当ブログでは、いわゆる発売日前の「フライングのネタバレ」に関する話題は扱いません。フライングのネタバレとなるコメントはご遠慮ください。ご協力よろしくお願いします。(発売日後のネタバレはOKです。)

おすすめエントリ(最初はこちらからどうぞ)

2019年01月01日

聲の形イベントカレンダー&フリー雑談入口

※このエントリは、常にトップに掲載され、随時更新されます。最新エントリはこのエントリの下以降をご覧ください。

聲の形カレンダー
聲の形カレンダー・詳細版 (最終更新日:2014年12月3日)

PDFファイルになっていますので、クリックしてダウンロードのうえAdobe Readerで開いていただければと思います。


↑Amazon・楽天へのリンクです。これらで買い物の機会があるときはぜひご協力ください。(^^;)

続きがあります…
posted by sora at 00:02 | Comment(42) | TrackBack(0) | その他・一般 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年02月04日

映画・聲の形のDVD・ブルーレイ発売日が決定!

劇場でのセカンドランが地味に続いているため、なかなか出てこなかった映画・聲の形の円盤リリース情報が、ようやく出てきました。




というわけで、5月17日発売となりました。
映画の公開日だった17日に合わせてきましたね。
というか、思ったよりも遅かったです。(4月の桜の季節あたりかと思っていました。)

これを受けて、Amazonをはじめとするショップサイトで、予約が始まりました。



思ったよりも全体的に安いですね。
もともとの設定も安いのですが、そこからさらに結構な値下げが入っていて、DVDなら3000円程度で買えます。

とはいえ、ここはやはり最低でもブルーレイを狙いたいところです。
というのも、普通のヘッドフォンで5.1chサラウンドを表現できる「DTS Headphone:X」の音声トラックや、オーディオコメンタリーが、ブルーレイだけに入っているからです。

初回限定版の特典は、円盤の中身については、すでにYoutubeなどでみられるものばかりなので、正直あまりぱっとしませんね・・・。

あと、Amazonについては、ショップ限定特典をつけたものを売り出しています。



ただ、実際にショップ特典が何なのかがわからないという(笑)。

でも、私は作品への感謝も込めて、Amazon特典付き初回限定版ブルーレイを予約しました。
5月17日が楽しみです。
posted by sora at 17:36 | Comment(0) | TrackBack(0) | 映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年10月28日

大今先生の新作が11/9発売のマガジンに掲載決定!

いよいよですね。

「聲の形」完結から2年近くをへて、いよいよ大今先生の新連載が始動します。

http://7net.omni7.jp/detail/1203472811

こちらを見ると、きたる11/9発売の週刊少年マガジン2016年11月23日号に、巻頭カラーで大今先生の新連載の第1話が掲載されることが明記されています。

巻頭カラー:大今良時新連載|貼込:「聲の形」三つ折りポスター
「巻頭カラー:大今良時新連載|貼込:「聲の形」三つ折りポスター」

また、読者サービスとして、「聲の形」の三つ折りポスターもついているようです。
9日発売のマガジンは大今先生祭りですね。(^^)

今からとても楽しみです。

※なお、当ブログでは、大今先生の新作について、考察を行ったりということは特に考えていませんが、本エントリのコメント欄などで新作について雑談していただくのはもちろん大歓迎です。(^^)

※追記:Twitterにリークと思われる画像が出てきました。


巻頭カラー78Pはすごいですね。聲の形の読み切りより、連載第1話より、ボリュームが大きいですね。
posted by sora at 23:38 | Comment(2) | TrackBack(0) | その他・一般 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年10月10日

映画・聲の形の「伏線」を楽しめる劇伴インタビュー掲載!

これは実に興味深いインタビューです。

http://www.excite.co.jp/News/bit/E1475063249559.html
ラストの曲は、京アニ近くの河原で泣きながら思いつきました――映画『聲の形』音楽・牛尾憲輔インタビュー

このインタビューで語られていることはなかなかすごいです。

・バッハのインベンションは、最初から最後までを断片的に少しずつ演奏して文化祭で演奏しきる形になっている。これはこの物語全体が将也にとっての「練習曲」であることを示したもの。
・猫カフェで流れているBGMの歌詞は植野の将也への片思いを表現したものになっている。
・そのBGMが退院後に植野が美容院の陰から覗いているときもかかっている。
・永束君と最初にハンバーガーを食べたフードコードで流れている曲が文化祭の宇宙カフェでも流れていて、それは永束のビッグフレンドへの友情を表したものだった。
・硝子がみんなとの関係を取り戻すために動き出すシーンの音楽だけが、「みんなで演奏する」バンドミュージックになっている。
・夢のなかで将也と硝子が会うシーンでは、左右で音が違う。それは補聴器のノイズと将也の心象音を表していて、その音楽の後で将也のもとに向かう。
・ラストの曲の後半で悩んだが、「取り巻く世界が確かにあると分かったからこそ、最後は将也ひとりの話にしていいんだ」と気づき、将也が奏でる(インベンションから続く)ピアノで終わらせることにした。


こんな風に、まるで原作のような深い伏線がバリバリ設定されていることがわかります。

このインタビュー記事を読みながらサントラを聞くと非常に興味深く聞けますね。

サントラCD


映画 聲の形 オリジナル・サウンドトラック a shape of light[形態A]
映画 聲の形 オリジナル・サウンドトラック a shape of light[形態B]
牛尾憲輔
posted by sora at 18:36 | Comment(2) | TrackBack(0) | 映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年09月27日

公式ファンブック関連:「恋愛」という言葉が意味するもの

さて、公式ガイドブックで、ある意味、最も物議?をかもしているのは、Q&Aやインタビューのなかでの「将也は硝子への恋愛感情はない」「ラストで将也と硝子は恋愛関係にない」といった、将硝の恋愛性への否定的なコメントではないでしょうか。


聲の形 公式ファンブック
KCデラックス 週刊少年マガジン
大今 良時 (著)

これについては、一つには、これまでも大今先生がインタビュー等で語っていた「『聲の形』を恋愛物としてとらえてほしくない」というこだわりであったり、「いじめた相手に謝ったら恋愛関係になるなんて」といった安易な「感動ポルノ批判」の文脈に乗せたくない、といった配慮が働いているように思います。インタビューで語ると文字で残ってしまうので、そういった妙な批判の対象になってしまうような言質をとられるのを避けている印象はありますね。

ただ、そんなことよりもっとはっきりしているのは、大今先生が、「恋愛感情」「恋愛関係」というのを、非常に狭い意味で使っているようだ、ということです。
以下、「考察」ではあるものの、私の個人的な恋愛観にかかる話になっている点についてはご容赦ください。
ただ、そもそもこのブログでこれまで「恋愛」と私が呼んでいたものがどこまでの範囲を指すものかについては、ちゃんと書いておきたいと思いました。



1.恋愛「感情」について

たとえばファンブックのQ&AのQ65で、橋の上の「生きるのを手伝ってほしい」のシーンで、大今先生は「将也の側に恋愛感情は絡んでいません」と答えていますが、ここで大今先生のいう「恋愛感情がある」というのは、「自分が恋愛感情を持っているということを自認している」という意味だと思われます。

原作を振り返れば、結絃を彼氏と勘違いしてパンを落とし、硝子の入浴シーンを想像して焦ったり、硝子の電話番号を知ろうとどぎまぎしたり、ポニーテールや水着写真に盛り上がったり、「デートごっこ」に誘ったり、マンションから落ちるときに「俺のことどう思ってるのかな」と思ったり、その他もろもろ、どう見ても、将也は硝子に対して、ただの友達になりたいというのを超えて、恋愛の対象としての言動を取り続けているのは明らかです。

でもおそらく、将也は長らく自分自身のなかにある硝子に対する感情を「恋愛感情だ」とは認識できなかったんだろうと思います。
それは第2巻で雨の中を結絃と一緒に硝子を探すときのやりとりにも現れていたように、将也にとって、硝子のための行動の行動原理は贖罪でなければならず、恋愛感情など「あってはならない」ものとして、見えないように封印していたということです。
これは、第7巻の中盤にいたるまで、将也は自分自身の「こえ」さえ聞けていなかった、ということでもあります。
将也は「無意識」のうちには物語初頭から(下手したら手話サークルで硝子を発見するよりも前から)硝子に恋愛感情に近いものをもち、硝子と出会ってからはそれをどんどん育てていったと思いますが、将也自身が「意識」している世界のなかでは、文化祭で「こえが聞ける」状態になるまで、自分自身の「無意識のこえ」としての恋愛感情には気づけなかった、ということが言えるのではないかと思います。

これが、大今先生がいうところの「(将也には)恋愛感情がない」といった語りの正体なんじゃないかな、と思っています。

※加えて、この「生きるのを手伝ってほしい」に、将也はそもそもことさらに「恋愛」感情を込めてはいないだろう、というのはそのとおりだと思います。これは「色恋」にかかる感情の表明ではなく、「パートナーシップの約束」にかかることばだからです。それについては次の項で。


2.恋愛「関係」について

次に、大今先生がいうところの「恋愛『関係』」について。

私は、公式ファンブックを読んだ今でも、橋の上での「生きるのを手伝ってほしい」はプロポーズだと思っていますし、最終話どころか将也復活後はずっと二人は「恋愛関係」だと思っていますし、原作でもそう描かれていると思っています。

これは、大今先生が語っていることと矛盾しているように見えますが、私はそうは思っていないんですね。
これもまた、大今先生が「恋愛『関係』」というのを、非常に狭い意味で使っていることによるものだと思っています。
なぜかというと、私のなかで「恋愛関係」というのは究極的には「パートナーシップ」だと考えているからです。

恋愛とか恋愛関係、というものを構成する要素はいろいろあります。
燃えるような恋愛感情をお互いに確認しあって、「告白」をして、デートをして、キスをして云々といった、恋愛のなかでも特に「色恋」に相当する部分、というのが、まず1つありますね。言うまでもなくここには性愛の要素も含まれます。

それから、つきあう相手を特定の一人に限定して「浮気」はしない=他の相手を口説いたり関係をもったりしないということをお互いに約束しあうという、「排他的・独占的なコミットメント」というのも、「恋愛関係」の1つの要素です。

そしてもうひとつ重要なのが、「パートナーシップ」という要素です。
これは、いわゆる恋愛感情のような激しく不安定な感情ではなく、相手を深く信頼し、一生寄り添っていく、ずっと味方でいる、困ったときにはお互いに必ず助け合っていく、そういう「ずっと揺るがない大切なパートナーである」という意識をお互いに持ち続けるという、平穏で安定的で長期的に続く相手への感情とコミットメントのことです。

そして、どうやら大今先生の場合は、最初の2つが成立している状態のことを「恋愛関係」と呼んでいるように思えるのです。
逆の言い方をすれば、最初の2つが成立していなければ「恋愛関係ではない」と呼んでいるように見えるんですね。
端的にいえば「『告白』のようなイベントも経過して、目に見える形で『恋人』になり、デートも頻繁にやって、キスやそれ以上の性愛的な関係もある」という、そういう関係のことです。

この定義をとるならば、確かに最終巻の成人式の場面でも二人は「恋人関係」にはない、ということになるでしょう。
将也は硝子への恋愛感情はすでに自認しつつも、それをストレートに硝子に伝えきれていないという描写が随所にありますし、硝子も、かつて「好き」と伝えようとした恋愛感情が完全に消えているはずはなくても、いまはまだ東京で手に職をつけることを優先している状況だといえます。
たまに遠距離デートくらいはやってるかもしれませんが、「恋人らしい」進展はなかなかない、そんな感じだろうと思います。
これは当時の最終話のエントリでも書いたとおりですが、大今先生のコメントのニュアンスからすると、当時想像していた以上に、成人式時点でも二人の物理的な(色恋的な意味での)進展はなさそうだ、とは思います。

でも私は、「恋愛関係」というのは究極的には、先の3つの分類の最後の「パートナーシップ」に尽きる、と思っているのです。

「恋愛感情」は不安定なもので、いつか醒めていくものです。
でも関係を続けていく中で、しっかりとした「パートナーシップ」が育まれれば、二人の関係は、情熱的(でも不安定)な「色恋の相手」という関係から、長く安定的に続く「パートナー」に昇華していくはずです。
そして、一生をともに生きていくという意味での「婚姻関係」を続けていくために必要なのは、狭い意味での「色恋」ではなく、この「パートナーシップ」なのです
ですから、「恋愛関係」の究極形は「パートナーシップ」だと思っていますし、当然、パートナーシップというのは「恋愛関係」の(とても理想的な)1つの形だと考えています。

そして、将也と硝子の関係が非常にユニークなのは、硝子の想いは伝わらず、また将也の想いは無意識の下に抑圧されたことで、最初に経過すべき「色恋」の関係はすっとばして、いきなり橋の上の「生きるのを手伝ってほしい」で「パートナーシップ」の関係を成立させてしまったことにあります。言い換えると、若者らしいカップルの関係を経ることなく、縁側でお茶をすする老年夫婦のような関係を先に作ってしまった、といったようなイメージでしょうか。
そして、この安定的なパートナーシップの関係は、当然に文化祭の場面でも、その後の時間も、そして成人式の場面でも、ずっと二人のあいだに続いています。
おそらく「告白」もなく、ベタベタした恋人っぽい関係も(まだ)ない二人ですが、相手を信頼し「生きるのを手伝っていきたい」という想いは、一点の曇りもなくお互いが持っていて、ずっと続いているはずです。

これは、私からみると、「恋愛関係」以外のなにものでもないですね。
そして、「生きるのを手伝ってほしい」は「パートナーシップの約束」であり、その意味において、それは紛れもないプロポーズです
一方で、たぶんこの関係は、大今先生的には「恋愛関係ではない」でしょうし、だからこそ「生きるのを手伝ってほしい」も、(恋愛関係じゃないのだから)当然「プロポーズではない」ということになるのでしょう。

私は、そういうことだと理解しています。
これが、公式ファンブックで「恋愛(関係)じゃない」と言われたから慌てて付け焼き刃的に新しい理屈をこじつけたということでもないことは、これまでのエントリでの表現を読んでいただければ、以前から「パートナーシップとしての恋愛関係」という話をしていることがお分かりいただけるかと思います。
posted by sora at 21:06 | Comment(34) | TrackBack(0) | その他・一般 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする