応手話だと思われます。そうしないと会話が通じないでしょうから。
ただ、例えば第3巻169ページ、第23話でも「私」より前に「声」が出てきているところからも、やはり上記同様に両者の中間的なものなのだろうと思われます。



ですから、エントリタイトルにもってきた謎の答えは「基本的には同じもののはず」ということになります。

問題は、それ以外のときに硝子がより純粋な「日本手話」を使うことがあるのか、ということですが、これについては、

・西宮母のとっていた「徹底的に健常者社会の側で育てる」という育児・教育方針がどう硝子の言語獲得に影響したか
・そもそも、現在西宮が通っている高校は特別支援学校なのか普通校なのか(第35話で、将也の学校から転校後の学校は特別支援学校らしいということが明かされたが、中学・高校はどうなのかは不明。また、仮に聾学校だとしても、学校で教える手話は日本語対応手話だとのこと)
・そして西宮には障害当事者の友人はいないのか(まんがでは現時点で一切登場しない)


といったことが大いに影響してくると思います。
これ以上は私の知識の限界を超えますので、より詳しい方の考察を待てれば、と思います。
タグ:手話 第23話
posted by sora at 07:55 | Comment(16) | TrackBack(0) | その他・一般 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

今夜は、「うきぃ」の日と同じ月が見られる日です!

月ネタを引っ張ります(笑)。

6月3日と推定される「うきぃ」の日、実際には将也が見あげた月の月齢は5.3だと解析しましたが、本日5月4日の月は、東京で月齢5.2、つまり「うきぃ」の日とほぼ同じ月が見られる日ということになります!

さっそく撮ってみました。


クリックで拡大できます。

「うきぃ」の日に将也が見あげるであろう月はこんな月なんだな、と思いをはせながら空を見あげてみるのはいかがでしょうか。

私のほうも、先日のコラでさらに遊んでみました。(上記の月の写真に差し替えてみました。)



ちなみに、月の入りが22時48分ということで、もうすぐ見えなくなりますから、見たい方は急いで下さい(笑)。(逆にいうと、夕方6時ぐらいならとても高いところに見ることができました。)

また、今回の月の写真撮影には天体望遠鏡とコンデジを使い、「コリメート法」という撮影方法で撮影しています。こちらについてもし興味がある方がいらっしゃったら、私が別のブログで書いた、こちらの記事もご覧ください。
タグ:第23話
posted by sora at 20:36 | Comment(2) | TrackBack(0) | 第3巻 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年05月05日

島田のフェイバリットアイテムとは?

3巻以降、数話に一度は「トラウマと対面」させられている将也ですが(笑)、そのなかでも特級のトラウマといえば島田でしょう。
遊園地編での再会は肩透かしというかかえって謎が残るだけとなりましたが、今後どのように「再度の再会」を果たすのかが見ものですね。

さて、そんな島田ですが、小学校時代に肌身離さず携帯していた「フェイバリットアイテム」があります。

それは「手旗」です。

小学生時代の島田は、ほとんど常に手旗を携帯し、ときどき実際に広げて使っています。
例えば、第1巻45ページ、第1話をみると、「塾に行くとき」にもランドセルにはしっかりと手旗がささってはためいています。



学級裁判によって将也がやりこめられたその当日には、いきなり将也を池に叩き落とし、一気に下克上を果たしてクラスのトップカーストに上り詰めますが、そのときには旗を実際に使ってクラスメイトを誘導?しています。(第1巻126ページ、第3話)



さらに興味深いことに、第4巻収録予定の第26話で、島田の下の名前が明らかになるのですが、なんと「島田 一旗」というんですね。

名前にも「旗」がついてるという。

ちなみに、旗を持っている描写は中学生時代以降には見られません。
また、この「旗を持っている」という設定は、「読みきり版」どころか「オリジナル版」から続いていて、オリジナル版でも旗を持っていることが分かります。

そして、オリジナル版の22〜23ページを見ると、島田の旗は無地ではなく、何かイラストと文字のようなものが描いてあるものだと分かる貴重なコマがあります。



それにしても、旗を携帯してる小学生なんて見たことありませんが、いったいこれは何を意味しているのでしょうか。

タグ:第03話 第01話
posted by sora at 09:59 | Comment(6) | TrackBack(0) | 第1巻 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年05月06日

将也が焦ったときのクセは?

高校生になった将也は、硝子に罪の意識を背負っているためか、将也に冷たくあたってくる西宮ファミリーと直面したとき、焦ってしまい意に反した行動をとってしまうようです。

それが、「やたら饒舌になって余計なことばかり言う」というクセです。

最初にこのクセが出るのが、第2巻59ページ、第8話で、将也が「いいバゲット」を持って手話サークルを訪れ、結絃(この時点では何者かを将也は知りませんが)と対面したときです。



「ぼ 僕は 西宮さんの友…達の石田っていいます
 あ 西宮さんといっても お母さんの方ではないですよ?
 ていうか今 お母さん いませんよね?
 あっ このパン…
 バゲットはですね…西宮さんに差し上げたいと思いましたね
 メチャクチャいいヤツがぐーぜん手に入ったもんで
 せっかくなんで 鯉のエサにどうかと思いましてね
 パン係の西宮さんに…」


焦りまくって意味不明なことをしゃべりつづけています(笑)

そして、次にこのクセが出てしまうのは、第4巻収録予定の第31話6ページ、硝子の母親と対面したときです。



「あ…違うんです
 別に変なことしに来たのではなく
 橋に行ったら佐原さんしかいなかったのでメールしようと思ったんですけど
 滝のところに結絃さんがいたんで
 そしたら お腹すいて…」


意味不明度がますます上がっています(笑)。

興味深いのは、1回目も2回目も結絃がこの「饒舌になった将也」の姿を見ていて、1回目は呆れて(手話サークルの教室の入り口から)追い出してしまったのに対して、2回目は逆にテンパる将也をフォローした、という点です。
こういった辺りにも、二人の関係(将也と結絃)が劇的に変化したことが現れていて興味深いですね。

タグ:第08話 第31話
posted by sora at 09:40 | Comment(2) | TrackBack(0) | 第2巻 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

Akinatorは硝子と将也を当てられるか?

だいぶ昔に流行った、頭にイメージした人物をいくつかの質問で当てる、「Akinator」で西宮硝子を当てさせた、というネタをTwitterで見かけたので、私もやってみました。

http://jp.akinator.com/
akinator The Web Genie!

まず、西宮硝子を思い浮かべて…



おお、ちゃんと出た!

次に、石田将也を思い浮かべて…



ワロタ。こっちもちゃんと出ましたよ。

Akinatorなかなか優秀ですね。

ちなみに実際の質問と答え(私がやったときのもの)は以下の通りです。

続きがあります…
posted by sora at 10:03 | Comment(0) | TrackBack(0) | その他・一般 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年05月07日

植野の取り巻き「健脚コンビ」の正体は?

植野についてはものすごく謎が多いですが、そのなかの1つで、まだ伏線回収されていないものがこれですね。
第3巻109ページ、第20話で、将也のメアドを渡すよう植野から脅されている永束の前に現れる、ガラの悪そうな2人組、「健脚コンビ」です。



そもそも、こんなあからさまに勉強してません的なキャラクターが「健脚」なんていう古めかしい単語をいきなり発すること自体が「なぞ」と言えますし、植野を下の名前で呼び捨てにするところからはかなりの親しさを感じさせます。

ところで、この「健脚コンビ」ですが、実は小学生時代のデラックスの取り巻き(というか仲間)と同一人物じゃないか、という説が根強くあったりします。
彼らは第2巻118ページ、第11話の結絃の回想に登場します。



この「結絃の回想」は、時系列的にみると将也のいた小学校に転校してくる直前の、硝子が「第二小学校」にいた時期のことと思われます。
デラックスの「取り巻き」とよく言われますが、実際にはデラックスはかばん持ちをやってるのでこの3人の中では一番カーストが下だと思われます。(なので、デラックス事件もそういう意味では微妙な感じになるわけですね。)

そして、驚くべきことは、この小学時代のデラックスの仲間2人の服装と、高校時代の「健脚コンビ」の服装が非常によく似ているということです。
これが、「健脚コンビ=デラックスの取り巻き」説の最大の根拠だと思います。

それと、もう1つ根拠があって、植野のバイト先の「にゃんにゃん倶楽部」、永束と結絃が気軽に行ける場所にあるということから、将也や硝子の地元側のエリアにある場所で、植野の高校側のエリアではない、ということが推測されます。

だとすると、「デラックスの仲間」と「健脚コンビ」も、住んでいるエリアが同じということになって矛盾はなくなるわけですが…

こんどは逆に、植野と健脚コンビはどこでどうしりあったどういう関係なんだ、ということが謎になってきますね。(まあ、真面目に考えれば、もし本当に同一人物なら「中学時代に知り合った」ということなのでしょう。)

まあ、とはいえ、私はこの「健脚コンビ=デラックス仲間説」については、正直、懐疑的ではあります。(そこまでご都合主義に作らなくてもいいだろう、という。)
タグ:第20話 第11話
posted by sora at 07:52 | Comment(1) | TrackBack(0) | 第3巻 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年05月08日

第26話・植野のいう「似たもの同士」とは?

第4巻に収録予定の「遊園地編」は、植野が自らの過去の硝子いじめを正当化し、健常者の立場から硝子の側の「問題」を指摘するという衝撃的な場面があり、遊園地編が掲載された頃の聲の形の話題はほとんど植野が独占していた印象ですね。

そんななかで、硝子がらみ以外で植野が発した印象的なことばがありました。第26話・10ページの植野のこの一言です。


「あんたと私って似てるよね」

この第26話、サブタイトルも「似たもの同士」となっています。

さて、将也はこの場では植野のこの発言を否定しますが、心の奥ではその点について、植野と非常に近い認識を共有している点が随所に見られます。

その最たるものが、この発言の直前にある「こいつ!俺と同じことをしやがる!」ですね。(第26話・5ページ)

こいつ!俺と同じことをしやがる!
俺が 西宮に佐原や植野を会わせようとしていた時みたいに…

「聲の形」では、違う人が違う立場で似たようなことをする、といった「相似形」が物語の随所で効果的に使われているわけですが、植野もまさに、「将也と同じことを違う立場でやる(ところがその結果、違うことが起こる)」という役回りで登場していることが、よく読んでいくと分かります。

具体的にいうなら、

・将也は、失われた硝子の楽しかったはずの小学生時代を取り戻すために行動している。植野は、失われた将也の楽しかったはずの小学生時代を取り戻すために行動している。

・将也は、硝子に対してのかつての自身の行動を今になって本人に謝罪しにきて、「友達になろう」と言った。植野は、将也に対してのかつての自身の行動を今になって本人に謝罪しにきて、復縁を求めた。

・将也は、壊れてしまった硝子の小学生時代の友人関係を復活させようと、佐原と再会させた。植野は、壊れてしまった将也の小学生時代の友人関係を復活させようと、島田と再開させた。


こうやって書くと、実は「将也→硝子」で将也が考えていること・やろうとしていることと、「植野→将也」で植野が考えていること・やろうとしていることは、実はほとんどそっくりで、まさに「似た者同士」と呼んでも差し支えないような関係になっていることがわかります。

ところが、その働きかけの結果は、将也は成功を繰り返しているのに対して、植野は失敗を繰り返していて、ほとんど真逆と言ってもいいくらいです。

(さらに追加するなら、将也は小学生時代に硝子に対して「腹の底の気持ちを言え」と言ってケンカをし、植野は高校時代に硝子に対して「すぐ弁解して逃げる」と言ってビンタをしました。ここもある種の「対称形」になっています。)

どこで差がついたのか。慢心、環境の違い

まあ、真面目に考えると、将也は過去の過ちの原因を「自分自身」だと受け止め、購罪のためにこれらをやっているのに対して、植野は過去の問題の原因を自分ではなく「硝子」にあると考え、また自分自身の恋愛を成就させるために行動している、そういった違いが、行動の結果を大きく異なったものにしている、と言えるのかもしれません。
(まあ、硝子絶対主義者となっている将也を前に、悪いのは硝子だというポジションで攻めこんでいっている時点で、植野に勝算はほとんどないわけですが、そういった「空気を読まない」ところは、逆に植野のある種の純粋さを示しているとも言えるのかなと思います。)
タグ:第26話
posted by sora at 22:09 | Comment(3) | TrackBack(0) | 第4巻 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年05月09日

大今先生の前作「マルドゥック・スクランブル」原作と聲の形の共通点とは?

聲の形の作者、大今先生は、オリジナル版「聲の形」で新人賞を受賞したものの、オリジナル版はすぐに日の目を見ることはありませんでした。
それに代わって「デビュー作」として用意されたのが、SF小説「マルドゥック・スクランブル」のコミカライズだったわけです。


マルドゥック・スクランブル
コミック 1-7巻セット
講談社コミックス
原作:冲方丁
画:大今良時

原作の濃密さと大今先生の作画力がいかんなく発揮された、新人漫画家のデビュー作とは思えない完成度を誇る作品になっていますが、ちょっと調べてみて、このマルドゥック・スクランブルの原作と「聲の形」に、いくつかの共通点が見つかって興味深いなと思ったので短いエントリを立ててみました。

まず、どちらの作品も賞を受賞していること。
マルドゥック・スクランブルは第24回日本SF大賞を受賞しており、「聲の形」は第80回週刊少年マガジン新人漫画賞で入選をはたしました。

また、同じ作品が何度かリメイクされていることも共通点ですね。
マルドゥック・スクランブルにはオリジナル版に加えて改訂新版(完全版)というリメイクバージョンがありますし、「聲の形」はオリジナル版、読みきり版、連載版と3つのバージョンがあります。

最後に、物語の中のヒロインが「こえ」についての困難を抱えているという点も共通しています。
マルドゥック・スクランブルのヒロイン・バロットは物語冒頭で事実上殺されて喉をつぶされています。聲の形のヒロイン・硝子は聴覚障害者です。


マルドゥック・スクランブル 完全版
ハヤカワ文庫


マルドゥック・スクランブル
Blu-Ray Disc

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2014年05月10日

聲の形の物語は「因果応報」なのか?

この物語で、たまにしか登場しないけれども、妙に重みを持って印象に残るキーワードがあります。

それが、「因果応報」です。

私が記憶している限りでは、このことばは現時点(35話)までで、2回登場しています。

1回目は、第1巻144ページ、第3話で、島田らにいじめられて倒れている将也を見かけた川井が言ったこのときのことばです。


川井「ねえ インガオーホーって知ってる? きっと それよ」

2回目は、第4巻収録予定の第32話5ページ、硝子の母親に対してなぜ硝子に障害が出たかを問い詰める義母のことばです。


西宮母の義母
 「硝子がこんなふうに生まれたのには ちゃんと理由があるはずだ
  ほら 言うじゃないか
  因果応報…硝子が前世で何か悪いことをしたせいなんだよ
  あるいは あんたが…」

どちらも、主人公・ヒロインサイドに向けた非常に厳しいひと言で、強く印象に残ります。

ちなみに、因果応報というのは、ネットの国語辞典をみると、こういう意味だそうです。

人はよい行いをすればよい報いがあり、悪い行いをすれば悪い報いがあるということ。▽もと仏教語。行為の善悪に応じて、その報いがあること。現在では悪いほうに用いられることが多い。「因」は因縁の意で、原因のこと。「果」は果報の意で、原因によって生じた結果や報いのこと。

さて、この「聲の形」、例えば将也がいじめたら(結果として)いじめられた、とか、硝子がいじめにめげずに将也の机を拭いていたらそれに感動した将也が5年後に恩返しにきたとか、いろいろ「因果応報」っぽいイベントが発生していますが、それでは、この物語は「因果応報の物語」として描かれているのでしょうか?

私は、必ずしもそうではない、と思っています。

なぜなら、この「因果応報」のせりふを言っているのがどちらも物語の中でネガティブなポジションを設定されているキャラクターだからです。

川井は、この物語の中では「優等生キャラクターを演じる、要領のよい常識人」として描かれており、偽善者の側面ももっています。
この「インガオーホー」は、川井にしては珍しく厳しい言葉ですが、恐らく、硝子いじめへの、ということに限らず、学級裁判で自分に罪をかぶせようとしたという「罪」に対する「インガオーホー」である、という意味で言っていると思われます。

一方、西宮母の義母の「因果応報」も、硝子が障害を持って生まれた「責任」は、硝子自身もしくは西宮母にある(逆にいえば西宮父側の家族にはない)、という理屈として使われていることばになります。

つまり、どちらの発言も、発言者の勝手な「自己正当化」の口実として、この「因果応報」ということばが使われているに過ぎない、ということになります。

このような、ある種論理が歪んだ場面でばかり、この「因果応報」ということばが使われていることには、恐らく作者の意図があるんじゃないか、と思っています。

つまり、この物語は「因果応報」という視点で読んではダメなのだ、という…

私は、「聲の形」というのは、将也がいじめられっ子に転落したのは硝子をいじめたことのばちが当たったから、とか、将也をいじめた島田には天罰が下るべき、とか、竹内転落しろ、みたいな価値観とは一線を画した物語だと思っています。
「勧善懲悪の話にするつもりはない」みたいなことを、インタビューで大今先生自身もおっしゃっていたんじゃないかな、と思います。
タグ:第32話 第03話
posted by sora at 09:46 | Comment(2) | TrackBack(0) | その他・一般 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする